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■第八六夜:においと和解




「ほう……なかなか良い反応だ。一応の訓練は積んできた者どもということだな。さすがはアシュレの従者たちというところか」

「不本意ながら実の妹って──まずもってねえに妹なんていたの!? 聞いたことないんだけど、精神の妹的にッ!? そして、なんでそんなヒトがここに居るの!? それよりもっと疑問なのは、そのヒトがなんでわたしたちの騎士さまのこと知ってんの!? アシュレって愛称呼び、メチャクチャ馴れ馴れしいし! せめて『さま』づけして!」

「スノウさんそんなことよりも、まずもってどうしてそんなヒトがアシュレさまと一緒にいらしたのかしら、とそこからですわ! 第一シオンさまの妹君とは言っても、おふたりは袂を分かたれた存在なのでしょう!? どこをどう押したら、この短時間にふたりが出会うような事案が発生するって言うんですの!? わたくしたち別れてからまだ三時間と経っておりませんことよ!?」

「そもそもスカルベリの嫡子をいまだ名乗ってるってことは、このヒト夜魔の騎士の筆頭なんだよね? ガイゼルロンの姫って言ったら、単純に敵じゃんか! そのヒトが、どういう理屈でわたしたちをこんなところに導いたワケッ!? なにこれ、罠? だったらやられる前にやらなきゃ!」


 矢継ぎ早にぶつけられる質問に、なにがおかしいのかアストラは苦笑して小首を傾げ、瞳を閉じて見せた。


「三対一でその余裕、後悔しますわよ」

「ふたりとも、なんとかソイツを押さえ込んで。魔導書グリモアの魔力でおかしくさせてやる」

「体格差はほぼなしと見た。真騎士の乙女の戦闘術、見せてやるんだから!」


 やっちまいましょう先ほどの口封じも兼ねて。

 そんな剣呑な合意を、はたして妹たち三名がしたのか、しなかったのか。


 息巻く三人にアストラは目を閉じたまま、両手を広げて言った。


「いきり立つな、小娘ども。我に害意はない。争っている時間もない。口走ったアシュレへの想いについても、我が胸に秘めておくことは想いを同じくする乙女として約束する。そのほかの質問には安全圏に辿り着いたらひとつずつ答えてしんぜようから、とりあえずにしても得物を収めるがよい。もちろん収めたくなくば収めずとも良いが、要らぬ怪我が増えるだけだというのは忠告しておいてやろう」


 外套の奥に息づく吸血剣ブラッドソードを示しながら、アストラはゆっくりと目を開いて三人を見渡した。

 

 その身のこなしに、真騎士の妹ふたりがぴくり、と肩を揺らした。


 アストラが相当の使い手、それもいまの自分たちではまるきり敵わないレベルの手練だと、瞬間的に見抜いたのだ。


 脅しだけではなく、彼女がその気であったのなら、すでに自分たちの命はなかったであろうことも。


 第一、この場に彼女たちを安全に誘導してくれたのは当のアストラだ。

 襲うつもりであったなら、ここに這い登る前にすべてが終っていたはずだ。


「先の一件、胸に秘めてくださるとのことですし……ここは……いったん預けますわ」

「たしかに、怪我が増えるだけってのは口先だけじゃないみたいね。いま争っている余裕なんてないのはその通りだし……」


 悔しげに言い放ち、護身用のスモールソードを鞘に戻すふたりに、アストラは笑みを広げた。


「そちらのふたりはなかなかの眼力の持ち主だな。鋭い。我とことを構える愚を悟ったか。すばらしい。その選択は称賛に値するぞ」

「ちょっキルシュ、エステルッ、ふたりともなにやってんだよ! 駄目だよ、武装を解いたら! このヒト、夜魔の騎士なんだよッ!? 油断したらダメ!」

「そなたは……なるほど精進してこなかったわけではないが、構えからしてまだまだのようだな未熟者」


 それになんだ……これは?

