■第八七夜:歌声は遠い日の
「さて。かように、いまは互いに争ったりいがみ合ったりしている場合ではない。我々が安全圏に逃れるまでの時間を、そなたらが愛して止まないアシュレダウが身を挺して稼ぎ出してくれているのだからな」
「そう、それだッ! アンタどうして……そのスカルベリの、敵側の姫さまがアシュレさまの隣りにいるの? シオン姉の話だと、ガイゼルロンにいる夜魔はひとり残らず人類の敵だって話だったけど? ってか、姉の妹っていうのホントなの!? 髪の色も目の色もそれから……ってこれは言葉にしたらイケナイヤツだったか……全部違うじゃん!」
「アンタ、ではない小娘、スノウ。我はすでに名乗ったぞ。それとも半夜魔には記憶力がないのか? 我はアストラルハ。夜魔の大公:スカルベリの息女。本来ならそなたら風情が直接に言葉を交わすことは許されぬ間柄で張るのだが……いまは緊急事態であるから特にアストラと呼ぶことを許す」
容姿に関するコンプレックスを苦虫を噛みつぶしたような表情で呑み込み、アストラは改めて自己紹介した。
「わたしの外見がアレと違うのが気になるようだが……その話も聞かなかったことにしておいてやる。が、それに関しては二度とするな。お互いのためぞ」
「なんかわかんないけど……いろいろあるんだね、夜魔の社会も。わたしたちとおんなじで……」
感情を押し殺した声で言うアストラに、なんとなく事情を察したのか、あるいは色こそ違えど特徴的なあの眉のカタチにシオンの面影を見出したのか、スノウの方も疑問を呑み込んで必要不可欠な質問に徹することを決めたらしかった。
「じゃあそのアストラさんに質問。どうしてアシュレさまと居たの? さらには、どうしてわたしたちを助けてくれたワケ?」
「あの女のことをシオン姉、シオン姉と気安く呼ぶオマエこそ、どうしてここに居るのかと問い正したいところだが、まあよかろう。ひとつ目の質問は、運命のいたずらによって。ふたつ目の質問は……アシュレダウがアストラを救ってくれたから。その男にそなたらを助けるよう頼まれたからだ」
「アシュレさまが……あなたを助けた……」
アストラの返答に真騎士の妹たちは「やっぱり騎士さまは女性の窮地を見過ごせませんのね」「たとえ敵の姫君であっても手を差し伸べてしまう方なんだよ」とか感動的に盛り上がっていたが、もうすこしつきあいの長いスノウは半目になり「またですか」とつぶやいたに留まった。
「なんだ小娘、そのなんとも形容し難い、味わい深い表情は?」
「いいえなんでも。じゃあ騎士さまからの恩義に応えてわたしたちを助けてくれたってことで理解します。それからお礼も。ありがとうございました。でも……究極的には人類の敵なんですよね? スカルベリの側、ガイゼルロンの側のヒトって認識でいいのかしら?」
一定の理解と感謝を示しつつ、スノウは心理的な予防線を引く。
眠らぬ悪夢どもの群体を前に共闘したからといって、イコール恒久的な味方であるとは限らない。
しかし、それに対するアストラの返答は、失笑を含んだものだった。
「たしかにアストラはどちらかと言えば大公:スカルベリの側、ガイゼルロンの廷臣ではある。だがすくなくともわたし、アストラは人類を害したいとは思っていない。それはいまは思っていないという話ではなく、夜魔と人類は共存共栄すべきだという意見を以前から持ち、いまもまたその立場に立っている」
「えっ、人類との共存共栄を……っていま言った?」
驚愕を隠せない妹たちに、そうだ、とアストラは頷いた。
「そしてその共存共栄の輪のなかには人間だけでなく、そなたのような変わり種や真騎士の乙女たちまでをも含んでよい、というのが現在の心境だ。アシュレダウが助けたいというのであれば、躊躇なくそなたたちを助ける程度には、な」
わたしのような考えを持つ夜魔も、我が国にはいるという話だ。
「ごく少数にしても夜魔と人類とは争うべきではない、という意見を持つ者は確実にいるのだ。……そこにきてガイゼルロンには人類の敵しかいないという話は、シオンとかいう女の視野狭窄というものであろう」
そう言いながら、複雑な感情がアストラの整った面顔に去来するのを、スノウたちは見た。
「えっ、じゃあ……味方なの?」
アストラの見せた形容し難い表情に、スノウは思わず疑問を口にしてしまう。
そんな短絡的な考えをたしなめるように、アストラは言葉を選んだ。
「意見が同じなら味方、違えば敵だとかいう極端なものの捉え方は改めるべきだぞ小娘。アシュレダウの従者がそれでは、勤まるまい。だがそうだな、すくなくともいまのアストラはオマエたちの敵ではない。それは約束してやろう」
「ああ、えと、はい……」
己の未熟を指摘され、シュンとなってしまったスノウを援護しようというわけではないだろうが、間隙を突いて真騎士のふたりが質問役を引き継ぐ。
「それで、アシュレさまとは、いったいどういうご関係ですの?」
スノウより三つ年下の妹たちの問いかけは、もっと直線的だ。
要するにこの見目麗しき姫君が、自分たちにとっての恋のライバルであるかどうか。
そここそが最大の関心事なのだ。
「関係と来たか。答えにくいことをズケズケと聞くな、娘ども」
「時間がないっていったのはそちらですわ」
