君の名を呼ぶ
Arice saw a big egg on a high wall.
The egg said,
"I'm Humpty Dunmpty. What's your name, little girl?"
"My name is Alice" she said.
"Arice? What does it mean?"
"Does a name mean somethihg?" she asked.
"Of course it does. My name means my shape."
塀のうえには、大きな卵がすわっていました。その卵はいいました。
“我が輩の名はハンプティ・ダンプティ。きみの名前はなんだね、お嬢さん?”
“アリスよ”
“アリス? それはどんな意味なのかね?”
“名前に意味なんてあるの?”
“もちろんさ。意味をもっていなきゃいかんのさ”
*
「早坂ーっ! いったぞーっ」
――――――んあ? と思ったときにはボールが目の前にあった。
痛いっていうか熱い、それから人間って気絶できるんだなーとか関心しながら、おれは倒れた。
“――――――最初はね、《勇気》って名付けるつもりだったのよ。でもお母さんの親戚に勇気さんがいてね、別の名前にしようってお父さんと相談したのよ”
“えーっ。ゆーきくんって、カッコいいのに!”
“名前にはね、優? みんなちゃんと意味があるのよ。お母さんとお父さんたちは、その子に《こんな子に育ってほしい、こんなふうに生きていってほしい》っていう願いをこめるのよ”
“えーっ? じゃあ、ぼくのなまえのイミは?”
“優はねえ――――――……”
「んあ……」
「おお早坂、目が覚めたか? 痛みはないか?」
目を開けたら、カーテンがチラチラしてた。
なんか、小さいころの夢を見てたような気がする。お母さんがいたような。
「見たところ、アザにもなってないし大丈夫だろう。寝ている間は一応冷やしておいたけど、腫れてくるようなら病院に行ったほうがいいな。明日は部活休んでいいぞ」
心配いらないと思うけどな、という声がぼんやり聞こえた。
おれ、何してたんだっけ? ここってどこだ?
「先生……」
おれの顔を覗き込んでいたのはサッカー部の顧問だった。「早坂にしてはめずらしいミスだな」と言いながら、おれの顔に当てていたらしいアイスパックを冷凍庫にしまっていた。
……ボーっとしててバカなミスをしてしまった。顔面にサッカーボールを食らうなんて。
「気をつけろよ? レギュラーにもなったんだし、試合でぼんやりするなんて命取りだぞ。どうだ、起きれるか」
そう聞かれて、寝ていた身体をベッドから起こしたら、「とりあえず今日は帰るんだな。保健室の戸締りするから、出れるなら出るぞ」と言いながら先生が保健室の窓を閉めた。
「あっ、そうだ。女子が外でおまえを待ってるぞ」
「えっ!」
もしかして志穂が来てくれた!? と、急いでベッドから降りて、ドアをガラッと開けた。保健室の廊下には長椅子が置いてあって、腕を組んで座ってる女子がいた。
「……あ」
「早坂くん、ちょっといいかな」
その子は、志穂じゃなかった。志穂の友だちだった。
*
おれが志穂に一方的にひどいことを言って一週間くらい経っていた。まえにケンカというか、おれが志穂にキツイこと言ったときも二週間くらいは志穂に会わなかった。同じ学校なのにまったく会わない。休み時間に行ってもいないし(やたらと戸波が突っかかってくる)、茶道室にいっても、クラブ活動日のはずなのに鍵がかかっていて、なぜか誰もいない。家に行っても居留守を使われた。もうとことん避けられている。
……おれ、絶対に志穂に嫌われた。これで何回目だ? 志穂は、なにも悪くないのに。
「早坂くん、いい加減にしてほしいんだけど」
と、志穂の友だち(たしか、守川さん)がおれを睨んでいた。
「…………」
守川さんは、志穂とおなじ茶道クラブの子で、まえにも「志穂が元気がない」と言いに来た女子だ。相当怒っている。
おれをとことんやり込めたいのか、ここは図書室の前だった。おれの部活がなくて志穂のクラブがあるときは、志穂を待ってた場所だった。志穂と一緒にいたくて。おれは、志穂が好きだから。
ごめん、と言いかけて口を閉じた。だって、これは志穂に言わなきゃ意味がない。志穂の顔を見てちゃんと言わなきゃいけないんだ。
守川さんに聞きたいことはたくさんあるのに、おれは動けなかった。志穂はどうしてるんだろう。もうすぐ中間テストがあるし、そろそろ勉強してるかな。志穂は国語が苦手だから、もう始めてるかもしれない……。
いつの間にか、廊下についている古そうな傷を見ていた。顔を上げて守川さんを見た。
「おれ、志穂に謝りたい。でも家に行っても志穂にぜんぜん会えないんだ。だから……」
志穂がどうしてるのか教えてほしい、と言おうとしたときだった。
「もうすぐお茶会があるんだけど」と、守川さんは渋々といったふうに制服のスカートのポケットから、何かを出した。それは、くしゃくしゃになった一枚のチケットだった。
「お茶会の招待券だよ。志穂が捨てようとしてたから止めたの」
「えっ!」
志穂が……?
