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■第八二夜:妹たちの帰還




「……それは、そうですわね」

「ほらね。こんなの聞くまでもないよ。意味ないってそーゆーことでもあるんだよ」

「なるほどさすがはスノウさん、こちらのお話も一理ありますわ。でも……そのぶっちぎり首位のシオンさまに、ひとりだけ肉薄している女性がいらっしゃいます、と申し上げましたらどうでしょう?」


 この話はここでおしまい、とばかりに話題を打ち切ろうとしたスノウに、こちらも面白くもなさそうな口調でエステルがやり返す。


 その瞳には、微かだが侮蔑の色があったようにスノウには思えた。


 しゃがみ込んだままスノウを見つめていたキルシュの目線にも同じものを感じ取って、スノウは居心地悪い思いをする。


「えっ? 真騎士の妹アイ的に見て評価ぶっちぎりのねえに迫るヒトが……だれか別にもうひとりいるってこと? それって……えっ、だれだろう?」


 知らなかった。

 すくなくともスノウの見る限り、シオンに迫るほどアシュレをぞっこん惚れさせている女性というのは……いない。


 いやまさか男性ってことは……それってまさか盲点???


「まさかだけど……男のヒトってことはないよね。もしそうならノーマンさんとイズマしかいなくなるけど……まさか巨匠マエストロ!? あーいや芸術家っていうのはそっち方面でも多才……いやいやいやいや、それはダメでしょ、それアカンヤツや……!!」


 あり得ない妄想を瞬時にたくましくさせたスノウに、真騎士の妹ふたりはがっくりとうなだれた。


「どーゆー推理をすればそんな予想が出てくるのか……。悪逆非道の魔導書グリモアの宿主がこういう人格で……世界は救われているのかもしれませんわね」

「こういうヒト……だったんだねスノウさん。たしかにわたしたち、距離が縮まったかもしんないよ……良い意味でか悪い意味でかわかんないケド」

「いま褒めた?」

「褒めておりません」

「褒めてないよ、ほんのちょっとも褒めてない」


 いやでもさ、と呆れるふたりにスノウは食い下がった。


「いやでもさ……レーヴさんや蛇の姫君:マーヤさん、竜の姫巫女:ウルドさんは愛を育むというにはまだ日が浅過ぎるからあの点数はわかるんだけど……さっきの賭け率オッズ表にあったアテルイさんがド本命でないとすれば……可能性があるとすればアスカリヤ殿下……くらいしか思いつかないけど? ねえのほかに本命を喰えそうな二番人気ってダレッ!? えっ、ふたりではないんだよねこの話の流れだと? えっ、おかしいなあ、アシュレさまふたりにはだいぶ傾いてるって見てたんだけどなあ」


 本気でそう思っていたからこそ強くふたりを意識してきたスノウは、地べたに身を横たえたまま首を捻って見せた。


「どうでしょう、この良い感じの抜け加減」

「さっきも言ったけど、この抜け具合がチャームポイントに働いているならお手上げだよ。わたしたちなれないもの、こんな間抜けには」


 ダメだコリャ、とスノウへの評価と自分たちへのそれを合わせて、ふたりの妹たちは深刻そうに俯いて息を漏らした。

 座り込み、肩を落とす。


「ちょっ、なに!? なによふたりともッ!? その顔、態度、なに!?」


 両頬に手を当て、同じ姿勢になった二匹の文鳥が呆れ返った声で事実を告げた。


「あなたさまですわ」

「スノウさん、だよ」


 名指しされ、スノウはぱちくりと瞬きした。

 二度、三度、無言で繰り返す。


 事情を把握したのはたっぷり五秒の後だった。


「ええっ、ええっ、ええええええええええ──!?」


 わわわ、わたしーッ!? 

