■第八五夜:邂逅は誤解とともに
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「そなたら、急げッ! アシュレダウが時間を稼いでくれている! いまのうちに安全を確保せよ!」
初対面であるはずのアストラの誘導に、三人の妹たちは素直に従った。
途上、苦労がなかったわけではない。
アシュレからの警告を聞き逃した妹たちは、すれ違いざま宝冠:アステラスの光を浴びてしまった。
間一髪、まぶたを閉じることだけは成功したものの、強烈な光は他の閃光系の異能同様、薄い被膜一枚で防ぎ切れるものではない。
輝きはまぶたを貫き、彼女らの網膜を焼いた。
さいわいなことにアステラスの放つ光は物理的なものというより精神に感じられる光体としての意味合いが強く、妹たちが失明するなどという危険性はすくなかったが、それでも数分間に渡り視界を奪われた三人は軽い恐慌状態に陥った。
そして、宝冠:アステラスの持つ対象の心の在り方を問い正す《ちから》は、妹たちのなかにあるアシュレへの思慕の念を鮮やかに照らし出した。
結果、すれ違いざまにせよアステラスの光を浴びてしまった妹たちは、己の恋心を隠せなくなってしまった。
アシュレに対する感情が爆発して、あることないこと叫びながら塔の屋根に墜落した彼女たちに、大きな怪我がなかったのは不幸中のさいわいだ。
もちろんあまりに赤裸々な少女たちからの愛の告白を立て続けに受けたアシュレの心中は、内心にしても穏やかなものではなかった。
特に普段は元気いっぱいボーイッシュで通しているキルシュと、おすまし優等生顔をしているエステル妹ふたりからのそれは、なかなかにクるものがあった。
スノウのほうは……なんというかこれまで通りの暴走ぶりであったので、逆に安心したりもしたのだが……。
アシュレを求める想いは着実に彼女のなかで膨れ上がり、もはや後戻りできぬところまで来てしまっているらしい。
ゆえにそんな彼女らの手を取り叱咤激励し、踏み外しそうになる足下を実際にフォローし、ときに尻を叩いてイフ城底部にまで押し上げたのは、ひとえにアストラの献身と呼ぶべきものだったろう。
なにしろ足場は螺旋を描いてイフ城へと繋がる階段ひとつ。
それも構造的に剥き出しで、なんなら封都:ノストフェラティウムの尖塔との間で一度、大きく途切れてさえもいる。
蛇の骨格を想わせてとぐろを巻く階段には周囲に寄り掛かれる壁すらなく、驚異的な建築技術で維持されてきた建築物を半歩でも踏み外せば、あとは奈落の底へとまっさかさまだ。
飛行能力を有する真騎士の乙女たちが万全ならスノウを引き上げることもそう難しくはなかったかもしれないが、半ば視界を失った状態、それも恐慌と恋心の暴走に駆られながらの登攀は、まさに命がけの脱出行と言えただろう。
失敗すれば、運が良くても墜落死。
悪ければ竜巻と化した悪夢どものど真ん中に叩き込まれることになる。
考えられ得るなかで最悪の結末とは、まさにこのことだった。
そんななか、発作のようにアシュレのところに飛んでいったり、飛び降りていこうとする娘どもを取り押さえ、ときに武器で脅しときになだめすかし、尻を叩いて行軍を維持したアストラの手腕はさすがに姫将軍と言うべきものだ。
「さあ、ぐずぐずしているヒマはないぞ。ここも安全圏とは言い切れん。アシュレダウの足手まといになる前に、もっと上層部へ移動するぞ!」
ようやく辿り着いた広い床面に這いつくばり、あるいは天を仰いでゼイゼイと息をつく妹たちに、アストラは容赦のない発破をかけた。
彼女の叱咤激励は完全に正論だったが、ここまで全力逃走をし続けてきた妹たちにとってそれは酷というものでもある。
恋心の暴走が多大な消耗を生じさせてもいた。
さらに決定的な思い違いがそこにはあった。
「ちょっ、ちょっとまってシオン姉……むり、いますぐは無理だよ。脚が、攣りそうなんだって。肩なんかずっと抱えられてたから抜けそうに痛いんだよ。飛行担当のふたりの操縦がメチャクチャ乱暴で、髪なんかせっかく整えてきたのにわやくちゃだよ。何回前が見えなくなって怖い目にあったか。それに……さっきまでわたしなんかすごいこと叫んでなかった? アレがアステラスの《ちから》? 姉……お願いだから、わたしの分だけでいいからなかったこともらえないかなあ? あれはそのちょっと……我を失ってたというか、心神喪失状態でのことで……あんまりに変態過ぎるっていうか……聞いてる、姉?」
