■第七八夜:推論と極論と
「うーん。エステルが指摘してくれたみたいに、ここまでの経緯、この作戦の全部が罠なのかって言われたらなんていうか難しいところはあるんだけれども……。たとえば結果的にスカルベリの首級を獲ることに成功すれば、とりあえずにしても人類は救われるハズなんでそこはいいと思うんだけれどなあ。ただ引っかかるっていうか、そこを全肯定していいのかなっていう……」
夜魔の大公の首を獲るという難行を、まるで話の前提条件のごとくにスノウは言う。
まるで自分が案じているのはその先だといわんばかりの態度。
だが、こんどばかりはスノウの様子のおかしさに呑まれてはならじと、真騎士の妹ふたりは踏みとどまる姿勢を見せた。
「人類を救おうとすることの、なにがおかしいんですの?」
「スカルベリをやっつけるところまでは問題ないんでしょう?」
それのどこが罠?
キルシュとエステルが、違う言葉で同じことを訊く。
うんうん、とスノウはまたも首肯で応じた。
「ああつまり、わたしが危惧しているのは、その後っていうか……それこそがスカルベリの目的だとしたらっていう話で。彼の狙いは別にあるんじゃないかっていう……」
スノウは慎重に言葉を選んだつもりだったのだろうが、もったいをつけたような言い回しが、真騎士の妹たちに火を着けた。
「それがスカルベリの目的!? 別の狙いッ!? もしかして、自らの首級を実の娘に獲らせることそのものが策略、ってことを言ってらっしゃいますの、それ!?」
「娘に自分を殺させに来させるとか、それってどんな目的なんですかッ!? 考えるまでもなく狂人の発想ですよそれッ!? ううん、狂人だってそんなことしやしない! そこにあるスカルベリの狙いって、いったいどんなですかッ!?」
「どんなって……いや、具体的にはわたしにだって想像できないけれど……。むしろできたらわたしがスカルベリだよ……」
いまにも激発しそうな妹ふたりに、スノウは両手を広げて説得の姿勢を示した。
でもさ、たとえばもしも、だよと考えを口にする。
「でもさ、たとえばもしも、だよ? スカルベリが夜魔の騎士たちの軍事遠征を認めたところからして、意図されたものであったとしたら──って、そう考えてみてよ」
スノウは指を振り立て、自分たち戦隊全体が見落としてきたかもしれない思考の死角を突いた。
「もしも、夜魔の国:ガイゼルロンを軍事的にもぬけの空にしてしまうのが当初からのスカルベリの狙いであったとしたら、どうだろう? シオン姉の実の親にして、八百年以上を生きた真祖。さらにはかつて世界を救った九英雄のひとり。医術王とまで呼ばれた男が、こんなにあからさまに狙いやすい場面を作るかなあ?」
そもそもさ。
「九英雄って《閉鎖回廊》に対する装甲突撃戦術(少数精鋭の《スピンドル能力者》戦隊による対オーバーロード短期決戦型対抗戦術のこと)の基礎を確立させたヒトたちだよね」
それって大先輩じゃん。
「そんなヒトが何百年も前に自分たちが編み出した戦法の対策を考えずにいるかなあ……?」
わたしは正規の軍事訓練も、アカデミーみたいなところで軍事に関する教育も受けたことないけれど。
「なんかおかしくない?」
そんなふうに問いかけられれば、英雄の介添人として戦場に侍ることを最大の名誉と考える真騎士の乙女的には答えるしかない。
正規の軍事訓練など受けるまでもなく、真騎士の乙女たちは、幼少期から駒を使ったゲームでこの手の戦術論は散々鍛えてきている。
「それは……彼がワザとわたくしたち戦隊を誘い込んでいるってお話ですの? 防衛ラインに穴を空けて? でも真祖:スカルベリにとって、いったいそれになんの価値があるというんでしょう? わたくしにはこの話は、単純に世界最強を自認する不死者の王が見せている慢心の現れだと思えますけれど?」
「わたしもエステルの言う通りだと思う。局所的な戦術としたらそういう策もあるかもだけど……自分の首と国家すべてをアシュレさまとシオンさまを誘い込むためだけに使うだなんて──そんな戦術や戦略聞いたこともない。いくらなんでも考えすぎだよ」
「うーん、そうなのかなあ」
真騎士の妹ふたりの冷静な分析を受けてなお、スノウは自らの主張を曲げようとはしなかった。
「ふたりが言うことはもっともなんだよね。わたしだってそう思いたいのはやまやまなんだけど……。どうしても気になるっていうか」
「気になる?」
「なにが、ですの?」
ふたりからの当然の詰問に、スノウはあんまり言いたくなかったんだけれど、と重たい口を開いて見せる。
