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■第七三夜:咆哮と絶叫と




 アシュレの告白に、アストラの肉体が一際大きく戦慄わなないた。


「それは……まさか……白銀の結魂アルジェント・フラッドを使ったというのか。あの禁断の法を? バカな……。真祖:スカルベリですら習得できなかった救魂の奥義を、“叛逆のいばら姫”がそなたに講じたというのか。そなたに──夜魔の純血の最たるものと真祖に言わしめたすべてを捧げたと?」

「そうだ。そして“叛逆のいばら姫”が──彼女、シオンザフィルがオレに施してくれた行いの尊さには遠く及ばんが……アストラ、オレは己が血肉を持って、同じくオマエを救いたいのだ」


 これまでと同じように、アシュレの言葉は静かだった。

 だがアストラは、その静かな響きが己のなかの空虚に沁みていくのを感じた。

 

 枯れ果てたはずの涙が、目頭を熱くする。


「バカな……こんな、がらくたのアストラにいまさらどんな価値があるというのか」

「知らないなら教えてやる、アストラ。人間の愛は、価値を超越する概念なのだ」


 便利だから、有益だから、有能だから……そういう価値に人間の愛は限定されない。


「むろんそうとばかりも言い切れないが……それほど人間の心は美しくもないし、高尚でも、高潔でもないからな。オレだって例外ではない。元人間が言うのだから間違いはない」


 ただ、


「ただだからこそ、他者の傷に、その歪みに美を見出し、使い古された器物に愛着を見出す。それは己が不完全さを認めること、歳経ることの意味を……つまり人生を肯定することと同じだからだ」

「……それは暗にアストラをなじディスってないか?」

「オマエを傷物にしたのはオレだがな?」


 真面目腐って答えるアシュレに、アストラは言葉を失って狼狽した。

 とにかく、だとアシュレは話を強引に戻す。

 アストラが完全に固まってしまっていたからだ。


「なにはともあれ、この先、何万回もオレはオマエを組み伏せ歓喜に泣かせたいという欲望を抑え切れずにいる。端的に言えばオレの手でオマエという宝玉を彫刻したいと言っているのだ。そのことだけは間違いない」


 ワザと好色な目でアストラの全身を眺め回すと、我に返った夜魔の姫君はそそくさと乱れた着衣を直そうとした。


「ちょ、彫刻するッ!? ア、アストラの、この物足りない肉体が目当てだとそう言うのかッ!? からだっ、カラダ目当てかッ!?」

オレがそんなに無欲に見えるのか? もちろん真の狙いはオマエの心だ。その可憐な心を縛鎖で繋ぎ止め、繰り返し繰り返し消えぬ烙印を焼きつける……これはたまらない愉悦だぞ」

「〜〜〜〜〜ッ!! 変態、そなたへんたいだッ!!」

「さもあろう──それが夜魔の男というものだからな」


 罵倒を悠然と受け入れ、アシュレは笑みを広げた。


「だが、そのためにはオマエにここで死なれては困る」

「蹂躙……できぬからか。彫刻する楽しみが潰えるから?」

「そう捉えてもらって構わない。美しい蝶も、飛び回って逃れるのを捕らえるのが楽しいのだ。この程度のことで諦めてしまうような女では興ざめというものだろう?」

「再起させてワザと逃がして、追いつめて引き毟って、屈辱と恥辱にアストラを泣かせるつもりだなッ!?」

「官能と歓喜と悦楽に、だ。オレから与えられる屈辱や恥辱に悦んでしまう女にオマエをする」

「そうはいくかッ! ふざけるなッ!」


 恥知らずにも本人の目の前にして滔々(とうとう)と語られる蹂躙調教計画に、アストラは怒りを露にした。


 ただ……その顔が耳まで朱に染まるのは、純粋に怒りからだけではないことは内緒だ。


 そしてその顔に、アシュレは笑った。


「そうだ、それでいい。ついでに夜魔の大公の冠と“叛逆のいばら姫”の身柄も諦めるな」

「なに!? いったいそれは……どういうことだ」

オレたちをハメめる策略なら、先ほど教えてやっただろう。オマエが真にお前自身の願い、つまり人類と夜魔の共存世界を望むなら、オレたちから奪いに来いと言っているのだ」


 むろんそれは、オレとアストラがスカルベリと正対し、今回のことのあらましを根掘り葉掘り詰問して、思うさま泥を吐かせたあとでのことになるが。


「アシュレダウ、それはつまり、」

「“叛逆のいばら姫”は生きている。言っただろう、“切札”だと」


 いまは我が戦利品トロフィーとして、掌中にある。

 牢獄の外套を指して、アシュレは言った。


 夜魔の持つ暗視能力を持ってしても見通せない虚空を抱く外套の、その奥を凝視してアストラはうめいた。


「では彼女は、いまシオンザフィルは……いったいどんな状態にあるというのだ」

「特になにも。必要からいまはオレ戦利品トロフィーに成り果ててはいるが……すくなくとも命に別状はない」

「なにがどうなったら、そんなことが起きるというのか」

「すべては偶然だ。白銀の結魂アルジェント・フラッドが奇妙な作用を引き起こした。原因は完全に不明だが、オレたちはいま心の臓と臓器の一部、そして血液を共有して生きている。それゆえにオレは彼女の夜魔の大公の娘としての能力をも引き継いだ。オレとシオンザフィルとはいまや主従であり、共犯者であり、同時に生死を共にする運命共同体なのだ」