 スノウの叫びは分厚い岩盤を貫く街道を、さらに突き抜ける勢いで天にも届くものであった。


「やかましい、ですわ。わたくしたち真騎士は眼も良いですけれど耳も特別なのですわ」

「つか自己評価どんだけ低かったんだこのヒトって感じだよね。ここまでくると、もう嫌味だよ」

「わたしわたしわたしわたしーッ、わたしなの、よりにもよって!?」

「シオンさまと瓜ふたつの超絶美形、スタイル抜群、被虐趣味にムッツリスケベ、加えて魔導書グリモア。その記述を読まれるだけでのけ反り変えるほど感じてしまい、哀願の声で泣いてしまう……人間の英雄さまからみたら実に遊び心満載の、我々真騎士の乙女たちからすれば想い人を悪の道へと引き込む魔性のオンナ。それがあなたさまという存在への評価なのですわ」

「読まれるだけであんなになる、っていうのは今日はじめて知った話だけど……。歴史上多くの王たちを耽溺させてきた魔導書グリモアの魔性の《ちから》っていうのはシャレになってない、つうのはよくわかったもんね」

「いま眼前にそのお姿がありますけれど……これはイケマセンわ。ケシカランですわ。やめて見ないで読まないで、って口では泣き叫びながらご自分でどんどん頁をめくっていって読ませちゃうとか、だれが考えつきますのこんなこんな、ああケシカラン! おまけにご本人が恥ずかしいのは本当だから、鼻の先と耳まで真っ赤になって泣き腫して……これでは殿方が狂うのも無理ありませんわ、このスケベ。だれだってその純真な部分を踏み躙っていたぶってみたくなるのは至極当然のことですもの。手足の自由を奪われているところまで自作自演なのでしょう、これ? まさに歩く裸婦画エロほんですわ」

「だいたいさスノウさんてば、これまでどんなふうにアシュレさまのことを想って過ごしてきたのか、包み隠さず追体験させることができる上に、その過程で言い訳できないくらいに……その……あんなふうになっちゃうんでしょ? 生ける恋文って言ったら聞こえはいいけど……スケベすぎだよこのカラダ。他者のものはできなくても、自分のことに限るならどんなにそのヒトのこと想っていて、どんな妄想してたのかまで持ち主に読ませて体験させてしまえるなんて……反則だよ、悪だよ悪、超絶のワルだよ」

「ふ、ふたりとも褒めるのか貶すディスるのかどっちかにして……それからそんなにスケベ連発しないで……マジで傷つくから……」


 わたしだって気にしてるんだよ。


「だいたいふたり、散々なじってたじゃん……わたしのカラダのこと。駄肉だって、雌牛だって、弛んでるって」

「いやそこまでは言ってないよ!?」

「将来的には申し上げるかもですけれども、いまはまだですわ!?」


 鼻を啜って言うスノウを二匹の文鳥は半眼で睨みつけた。


「スノウさんって、本当にニブチンですわね。もし言ってたとしても……それは威嚇ですわ。そして威嚇は弱い者が、強い者に立ち向かうときに使う戦術です」

「わかりやすく言うと嫉妬してたってことかな。妬いてたんだよ、スノウさんがそう思っていたって言うのが本当なら、わたしたちのほうも・・・・・・・・・

「えっ? えっ!? どゆこと!?」

「ほんと、ニブチン。羨ましいほど能天気なオツムをお持ちですわ」

「なになに!? えっ、ホントわかんないんだけど!?」

「……強力な、いいえ強力過ぎるライバルだと思われていたってことですわ、わたくしたちにとって」

「飛翔艇の底に棲み着いたバケモノを釣り出すのにシオンさまの水着借りて囮になったときとか、マヂでヤバいと思ったもんね。あのあとすぐに対策本部が妹連合会で発足したんだよ」

「えっ、えっ、えっ? 対策本部? 妹連合会?」

「スノウさんはご自分で思っているより、ずっとずっと高い評価をわたくしたちのなかで受けてこられたってことですわ」

「それってどういう?」

「結論だけ言えば、そんな高評価のオンナを単独でアシュレさまのところへなんか行かせられるか、ってこと!」

「なに? なに言ってるのキルシュ、エステル?」


 だーかーらー、とついに堪忍袋の緒が切れたように言ったのはエステルだった。


「通りの悪い方ですわねー。見通せるのは過去だけですの? 一緒に参ります、ってそう申し上げておりますの。わたくしたちも、スノウさんの道行きに同道いたしますってそう言っておりますの!」


