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■第六二夜:這いよる悪夢




「すまない、その……なんのことか……さっぱりだ」

「貴様、ここまで来てシラを切るつもりかッ!? そんなはずがあるまい! そうでなかったら貴様こそなぜこんな……こんなところにいる! この間道のことをなぜ知っているッ!? それにそれに──あれはなんだ、あの醜悪なる者どもは!」


 眠らぬ悪夢たちのことを指してアストラは言った。

 けれどもアシュレの態度は変わらない。


「それを先に訊いたのはオレのはずだが……アストラがどうしてこんな道を歩むことになったのかと」

「そっ、それは……」


 淡々とした受け答えに、アストラは言葉を詰まらせた。

 アシュレは続ける。

 同じく気負いのない口調で。


「先んじてたしかにオレは訊いたな? 夜魔の大公の姫君であるオマエが、どうして独りこんなところにいるのかと。それには応えずじまいで、今度はオレの方を詰問するとは、正直に言って呆れるほかない。それともなにか、大公家では質問には質問で返すように躾けられるのか?」


 それも命の恩人であるオレに、疑いと刃とを突きつけて?


 言外にそう伝えると、アストラは完全に押し黙った。

 それは……と言いかけたところで口ごもる。

 言えぬ事情がある、とその仕草が告げていた。


 必殺の吸血剣ブラッドソードを突きつけ詰問しても、顔色ひとつ変えないアシュレに毒気を抜かれたのもあるだろう。

 どう判断すべきか迷うような色が、目まぐるしく瞳のなかを飛び交うのが見えた。


「まあ、いい」

 

 アシュレは溜め息ひとつ、脱力して両手を下ろした。


「手を下ろしていいとは言っていない!」

「手を上げろとも命じられていなかったな」

「ああ言えばこう言う!」

「それはこちらのセリフというものだ」


 両手を下ろして力みなく立ち、瞳を閉じて首を反らすように伸ばし、アシュレは害意がないことをアピールした。

 無防備な首筋を相手に見せるのは、夜魔の世界では害意がないことを示すゼスチャだ。


「何度でも言うが、そもそもオレは雇われではない。徒党を組むのは趣味ではないし、組むべきなのであれば相手は厳選する。それにガイゼルロンの派閥争いなど蚊帳の外どころか初耳だ。伯爵だか侯爵だか知らんが蹂躙派などという妙な連中の話など、いまのいままで知らぬこと」


 口を開きかけたアストラを制して、さらに言った。


オレがここに居るのはオレの都合だし、アストラを助けたのはオマエがあまりに可憐であったからだ。オマエの尊厳が踏み躙られるのを、騎士として見過ごすことなどとてもできなかった。これも言ったな?」


 この美しい花を穢させてなるものか、とそう思ったときには身体が動いていたのだ。


「それ以外からでは断じてない」


 眼前の男がまたもや放ったあまりに自然体な賛辞にオロオロオロッ、と一瞬だがアストラの切っ先が空を泳いだ。


「ききき貴様またそんな歯の浮くようなセリフをぬけぬけとッ! すこしは慎みと言うものを持つが良い! こちらも、こちらも先ほど言ったはずだぞッ!」

「本心を口にするのは恥ではない。ゆえに何度でも言う」

 

 アストラ、オマエは美しい。

 ずい、と胸元へと突き出された刃をものともせず、冷然とアシュレは切り返した。

 その言葉は冷たかったが、よく冷えている分だけアストラの胸を深く抉った。


「そなっ、そなたっそなたっ」


 怖れたような顔をアストラはした。

 刃を突きつけ脅したはずが即座に告白で突き返され、言の葉で胸を貫かれてしまっていたのだから無理もない。


「そなたそれはたらしだ、女たらしであろう!」

「なんとでも呼べ」


 だがなんと蔑まれても、オレのアストラへの想いは変わらない。

 静かにそう付け加えると、壊れてしまいそうな表情でアストラが後退った。


 掲げた刃もすでに切っ先は定まらず、もはやとてもではないが相手を脅して問い詰める役には立ちそうもない。


 アシュレは続けた。


「だが前提は話しておいたほうがアストラのためにはなるだろう。後の話の通りも早かろうしな。先の一戦で、ここから先、身を守るにも知識がいるのだと思い知ったはずだ。順序があべこべになるが、オマエの話はその後で良い」