 提案を素直に受け取らなかったスノウに対し、アストラは自らの鼻先にひとさし指を当てて言った。 


「これは……登攀時から感じてはいたが、そなたなにかずいぶんと変わった匂いがするな。真騎士の娘たちとは違う。夜魔のようでいて人間のような、人間のようでいて夜魔のような……半夜魔ダンピール? だがそこに隠れて、ずいぶんと剣呑な薫りまで混じる。これは……魔のにおいぞ。桃に蜂蜜……小娘のミルクの香りに隠れて、淫靡な闇のにおいがするわ」


 今晩のメニューを言い当てるかのように涼しい顔でアストラが言い放つにつけ、スノウの顔色があからさまに変わった。

 小娘のミルクの香りというのはともかく、最後のは聞き捨てならない。


「淫靡な闇のにおいってえええ、言い方ァッ!?」

「なにを驚く。これはそなた自身の発するにおいのことだぞ? そうとも、これはふしだらで淫らなにおいだとも。腐りかけの果実のように、不快なはずなのに何度でも嗅いでみたくなるような、蠱惑的だが、不実なたくらみのにおい。退廃的なにおい。娘、そなた見た目通りの乙女ではないな?」


 わざと鼻をひくつかせてスノウの匂いを嗅ぐジェスチャを見せていたアストラが、本気で顔をしかめて吐き捨てた。


 初対面の相手に自らの体臭について言及され、さらには不躾に指摘され、スノウは心を乱してしまう。

 

 動転のあまり書籍化しかけた胸を必死で抱え込む。

 魔導書グリモアの揺動。


 アストラの目はその変化を見逃さなかった。


「やはりそなた、なにか特殊な事情を抱え込んでおるようだな。魔の匂いというのは半分カマかけだったが……当たらずとも遠からずというところか。しかも、その様子、かなり厄介なことになっているのではないか?」

「そこまで、夜魔の王族の能力って、初対面でそこまでわかるものなの!?」

「やはりそうか。娘、そなた魔性に魅入られておるな?」


 うっ、と言葉に詰まったスノウに対し、アストラは腕組みひとつ唸ってみせる。

 だがそれはスノウが怖れた糾弾とはほど遠い、嘆息交じりの愚痴であった。


「となるとこれは……まさかこやつまで、あの男目当てで戻ってきたクチだというのか。こんな、こんな破廉恥な女まで飼っているとは聞いてないぞアシュレダウめ。守備範囲が特殊な上に広過ぎるわッ」

「なんだとーッ!? さらっといま、わたしだけでなく騎士さまもなじディスったなーッ!? それに臭うって本当なの? わたしなにか臭ってるの???」


 夜魔という種族が対象の体液の臭いからその正体を嗅ぎ分けられるのは、彼らが血液のエキスパートだからだが、その血を半分引く自分には当の魔性がまったく感知できないのはどういうことか。


 スノウは焦って自らの腕や肩のあちこちに鼻を押し当てた。


 一方、慌てるスノウを眼前にして、アストラといえば淡々としたものだった。

 

「血の匂いをかぎ分けるのは、夜魔にとってごくごく基本的な能力だ。その上で血液のテイスティング技術は人類の貴族がワインを選び抜くのと同じく、高級な趣味であり己が血統への誇りでもある。まあぶっちゃけ単純にまずい血は我らの心身を害することもあるしな。人間が腐った食べ物を避けるのと同じこと」


 それに、とつけ加える。


「それにいまのはアシュレダウをなじったわけではない。むしろ逆だ。感服したと言っている」

「感服って……感心したってこと?」

「よくもまあこんなにバラエティに富んだ血筋を侍らせたものだ、とな。娘、そなたのような血臭を持つ者はこの世界がいかに広くとも、百万にひとりもおるまいよ。極めつけに異質で異様な匂いだ。この世に生を受けてより二〇〇有余年。口にした血液の持ち主は一万を下らん。そのなかでそなたのような特殊な臭気を放つ血統のものには出会った試しがない」


 だが希少レアだから良い、という話をしているのではないというのは憶えておけよ、小娘?

