■第七七夜:《そうするちから》
「えーっとあーそう、そうだ! わたしが言いたいのは、今回の作戦立案が本当にシオン姉の考えからだけ生まれたものなのかってことなんだよ!」
会話が再開されたのは、たっぷり五分を過ぎてからだった。
さすがに頭を捻って考えただけはあって、こんどの話は真騎士の妹たちにも響くところがあったようだ。
「ええっ!? なにそれ!?」
「どういうことですの!?」
釣り込まれるようにして、それまで沈黙を守っていたふたりが反応した。
スノウに対する印象は最悪でも、今次作戦の根幹についての問題提起を無視することなどできはしない。
少女とはいえ戦隊における妹たちの取りまとめ役を任されているキルシュとエステルのふたりにとって、それはあまりにも大事であった。
「どこをどう押したらそんな考えが思いつくのかという感じですけれど……推し量りますにそれは……シオンさまのお考えに、だれかが、介入していたのではないかってことを危惧されているってことですの、スノウさんは?」
「それって……まさかなんだけどさ、今回の作戦に関するアイディアをシオンさまに吹き込んだヒトが別にいるって考えてるの? イズマさんとかアシュレさまご本人ではなく? ぜんぜん関係ないヒトが?」
異口同音に同じことを訊いてくふたり。
スノウは力強くなんども頷いた。
ようやく自分の思うところが伝わったという喜色が、その顔にはある。
「そうそう! そうなんだよ! 正確にはちょっと違うけど、そんな感じ! あーいまのでもっとわかってきた。思い返すと、いろんなところに兆候があったんだよ、そのうなんていうか、姉の考えがどこかから播種されたもんなんじゃないかっていう、その兆しが!」
「播種された!? お考えが!? だれかから!?」
「兆候、兆しって、たとえばどんな?」
「そう! それそれ、そういうとこ! そういうところなんだよ! わたしがふたりに話したいのは、そういう疑問についてなんだよ!」
ふたりの口をついたどちらの疑問に対しても「我が意を得たり」という顔でスノウはキルシュとエステルを指した。
「兆候って意味だと、これはもう言ったけど必死にわたしたちを追い返そうとしたのもそうだし、あのとき──軍議でアシュレさまを夜魔に変えるアイディアを口にしなかったってのもそう。あれこそまさに今回の作戦がシオン姉の考えからだけのものじゃないっていう証拠なんだよ!!」
が、スノウの発言はまだまだ突飛過ぎて、ふたりの拒絶を招いてしまう。
発想の飛躍が過ぎるのだ。
「えっ、なに言ってんの、スノウさんッ??? それのどこが兆し? なにが証拠???」
「おっしゃる意味がまるで見えませんわ!?」
スノウの話に驚きと不信を隠せず、真騎士の妹たちがかわるがわるに声を上げる。
たしかに軍議の際、シオンがアシュレを夜魔の王に仕立て上げるプランを戦隊に秘していたのは事実だ。
ただ、それを今次作戦の発案に他者の介入があった証拠と見なすのは、かなり無理がある。
そうであるにも関わらず、自論の矛盾点など気にした様子もなく、スノウの話は続く。
ふたりはふたたび戦慄を憶えた。
端的に言えば「このヒトやっぱりおかしい」と思ったのだ。
魔導書の娘は言う。
「もっと決定的な話をするならずっとずっと昔にまで遡れるんだ。そう、ことの起こりは一番最初、漂流寺院での最後の戦いにまで遡って、それは見て取れるんだよ!」
時系列的に言えば一年近くも前、真騎士の妹たちどころか自分との出会いよりはるかに以前の出来事を指して、スノウはこれが証拠と言い張った。
「漂流寺院……それって……アシュレさまとシオンさま、おふたりが心の臓を共有することになったきっかけのお話?」
「痩せさらばえし放逐された古き神……海原に漂う船の残骸で拵えられた邪教の寺院……邪神:フラーマとの戦いのことですの?」
なぜそんなところにまで話が飛躍するのか。
自分たちはもしや、存在に対する否定と恐怖、さらには世紀の大失恋の痛手からすでにおかしくなってしまった相手と話をしているのではないか?