 良いことにしよう。


「その様子ではここがどこなのか、そしてあのバケモノどもがなんなのか、本当に知らぬで来てしまったようだからな」


 違うか、と問えばまたも気まずい沈黙が返ってきた。

 アシュレはアストラのだんまりを、黙認と解釈した。


「そのかわりアストラはオレに蹂躙派のなんたるか、そしていまガイゼルロンでなにが起きているのかを教えるのだぞ、良いな?」


 交換条件だ。

 そしてなにより、


「なにより、アストラがどうしていまここに居るのかについても、な。どちらかと言えば、オレが本当に知りたいのはそちらの方なのだからな」


 問いかけるアシュレに、アストラは三度、沈黙を持って応えた。

 それを話すか話さないかは、アシュレがいまから語る内容次第だという態度。


 なるほど、ここまでしてもまだ信用ならぬというわけだ。

 アシュレは腕を組み、溜め息をついた。

 見ず知らずの相手を簡単に信用しないのは良いことだが、それも時と場合による。


 一時的な安息を得たとはいえここはまだ完全に敵中であり、恐るべき悪夢どもの耳目がいつどこでアシュレたちを捕らえるものかわからないのだ。


 もちろんそれはアストラも充分にわかっているはずだが、ここまで抱え込んできたガイゼルロン宮廷の内部事情が、疑り深くなってしまった猫のように彼女をさせてしまっていた。


「わかった。それもいいだろう。ならばオレオレに出来ることをするほかない。オマエの行いがどうあれ、オレは先んじてアストラのためになることをしよう。互いに目的があり、同じく猶予はあまりない。手札を出し惜しみしている場合ではない」


 相手の信用を勝ち得るにはこちらがまず信じてみせるほかない、というイクス教の聖典にある教えを、こともあろうに神敵の筆頭に名を連ねる夜魔の頭領の娘相手に実践することになるとは。

 内心にしても苦笑いしながらアシュレは言った。


「ではオレの知る限りを明かそう。そして、そのとき起こる変化に賭けることにしよう」

「ここがどこなのか、あのバケモノどもがなんなのか……という話だな。その秘密を本当にそなたは知るというのか?」


 譲歩を見せたアシュレに、アストラが口を開いたのは直後のことだ。

 現金なもので、こちらは即答だった。

 胸の内のものだったはずの微苦笑が唇の端に浮かぶのを、アシュレは止めようがない。


「そこはどうあっても知りたい、というわけだ」

 

 突き放すように言えば、脅えのなかに期待を含んだ眼差しが返ってきた。

 思惑通りに躍らされるのは悔しいが、情報は喉から手が出るほどに欲しいという目だ。


 アシュレが推察したように、アストラは封都:ノストフェラティウムのことも、眠らぬ悪夢どものことも、なにひとつ知らぬでここまで来てしまっていた。


 封都:ノストフェラティウムの名にせよ悪夢どもにせよ、それ自体はたしかに知ってはいた。


 だがそれも他の若き夜魔たち同様、ガイゼルロン興国の英雄譚のなかに現れるものとしてだけのことだ。


 まさか自分がすでにその渦中にあり、先ほど襲いかかってきた者どもこそが伝説に語られる眠らぬ悪夢どもだなどと──いまだ知らずにいる。


 ただひとつハッキリとしているのは、大公:スカルベリより賜った特務を全うするためには、これからアシュレが語るであろう数々の秘密が必要不可欠のものとなるであろうことだけだった。


 ゆえにそれだけはどうしても……この男と刃を交えることになっても訊き出さねばならぬと決意している。


 真剣な眼差しを向けてくるアストラに、アシュレは頷いて見せる。


「ならば心して聞け。仰天すること間違いなしだからな。そしてひとたび真実を知ったならば、疑心暗鬼を捨てオレとの共闘を選び取るが良い。先にも言ったが猶予はお互いにあまりない」

「齢二〇〇歳を超え、大公の嫡子として夜魔の歴史に精通したアストラが仰天するほどの秘密が、この都市にはあるとそなたは言うのか?」

「あるとも。夜魔の騎士をして目を背けたくなるほどのものが。あのバケモノどもの正体も含めて、うんざりするほど驚く秘事がな。特に純血の夜魔であるオマエには認めることが難しい種類の──」

「純血の夜魔であるわたしには?」


 まさか……あのバケモノどもは夜魔の血筋に関わるものだと、そう言うのか?

 アストラが疑問を口にした、その瞬間だった。


 それまでふたりの声だけが響き渡る空間だった地下都市の廃墟に、怒濤のごとく荒れ狂う濁流を思わせて、無数の節足を生やした悪夢がなだれ込んできた。





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