 冷徹な口調でアストラは言った。


「それにしてもこのにおい……アストラだったらまず手はつけん。危険、剣呑、いや邪悪というのがぴったり来る表現か。そなたのそれは男を狂わせる魔性よ。腐りかけ虫の湧いたジビエが、ときに人間をひどく魅了するがごときものよ。本質的には腐っておる」


 だが、


「だがそうであるにもかかわらず、そなたの恋い慕いようから察するに、アシュレダウという男はそれを遠ざけもせず、むしろ積極的に側に置いていたのではないか? スノウとかいったか、娘? どうだ可愛がってもらっていたのであろう?」

「えっ、可愛がってもらっていたっていうのは……それはそうだけど、そんなにあけすけに言われるとなんかメチャクチャ恥ずかしいな。ってか、そんなにひどい臭いがするんだわたしッ!? 腐ってるって言った!? それって腐臭がしてるってこと!?」


 思っても見なかった展開に、真っ赤になってスノウが恥じ入る。

 知らないというのは幸せなことだな、とアストラは頷いた。


「そうだぞ? そなたからは、ひどく淫らな望みの臭いがするのだ。さきほどまで声高にとんでもない《ねがい》を喚いていたが……そんなことせずともただそこにいるだけで、焦れば焦るほどに匂い立つその体臭で持って『わたしは妄想過多な淫乱変態娘です』と公言しているようなものだ。まったく、そんなにおいを振りまいて、よく恥ずかしげもなく表を歩けるな。側仕えで奉仕するたび、アシュレダウからはなんにも言われなかったのか? ウジの湧いたチーズを側に置いているようなものだ」

「ななな、なんだとー。そんな臭いなのッ!? 嘘だ嘘だ、嘘だ──わたし最近、毎日二回は水浴びしてるんだからッ!? てかやっぱりなじディスってんじゃん!! ウジの湧いたチーズって、そんなの知らないし、食べたこともないよ!!」

なじディスってなどおらん。心と守備範囲の広い己らの主に、最大限の感謝を捧げろと言っておるのだ。そのウジの湧いたチーズ娘がこれまでどんなふうに篤く愛してもらってきたのか、思い出すが良い」


 そうでなくて、どうして先ほどのような嘘偽りのない熱い《ねがい》が、そなたの喉から迸り出るものか。


「まあひどいにおいにはかわりがない。我がそなたなら、いまこの場で舌を噛み切って死ぬレベルだ」


 ククク、とハトのように喉を鳴らすアストラは、嗜虐性の権化である夜魔の、たしかに大公の娘なのだ。


 羞恥と怒りで肌を真っ赤に染めたスノウが立ち尽くす傍らをすり抜ると、アストラは一方的に言い放った。


「まあおかげで一も二もなく、そなたらのことは信じられるというわけだ。そこまでぞっこんあの男に惚れ込んでいる娘どもなら、この先の裏切りや要らぬいさかいを心配する必要はあるまい。よろしくだ、妹たち。短いつきあいか長くなるかはさっぱりわからんが」


 三人の先ほどまでのあの叫び……単なる錯乱と軽々に聞き流すには、あまりに真情に溢れ過ぎていたからな。


「しかしまあ、こんな年端もいかぬ青リンゴのような娘たちまでもがお熱とは。アシュレダウ……生粋の女たらし……ナチュラルボーンジゴロとはヤツのことか」


 まあそうやってたぶらかされたなかに、わたしもいるわけだが。


 己に対し呆れたようでいて、自嘲するようでもあり、それでいてどこか嬉しそうなアストラの物言いに、真騎士の妹ふたりと最後まで警戒心を剥き出しにしていたスノウまでもが毒気を抜かれてナイフを下ろした。


 ただスノウに限っては、先ほどまで散々体臭についてイジられた怒りが収め切れずにいた。

 感情がつぶやきに変じて漏れ出たとて、それは仕方がないことだ。


「てか……年端もいかぬって言うけど……胸の発育は、わたしのほうが圧倒的に勝っていると思うんだけれど、夜魔のお姫さま?」

「そなたスノウとか言ったか……いまのは聞かなかったことにしてやる。だが次になにかのサイズについて言及したら、その首と胴体は永久にお別れすることになるぞ」


 潜めたハズのスノウのつぶやきを逃さず拾い上げて、アストラが顎をしゃくる。

 が、続いて放たれた言葉は喧嘩の売り文句買い文句とはほど遠い、まさに正論と呼ぶべきものだった。





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