キルシュとエステルのふたりは、そんな恐ろしい想像に襲われた。
無論ふたりとてスノウに言われるまでもなく、アシュレとシオンがいかにして互いに分かちがたき存在となったかについては、すでに知っている。
邪神フラーマとの戦い。
それはイグナーシュ王国でオーバーロードと化したグラン王を下したアシュレたちが、カテル島へ向かう船旅のなかで遭遇した彷徨う古き神の寺院でのこと。
そこで起こった事件と戦いの顛末は、これまた忘れられた土蜘蛛の王:イズマの手によって英雄譚に仕立て直され、戦隊揃っての夕餉のあと妹たちへの語り聞かせに夜ごと上演される人気作品のひとつであった。
こと真騎士の妹たちは件の場面では、失神する者まで現れるほどの熱狂ぶりを示す。
愛する騎士の死と己が不死性を投げ打ってまでこれを覆そうとする夜魔の姫君の献身、そしてそこからの劇的な英雄の復活というエピソードは少女たちの乙女心を直撃するらしい。
ふたりが頭のなかに思い描いた光景がまるで見えているかのように、うんそうそれそれ、とスノウは腕組みしたまま応じた。
「ふたりも熱狂してたよね。瀕死の重傷を負ったアシュレさまに、姉が自らの胸を断ち割り白銀の結魂を使って命を捧げたってあの場面でキャーキャー声上げてたもんね。大好き? ふたりともあのエピソード? うんわかる」
上演のたび、真騎士の妹たちに混じって黄色い悲鳴を上げて来たスノウだ。
その首肯には真実の重みがあった。
けれどもだからこそ続く発言に宿る熱量が、狂気としてキルシュたちには感じられてしまうことには考えが及ばないでいる。
でもあれこそが、とスノウは言った。
「みんなが大好きなあのシーン。でもあれこそが、その最たるものだったんだ。姉がこの計画をわたしたちの前で口にしたときよりもっと以前の段階で、この道筋を選ばせる《ちから》=《そうするちから》が働いていたんだよ!」
そのことに、いまになってわたしは思い至ったんだ。
まるで真理に辿り着いた哲学者のように、力強くスノウは言い切った。
キルシュとエステルの目にはしかし、それはまさしく狂人の振る舞いとしか映らなかった。
もちろん真騎士の妹たちも、件の英雄譚のなかで語られる《そうするちから》の存在については、これもいくども聞かされて知っている。
イズマの語り聞かせは単なる娯楽ではない。
戦隊のなかで問題意識を共有するための重要な教育の一環。
特に《そうするちから》の脅威について、最も年下で最も構成員として数多い真騎士の妹たちに注意を促すためのものであった。
人々の《意志》を挫き、世界が望んだ役割を強要するという不可視の《ちから》。
それはこの世に満ちる強制力として、人類だけではなく、あらゆる種族の運命にこの世界観開闢の日より関与し続けてきた。
特に《閉鎖回廊》という一種の異界にあって、《そうするちから》は物理法則にすら干渉し、世界の摂理にさえ影響を及ぼすほどに強大なものとして振る舞う。
それがシオンの過去にも関与していた、とスノウは言ったのだ。
もし、そう主張するのがスノウでさえなかったなら、ふたりは早々に対話を諦め、話を打ち切ったことだろう。
なぜって、目の前のオンナはどうしたって狂ったとした思えなかったからだ。
だがいま眼前で自論を開陳する娘こそは、人類の悪のすべてを記述したと言われる最悪の魔導書:ビブロ・ヴァレリの化身であった。
眼前で繰り広げられる明らかに様子のおかしい問答も、魔導書としての在り方に起因するものだと考えれば、これは単なる世迷言とは思えなくなる。
かといって仲間、それも“叛逆のいばら姫”と謳われたシオンを疑うようなスノウの主張は、素直に呑み込むのは真騎士の妹たちには難しいものだった。
シオンの放つごまかしようもない英雄のオーラと、その完璧に整った優美な容姿は、自らを美の化身と自認する真騎士の乙女たちの間でも羨望の眼差しを持って迎えられてきたのだ。
恋い慕うアシュレダウと並び立っても劣るところのない、それどころかときに彼をも上回る神気にも似た英雄の波動をシオンは放っている。
その彼女の行いに裏があるような言われ方は、自分たちの審美眼にケチをつけられているようにしか感じられないふたりだ。
言葉の端々にスノウに対する非難めいたニュアンスが宿るのを止められない。
先鋒としてキルシュが口火を切る。
「でもさ《そうするちから》って、アレだよね。わたしたち真騎士も含め、かつて魔の十一氏族をいまの姿にしてしまった《ちから》のことなんだよね? そしてそれを打ち破り世界を正すために、いまわたしたちは戦っているんだよね? 《意志》ある者として、《スピンドル能力者》として」
なのにさ、と唾を飛ばす勢いで食ってかかる。
「なのに今度はその得体の知れない《ちから》がシオンさまを操作してるってのは、どういうことなの? おかしくない?」
でも──いまそういうことを言ってるんだよね、スノウさんは?