 こんなものを見せられて、放っておけるはずもありませんし。

 頭上で脈打つ件の黒い頁を睨みつけて、真騎士の妹ふたりは決意したように言った。


「この変事、必ずやアシュレさまにお知らせすべきと判断いたしました」

「あの禁断の頁、だっけ? あれを開けるかどうかは、アシュレさまとシオンさまの判断に委ねるべきだと思うけれど……知らないでいることと知ってからそれでも敢えて開けないと判断することには天と地の差があるもんね!」

「それに、これ以上いいところを魔導書グリモアの娘に持っていかれたら、真騎士の乙女の名が廃りますわ」

「わたしたちはまだ未熟だけど……その……覚悟を決めたら、わたしたちの英雄、勇者さまに戦乙女の加護を授けることができるんだから!」

「ひとりずつでは半端でも、ふたりあわせれば一人前の戦乙女に匹敵するはずですわ!」

「ふたりとも……そこまでアシュレさまのこと……」


 未熟な状態で行使された戦乙女の契約ヴァルキリーズ・パクトが、祝福を授ける側の肉体と精神、形成されつつある《スピンドル導線》にどのような結果をもたらすのかについてはレーヴが主催する勉強会に真騎士の妹たちに混じって参加した際、スノウは座学の時間に学んで知っている。


 二度と使いものにならなくなったり、逆に異常な高出力の加護と引き換えに授け手の発育不良や精神の不安定化、第二次性徴期に起こる奇形化、《スピンドル導線》の混線や断線、最悪の場合は衰弱によって死に至る個体まで出る。


 だがそれでも、その危険性を侵してでもアシュレの戦場に侍り、尽くしたいというふたりの決意に、スノウは己がそれを重ねて見てしまった。


「そうか……だからあなたたちはアシュレさまのもとに来てしまった……ってことか」

「そう言われたのはスノウさまご本人ですわ」

「アシュレさまのところじゃなかったら、もうどこにも居場所がないのはわたしたちも同じなんだよ、スノウさん」

「それは……ちょっとお話を盛り過ぎだと思うけど……いいよ、わかった。そういうことにしとこう」


 いこう、あのヒトのところへ。

 魔導書グリモア体型から人身へと戻りながら、スノウが言った。


「なら、急いだほうがいいと思うね。頁がね……脈打ってるんだよ。胸の奥で暴れ出しそうなくらいに……こんなの初めてだよ」

「なにかが、起ころうとしていると言われますのね?」

「うん。ふたりに見てもらったことで、もっとハッキリした。さっきまでの胸騒ぎは、わたしのなかでこの頁が暴れていたんだ」

「それってスノウさんが言ってた《そうするちから》のシオンさまに対する関与の可能性が、極めて濃厚って話と繋がってくるよね」

「うん、そう」

「ではなおのこと、急行せねばなりませんわね。《ちから》を合わせて」

「そうだね。行こう。わたしたちだって魔導書グリモアの娘に負けないくらい役に立つとこ見せなきゃだし!」


 力こぶを作って見せるキルシュとエステルのふたりに、スノウは小さく笑った。


「どうなさいましたの? すこし元気がないような」

「これから死地に飛び込もうってときに、弱気は厳禁だよ?」


 互いの胸襟を開いて本音をぶつけ合ったふたりからはもう、以前のようなよそよそしさはない。


 だがだからこそ、スノウは言い淀んでしまう。

 あのさ、とためらいがちに口を開いた。


「あのさ、ふたりとも……憶えておいて欲しいンだけど」

「なんですの?」

「なになに?」

「いまさっき見せた黒塗りの頁のことね」

「はい?」

「うん?」

「中身に記されていることが重要であることは間違いない。これからの道行きに必須の情報であろうことも、確実だと思う。ただ……」

「ただ?」

「なに?

「ただ……そこには希望と同時に絶望も記されているかもしれない、っていうのだけは憶えておいて」

「希望と……絶望?」

「いいこともあるけど、同じくらい悪いこともあるかもってこと?」

「うん」


 それともうひとつ、とスノウはつけ加えた。


「それともうひとつ……実はねえのものとほとんど同じものが……あの黒塗りの頁がわたしのなかにはあるんだ」

「「えっ」」

「そんなに驚くようなことじゃあないよ。ふたりとも薄々気がついてるんじゃない? その持ち主はわたし自身。ねえのあの頁が《そうするちから》によって作られたものだっていう確信をわたしが持てたのはね、だからなんだよ」


 わたし自身にその記憶がまったくないのに、いつのまにか自分のなかにそんなものがあったら、すこしはおかしいと思うよね?

