■第八四夜:精華の誓い
「“叛逆のいばら姫”──いいや、シオンザフィル! そうか……これがそなたの言った『我たち』という言葉の正体か!?」
思わずそう叫んだアストラの声には、色というものがなかった。
全身を記章によって侵され、金色の縛鎖によって縛り上げられたその肢体を、休む暇も与えずアシュレが片腕で吊り上げて見せたからだ。
あか、く、と縛鎖に繋がる首輪によって喉を締めつけられた“叛逆のいばら姫”がうめく。
全身を彩る装身具=記章以外にその裸身を隠すものはなく、また同時にその執拗さ、徹底的に施された装飾の見事さから、彼女が想像を絶する恥辱にいまなお苛まされていることは明白であった。
遮眼帯に視界を奪われ、耳朶どころか耳の穴まで犯され、外界のことをなにひとつ把握できないままに、シオンは肉体を痙攣させている。
その姿に、アストラの唇が戦慄いた。
嗚咽にも似た声が、吐瀉物を思わせてこぼれ落ちる。
「あう、あ、ぐっ────」
いくら事前にハッキリと言葉にして伝えられていたとて、実物として愛する男と実姉の関係を目の前に投げ出されて、冷静でいられる妹などこの世には居ない。
これ以上どこに施せばよいのかわからぬほどに“叛逆のいばら姫”の肉体を埋め尽くす装飾品=記章の群れは、アシュレと彼女との言葉では言い表せないほどに深い交わりの証、そのものなのだ。
これまで優に百を超える数の人類に記章によって所有物の烙印を与えてきたアストラだが……ここまで徹底した施術を見たことはないし、またそれを受け入れる所有物を見たことはなかった。
毒虫や悪虫、深海のおぞましい生物どもを思わせる記章たちが毒牙・毒針めいてそれぞれの器官を振り立て、突き込み穿ち、抉り返すたびに、“叛逆のいばら姫”の肉体からは泥土に杭を突き入れるような音がして、柔らかな桃の果肉に指を挿し込んだように汁が噴く。
全身を襲う魔界のものとしか言い表しようのない許されざる官能に犯されるいばら姫は、その感覚に耐えるように、殉教者が神の名にすがりつくように、己が主人の名を一心に繰り返す。
『してください。シオンをもっと、アナタのものに……もっとどうしようもないくらい、アナタだけのシオンに……ご主人さま。わたしのご主人さま────』
かたわらに血を分けた実の妹がいるとは知らぬこととはいえ、そんな姉の様子を前にして、めまいを起こしたようにアストラが足をもつれさせた。
アシュレは反射的にその華奢な肉体を片手で抱き留めている。
「行けるか、アストラ。釣り餌で奴らの気を逸らす。タイミングを合わせろ」
「──ああ、ああ、大事ない。ただ、すこしばかり刺激が過ぎる。その女の裸身は、なるほど我ら夜魔の血に対して強烈に作用するのだな……。無視しようとしても、強烈に認識を迫ってくる。夜魔の血の最たるもの、と父上が評されたその意味が否応なく分かったよ。その美が、血統が記章どもによって踏み躙られていくさまは、どうしようもなく我々夜魔の心を揺動させるのだ。昂ぶりとともに、屈辱を想起させて……」
それだけでなく、とアストラはつけ加える。
「それに……前もって正直な告白を受けていたとはいえ……やはり堪えるものだな。そなたとその女の関係性を見せつけられるというのは。夜魔として最高の美貌と純血とを備えた女が、その純潔と尊厳のすべてを捧げ尽くした姿を事実として目の当たりにするのは……胸の奥にあるそなたへの想いを靴底で踏み躙られるように……痛い、苦しい」
吐き気を思わせて口中に逆流してきた腐汁じみた味の液体を、アストラは己が執着と嫉妬だと理解することにした。
どんなにアシュレに愛していると宣言されたとしても、まだ自分のなかにはこの女=“叛逆のいばら姫”に対するどす黒い感情が渦巻いている。
現実の話、考えられ得る玩弄のすべてを施され、秘すべきすべてを暴き立てられ、肉叢へと貶められながらも、研ぎ澄まされた肉体の触れれば切れてしまうような硬質なラインはそのままに、決して穢されぬ青きバラのごとく気高く担保されたまま、アシュレダウという男の大願成就のための“切札”としての役割まで担い切っているその姿は、まさに奇跡としか表現しようのない一種の芸術と言うべきものであった。
