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■第六○夜:夜魔の大公の物語




「そなた、そなた、わたしの話を聞いているのか? にやけ面でぼんやりしているのではないぞ?」 

「いや──先ほどはアストラの膝が抜けてしまいそうなほど震えて見えたもので、つい助け船を出してしまった。そうかあれは武者震いであったか。余計な真似をした。今度からは見なかったことにする。済まなかったな」


 謝罪のカタチを取りながらも、アシュレの言葉には、皮肉のスパイスがたっぷりと効いていた。

 しかもアストラをしれっと愛称で呼び捨てにして、だ。


 殊勝な態度から一転、アシュレからの予期せぬ言葉の指弾を次々に浴びて、今度はアストラが面食らう番だった。


 人類圏であれば初対面であろうとなかろうと、貴人相手にこのような対応をしたら良くて不興を買うか、下手をすると首が飛ぶところまでを覚悟せねばならぬわけだが、夜魔のくにではいささか作法が違う。


 刺激的な言い回しや皮肉の利いた機転ウイットで相手を翻弄するのは、退屈を嫌う彼らにとってはむしろ礼儀作法エチケットに近かった。


 肉体に指一本振れることなく、立ち振る舞いと言葉だけでいかに相手の心身を翻弄することができるか。


 その技術アルテは夜魔にとって、家柄と教養の証明でもある。


 際どい軽口や危うげなやりとりを平然と受け流し、それどころか逆手に取って、丁々発止と強烈な突き返しリポストを見舞い合う。


 愉悦のうちに危険と戯れ、いかにこれを切り抜けて見るか。


 そこまでてきて、ようやく一人前の宮廷人と認められる。

 これが夜魔の遊戯ダンス、それが夜魔の社会だと、シオンは言った。


 そう考えると、先制してアストラがアシュレに放った非難の一撃も、その一環といえば一環なのか。


 ただまあ、アレはその……なんというか。

 アストラの場合は狙った効果とは別のものを引き出してしまってはいたワケだが……。


 魅力を伝えるという意味ではいちおうにしても成功していた、と言えなくもない。


 案の定、アシュレからの突き返しを喰らった少女は眉をさらに怒らせてはみたもののその実、彼女の瞳は別種の感情に濡れ、輝きを帯びていた。


 理屈ではなく、アストラの血と肉が刺激を求めている!


「そなた──戯れに我を嘲笑うかッ!」


 カッ、という擦過音にも似た鋭い呼気とともに、アストラが牙を剥き出した。

 大きく口腔を開き発達した犬歯を見せつけるのは、夜魔の威嚇の仕草だとアシュレもすでに知っている。

 牙の造形の見事さ、白さ、美しさは外見以上に夜魔本人の格を表す印だからだ。


 そういえば昔、シオンにも同じ威嚇をされたことがある。

 カテル島に向かう船のなかでのできごとだ。


 初めて間近で見た彼女の牙は、透き通るように白く清潔で、まるで希少な宝石のように見えた。

 あのときのシオンも本気で怒っていたわけだが、続いてされたのは愛の告白であった。


 だからこれは……あれからずっとシオンとともに歩んできたアシュレだからこそ思い至れたことなのかもしれないのだが……夜魔にとって自ら好意を口にするというのは、もしかしたら怒りの表出にも近しい情動なのかもしれない。


 人間でさえ、好意というのは羞恥心や自尊心と隣り合わせの系統樹に位置する感情なわけであるから、この推察も決して荒唐無稽なものではないはずだ。 


 事実、眉を吊り上げ短く吼えたアストラの言葉には、どこか試すような響きがあった。


「しかも許しも得ず我を愛称で呼ぶとは、無礼千万ッ!」


 続くやりとりでアシュレがいかなる器であるのか、品定めをしようというのであろう。

 叱責とともに重圧をぶつけられた相手がどのような反応を見せるものか、彼女の血統そのものが試しているのだ。


 対話に足る相手かどうか、ひいてはその後、親交や交友を深めるにふさわしい相手かどうか。

 最終的には、血の授受にふさわしい相手なのかまでも、夜魔はこの時点で選別していまうというわけだ。


 それは支配者としてのさがを練り着けられた種の、本能的な反応とさえ言えた。

 アシュレが突然にもアストラを泣かしてみたいと感じたのと同じ心の仕組みだ。


 そして、そうであるというのであれば、試される者として慌てて平伏しているようでは話にならない。


 理解に及んだアシュレは、優雅とさえ言ってよい仕草で頷き、悠然と夜魔の姫の言葉を受け流して見せることにした。


「アストラ」と再び呼びかける。


 そうでありながら胸に手をやり、彼女からの叱責はしかと受け止めたことを認める。

 ゆっくりと膝を折り、視線の高さを合わせてやる。

 そのまま騎士の礼の姿勢を取る。


 あうっ、と不意をつかれたアストラが一歩後ずさり、視線を泳がせた。


「先ほどは、いささか意地の悪い答え方をした。ゆえに今度は真摯に語ろう。我が本意を。あのときオレの目には、可憐な花が不潔なウジ虫どもに蹂躙されようとしているようにしか見えなかった。そのような非道と無残、騎士としてとても見過ごせるものではない。それで咄嗟に手が出た。どうか許されよ」