「そんなっ、そんなことが可能なのかッ!? あり得ない、あり得ないことだ、夜魔と人間とがそんな関係を構築できるはずがないッ!」


 驚愕に震えるアストラを見下ろして、アシュレは応えた。

 そうだな、と頷きながら。


「たしかにアストラの言う通りだ。本来ならばこれは決してありえなかったことだろう」

 

 けれども、オレたちはいまこうしてここにいる。

 遠くを見てアシュレは言った。


「あのときオレたちは知った。どれほどありえないことであろうとも、だれしもが可能性などないと捨て鉢になろうとも──それでも奇跡は、未来を諦めない者にしか訪れないことを」


 だから、と視線をアストラに戻す。


「だから、言ったのだ。諦めるのかと。アストラ、オマエはまだなにも終ってはいないのに、だ。それどころかオマエの場合、始まってさえもいないのだ」


 なのに、こんなところで投げ出してしまうのか?


 問いかけるアシュレの瞳と、アストラのそれがこのとき交差した。

 色素の薄い夜魔の姫君の目が、しっかりとアシュレを見つめ返す。


「死にたい、という目ではそれはないな」

「アシュレダウ……いまの話をアストラに聞かせたこと……後悔することになるぞ」

「オマエがふたたび《希望》を得て立ち上がり、我が前に立ち塞がるというのならこれに勝る楽しみはない」


 打ち負かし、組み伏せ、引き毟って、思い知らせるのみ。


「アストラよ、オマエのその目、そこに宿る輝きは──オレにとってそういう楽しみが増えるという意味だが……この解釈に間違いはないか?」

「そなたこそ、夜魔の女がどのように想った男を愛するのか、知ることになるぞ? 略奪と強奪こそ夜魔の愛情の最たるものだと知るが良い」


 アストラを抱いていた両の腕を、力強く掴み返されるのをアシュレは感じた。


 もうすでに己の腕に抱かれる女は、打ちひしがれ痩せさらばえた存在ではない。


 爛々と光る瞳で自分を見つめ返してくるのは、愛されることを欲するだけではなく、相手を愛すること、その真の意味に気がついた女の顔だった。


「では早速にも《ちから》を取り戻すが良い。何度でも言うが時間はあまりない」

「だからと言って、いきなり首筋からでは情緒に欠けるのではないか、アシュレダウ? そなたがそうしてくれたように、アストラも手順を重視するのだ……わたしはこれでも夜魔の大公の姫君なのだからな」


 首筋からの吸血は、アストラがそなたを上回る夜魔の女となり、そなたを組み伏せた暁に頂くものとしよう!


 そう言い放つが早いか、アストラはアシュレが差し出した首筋からの吸血を拒否し、代わりにその左手へと齧りついた。


 容赦なく突き込まれる牙が皮膚を食い破り、肉に突き立つのをアシュレは感じた。

 同時に不思議な、戦慄せんりつにも似た感覚が、背筋を走り抜ける。


 夜魔の唾液には吸血時の痛みを快楽に変える成分が含まれており、これだけはあらゆる毒物に対して完全無欠の耐性を持つ夜魔であっても、抗うことはできない種族的な特性だ。


 アシュレは下腹から湧き上がってくる感覚を楽しみながらも、意志の力で押さえ込み獰猛に微笑んだ。


「貪欲さを隠さなくなったな、アストラ」

「……ちなみに夜魔の作法では、左手からの吸血には『あなたを愛している』という意味があるのは忘れずにいるが良い。それは与える側も与えられる側もそうだ、という意味だ」


 アシュレの手首をくわえ込んだまま、まるで腹話術のように器用にそう告げると、アストラは傷口から迸る熱い血潮を、まるでワインを干すように味わいながら飲み下した。


 こくりこくり、とアストラの細い喉が上下するたび、その肌には艶と色とが戻っていくのがわかる。


 傷口に舌による愛撫を感じながら、アシュレは問うた。


「どうだ……オレの血は」

「驚愕とはこのことだ。こんな血が地上に存在していたのか。美味すぎて……頭が変になりそうだ。こんなの……こんなの戻れなくなる……」

「飲み過ぎると、《ねがい》を成就させる前にオレの虜に成り果てるぞ」

「そなた……復調したらアストラのものも飲ませてやるから憶えておけよ。これまで二〇〇年の間、だれにも味わわせたことのない美味で、そなたをアストラに夢中にさせてみせるのだからな!」