「これあんまり言いたくなかったんだけど……読めないんだよね、スカルベリの過去が。魔導書の《ちから》を持ってしても。虫食いっていうか不自然な空白が山ほどあるんだ」
どうしてそうなってしまっているのかは、憶測を巡らせるくらいしかできないんだけれども。
「「えっ?」」
スカルベリの過去が読めない、という発言に真騎士の妹ふたりは揃って声を挙げた。
が、悲鳴にも似たその声の意味するところを、この時点のスノウは理解できずにいる。
なぜってすでに魔導書と一体化してしまっているスノウにとって、それはあまりにも普通の感覚だったからだ。
だからあまりにも当たり前のこととして返答する。
それがいかに致命的な発言か、気がつけぬままに。
「そうそう、そうなんだよ。エステルが言うみたいに夜魔が人間相手に慢心するっていうのは本当のことなんだけど……スカルベリはその頂点だしさ。でも本当に慢心からだけなんだろうか。読むことのできない──ないことにされちゃってるその頁に、隠されていることってなんなんだろうかって……物凄く気になるんだよ」
「読めない……頁。不自然な空白? スカルベリの記録に? そんなものがありますの?」
「これまで秘密にしてきたんだけど……実はそうなんだよね」
「てかスノウさん、ヒトの過去を読むとか、そんなことができるのッ!?」
スノウが魔導書:ビブロ・ヴァレリと融合した存在であることは、戦隊内ではすでに周知のものだというのは以前にも話した。
だが、その能力の詳細までをも熟知しているのはアシュレとシオン、それにイズマくらいのものだ。
空中庭園の補修維持と主に農産物の生産を受け持つ|農業用代理人(Farming Agent)、通称:ファッジの改良デザイナーを務める巨匠:ダリエリですらスノウの真の能力についてはまるで知らされていない。
他者の過去を暴くことのできる才能の持ち主の存在を制限なく流布するのは、戦隊にとって非常なマイナスに働くと、スノウの秘密を深く知る三名が全員一致で箝口令を敷いたためだ。
アシュレたち三名を除くと、この事実を知るのはノーマン、アスカリヤ、戦隊全体の運営を見守る霊媒であるアテルイ、それにエレとエルマの土蜘蛛姉妹だけだ。
特にこの手の負の《ちから》を忌避する真騎士の妹たちについては、慎重に情報的隔離が行われてきた。
故にこの件に関して、キルシュとエステルのふたりに理解が乏しくとも無理はない。
人類の悪のすべてに通じるといわれた魔導書:ビブロ・ヴァレリの忌名くらいは知っていても、まさかそれが他者の過去を直接に暴く能力に起因しているなどとは想像できるはずがなかったのだ。
「他人の過去が書かれている頁っていうの? そういう空白がスカルベリにはあるってこと? それをスノウさんは……確かめられるってこと? それって……普通じゃないってことだよね……良くわかんないけど?」
「それは……その空白というか、読めない頁? そういう隠されているかもしれない不審な点がスカルベリにはあるってことは……アシュレさまやシオンさまにはお伝えされましたの?」
驚きを隠せない真騎士の妹たちふたりに、スノウは胸の前で両手を振って見せた。
「まさか。ぜんぶひとりで、こっそりと試してみただけだって。それもシオン姉の方の記録を遡るカタチでだよ? いくら情報を得るためだといっても、他人様の肉親の過去を覗き見しようとしただなんて知られたら、軽蔑されるだけじゃすまされないもの。わたしだっていけないことだっていうのは、言われるまでもなく十分わかってます。ただ……スカルベリ本人と会えれば、もうちょっとハッキリ余白の理由もわかると思うんだけど……さすがにそれは言えなかったっていうか……」
後ろめたさを感じさせる口調でスノウは言う。
魔導書にその精神までをも侵食されつつあるとはいっても、年相応の乙女としての心を、またイクス教徒としての良心と信心をスノウはまだ持っている。
ただそれがあまりにも自然に融合していて、どこまでがスノウの良心で、どこからが魔導書としての発言なのかわからない。
その二律背反が彼女自身を苦しめている原因でもあった。
一方で、真騎士の妹たちは辛抱し切れず、ついに叫んだ。
「って、そこまでわかっていて、なんで黙っておふたりを行かせてしまったんですの!? 言うべき機会ってものがあったでしょう!!? そしてそれはまさに、つい先ほどのことですの!」
「それって、それってさあ、めちゃくちゃ重要なことなんじゃないの!? なんでいまになって言うの!? さっき、シオンさまがあんなこと始める前に言うべきだったじゃん!?」