 アストラの瞳をまっすぐに捉え謝罪するアシュレには、夜魔の姫の頬がみるみるうちに上気していくのが、手に取るようにわかった。


 たしかに小さな夜魔の姫君は口元を引き締め、眉根を寄せて怒りの表情を維持してはいる。

 だが、その唇が桜色に染まり、すべやかな頬に鮮やかな朱が新たに差すのは、それだけが理由ではあるまい。


 事実、アストラは戸惑っていた。


 いま自分が眼光に込める怒りは、紛うことなき本物だ。

 それなのに、まるでそれをないものであるかのごとく涼やかに受け流し、それどころか怒れる瞳の奥を覗き込むようにして、微笑を浮かべて見つめ返してくる男に対し、いったいなにをどのように対応すればいいのか、まったくもってわからなくなってしまっていた。


 憤慨とも驚愕とも、あるいは──上位夜魔としては認めたくないことだが──恐懼きょうくとも取れる感情が胃の腑からせり上がってくる。


 いや本当に恐ろしいのは、それがまるきり嫌ではないことだ。

 いまアストラの首筋を這い登ってくるゾクゾクとした感触には、抗いがたい熱があった。


 生まれて初めての感覚。

 まるで熱病に罹ってしまったかのような。


 それは戸惑いを生み、混乱に拍車をかける。


 荒れ狂う情動が肉体のそこここに、微細なサインとなって現れ出ていた。

 ぶるっぶるっ、と指先が震え闇色の瞳が眼窩の奥で小さく、しかし激しく揺れる。


 それにそれに、くるぶしあたりから脚の内側を駆け上がってくるこの感じは、なんだ?


 未知の感覚にアストラは翻弄されている。

 これはまさか、このアストラが気圧されているとでもいうのか。


 これまで二〇〇年を超える生のなかで、こんな扱いを受けたことがアストラには一度もなかった。


 アストラの父:スカルベリは、かつてその真祖としての《ちから》を認めぬ大貴族たちを相手取り、十数年に渡る闘争を繰り広げては、ついにこれを粛正したという経歴を持つ。

 

 戦いだけにとどまらず、知略・謀略そのすべてにあって圧倒的であったスカルベリの振る舞いは、彼ら古き血筋の上に胡坐あぐらをかいて増長したガイゼルロンの上級夜魔たちを瞠目させ、だれが本当の真祖なのかを否応なく認めさせるものであった。


 けれども古き血筋の夜魔たちをして真に心胆寒からしめたものは、実際に行われた闘争のありさまではなかった。


 彼らが慄き畏怖したのはむしろ後に続いた処断、つまりスカルベリが用いた類い稀なる処罰・処刑法のほうであり、古き因習に囚われぬ自由なる発想と、新鮮でありながらも極限まで高められたその美学に対してであった。


 それまでの長きに渡り、貴族たちが互いの権勢を競い合っては混迷を極めていたガイゼルロンの平定にスカルベリが妻:エストラルダを伴い乗り出したとき、上級貴族たちは己が権利の行使の名を借りた不服従と、その証明としての凶行をもって自らの意志の代弁とした。


 それは人類からの転向者であるスカルベリを自分たち夜魔の頂点、つまり真祖とは決して認めないという絶対的意志の表明であり、具体的手段としての凶行とは、市街地を舞台にした拡大解釈的な私闘権の乱用とともに、その闘争の巻き添えとなって甚大な被害を被る家畜たち=ガイゼルロン国内の人類への無差別かつ一方的な殺戮と略奪であった。