そんなキルシュのあとを、エステルが間髪入れずに続ける。
「そうなりますわよね? つまるところ、スノウさんはこれまでいくども《そうするちから》がシオンさまに働きかけていたって、そうおっしゃっているんでしょう? 直近の出来事だと、シオンさまのあの恐ろしい言動の一切が、そうされたものだったと疑っているってことで間違いありませんか?」
いいえそれどころか、シオンさまのこれまでの行いそのものが、ずっと以前から仕組まれていたことだとまで?
曰く、
「わたくしたちがアシュレさまと出逢う、ずっとずっと前から」
そこまで言い切って口を噤んだエステルに、キルシュも深く頷いて同意を示した。
だが、それに対するスノウの反応は、淡泊とさえいえるものだった。
「そうだよ」
というごく簡素な同意だけが返ってくる。
まるでそれこそが事実だと言わんばかりに落ち着いた口調で。
真騎士の妹たちの口から、悲鳴にも似た声が漏れのも無理はない。
「そうだよって……つまり今回の作戦は罠だ、ってこと? それじゃあまるでシオンさまが敵側ってことなるんだけど? 正気で言ってるの、スノウさんッ!?」
「魔導書の娘に対してお言葉ですけれど。いまのお話で、我ら戦隊が夜魔の騎士たちの野望を阻むべく行動を起こしてきたことの、そのことごとくまでもが仕組まれた罠だとするのはいささか無理がございませんこと? それではなんというか……あまりに《そうするちから》とやらは万能すぎやしませんこと? それにたしか《そうするちから》とやらがその権能を最大限に発揮できるのは、《閉鎖回廊》内部だけだともお聞きしましたが?」
「だよね。いくらなんでもちょっと勘ぐりすぎなんじゃないかって、わたしも思う。そんなに万能の《ちから》なんだとしたら、わたしたちが仲間になることを阻止するようにもできたわけでしょう? シオンさまの意向次第では、レーヴ姉さまやわたしたちとアシュレさまが敵対し続けてたとか、空中庭園から放逐されてた可能性だって……ありえてってことで。そういうのまで操作できたんじゃないの? わたしたちに加えて蛇の巫女、汚泥の騎士たち、それに……アレは味方なのかどうかわかんないけど豚鬼王まで。ぶっちゃけ戦闘集団としたら、このワールズエンデ世界屈指だと思うけど……?」
「ですわ。《そうするちから》とやらが以前から作用していたのだとしたら、ここまでわたくしたちの戦隊が戦力を整えることなどできなかったはず。今次作戦が実行に移せたのも、人類圏側の防衛にその戦力を割り振りながら本陣をも護る余裕があったればこそ。それを罠だなどと……どうやったら考えられるんでしょう」
鋭いところを真騎士の妹たちが見せる。
「スノウさん、ちがいまして?」
険を隠そうともせず、もう一歩エステルが切り込む。
隣りでキルシュが小さく拍手する。
だが、その指摘にスノウは唸っただけだった。
組んだ腕に力がこもるのがわかる。
怒っていたからではない。
逆だ。
感心していた。
真騎士の妹たちは、あきらかにスノウを否定・非難している。
それなのに魔導書の娘には、それが感じられないのだ。
まるでいま自分たちは実に有意義な議論をしている、とでもいうように話を続けようとする。
真騎士の妹たちから見ればシオンの言動などより、このときのスノウの方がよほど《そうするちから》に操られているように見えたことだろう。




