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■第八三夜:妄執は昏き竜巻




         ※




 三人の少女たちが、口々になにごとかを絶叫しながら悪夢からの追撃を逃れるべく、アクロバティックな飛行を披露する。


 アシュレとアストラのふたりは封都:ノストフェラティウムにある廃棄城、ガイゼルロンの王城イフの地下へと続く尖塔の上から、その状況を見ていた。


「まさかとは思ったが……本当にあの三人だったか」

「まさかあの三人だったか、とは……ということはつまりあれは、アシュレダウの連れか?」


 アシュレの口を吐いた呟きに、アストラが反応する。


「見れば年端もいかぬ少女たちではないか。それも、遠目にもわかる粒ぞろい。あと数年もすれば、綺羅星のごとき美姫に間違いなく育つであろうな……」


 高位夜魔であるアストラの目にはキルシュにエステル、そしてスノウの放つ若く溌剌とした生命の輝きが、この距離からでもひと目でわかるのであろう。


 事態の推移をアシュレとともに見守るアストラの声には、称賛とともに呆れのようなものが含まれていた。


 称賛のほうは、いままさに眠らぬ悪夢どもの猛追を受ける三人の見目麗しさに対して。

 呆れのほうはアシュレに向けられて発されたものだ。


 あのように見目麗しい娘たちが三人も連れ立って、この絶望の地に足を踏み入れる理由とはなにか。

 考えるまでもなく、答えはひとつに思えたからだ。


「……そなた、あの者たちはそなたのいったいなんだ? 先ほどそなたの口から漏れたセリフから察するに赤の他人ではないだろうが、その全員が女子というのはこれもまた偶然の一致ではあり得ないのではないか? だとしたら……まさかだが、これまでにアストラに対してしてきたようなシャレになっていないアレコレを、あの者たちにまでもしてきたとか……そういう関係性か? 遠目にだがあれは成人直後か前の娘たちで間違いあるまい? よもやだがああいう年頃が好みであったがゆえにアストラにも反応したとか、そんなことはあるまいな? ろりこん? そなた? それはいくらなんでも……あまりに……悪辣過ぎるのではあるまいか?」


 わずか三十秒ほどの間に、三人とアシュレとの関係性を推察したか。

 それとも恋する乙女というものは、愛する男の女性関係には否応なく鋭くなると言うべきか。


 尖塔の頂上、螺旋階段状になっている足場に四つん這いになったアストラが、もの言いたげにアシュレを見上げた。


 ちなみにアストラの手足は直前までのアシュレ本人による玩弄と、それに続いた牢獄の外套の機能によってガクガクと震えている。


 荒い息にその胸郭はまだ大きく上下しており、汗ばんだ肌にシルク製のシャツが貼り付いて所々に透けている。


 スパッツを破り取られ、剥き出しになった太ももを下り落ちる滴りは、もしかすると汗だけではないかもしれない。


 そのあたり、アストラが恨みがましげにも、責めるようにもアシュレを睨むのには、いろいろと含みがある。


 つまるところアシュレの色男カサノヴァぶりに、アストラは不安になっていたのだ。


 アシュレはそれを黙殺する。

 なにやら誤解があるようだが、それを解くために費やす弁舌の時間などいまはないのだ。


 かわりに言った。


「アストラ、あの三名とともに先にこの死者の都を脱せよ。オレたちは悪夢どもの勢いを逸らし、これをいくばくかなりとも削いでから合流する」

「脱せよ!? あの者らとともに、ガイゼルロンに赴けと言うのか!? この結界を抜けて!? それにオレたちとは、いったいだれとだれのことだ!?」


 それに、この地を脱するならならば、そなたも一緒に脱したほうがより効率的かつ安全ではないか?


