■第六八夜:決意
この道程そのものが、スカルベリがアストラに仕掛けた謀略の可能性があると説くアシュレの口調はあくまでも穏やかなものだったが、反論を試みようとする夜魔の姫のほうは目に見えて追いつめられていた。
「ここまで来てもまだ、おかしいとは思わないのか。我の指摘の方が間違っていると言うのか」
「……だがっ、だって……だって……」
いたわるように、ゆっくりとアシュレは言葉を紡ぐ。
「私的な解釈だ、とオマエは言ったな? だが、我はいま極力、客観的な事実だけを話したつもりだ。アストラとともにその地獄を潜り抜けた者として」
「…………」
「その上で、ここからは先の我の話には推論や憶測が混じる。しかし……それもすでに状況証拠が数々の裏付けをしてしまっていることばかりだが」
たとえば、と事実に元ずく推論を並べるアシュレに対し、アストラはもはや抗う術を持たなかった。
「たとえば、夜魔の大公:スカルベリが人類圏との融和を真に望むのであれば、すくなくとも巡礼者の道の真実は、使者であるアストラには事前に、それも厳重に注意を促してしかるべきではなかったか」
「それはっ、……そうかもしれないが、それだけ時間が逼迫していたと考えれば、」
「さらにはこの地に潜む眠らぬ悪夢どものことだ。その存在をなぜスカルベリはアストラに知らせなかった? どうして黙っていたのだ? たとえアストラは知らずとも、彼だけは知っていたはずだ」
なぜならこの道こそ、かつて人類の英雄だったスカルベリが遡り、踏破してガイゼルロンに辿り着いた伝説のものだからだ。
「だから、それは、」
「なにより……“子負い”の背に囚われた夜魔の娘たちのこと。あれを知らなかったとスカルベリは強弁できるものか。できはしまい。そもそもあの娘たちは、いったいどこから来たんだ?」
アシュレの指摘に、アストラの喉から「ひっ」という声が上がった。
言葉にならなかった反論が悲鳴に変じて迸ったのだ。
それは『もうやめてくれ』というアストラからの懇願と同義であったが、そうであるがゆえにアシュレはやめることはできなかった。
己が指摘を持ってアストラの意思を挫き、翻意させることこそが、いまのアシュレにとっての至上命令だったからだ。
だから言った。
よりいっそう静かに。
そうでありながら、反論を許さぬ口調で。
「我の推論に対し、もしスカルベリが反論を試みようというのであれば、それ以前の段階でアストラには充分な事前警告と、これを回避し得る手段を与えるべきだったのではないか。こんな、」
吸血剣がごとき、火に油を注ぐような武器でなく。
アシュレは唾棄するように視線だけを動かして、意思を表明した。
「アアア、──アシュレッ!」
一瞬だが姫将軍の顔つきとなり、眼光鋭くアシュレを睨めつけたアストラの表情が、ぼろぼろと崩れるように泣き顔になった。
もうすでにアストラにも、アシュレの言うことのほうに圧倒的な理があることは良くわかっていたのだ。
言い訳のしようもなく、自分はすでに謀られ、捨てられていたのだと。
ただそれを心から認めてしまったら、もう自分は立っていることさえできなくなることを、知ってしまってもいた。
だがそれを知りながらも、アシュレは続ける。
「スカルベリの真意は我にもわからぬ。だが、そうであるならば確かめてからでも遅くはない。……遅くはないのではないか。そう我は言っているのだ」
決定的な断罪を言い渡されるとばかり思い込んでいただろう。
顔を伏せ震えていたアストラが、厚く垂れ込めた雲間から挿し込んだ清かな月光を目にしたときのように、ハッと顔を上げた。
「怖いなら隣りに立っていてやる、と言っている。手を繋いでおいてやってもいい。もっとありていに言うなら……一緒にことの真相を問い質してやる」
つまるところアシュレは、そのとき横にいてアストラを守ってやるとまで遠回しに伝えたわけだが……。
その意味は先方に充分過ぎるほど伝わったらしい。
アストラの整った顔の上で起きた変化は、見物と言うしかなかった。
「ばばば、そんな馬鹿なッ! そそそ、そなた、どこまでわたしを甘やかすつもりかッ!」
舌をもつれさせての怒りの表明に続いたのは、これまでアストラがその華奢な身の内に抱え込んできた使命感と義務感──そしてかつて夢見た未来に対する《希望》──それゆえの慟哭だった。
「そんなっ、そんな恥知らずなマネはできん! どうしてそんな破廉恥なマネができようか! なにより悠長なことをしているヒマはないッ! 蹂躙派どもの言う大征伐──夜魔の騎士たちによる人類圏への大侵攻はもう目前まで迫っているのだぞ!! いまわたしが行かねば、すべてが手遅れになる!! この世界から人類の文明が、文化が、真に尊きものが失われてしまう! わたしのはそう言っているのだッ!! おめおめと出戻ることなど断じてできん!」
この期に及んで祖国:ガイゼルロンだけではなく、人類圏の行く末までもを案じているアストラの心根に触れ、アシュレは笑みを禁じ得なかった。
この娘の心はどこまでもまっすぐで一途だ。
思わず抱きしめて頭をかいぐってやりたくなる衝動を堪えながら、アシュレはなんども頷いた。
「アストラ……そうだな、それはそうだ。いまからスカルベリの真意を問い正しに戻っていては、すべてが手遅れになる。時間がないことも、そのとおりだろう。それでも、」