「……よかろう。先ほどの回答と重なる部分もあるが、かいつまんで話せばアシュレダウはアストラの命の恩人でありいまや同志でもある。あの悪夢どもから身も心も救ってくれた騎士だ。もっとも、血の掟に従いいずれ正式な決闘で雌雄を決さねばならぬ間柄ではあるが、まだそのときではない」
そのときが来るまで、アストラはそなたらの敵ではないという意味でも、これはある。
アストラは、これまでの経緯を簡単に説明した。
だが、簡潔にまとめられたこれまでの経緯は、妹たちに強烈なショックを与えたようだ。
特にアストラが帯びていた使命と、それを承認しガイゼルロンから彼女を送り出したのがほかでもない夜魔の大公:スカルベリであったことは、恋のライバル視などという感情を消し飛ばすほどに大きな衝撃を持って三人には伝わった。
「それじゃあアストラさんは、人類圏のために和平の橋渡しをしにいこうとしてたったこと? アシュレさまに救われたから、そういう考え方になってくれたとかじゃなく、最初っからってこと?」
「その任務を承認したってことは、夜魔の大公:スカルベリも同じ考えを持ってるって思っていいってこと? だって、そうなるよね? いやいや、ちょっとまって。それ知らない話だよ」
「でも! だとしたら、辻褄が合いませんわ。だって夜魔の騎士たちの侵攻はもう現実のものですもの。ノーマンさまやイズマさまが瀬戸際でいま必死で防戦しているのは、実際に人類圏が脅かされているからなんですもの! そうでなかったらイダレイア半島の人類はもう滅んでいるかもしれませんのよ!?」
そして自らの与えた情報が呼び起こした妹たちの叫びに、こんどは夜魔の姫が驚愕する番だった。
「なにぃッ!? 夜魔の騎士たちの侵攻がもう現実のものだとは──それは、それはいったい、どういうことだッ!?」
少女たちの叫びは、夜魔の大公の娘の胸を刺し貫いていた。
わなわなと震えるその指が、反射的にエステルのそれを捕らえる。
「きゃっ、なんですのッ!?」
「聞いていないぞ、そんなことはッ! 戦端がもう開かれているだとッ!? 真騎士の娘ッ、嘘を申すなッ!」
「嘘など……申しておりませんわ。本当のことしかエステルは申しませんの」
脅えたエステルの瞳を覗き込み、立ち昇る彼女の血の薫りを嗅ぎ、そこに嘘が含まれていないことを知ったアストラは暗転を感じよろめいた。
「バカな、そんなバカなッ!」
「えっとなにどういうこと!? もしかしてアストラさんは本当に知らないの!?」
「そうだよ、とっくにもう戦争は始まってるんだよ! 人類圏はもうしっちゃかめっちゃかになっちゃってる! だからわたしたちはその大侵攻を止めるために来たんだよ!?」
「なん……だと……」
蒼白になり、アストラはうめいた。
「このことをアシュレダウは知っているのか!?」
ふたたび掴み掛かる勢いで、アストラがスノウに問い正す。
妹たちは互いに顔を見合わせると、真剣な顔でアストラに事実を告げた。
掴み掛かる勢いで、スノウが説得する。
「それは──もちろんそうだよ! だからアシュレさまはシオン姉とたったふたりでこの巡礼者の道を突破する作戦に出たんだよ! ……っていうか、なんでガイゼルロンのお姫さまがそのことを知らないんだよ? 和平交渉ってもうそんな悠長なこと言ってる場合じゃないの知らないのッ!? アナタ本当に、スカルベリの嫡子なんだよね?」
「莫迦な……そんなバカな。我が軍はすでに人類圏へと侵攻中だと? なんでこんなことになった? いいや、なっている!? どうして陛下、そんな早まったことを。それにアシュレダウはなぜそれをわたしに黙ったままいたのだ……?」
いいやだからこそなのか。
「だからこそ真祖:スカルベリに直接挑むしかないと……そういうことなのか。アシュレダウは、わたしのことを案じて黙ってくれていた……?」
呆然とアストラは独り語り続ける。
「だが、それにしたって辻褄が合わない。いったいどうしてこんなことに。あの時点で、アストラが出立した時点で、軍事侵攻はまだ机上のものに過ぎなかった。上級夜魔たちがどんなに急かしても、足並みが揃うには一月は掛かるはず。それがすでに侵攻中とはどういうことだ。アストラが国元を出立してからまだ一日も経ってはいないは、ずなの、に──あが、うぐ、が、」
突然、つぶやき続けていたアストラが頭を押さえ、胸に手をやって膝を折った。
顔面は蒼白を取り越して青くなり、全身がガクガクと震えている。
全身を折るようにして座り込み、苦しげに喘ぐ。
あまりのことに、妹たちが駆け寄り、口々にアストラを案ずる。
「ちょっと大丈夫、アストラさん!? しっかりして!」
「お気をたしかに! 心を強く持ってくださいまし!」
「落ち着いて、一回お水飲もう! あ、夜魔のお姫さまだと葡萄酒の方がいいのかな?」
走り寄った三名に、自らを見舞う異変を察してか、アストラは腕を振るって来るなとジェチャした。
その口元から、ごぶりげぶり、と変色した血液が漏れ出る。
三人の妹たちは、その口から一瞬だが顔を覗かせた奇怪な生き物と目が合った気がした。
ひっ、とだれからともなく上がった悲鳴に、顔を見合わせる。
それでいま見たものが自分だけが見た幻覚ではないのだと知る。
全員が見たというのなら、あれは現実?