 なんとか、という様子で威厳を取り繕いアストラは立ち上がる。

 だが、驚きまでもは隠すことができないアストラに、アシュレはかぶりを振って見せた。


「それはもっともな提案だし、そうしたいのはやまやまだが……」


 見ろ、と逃げ惑う三名とそれを追う悪夢たちの姿を指さす。


「あまり認めたくないことだが、あの娘たちは犠牲者──悪夢どもの獲物として申し分ない資質の持ち主たちだ。そう残念なことにアストラ、オマエが評価した通りに。あの三人の美姫たちのあられもない姿は、奴ら悪夢どもの欲望を刺激し過ぎるらしい。可能性に満ち輝きを放つ彼女らの衣類の隙間から覗く柔肌は、奴らには至上の食餌に見えているのだ」


 逃げ惑う少女たちのほうに身体を向けた姿勢から、視線だけをアストラに向けアシュレは告げた。


「アストラ、オマエひとりだけでもあの騒ぎだったものが、こんどは一挙に三人増えた。これは大変なことだ。それが奴らの狂気を加速させた。そして、その狂気に引きずられるカタチでこの都市に巣くうすべての悪夢たちが集結し、巨大な竜巻がごとき姿となったのだ。そのせいで……見ろ、結界が破られかけている。この封都:ノストフェラティウムの結界が、だ」

「ッ!? なん……だと……。伝説に語られた夜魔の真祖の封が破られようとしている、だと!?」


 アシュレが指し示す先に目をやったアストラは、まったくその通りの現実が進行中であることを認めるしかなかった。


 キルシュローゼにエステリンゼ、そしてスノウメルテ。


 半夜魔の娘に真騎士の妹ふたりを加えた変則パーティーは、襲い来る悪夢たちの鼻先を飛行というか疾駆というか、ともかく一名が必死に地面と言わず壁面と言わず蹴りつけ走り抜けながら、これを左右のふたりが光の翼でもって持ち上げて飛ぶという奇想天外な方式で滑空するよう跳ね回り、魔手を躱しつつ逃げ惑っている。


 その際、建築物の傾斜と壁面を利用してほぼ垂直面を駆け上がり、封都:ノストフェラティウムを覆う結界外に一瞬にしても逃れる離れ業で、襲いくる窮地きゅうちを紙一重で脱してはいる。


 だが、絹を裂くような悲鳴とともに惜しげもなくさらされる脚線美や剥き出しの腕は、追いつめる側の嗜虐性をいたずらに煽り立てることに一役も二役も買ってしまっている。

 火に油を注ぐ、とはまさにこのことだ。

 

 悪夢たちは方向転換や停止のための余裕をもはやかなぐり捨て、結界に激突することさえ構わずに、三人の少女たちに猛追撃を仕掛けていく。


 無論、結界は悪夢たちを阻むためのものであり、激突すればそれなり以上のダメージを悪夢たちに与える効果を持っている。


 半物質である悪夢たちの肉体にとっては石造りの城壁と同じようにこれを阻み、激突すれば押し潰すだけの《ちから》として作用する力場なのだ。


 対するキルシュやエステル、スノウはこの力場に阻まれることはまったくない。


 結界の強度や維持力は対象を絞り込めば絞り込むほどに、強固に長く作用・維持できるようになる。

 この場合、封都:ノストフェラティウムにかけられた結界は、その対象を眠らない悪夢に限定し、そのほかの存在を対象外とすることでその強度と脅威的な維持力を実現してきたのだ。


 ゆえに、結界の外に逃れてしまえば、スノウたちの安全は完全に確保されるハズであった。


 一方、衝突を覚悟で三人を猛追する悪夢たちは、そのたびに力場で構成された結界の壁面に激突し、霊障物質エクトプラズムをまき散らしながら潰れていった。


 理論上、三人が結界への衝突コースに悪夢たちを誘導し続ければ、最終的にはその《ちから》を大幅に削ぐことができるはずだ。

 あるいは撃退の可能性もなくはない。


 それがいったい何度目の試行で達成可能なのか、そこに至るまでに少女たちの体力が持つのか、悪夢どもの魔手に捕まらずに済むのか、という話は別にしてもやってできないことではなかった。


