■第七九夜:魔導書(グリモア)の娘
「んーっとね、なんでわたしがこんなことを言えるかといえば……もし姉がそんなふうに単純に仕込まれた敵だったとしたら、裏切るべき瞬間はもっといくらでもあったはずなんだ。でも姉はそんなことしなかった。ふたりも知ってるよね? たとえばちょっと前のバラの神殿での事件のときとか」
シオンと存在を重ね合わせるようにして窮地を脱した、あの可能性世界での出来事を思い出しながらスノウは言った。
実際もし、あの場面でシオンが裏切るように仕込まれていたら、救出に来てくれたアシュレを含む三人全員が、この世から消滅していた可能性が極めて高かった。
「それにさっき姉と《そうするちから》の関係性の証拠だってわたしが言った、白銀の結魂の使用に際してもさ。姉が本物の敵だったらそんな分の悪い賭けに出るはずがないんだよ」
だってそうでしょう?
同意を得るようにスノウは言った。
「人類の肉体と夜魔の血肉が適合してアシュレさまが生き返る確率なんて──ふたりが心臓を共有する次元捻転二重体なんていうあまりにレアな状態で安定するって──それこそ天文学的な確率でしかなかったはずなんだから。っていうかほとんどゼロだったはずなんだよ、可能性ってことで言えばさ」
だから《そうするちから》の関与っていうのは、そういうことじゃあないんだ。
「その奇跡を手繰り寄せたのが《そうするちから》だった、ってことはあるかもだけれど、それは姉の《意志》が操作されていたからではないでしょう?」
それに、とスノウはつけ加える。
「それにわたしは……いっぱい読んだからさ。姉の……その……アシュレさまへの想いとか? ふたりの出会いからこっち重ねられ続けてきた……愛っていうか……そういう場面の一部始終を。もちろん魔導書の《ちから》でも、感情までは読み取れないんだよ? 姉が胸の内でなにを考えていたのかは、本当の意味ではわからない。でもその場面でどう行動したのかっていうのは、まるで自分がその場にいて追体験しているかのように真に迫って感じられるんだ。わたしだったらどう感じたのか、っていうのは間違いなくほんものの感情だから」
だから、わかるの。
「姉は心の底からアシュレさまを好いている。自分のすべてを引き換えにしてでも、あのヒトを助けたいって、あのときも思ってたってわかるの。明らかな死地へとアシュレさまのために踏み込んでいく姉の視座を、わたしは幾度も共有したから」
だから姉が、あのヒトとともに生きて駆け抜けて、すべてを果たし終えて死にたいって思ってるってわかるんだよ。
いつのまにか涙ぐんで熱っぽくスノウは語っている。
数々の場面を追体験するたびに、スノウの全身は総毛立ち、アシュレへの想いを共有して熱くなってしまうからだ。
しかし妹たちには、スノウの語りは別の響き方をしていたようだった。
「スノウさん……それはつまりもうスノウさんはシオンさまの過去を暴き終えているってことですの?」
「良い話っぽいけど……それって素直に感動なんかしたら猛烈にダメなヤツでは?」
「そもそもそのお話は……シオンさまにはされているんですわよね? アシュレさまとの過去のやり取りをぜんぶ、ぜんぶ見ましたっていうのは?」
「シオンさまのお許しをもらってのことだよね? 過去の出来事を見ていいかって許諾は直に取りつけたってことだよね?」
アシュレに対するシオンの想いに同調して震えるスノウを冷めた目で睨めつけ、文鳥たちが言及した。
英雄としての生き方で添い遂げる相手を見定める真騎士の妹たちだ。
覗き見とか盗み見などといった行為に対する倫理観は人一倍厳しい。
激しい追及に、みるみるうちにスノウの顔色が蒼ざめるのが傍目にもわかった。
「いやっ、それは……事後承諾っていうか」
ついさきほどまでの熱のこもった口調はどこへやら。
急速にしどろもどろになったスノウに、真騎士の妹ふたりはさらなる指弾を浴びせる。
「それじゃあやっぱり盗み見されたんですのね!? スノウさん……けしからん方だとは前々から思っておりました。特に空中庭園湖畔での例の水着事件のときから、あのような破廉恥衣装でアシュレさまを誘惑しようとか、乙女の風上にも置けない存在だと! でも、まさかここまでイケナイ方だとは思いませんでしたわ!」
「そうだよ! 魔導書の娘の言葉だからってここまで聞いてきたけどさ。ぜんぶ覗き見してきた結果だったわけだし! しかもそれでわかったのって、シオンさまが敵かどうかはわかんないってことだけなんでしょう?」