「そうであろうッ!? だからわたしはここにこうして居るッ──そして行くしかない、征くしかないからだッ!!」
「だが、アストラ、」
「ここにきての計画変更はない」
理解を示しつつ、それでもなおアストラを案じて計画の変更・中止を受け入れさせようとするアシュレを遮り、アストラはまくし立てた。
「たとえこれが謀略、いや遠回しな謀殺だったしても、これを試練として掻い潜り己が使命を果たせば、それは好機に早変わりする! 大いなる実績を掲げてアストラはガイゼルロンへと凱旋し、宮廷での発言権を得ることができるのだ! そしてそれは、人類と夜魔との末長い繁栄の礎となるであろう! それがオマエにはわかるかッ!?」
手負いの獣がそうするように、夜魔の大公の娘は牙を剥き出しにして吼えた。
「ああ……わかるとも、アストラ。我には、オマエの言うことが良くわかる」
対するアシュレはすべてを理解した顔つきで、鷹揚に頷いて見せた。
その余裕ある態度が、アストラをさらに激昂させることを知りながら。
「良く……良くわかるだとッ、なにがなにが、なにが────なにがわかるというのかッ!!」
詰め寄る彼女に、アシュレは両手を広げて見せた。
相手のすべてを抱き留め受け止める、そんな微笑みとともに。
そんなアシュレを前にして、アストラはその手に短剣でも握っていればためらいなく相手の胸に柄まで埋めたであろう勢いで、さらに距離を詰めた。
アシュレの鼻先、ギリギリ肉体が触れない位置で、足を鳴らして立ち止まる。
ふたりは、互いの息がかかる距離で言葉を重ねる。
「アストラが本気で、夜魔と人間との共存共栄を真剣に考えていてくれたのだということを、いま同じくここに立つ我だけが理解できる」
「ならばッ! アストラのことを、それほどまでにわかってくれていると言うのであればッ、いまさら祖国に戻ろうなどと、なぜにそのようなことをアシュレダウは言うのだッ!」
広げられた男の腕のなかに飛び込んでしまえば、あらゆる重責から解放され楽になれるという確信を抱きつつも、アストラは踏みとどまって叫び続けた。
「なんども言っているだろう! わたしはアストラは、行かなければならないんだッ! それなのになぜそんなことをそなたは言うのか!? 一度戻るべきだなどと……陛下の真意を問い正せなどと……そんな不敬をアストラに囁くのか。頂いた特務に、その道程に隠されていたものに怖れを為して逃げ帰ったかのような……そんな不名誉の道へとアストラを誘惑するのかッ!」
生まれ落ちてより約二百年の間、胸の内で燻り続け渦を巻いていた感情が、堰を切ったように迸り出るのをアストラは感じていた。
「いったいなにが、おまえにアストラのいったいなにがわかるというのだッ!? アストラは行くしかないのだッ! それ以外にもうどこにも──どこにもアストラの居場所はないのだからッ!! そうでなければ、そうしなければ、そなたのなかにいる彼女に並ぶことだって、できないではないかッ!!」
そこまで言い切ったあとで、息を呑み、アストラは顔を伏せた。
両肩を抱いて縮こまる。
以前のアストラであったらそれは決してしなかった、たったいま己が見せてしまった行いを恥じるものであり、悔悟を他者に示す行為だった。
アシュレによって身も心も救われた夜魔の姫君は、以前とはもう自分が変わってしまったことを自覚しなければならなかった。
自分がもうすでにアシュレによって充分に想われており、その想いを人質に取るようにして駄々を捏ねたことを認めるしかなかった。
そんな夜魔の姫君を抱擁するかわりに、アシュレは言うのだ。
「そうだな……そうだったな。アストラの想いのなにがわかるのか……なぜ理解できると断言し得るのか、我はまだ誠意を持って答えていなかったな。それでは伝わらなくとも無理はない」
「アシュ……レ?」
「なぜ我にアストラの考えがわかるのか。それは我もまた、アストラに近い考えを持ってここまで来たからだ」
「わたしに近い考えを……アシュレが?」
男の言葉に、アストラは自分がまだ彼についてなにも知らないことに、いまさらながら思い当たり息を呑んだ。
「そうであった……。アストラは失念していた。アストラのことを喚くばかりで……わたしを助けてくれた騎士の……そなたの目的がなんなのか、なぜにこの巡礼者の道を遡るのか、どうしてガイゼルロンを目指すのかを尋ねることを忘れていた。そなたがなにを求め、このこんな道程をひとり踏破してきたのか……」
アシュレダウという男が、ガイゼルロンを訪う真の目的。
そこを知らぬのままであった。
ひとりごちるようにそう言い終えたアストラの視線には、いつの間にか焦げついてしまいそうなほどの熱が宿っていた。
教えてくれ、とその瞳が言う。
「いいだろう」
騎士は大きく頷いた。
ここまで燦然のソウルスピナをお読みくださりありがとうございます。
この物語は、土日祝、およびゴールデンウィークやお盆休み、正月休みなどといった休日を除く月〜金曜日に、作者の手元に更新可能な原稿がある限り、更新をしていっております。
ですので、明日明後日、2025年1月の25日26日は更新をお休みさせて頂きます。
ちょっと我が家のヒツジこと蕗ノ下まほそを連れて、ガンダム:ジー・クアックスを観て参ろうと思います。
大好きな鶴巻監督作品なので……えへへ。
観てきたら、感想戦よろしくお願いします!
あ、ソウルスピナの感想戦もよろしくです!(ふへへ)
でーわー!