「志穂が? だよね。わたしもびっくりした。志穂がすごく暗い顔してたんだよ。そのお茶会の日付さ、早坂くんはわかるよね」
おれの表情を読んだのか、守川さんはため息をついた。「わたしが最初から知ってたわけじゃないからね。志穂から無理矢理聞き出したの」と言って招待券を渡した。「今日は志穂、茶道室にいるよ」
おれは、そこに書いてある日付を見た。手に力いっぱい握りしめて、何も考えずに走り出した。
おれは、やっぱり、どうしようもない奴だった。
*
小学六年のときに、「自分の名前の意味を両親から聞いてくること」っていう宿題が出た。お母さんにそれを話すと、おれの小さい頃の話をしてくれた。小さい頃の優に言うべきじゃなかったって、笑いながら、最初は“勇気”って名前にするつもりだったてことを。おれが勇気って名前をすごく羨んだらしく、でも人の名前にはそれぞれちゃんと意味があるんだと伝えたら、嬉しそうな顔をしたそうだ。まったくおぼえてないけど。
勇気の「ゆう」
その読みをとって「優」
「大切なひとに優しくできる勇気をもてる子でありますように。ひとの気持ちに優れて敏感でありますように」
それで、優――――――。
恥ずかしくて死にそうだった。それを聞いたあとはうまく口を利けなくなった。顔が赤いまますぐ家を出て、志穂の家に行った。志穂の名前の意味を、知りたくて。
“わたしはね、強い信念をもって夢に向かえるようにっていうのと、実りおおい豊かな人生になりますようにっていう意味だって聞いたよ”
志穂も照れているような感じだったけど、嬉しそうだった。
“志穂って……いい名前だな”
すごく自然にそう言っていた。志穂が固まって、顔を赤くした。それから、
“優くんも、すごくいい名前だね”
って、笑ってくれた。
図書室で志穂の帰りを待ってるとき、『鏡の国のアリス』の対訳本があったから読んでみた。おれは、英語の本を読むのが別に苦痛じゃない。志穂には不思議がられていたけど。
ハンプティ・ダンプティとかいうデカい卵のおっさんとアリスが出会うシーンがあって、そこで卵のおっさんはアリスに名前を聞く。アリスが答えたら、今度はその名前の意味を聞いた。
“名前に意味なんてあるの?”
“もちろん、どんな名前にも意味はあるさ”
小学校のときのお母さんとのやり取りと、志穂の笑顔を思い出した。
志穂はかわいくて、やさしい。やさしいって漢字が名前についてるおれなんかより、断然だ。
おればっかり、いつも志穂を困らせてる。傷つけてる。ごめんな、ごめんね。
くっそ、渡り廊下が一階にしかないから、降りて走って上って、遠いんだよ、茶道室!