「ですわですわ、わかったことと言ったら、シオンさまのアシュレさまへの想いがどんなに深いものかわかったってお話だけじゃあないですか。《そうするちから》が白銀の結魂を成功させただとかなんだとか疑う前に、その愛が奇跡を手繰り寄せたって、どうして考えられないんですのっ!?」
「そうだよ。シオンさまが敵じゃないなら、それってつまり《そうするちから》の関与って話には全然根拠がないんじゃん。だってこれまでのシオンさまの行いに嘘偽りはなかったんでしょ? ずっとアシュレさまのことを想って来たんだって、スノウさんも体験したんだよね、盗み見してさ! じゃあそれって《そうするちから》の関与ってのはスノウさんの完全なる思い込みじゃん!」
「だとしたら、わたくしにはスノウさんは単なる覗き魔としか思えませんわ!」
「そうだよ、スノウさんってば戦隊内に余計な疑心暗鬼をばらまく悪だよ!」
「「まさに悪しき魔導書の化身!!」」
ひと呼吸の後、スノウを指弾するふたりの動きはまるで最初からポーズもセリフも打ち合わせていたかのように、完全にシンクロしていた。
イズマがいたら「いよっ、真騎士屋ッ!」とか間の手を入れてくれただろう。
ところで真騎士屋ってなんだ?
「ああもう、違うって! そうじゃないんだって! どう言ったら伝わるのッ、このニュアンスッ!!」
ふたりから名指しで非難され、スノウは身を捩りながら頭を抱えた。
頽れ、倒れ込みそうになる四肢を気合いで支える。
だーかーらー、と声を限りに叫ぶ。
「だーかーらー! ヤバいんだって! 普通じゃあ絶対ないんだって! ふたりともわたしの話聞いてた!? 本来そこになければならないはずのスカルベリとの会話部分が空白になっているとか、あり得ないハズのことなんだよ! 魔導書の《ちから》でもってもその場面を閲覧できない、そもそもあったはずのものが空白になっているってフツーじゃあ絶対ないんだ!!」
聞けトリ頭たち! とスノウは両手を広げてふたりに必死に理解を求めた。
「そもそも自分の記憶には不全がある、って言ってたのはシオン姉本人なんだよ。わたしの記憶には閲覧できない部分がある。そのことを思い起こそうとすると頭が割れるように痛む過去があるって!」
だがスノウのその主張こそが、真騎士の妹ふたりの逆鱗に触れるものだった。
それまででも険しかった二羽の文鳥の目つきが、最悪の方向に限界突破を見せてしまう。
「ご本人がそう言われていたことと、勝手にその記憶を覗いていいかどうかはまったく別のことですのッ!!」
「そーだよそーだよ! 単に疑わしいってだけで、勝手にそのヒトの過去を覗き見するなんて、サイテーの行いだよ!!」
「ですわですわ! だ、だれにだって知られたくない過去のひとつやふたつはありますわ!」
「スノウさんのやり方は無遠慮な上に酷過ぎるンだよ! いくら作戦のためだからって、やっていいことと悪いことあるってわからないのッ!? そうでしょう!?」
ふたりは、汚泥の騎士たちとの一件のことを思い起こしてしまっていた。
アシュレとの約束と彼らが放つ英雄的なオーラのおかげで、汚泥の騎士たち本人を前にしてもパニックを起こすことはなくなったふたりだが、あのとき受けた心の傷までもが完全に癒えたわけではもちろんない。
そも寛解はあっても、快癒することなどないのが心の傷というものだ。
スノウの一連の発言は、真騎士の妹ふたりの古傷に抵触してしまっていた。
「そんな……そんなふうに、そこまで責めることないでしょ……」
火がついたような訴えにうろたえ思わず後退ったスノウだが、キルシュとエステルふたりの追撃は止むことがなかった。
「だいたい妹であるアナタが、姉と慕う方の過去を暴こうだなどという行いそのものが言語道断では!?」
「そうだよ。姉さまっていったら、お慕いすべき方のはずでしょう!? それとも人間や夜魔は違うの!? そんなヒトの過去を覗こうとかどんな神経してるの!?」
「自らが記憶不全を口にされていたからといって、それは他者が勝手にその記憶を掘り返して覗き見て良いという免罪符にはなったりしませんのよ!」
「本人が昔つらいことがあったっていう事実を口にすることと、その内容を他人が根掘り歯掘り嗅ぎ回って蒸し返して良いかってことは、全然別のことでしょう? スノウさんがしてるのはそういうことなんだよ!」