 だがここでアシュレが示したのは、その激突を受け止める結界面に亀裂が生じつつあるという恐るべき事実であった。


 三人の美姫を追いかける悪夢どもの想念が、そのエネルギーが、この結界が想定してきたキャパシティを大きくオーバーしようとしていたのだ。


 もちろんひび割れは、ごく一時的なものなのだろう。

 事実、結界の補修能力は凄まじく、瞬く間に生じた亀裂を復元してはいる。


 けれどももし、一ヶ所に対しその圧力が集中的に、結界の強度と復元速度を上回って加えられ続けたらどうなるか。


 この都市に張り巡らされた網の目のような結界が、過負荷に耐え切れず千切れ飛ばないとだれに言い切れるだろうか。


 結界に進路を阻まれ四散する悪夢たちの残滓は、瞬く間に真っ黒な竜巻のごとき群れに吸収され、勢いを盛り返していく。


 雷雲を思わせてあちこちに雷光めいた色彩の変化を見せる渦巻く集合体のその様子から、内包された欲望の《ちから》が減衰しているようにはとても思えない。


 アストラにはアシュレの言葉を杞憂と笑い飛ばすだけの余裕はなかった。


「まさか……これまで奴らを封じていた封都:ノストフェラティウムの結界が悪夢どもの勢いに負けると、そう言うのかアシュレダウ?」

「伝え聞く封都:ノストフェラティウムの伝説が本当ならば、これまで遥か悠久の時を超えて稼働し続けてきた結界ではあるが、どんなものでも永久にその機能を維持し続けるというワケにはいかんのが現実だ。定期的に補修・修繕しなければ綻びもすれば弱まりもする。そこにあの三名が掻き立て呼び起こしてしまった悪夢どもの強烈な情念が、数百年の刻を超えて容赦なく激突するのだ。彼女らを我が物とし蹂躙し尽くしたいという歪んだ欲望が、本来バラバラであるはずの奴らの狂気を束ね、ひとつのものとして駆り立ててしまっている」


 これは予期せぬ結束。

 有り得ざる出会い。


 それら、本来あってはならぬ出来事の集合が招いた、最悪の結末への序曲だ。


「まったく、やっかいなことをしてくれたな、我が妹たち」


 どこか楽しささえ感じる口調でつぶやき、アシュレは苦笑して見せた。


 両手を使い、三人の妹たちと悪夢どもの推進力方向ベクトルが捩じり合わされ、ひとつに束ねられていく様子をジェスチャで表す。


オレの推測が正しければ、このままでは結界が破られるのは時間の問題だ。こうして見ている間にも破られたとて、なんら不思議はない」


 アシュレの言葉に、アストラが蒼白となり口元を押さえた。


「大丈夫か」

「すまない、怖い想像をした。やはりまだ、アレを直視するのはアストラには難しいようだ。ここはまだ遠いから耐えられるが、あの金切り声を聞くだけで吐き気がする。結界を破られたときのことを想像するだけで膝が震えてしまうのだ。アストラにはまだ……そなたの助けがないとアレには立ち向かえない」


 正直に己の弱さを告白するアストラに、アシュレは深く頷いて見せた。


「それでいい。だからこそオマエには逃げて欲しいのだ。オレが囮になる。三人を連れて、結界の外に出てくれ。イフ城の最下層、地上部分へと繋がる地下迷宮の、その入口で会おう」

「そんないくらなんでもそんなこと──それはそれは、なんてことを言い出すのだ、アシュレダウ!」

「心配することはない。オレにだって果たすべき、為すべき大願がある。それはアストラもすでに知るところだろう。こんなところでくたばりはせん」


 凄みのある笑みを浮かべつつ、アシュレは顎で荒れ狂う悪夢どもの竜巻を指した。


「それにさきほどもいったように奴らの一糸乱れぬあの連携は、鼻先にぶら下げられた獲物=三名の娘たちへの執着にある。ならばそれを乱し、連携を立ち切る。それだけで奴らは混乱を来す。そうなればもう結界を破るだけの《ちから》の集中を得ることはできないさ」


 この状況は本来バラバラであるはずの奴らの思惑が、一点に集約されたことによって引き起こされた危機なのだから。 


 言いながら、アシュレは牢獄の外套の奥から、自らの“切札”を引きずり出した。


 どしゃり、と濡れた音を立てて、金色の虜囚がアストラの手の届くところに投げ出される。


 それは事態を打開するための道具。


 牢獄の外套が備える仕舞い込まれた犠牲者を新鮮に保つ仕組みと記章インシグニアたちの連携によって、散々に玩ばれたのであろう。


 投げ出された“叛逆のいばら姫”の肌は上気し、朱に染まった肌からは滝のように汗と唾液が、あるいはもっと別の液体と絡まりあいながら流れ落ち、瞬く間に水たまりを作り上げた。





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