それを目の当たりにしたアストラには、それが自分の未熟さ、覚悟の甘さを突きつけられているようで焦燥を押さえ切れなくなってしまっていた。
愛する男のためにいまここで、これほどまでに躊躇なく我が身を投げ出す覚悟があるか、というそれは問いだ。
その問いかけを自らに課すたび、アストラの喉には『この女を亡き者にしたい』という決して無視できぬどす黒い欲望が、まるで本物の汚水のように込み上げてくるのだ。
もちろんその想いに身を任せたが最後、自分はもう決してシオンと同等の存在としてアシュレの隣りに並び立つことは出来ないのだという確信が、アストラにはある。
これまで決して許されざる仇敵として考え続けてきた女の、口先だけではあり得ない本物の挺身に、アストラはひりつくような焦りを覚えていた。
「アストラ?」
「なってみせるから……」
「なに?」
「その女に負けない、そなただけの華にアストラはなってみせるから!」
その叫びが、耳目を記章によって封じられた“叛逆のいばら姫”の耳に届いたのかどうかは、定かではない。
ただ宣誓を受けたカタチになったアシュレは、目を丸くするしかなかった。
アストラはといえば、そのあまりに正直なリアクションに対し、ごまかすように飛び退いては盛んに両手を振ってみせることしかできない。
先ほどまでガクガクと音を立てていた四肢の震えはどこへやら。
それは驚くべきほどに俊敏なバックステップだった。
転ばないかと、アシュレが心配するくらいには勢い良く距離を取って、アストラが宣言の真意というの名のごまかしを並べ立てる。
「かかか、勘違いするなよ。これは戦利品化前提の話ではないからな! ただアストラはそこな女に並び立つ、いやさ凌駕する存在にそなたのなかでなってみせると言っているだけだ! 別の方法で、まったく違うアプローチで! そもそもがこのアストラを籠絡とか蹂躙とか調教とか、かかか、簡単にできると思うなよ、という話だッ!」
「ああ、そうだろうとも」
真っ赤になってまくし立てるアストラに、アシュレは同意を示した。
話の流れのまま、強がって見せても純真無垢なこの娘を泣かせるまでからかってみたいという欲求はあったが、残念ながら自分たちには時間がない。
「状況は切迫している。ゆえに手短に話す」
一転、簡潔な口調になり、手筈を並べた。
「まず悪夢どもとあの三人をこちらに誘導する。悪夢どもが食いついたら鼻面に“叛逆のいばら姫”をぶら下げて注意を逸らし、奴らの進行方向を変える。そうやって我が結界へのダメージを最小限に留めているうちに、アストラは三名を連れて封都:ノストフェラティウムの外へと逃れてくれ。そうしたらもう振り返るな。安全を確保できるところまで退くんだ。迷宮の入口と我は言ったが、結界の縁で馬鹿正直に留まっている必要はない。どこまで上るかはアストラの判断に任せる」
「その計画──委細承知した。アシュレダウ、どうか無事で」
考えるところはアシュレとほぼ同じだったのだろう。
一瞬で女将軍の顔に戻ると、アストラは計画の遂行を約束してくれた。
手順を繰り返し説明しなくて済むのは実に有り難い。
「大丈夫だ、アストラ。互いに信頼があれば必ず上手くいく──これはオマエの姉……“叛逆のいばら姫”:シオンザフィルの言葉だが」
アシュレが金色の縛鎖に囚われたシオンの姿をかざしながら言うと、アストラは避けるように目を逸らした。
「やはり直視はつらいか? 挨拶を交わす程度の時間なら、作ってやれないこともないが……」
今後に控える夜魔の騎士、それも本国に居残った大物たちを相手取るときの反応の試金石として、ついアシュレはアストラに問うてしまう。
対するアストラは「そうではない」とアストラは首を振った。
声を荒げて言う。
「そなたの言うところの手筈は必ずやり遂げようとも。あの三人の娘たちの無事も約束する。が……やはりアストラはその女のことは好きになれそうな気がしない、という話だ。なれ合う気にはもっとなれん!」
「なんだ、どうした。激昂するほどのことか」
「その女は暗にこう言っているのだ。『わたしよりも優れた獲物はほかにない。いかなる美姫が束になろうとも、悪夢どもの視線はわたしのほうを向く』とな。無言で、身じろぎひとつ難しいあられもない姿になりながら、それを確信しているのだ。勝ち誇っているのだよ」