「スノウさん、ここでも真っ先に裏切りですのッ!? ご自分のことばかり特別扱いをお願いしたりしてッ! ですからあのそのシオンさま? さきほどまでのこ、心からの叫びみたいなものについては、そのっあのっ、恐慌時・錯乱時の譫妄によるものだとご理解くださいまし! いつものエステルとはなんら一切関係ないこと、すべては妄言であり一時的混乱における妄想でしかありませんわ! その上で……いますぐ動けというのが無理だというスノウさんの意見には同感ですわ。せめて十五分くださいまし。横合いからなんだか身勝手な文句が聞こえてきた気もしますが、こちとら全力飛行をデッドウエイト抱えた格好でのドッグファイトを十分以上も続けておりましたの。上下左右、自在に振られて肩が抜けそうなのはこちらでしたのですわ……まさにアメイジングですわ。そう、そこらへんも混乱に拍車をかけた一因ですわそうですわ!」
「エステルもそ、そうだよね! わたしだってそうだよ! 半分くらいスノウさんのせいだよ! そりゃわけわかんなくなっていろいろ叫んじゃったけど、あ、あれは、さっきまでのは狂える悪夢どもの狂気に至近距離で当てられた結果であって、わたしたちの望みなんかじゃあ絶対ないから! 違うから! 賭け試合とか負けたらイケナイ罰ゲームとかそんなのあり得ないから! そ、それよりさ、腕だよ。腕がおかしくなるかと思ったよ! 汗で指は滑るし、手首は外れそうになるしさ。あと荷重移動のたんびにモーメントバランスがめちゃくちゃになって、特に腰に負担がかかって捻り千切られるかと思ったよ。だいたい重いンだよ、スノウさん。シオンさまからも言ってやってください、ダイエットしろって! ミルク呑みすぎだって! チーズでパンをモリモリ食べるの禁止だって! そのせいで危ない目にあって、悪夢どもの気を浴び過ぎてあんなになっちゃったんだから、わたし! だからあんなのが本心だとか、そんなこと絶対違うんだからね!」
魔導書であれば一人分で優に一頁分を割り当てねばならぬ勢いで言い訳を垂れ流す三名に、アストラは大きく息をつく。
「そなたら……わりと自分がなにを口走ったのかは、憶えておるのだな。アステラス、なんというオソロシイ能力を持っていたのか。我も……危ういところであったわ」
アシュレがアストラを最優先でアステラスの能力から庇ったのは、まさか教導役のアストラが同じくアシュレへの本心を暴露して手に負えなくなってしまってはならぬという判断からだった。
もし実際そうなってしまっていたら、この封都脱出計画は根底から瓦解していた可能性が極めて高い。
そのあたりのことをまるっと棚上げにしたまま、アストラは腰に手をやり、急に生えてきた三人の妹たちを見下ろして言い放った。
「それと……どうやら激しく人違いをしているようだが……わたしはシオン姉などではないぞ?」
果たして、その言葉の浸透力に三人が見せた反応こそ、見物というべきものである。
「えっ、ちょっなにっ姉じゃないって、なにッ!? ダメだまだ目がチカチカしててよく見えない、って……違ッ!? 違うわたしかに! これシオン姉じゃないヤツッ! このヒト違うよ! えっじゃあわたし、いままでの発言ぜんぶ別のヒトに聞かれてたってことッ!?」
「シオンさまではない!? ええっ、ではどこのどなたさまですのッ!? お声がそっくりだから、つい信じてしまいましたがッ!? わたくしも視界が不良で……って、嘘っ、嘘ですわっ、ほんとに別人さまではございませんかッ!? あっあっあっ、どこのどなたか存じませんが、先ほどまでの破廉恥発言は決してエステルの本意ではございませんわ! そのことだけはどうか重点でお願いいたしますの!」
「違う人ッ!? やっぱそうなんだ! なんかいつものシオンさまと違う匂いすると思った! でも目の前にお星さまが群れ為して飛んでてよく見えなくて……ホントだ、目の色も髪の色も違うッ!? って、ヤバッ。違いますから、違いますからね、キルシュはそんなコではあり得ませんから! 清純派、清純派で純真で元気いっぱいのキルシュローゼでオネガイシマス!」
その上で、三名は声を揃えて訊いたのだ。
ところで、と前置きして。
「「「だれなの、アンタッ!?」」」
完全にハモった誰何の声に、アストラはふたたび盛大に溜め息をついた。
それから深呼吸ひとつ、胸を張り、肩をそびやかして告げた。
「我が名はアストラルハ、アストラルハ・フィニス・ガイゼルロン! 偉大なる夜魔の大公:スカルベリの嫡子なり! クソ腹立たしいが“叛逆のいばら姫”に我が気配が似ている、というのは仕方がない。極めて不本意ながら……これでも実の妹だからな」
「「「なん……だと……ッ!?」」」
三名の唇から同時に悲鳴じみた叫び上がる。
が、それも一瞬のこと。
もう動けないと弱音を吐いていた口はどこへいったのか。
三人はバネ仕掛けのオモチャを思わせて跳ね起き、手に手に武器を構えて包囲陣形を取った。