 静かに笑って言うスノウに、真騎士の妹たちにはかける言葉がない。


「スノウさん……」

「そうだったのですわね……」


 それでも訊かなければならないことはある。


「あの……そのことは……」

「ですわ……その、あの」


 真騎士の妹ふたりから、どちらともなく控えめに提示された質問に、スノウは回り込んで答えた。

 儚げに笑んで頷く。


「ふたりが聞きたいのは、この秘密をねえとアシュレさまがご存じかってことでしょ?」


 諦念とも悟りとも取れる笑顔で言うスノウに、ふたりは頷くことしかできなかった。

 うん、とスノウは言葉を続けた。


「うん、大丈夫。ふたりは知っているよ。そしてそこには……わたしがなぜどうして魔導書グリモアとの融合体に選ばれたのかを含めて、その理由が書いてあるハズなんだ……。ねえはこのことを知ってて、その上で黙っていてくれた、さっきもね」


 わたしがみんなの前で一番触れて欲しくなかった秘密は、黙ったままにしてくれてたんだ。


「それってねえのわたしへの愛だよね。なのにわたしときたら……ねえの秘密を黙ってふたりに見せちゃった。そうだね、キルシュとエステルの言うとおり、わたしはイケナイ子だね……。自分のなかにある同じくらいヤバい頁のこと、いまのいままで黙ってたんだから」


 ねえはわたしが魔導書グリモアと一体となったことには、希望があるかもしれないって言ってくれたけど。


「わたしにはわかるんだ。その頁にもねえのものと同じく、希望とともに絶望も秘されているだろうってことが。そして……ねえの頁の秘密を暴くってことは、わたしのそれも暴くことになるんだろうなって、気がしている」


 ううん、どっちかっていうと、これは確信かな?


 神妙な顔で告白するスノウの続く言葉を待つように、真騎士の妹たちは固唾を飲んだ。

 

 シオンと同じ黒塗りの頁を持つスノウが告げたその秘密は、自分自身もまた《そうするちから》の傀儡であるのかもしれないという懺悔そのものだったからだ。


 なぜどうしていま、その話をスノウは自分たちにしたのか。

 考えるまでもなく、答えはひとつであるように、キルシュとエステルのふたりには思えるのだ。


 そしてふたりが思った通りのことを、スノウはする。

 うん、と踏ん切りをつけるようにもういちど深く頷いて、言った。


「そのとき……もしも絶望がその頁から噴き出してきたとき……ふたりはなにがあってもアシュレさまのことを最優先に働いて欲しいんだ」

「それは……もちろんのことですが……でもそれでは……」

「どういう……意味で言ってるの? それじゃあまるで……」


 スノウさんが、と言いかけたふたりを魔導書グリモアの娘は手で制した。


「なにが起こるか、どうなるかはわたしだってわかんないよ。ただもしものとき、迷っていたら間に合わないかもしれないから。ふたりには覚悟を持っておいて欲しいんだ」


 そのために、この話をしたんだよ。


「覚悟……」

「もしものときの、ための」

「うん」


 それは……と妹ふたりが聞き返すより早く、スノウはふたりの眼を見て言った。


「もしそんなときがきたら、そのときはわたしやねえのためにではなく、なによりもまず一番にアシュレさまを選んで欲しい」


 お願いできるかな?

 

 スノウの声音は、これ以上ないほどに素直で澄んでいた。

 だからこそそこに秘められた決意の重さに、真騎士の妹ふたりは震えた。


 いざというとき、己を刺し殺すための短剣を、本人から手渡されたような感触を感じながら、キルシュとエステルは頷いた。


 よし、とスノウが爽やかに笑う。


 こうして妹たちはアシュレの元へと舞い戻ってきたのだ。



挿絵(By みてみん)






2025年5月18日、挿し絵を追加いたしましたヨ!

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