「だいじょうぶなのアストラさん!? なんか変だよ、顔色だけじゃない、いろいろおかしいよ!? ねえ、どうしてあげたらいいの!? シオン姉からこんなの聞いてないよ。説明してよ」
「血が、血が出ておりますわ、それも真っ黒い!? 夜魔がこんなふうに血を吐くのってどういうときなんですの!? 応急手当とかどうやりますの!? あああシオンさま、助けてくださいまし!」
「あわわ、どうしようこんなのわかんないよ。夜魔のことなんか全然わかんないから、どういう応急処置したらいいのかもわかんないよ。だいたい夜魔にそんなの必要ないって話だったよね!? だれか説明して。もおおおおシオンさま、どこにいるの!?」
たとえそれが他者のものであれ、自分たちに近しい容姿を備える存在の出血は、視覚からも嗅覚からも本能的な動揺を人型生物にもたらす。
人類やそれに類する種族への応急手当や簡単な医療に関する講義と実践は、後方支援の要としてかなりみっちりとした訓練を受けてきた三人の妹たちだが、こと夜魔のそれに関してはほとんど無知といってよかった。
もちろんだからといって、彼女たちを責めるのは筋が違う。
長命である、ほとんど無限の寿命を持つ、とは言っても土蜘蛛や真騎士の乙女たちは夜魔のごとき真の不死者ではない。
人間と同じく剣で切られれば血を流すし、致命的な負傷を受ければ死に至る。
そんな定命の者たちと、真の不死者である夜魔の生命に関して同列で語ろうとするほうが、そもそもの誤りというものなのだ。
ゆえに妹たちには、アストラの体調の急変がなにに起因するものなのか、当然のことだがわからないでいる。
いやたとえこの場に“叛逆のいばら姫”:シオン本人がいたとて、アストラの変調の原因を見抜くことはできなかっただろう。
それほどまでにいまアストラを襲う症状は常軌を逸していた。
衣服の下をなにかが這い回っているようにすら見えた。
胸を押さえ、頭を押さえ、床面を這いずりながら、アストラは必死にかぶりを振る。
「だいじょうぶ、だい、じょうぶだ娘たち。アストラは問題ない。本懐を見失うな。そうだ、もとよりこの特務にはおかしなところがあったのだ。アシュレダウがそれを教えてくれた。だからそのために我らは上を目指すのだ」
ほとんど己に言い聞かせるように唱えながら、アストラは震える四肢に力を込め、立ち上がろうと試みた。
タールのように黒く変じ、粘性を得た血液が唇からゆっくりと流れ落ちる。
「問い正さなければ、陛下に。なぜ、どうして、この道の存在だけをわたくしに示唆されたのか。封都:ノストフェラティウムとそこに潜む悪夢どもの実在を、なぜ黙ったままにわたくしに特務を授けられたのか。そして──どうして、どうしてアストラを待たず開戦を決意されたのか」
そうだ、そうだろう、アシュレダウ。
うわ言のようにそう呼びかけながら立ち上がったアストラの姿は、まるで幽鬼のように三人の妹たちには見えた。
「アストラ……さん?」
「大事……ない。こっちだ、妹たち。心配をかけたな。だが、すべてアストラに任せておけ。アシュレに、アシュレダウと交した約束だ。必ずや安全にそなたらを……送り届けてみせようほどに」
フラフラと歩みはじめたアストラを、遠巻きにするようにしながらも妹たちは後に続く。
おかしい、とは感じながら。
アストラの言動に不穏なものを見出しながら。
歌声が聞こえてきたのは、しばらく暗闇を経巡ったあとだった。
ここまで燦然のソウルスピナをお読み頂きありがとうございます。
連載再開から15日間、平均約五〇〇〇字のペースで更新して参りましたが、このあたりでストックが尽きたようです。
正確にはまだもうちょっとあるのですが……まあもうすこし推敲しつつ書き溜めようかと。
というわけで、またまた執筆時間を頂きたく思います。
なるべくはやく更新再開したいなあ、と思いつつ、その間にご感想・評価・レビュー、いいねボタンなどしていただけたら幸いです。
夏が本番になる前には再開したいなあなどと考えつつ。
それでは皆さま、まずはよきゴールデンウィークを!