 と、艶事めいて囁き交すアシュレたちを異変が襲ったのは、その直後だった。

 ゴゴゴゴゴッ、と地面が壁面が、聖堂が地響きを上げて揺れた。


「なにごとッ!?」


 極上のワインの余韻に浸るかのごとく陶然とアシュレの血の味わいを反復していたアストラが、目をしばたかせ飛び起きた。

 アシュレは震える床面に手をつき、大気を揺るがす振動に耳傾ける。


「この振動……いや、これは雄叫びか」

「なるほどこれは地震では、ない。アストラもそう思う。だが石造りの街区を揺るがせるほどの咆哮ほうこうとなると──この地に眠る悪夢どもが一斉に目覚めたとしか思えぬ。文字通り全身を身震いさせながら、街区を濁流がごとき勢いで悪夢どもが駆け巡っているのだ」


 そこまで言ってアストラは小首を傾げた。


「だが……なぜだ? 我らの位置が気取られたにしては……これではわざわざ襲来を知らせるようなもの。あまりに雑な。それにアストラにはこの雄叫び……遠ざかっているように思えるのだが……どう見るアシュレダウ?」

「まさか……な」


 アストラの分析に、アシュレにはひとつだけ思い当たる事案があった。


「どうした?」

「いや、まさかそんなことだけはあり得んと思うが……」


 言いながら立ち上がるアシュレの胸中には、しかしそのたったひとつの心当たりがこの街区を揺るがす雄叫びの原因であろうという確信が、嫌になるほどの胸騒ぎを伴って湧き上がっていた。

 

 性急にアストラの手を取ると、立ち上がる。


「アストラ、済まないがここでの休息はこれで仕舞いだ」

「ま、まて、まってくれアシュレダウ。まだ、そなたの血の余韻で膝が、膝が笑ってしまって。カラダが言うことを聞いてくれない」


 本当はそれだけではなく、とてもここで記述できないような事態にアストラは襲われていたのだが、もちろんそんなことを口にするわけにはいかない。


 夜魔の女にとって想い人の血を飲み下すというのは、性交よりもなお深い血の交わりである、というのはつまりそういうことだ。


 当然、アシュレの方は、そんなことには思い至ってすらいない。


「仕方あるまい。緊急事態だ、勘弁しろ。苦情はあとで聞く」


 言うが早いか、アシュレはアストラを引っつかむと強引に抱き寄せた。

 ひゃう、とアストラが可愛らしい悲鳴を上げたのも、無理はない。


「にゃにゃう、アシュレまて、せめて腰に! だめだ鷲掴みにしたら指が、指がっ、おかしな入り方をしているッ! だめまって、いまは足腰が立たないって言ってる! だめだそんな確かめ方をしたら、ダメ、だ、とッ!」

「一刻を争う。アストラ、ここに入っていてくれ」

「ここって、牢獄の外套のなかにかッ!? まてこれは戦利品トロフィーを持ち運ぶための道具だぞ!? アストラはまだ、正式にはアシュレの蹂躙を受けてはいない! 屈服を認めていない! まだ、まだアシュレの戦利品トロフィーではないのだぞ!」

「このままだといずれそうなる。嫌ならちゃんと立て、オレに抗う気概を見せろ! オレを殺しに来る気で戦え!」

「無理、いまはむりだ! や、あう、まってそれは──まってまってまってくださいッ、ひいっ」


 アシュレはアストラの無駄な抵抗を暴力で踏み躙った。

 玩び、完全に立てなくしてから牢獄の外套に放り込む。


「ひどい、ひどすぎるぞアシュレダウ、こんなこんな弄びかたをされたら、アストラはもうどこにもいけない、いろいろいじくられて───こんなこと──悪戯でしたでは済まされないのだぞッ!! わかっているのか、こ」


 その声を最後に、アストラの叫びは途切れた。

 牢獄の外套の内側に張り巡らされた虚数空間が、指のカタチを取って彼女を捕らえたのだ。


 アシュレは指に残るアストラの残滓を愛しげに舐めとると、意識を切り替えた。


 議論しているような時間はいまはない。

 あの状態で放り込まれたアストラがどうなるのかはよくわからないが、どうなっていようとも責任を取るつもりではいる。


 それよりもいまは、だ。


 一転、身を翻すと、アシュレは封都:ノストフェラティウムの暗い街路を疾風の速度で駆け抜けはじめた。

 

 夜魔の王として転成した彼の耳には都市全体を揺るがす不定期の鳴動に加え、どこかで聞き覚えのある悲鳴が三人分、すでに届きはじめていた。







ここまで燦然のソウルスピナをお読み頂きありがとうございます。

明日2025年2月1日と翌2日は更新をお休みさせて頂きます。


まだもうちょっと更新可能な原稿が手元にありますので、来週もできるところまで更新していきますが、例のアレもありますし2月はゆるゆると進めて参ろうかと思います。


更新を止めている間にいいねや感想を頂くと、画面の向こうで作者のおじさんのやる気ゲージが増減するらしいことが、研究の結果明らかになって参りました。

凄いですね。


それではまた、来週お会いしましょう!

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