「シオンさまだって、つらくて苦しくてその記憶を封じられているに決まっていますわ! だれにだって思い出したくないような辛い思いでがおありのはずですの! 数百年を生きてこられた夜魔の姫君ならなおさらのこと!」
「過去の出来事をときどき夢に見て、叫びながら飛び起きたりするような体験をスノウさんはしたことないのッ!? 最低だと思わないのッ!? そういう記憶を覗き見しようっていう性根ッ!」
息つく間もない非難の連続に、スノウは唇を戦慄かせた。
「性根って……そんな……そんなさあ……。わたしだって良くないことなのはわかってるよ。さっきから言ってるじゃんさあ……。でもわたしの根幹にはもう魔導書は組みついちゃってるんだ。わたし自身が望むと望まざるとに関わらず──それこそキルシュがいま言った悪夢みたいに勝手にヒトの頁が開いてわたしに見せてくるんだよッ!! それも毎夜毎晩! わたしだってやりたくてやってるんじゃないやい!」
泣きながらぶつけられる叱責に対し、こちらもすでに号泣しながらスノウは反論している。
だが、妹たちからの口撃は留まることを知らない。
それは自分たちのなかにもある心の傷を、いつスノウが暴き立て口外するかわからないという恐怖に根ざしてしまっている。
そして残酷なことに真騎士の妹たちの指摘は、ある意味で真実を言い当ててしまっていた。
魔導書:ビブロ・ヴァレリは、結果として対象となった人物のトラウマとなった事件を暴き立てることに、最大の権能を発揮してしまう。
これがスノウの真の能力を、アシュレたちが戦隊内で機密に指定してきた理由だった。
「スノウさんの見る悪夢のカタチをした魔導書による暴露って──それこそ《そうするちから》なんじゃないんですの!? わたくし知っていましてよ、魔導書に代表される闇の《フォーカス》たちは人類の心の奥底にある《ねがい》を糧に駆動するって。スノウさんが毎夜そんな夢を見るのは、スノウさんの本当の《ねがい》が、そういうふしだらさを帯びているからってことではありませんかッ!?」
「そうだよ、まるでシオンさまが《そうするちから》に操られている──そういう秘密でいっぱいの悪者みたいな言い方してたけど──本当にヤバいのはスノウさん本人のほうじゃん! シオンさまのなかに隠されてる悪を暴くみたいなこと言って、本当に悪いことしてるのスノウさんなんじゃんかッ!!」
「な、なんッ、」
ふたりからの容赦ない追及に、スノウは喉を詰まらせる。
喉元まで出かかった罵倒が、あと一歩で言葉になりかけた。
そう、さきほども口を滑らせかけたが、スノウは実は知ってしまっていた。
件の悪夢として他者の過去を追体験してしまう魔導書の権能によって。
ふたりの妹たちが、すでにアシュレからの烙印をその身に帯びてしまっていることを。
どうしてそのような事態になったのかまでも。
汚泥の騎士たちとの遭遇にその原因があること、その子細まで。
「あああッ、がああああアア、アアアアアアアアアアアアアア────ッ!!」
決して言葉にしてはならない真実を噛み殺して、スノウが雄叫びを上げる。
だが、真騎士の妹ふたりに、忍耐の努力は伝わらない。
「なんですの、ついに言葉まで失われましたの!?」
「犬歯剥き出しにして、最後は暴力ってこと!? いいよ相手になってあげる!」
警戒するように飛び退いたふたりに、スノウはさらに叫んだ。
「あああああああああ、もおおおおおお、面倒くさいいいいいッ。そーかそーかわかった、わかったよ! そんなに信じられないなら見せてあげる。わたしがどうして姉とアシュレさまのふたりだけでガイゼルロンに向かわせたらダメだって思うのか、その証拠をッ!!」
言うが早いか、スノウは己が胸乳を包み込む上着に手をかけた。
ここまで燦然のソウルスピナをお読み頂きありがとうございます。
この物語は基本的に土日祝および奥沢的長期休暇を除き、作者の手元に更新可能な原稿がある場合に更新されます。
この原則に従い明日12日、および13日は更新いたしません。
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またときにコミュニケーションのために感想を書いていいかもしれません。
オッサンに話しかけてみてください。
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