毎回、こんなのだ。自分の気持ちから、志穂から逃げて走ってばっかり。
志穂が好きだって、伝えてもいないのに。廊下の奥の奥にやっと茶道室が見えてきた。もう、息が切れそうだ。
志穂。名前で呼んでよ。名前を呼んでよ。おれは、君の名前を、呼びたい――――――
「――――――志穂っ!!」
バンッ、と扉を開けた。これも最近同じことばっかりやってる気がするけど、構ってられるか。
扉に片手をついて、ゼーゼーやってしまう。すげえダサいけど、知るかよ。
「……優くん……?」
志穂は大きく目を開いて、かわいい……じゃなかった、夕日を背にして畳の上に座ってた。なんか長い棒のようなものを持っていた。それから、ハッとしたように口に手を当てた。
あの……と、つぶやいて気まずそうに目をそらした。これって、おれが名前を呼ぶなって言ったからだよな……。おれはやっぱり、志穂を困らせることしかしてない。でも……
「志穂、聞いてほしい」
おれからは、ぜったい目をそらさない。志穂の顔を見て、全部言うのだから。
夕日が志穂の髪に当たって、半分だけオレンジ色になっている。
「志穂、おれは志穂が好きだよ。今も、このまえも、こんなことになってごめん。ほんとに、ごめん。志穂が好きだって気がついたのは最近なんだ。でも、ずっと志穂と一緒にいたいって思ってた。志穂が教科書とか辞書とか、借りに来てくれるのがうれしかった。……だから、今度はおれが志穂に会いに行く」
「優くん……」
「志穂のために、とか、そういうことは正直言ってわかんねえ。でもおれ、それを探したいよ。志穂と一緒にいて、それを探したい」
やさしくなりたい。「大切なひとに優しくできる勇気」って、お母さんの言ってたことがなんとなくわかった。でも、どうやったらそれができるのか、ぜんぜんわからない。
志穂がこっちを見てくれている。おれが何を言うのかを真剣に待ってくれている。……と、思う。
あんまり高くない背とか、肩にかからない長さの髪とか、志穂っていう名前とか、志穂がもってるものは、ぜんぶ志穂のものだ。
「……志穂の名前が好きだ。志穂がもってるもの全部。だけどおれは、志穂のこと困らせてばっかりで、なんにもできてない」
志穂がずっとそばにいてくれた。ぎゅっと手に力を込めたら、招待券がカサッと鳴った。手も、この招待券も、熱い。おれも、きっと何かしなきゃダメなんだ。
ごめん、これ、くしゃくしゃにしちゃったと、志穂にそれを差し出した。志穂は持っていたものを畳に置いて立ち上がった。おれが差し出したものを受け取ったら、目をさらに大きく開けた。
「これ、どうして優くんが……」
「志穂、ありがとう。おれ、志穂に何かしてもらってばっかりだ」
なんか、顔まで熱くなって、目頭もカッと熱くなって夕日もまぶしい。やべえ、なんで泣きそうになってんだ、おれ……。
「お茶会の準備で会館に行ってばっかりだったの。クラブは忙しくて、優くんと話す自信もなかった。だけどずっとほんとうは優くんと話がしたかったの……。一度仲直りできたと思ってたのに、あれは違ったのかななんて考えちゃって。今までも名前で呼んでたのに、なんか優くんの名前を呼ぶのが、急に恥ずかしくなったんだ。わたし、変になっちゃったって思った。でも、ね」
志穂がまっすぐおれの目を見た。
「わたしも優くんが大好きだよ。優くんの名前はね、他の子とは全然ちがうの。特別なの。だからわたしも、優くんと一緒に、そのできることっていうのを探したい」
おれは畳に上がって志穂に近づいて、招待券ごと志穂の両手をぎゅっと握った。志穂の手はあったかくて、すごくやわらかかった。肩にかからない髪はサラッとして綺麗で、くりっとした目はちょっとうるんでるような感じでかわいい……じゃなかった。あんまり高くない鼻も、ふわふわそうな唇も、キスしてみたい……じゃねーっつの!
おれ、志穂のこの手の感触を、ぜったい忘れない。
「志穂の思ってることも、おれの考えたこともこれからいっぱい話したい。志穂は……、志穂はどうかな?」
「優くん……。うん、わたしも優くんとたくさん話したいよ。今までよりももっと。また公園で待ち合わせたり、一緒に帰ったりしたいな」
志穂が、おれの手のなかで手をもぞもぞ動かして、指先でおれの手をきゅっと握ってくれた。
心臓破裂するだろ、こんなの。おれ、たぶん顔真っ赤だ。息苦しいし、汗も出てきた。
「志穂。誘ってくれてありがとう。絶対に、行くから」
守川さんが教えてくれた。志穂が持ってる、もはやくしゃくしゃになった招待券は、市の会館で行われる特別行事のお茶会に招待してくれるものだった。お茶会には誰でも参加できるけど、この招待券をもらった人は、招待券を渡した人から直接お茶を煎れてもらえるらしい。
偶然だってわかってるよ。でも、そんなこと関係ないだろ?
その日がおれの誕生日だったって。
「うん、待ってるね。優くん」
夕日が志穂とおれの手に反射して、光った。
会場で会ったら、そのとき一番に呼ぶよ。
志穂って。
志穂が持っていた優いわくの「長い棒」とは、柄杓のことです。
初出:
【名前で呼んでよ。】2012.10.01
【名前を呼んでよ。】2012.10.08