驚いたり怒ったりと忙しい真騎士チームを前に、スノウはふたたび腕組みした
いやそれがさ、と首を傾げ目を閉じて言う。
「いやそれがさー。スカルベリの空白の頁とシオン姉の言動に関連性があるっていうのに気がついたのはついさっきっていうか、唐突に思い至ったっていうか。前々からあったモヤモヤが突然に晴れて理解に至ったっていうか……。制御できることばっかりじゃあないんだよね、自分の能力が」
わたしだって困ってるんだよ。
腕組みしたまま天を仰ぎ、スノウは深々と溜め息をついた。
「たしかにスカルベリの生涯の多くに謎があることは前から知ってた。でもそれとさ、姉の行動にも不可解な点があることがイコールで結びついてるとかわかんないわけじゃん、普通? そこにさらに今回いかにも都合よくもぬけの空になったガイゼルロンと……そういう点と点だったものが結びついて、ぜんぶに関連性があるんじゃないかって気がついたのは、ついさっきなんだってば」
これまで見聞きしてきたこと、体験してきたことのなかで、バラバラだったパーツが一斉に組み上がったっていうか……。
ブツブツと言い分けじみて呟くスノウに、怒れる文鳥を思わせてまたも妹二匹が噛みついた。
「だったらなんでそれをもっとずっと早く──そう、これまでの間に!──この作戦をシオンさまが言い出した時点で、ううんそのずっと前から考えようとしてこなかったの!? スノウさんならアシュレさまにだけでも相談するとか、なにか手があったでしょ!?」
「ですわですわ、いまさらすぎますわ! スノウさんってわたくしたちがアシュレさまと出逢うよりも前からのお知り合いですのよね!? シオンさまとも過ごした時間を濃密にお持ちのはずですわよね!? それなのに!」
これではもう完全に手遅れではありませんの!
激情を抑え切れないのか、半泣きになってキルシュが叫んだ。
「せめて尻尾を巻いて逃げ出す前に反論されるべきでしたわ!」
「そんなこと言われてもさあ。わたしだって胸騒ぎがしたから、ここまで密航してまでついてきたわけでさあ……なんかあるぞって思ってはきたんだよ、これまでだって。目をつぶってはいけない秘密があるぞって」
でもさあ、と心底困った顔でスノウは吐露した。
「キルシュにエステル、それに真騎士の妹のみんなにどう見えてるかわかんないかもだけど……自分が魔導書化していってることに結構コンプレックスあるんだよ、わたしこれでも……いけないことをしているんだぞって自覚はあるの!」
それにさあ、と泣きはじめたエステルに当てられたのか、こちらも半ば涙目でスノウは訴える。
「自分の出自をあんなふうに責められたら、だれだってパニクるに決まってんじゃん。ふたりだってそう言ってくれてたじゃん。見たよね、あのときの怖い姉を? わたしほんとうに壊れそうだったんだよ、あのときさあ」
切実なスノウの訴えに、それまで口やかましく非難を繰り出していた二匹の文鳥が、一瞬にしても押し黙った。
たしかにあのときのスノウは、傍で見ていてもかわいそうなくらいだった。
その一瞬でひと呼吸つくことができたのか、スノウが続ける。
「だけど、だからっていうか……シオン姉が目の前から居なくなったら、急に頭が回りはじめたんだ。それで気がついたんだ。これが《そうするちから》なんじゃないのかって。そう思えたから足が止まったんだよ。やっぱり行かなくちゃって、やっとわかったんだよ。なんのためにわたしがここまでやってきたのか、その意味が」
握り拳を作ってスノウは決意を新たにして見せた。
「じゃあ……やっぱりシオンさまは《そうするちから》に操られている敵だってこと? そうなの?」
「これまでの推論から考えますに、シオンさまの行いは……お父上であるスカルベリによって最初から仕組まれてきた行動だってことですの? 」
「ちがうちがう、そうじゃないよ!」
性急過ぎる年下二人組の推論に、スノウは激しく首を振った。
「敵なのかどうか、っていう話はまた別のことだと思う。それはさっきまでふたりが言ってきたとおり。《そうするちから》だってそこまで万能じゃないハズ。いきなり豹変してアシュレさまを襲ったりとか、そういうのではないことだけは間違いないくらいには……保証できると……思う」
だが、根拠薄弱なスノウの言い方が、またも怒れる文鳥たちに火を着けてしまう。
「思う思うって──それもぜんぶスノウさんの憶測ではありませんの!?」
「だよねだよね! もし違ってたらどうするつもり!?」
こまったなあ、と妹たちに詰め寄られたスノウは渋面になりつつも、己が推測の理由を説いた。