だから……自ら進んで戦利品になるなどという破廉恥ができたのだ。
「自らが加勢せずとも、戦利品としての自分自身を携えたアシュレダウならば、すべてを成し遂げられるであろうという自信が、この女の行動の根底には揺るぎなくある」
「なるほど、そういう考え方もあるか。しかしそれはいささか考えすぎだ。単に我々にはこうするよりもほかに策がなかったというだけの、」
「さらに恥知らずなことに、この女はそれをいまからそなたに実証させ、己が優位性を確たるものとしようとしている。どれほど自分に価値があるのか、いかに役立つのかを実演して見せようというわけだ。デモンストレーション。よだれを垂らして群がり狂う悪夢ども、さらには嫉妬と羨望に怒り狂う夜魔の騎士たちの姿を見せつけて、その真実たるを証立てようというわけだ。アストラは……その魂胆に腹が立つ」
「そう……か。そういうふうにアストラは見たか」
けれども、かといって、だな。
“叛逆のいばら姫”の名誉のためにわずかばかりの反論を試みたアシュレの機先を奪うように、さらに激しくアストラはまくし立てた。
「あーあー、そうだろうそうだろう。それはそうだ。わたしが……アストラが代わりを買って出るわけにはいかぬものな。アストラを餌にしてくださいなどと口が裂けても言えるわけがないしな! それに……どーせわたしなんかでは大した戦果は期待はできまいよ。そなたの愛もお情けみたいなものなのではないか。不憫萌えとか、そーゆー文化がニンゲンの世界にはあるそうだし? あーまた気分が悪くなりそうだ、いやだいやだ、早めに済ませてしまおう」
不機嫌げに頬を膨らませると、一方的に話を打ち切ってアストラはポジションに着いたが、目に溜まった涙は隠せていない。
アシュレにしてみるとまさに乙女心はわからないというヤツだが、ここでそれを言い出したら計画すべてが台無しになる可能性が高い。
無言のまま視界を巡らせれば、見計らったかのようにこちらに向けて一目散に逃げてくる三名と、その後ろに迫る漆黒の竜巻のごとき悪夢たちの姿が視界に飛び込んできた。
全身にあの奇怪なデスマスクの群れを無数に浮かび上がらせ、怨嗟と欲望の雄叫びを迸らせる悪夢どもの姿は、まさに奈落の穴から吹き出した生ける地獄そのものである。
「アストラ、目をつぶって腕でまぶたを庇えッ! スノウ、キルシュ、エステルッ、三人ともだッ!! そのまままっすぐ、目をつぶってこっちに飛び込んでこいッ!!」
アシュレは悪夢どもの金切り声に負けじと叫んだ。
果たして、その叫びが届いたのかどうか。
前方に見える逃走者三名の顔が、希望に光り輝いた。
「ご主人さまッ!」
「騎士さまッ!」
「未来の旦那さまッ!」
それぞれがそれぞれに好き勝手にアシュレに呼び返したが、どうやら肝心の指示のほうは届いてないらしい。
チィィィッ、と舌打ちひとつ、アシュレは右手を振り抜いて叫んだ。
「全員、目を閉じろッ! まぶたを庇えッ!」
「ご主人さま、騎士さままではわかるが……未来の旦那さま……だと!? そなた……やはりあのような年端もいかぬ娘らを幼子の間からたらし込み、たぶらかしてきたのであろう!? このドスケベ、スケコマシ、カサノヴァッ!! つるぺたから童顔巨乳まで、なんでもありかッ!?」
この期に及んで、信じ難いものを見るような瞳でアストラが溜まった涙もそのままにこちらを睨みつけてくるにつけ、アシュレの叫びは最高潮に達した。
「オマエたち、いいから我の言う通りにしろッ! ぶちかますぞッ!」
「そなた、いまごまかした! きゃ、」
非難を止めないアストラを強引に抱き留めると、己が胸板にその顔面をおしつけ、アシュレは宝冠:アステラスの能力を解放した。
次の瞬間、世界を真実の光が焼いた。
ここまで燦然のソウルスピナをお読み頂きありがとうございます。
明日2025年4月19日と翌20日はお休みを頂きます。
そしてわたくしめは10日前に生えてきた宿泊客を歓待すべく、17日現在、家を掃除したり酒宴の用意をしたりと走り回っております(つまりこれは予約投稿です)。
みんな、宿泊の予約はひと月まえには頼む! 突然、言い出すな!w
特に大型連休の前は、なんやかんやとなんやかんやよ!?w
でわミナサン、良い週末を!(宴会料理を仕込みながら)