 ちなみに私闘権及び私闘法とは人類圏にもその名を残す古い種類の法であり、争いごとを当事者同士の決闘で解決するという一種の即決裁判権とその仕組みのことだ。


 古き貴族たちはガイゼルロンの国法にあるこの権利を拡大解釈的に用いて、騒乱を引き起こした。

 各家同士の争い・私闘に見せかけ、かつてのスカルベリと同じ力無き人間たちを標的とすることで、新たなる真祖の名乗りを否定したのである。


 このままオマエが真祖の座に居座るというのであれば、家畜たる人間どもはさらなる惨劇に見舞われることとなる、と言葉によらず脅したわけだ。


 ガイゼルロン領内に暮らす人間たちは、自分たちにとって必要不可欠な食料供給源であるという事実すら棚に上げ、古き貴族たちは暴虐の限りを尽くした。

 家畜が減ったのであれば人類圏から奪い取ってくればいい、とそういう驕り昂ぶりさえ見せて、文字通り血の浴槽に身を浸したのである。


 そして、それができぬのであれば、新たなる真祖とやらはとんだ腰抜けであるとさえ吹聴して回った。


 この時期、そんな上級夜魔たちの言葉を証明するかのように、スカルベリは沈黙する。

 まるで新参の若造が自分たちに怖れをなしたかのように、古き貴族たちには見えたであろう。

 彼らはその沈黙にさらに増長し、行為をエスカレートさせていく。


 各都市を舞台に繰り返される家同士の私闘は日ごとに拡大し、ついには市街戦の様相をていするまでになる。


 夜魔の騎士たちが、民草が暮らす市街地を舞台に、その戦闘能力のすべてを開放したのだ。

 国土を舞台に吹き荒れた狂乱の嵐とその被害、いかばかりか。


 夜毎繰り返される楽しみのための狩りとは異なる、無差別で無秩序な暴力の行使が、ガイゼルロン内に存在するいくつもの都市を舞台に繰り広げられた。


 これにより多くの市民が巻き添えにされ、無残で無意味な死を迎えた。

 続く略奪の応酬が国内の秩序を崩壊させ、情勢は悪化の一途を辿ったことは言うまでもない。


 だが事態はそれに止まらない。

 

 スカルベリへの当てつけのためであれば、数多くの人間を無軌道に屍人鬼グールへと貶め市中をさらなる混乱の渦へと叩き込むことさえ、古き貴族たちはためらわなかったのである。


 そこに美学と言えるものはなく、ただただ悪意だけがあった。

 古参の夜魔たちには、人間からの転成者、新参の転向者:スカルベリの《ちから》を認めるつもりなど最初からなかったのだ。


 街路はたちまち血河へと変じ、市中は血臭と臓腑の内容物の放つ悪臭の充満する阿鼻叫喚のちまたと成り果てた。

 

 そして、この瞬間ときをもって──スカルベリは迅速に行動を開始した。

 沈黙を破り、打って出た。


 後にそれらすべてがスカルベリの目論み通りであったと発覚するのであるが、後の祭りとはこういうことを言うのであろう。


 貴族たちの美学なき悪逆非道を臣民すべてのまなこにしかと焼きつけさせ、身をもって知らしめてから後、己が救い主として現れる。

 そういう筋書きの、その通りに。


 屍人鬼グールと成り果てた市民たちをひとりずつ慈悲を持って鏖殺おうさつし、実行犯たちだけでなく事件を裏で操っていた上級貴族とその首魁、さらには一族郎党までをもひとりひとり洗い出し、自ら赴いては一騎打ちないし多対一という極めて不利な戦いをものともせずこれに勝利して、スカルベリは事態を収拾したのである。


 この行いに、被支配階級である人間たちは拍手喝采して新たなる真祖を迎えた。


 市街では馬車を使うことがもっぱらで市民と道を同じくしてこなかったこれまでの貴族たちとは異なり、単身徒歩で通りを行く彼の足下に、何百人もの若者たちがその身を投げ出し「君よ、どうか我が支配者たれ」と願い出たのである。


 スカルベリは打ち倒し拘束した上級夜魔たちの肉体を掲げ、無言の内に市民たちの恭順に応えた。


 そして約束した。

 最高の処罰を見せようと。

 腐り切った古き悪逆非道の血を絞り尽くし、新たなる支配の美学で地を満たそうと。


 その言葉通り彼の類い稀なる発想と美学は、侯爵・伯爵を含む上級夜魔たち百数十名の処刑に際して、遺憾なく発揮された。


 スカルベリは、彼らをだれひとりとして殺さなかった。

 ただし降伏も、服従と引き換えの命乞いも、なにひとつ許さなかった。


 代わりに彼ら全員を生きたまま居城のタペストリに仕立て直し、玉座の間を飾ったのである。


 永劫の命をそのままにタペストリと成り果てた古き夜魔の諸侯たちは、その身を苛む苦痛と恥辱に数百年の時を超えていまもなお苦悶の声を上げ、すすり泣き続けている。


 スカルベリはその止まぬ怨嗟と嘆願・悲嘆の声とを、己が居城を彩る楽曲として、良しとしたのである。


 果断かつ残酷、そして斬新極まりない処罰:「生けるタペストリ」の刑は、それまでスカルベリに対し、諸侯たちのものほどに露骨ではなくとも内心には燻っていたであろう夜魔の騎士たちの反感を押さえ込むどころではなく── 一夜にして尊信へと変えた。


 ここに新たなる夜魔の真祖、それも人類からの転向者である男が、世界で最も古き夜魔の國の正統を受け継ぐガイゼルロンの大公として君臨を果たしたのである。


 アストラは、そんな逸話を持つ大公:スカルベリの嫡子だった。


 これまでの二〇〇年有余の生のなかで一度たりとて舌戦を挑まれることもなく、姫君としての彼女を手折ろうという気概を持つ騎士もなく、ただただ恭しく扱われ特別な存在として崇め奉られ──いやあれは煙たがられていたというのが正しい──アストラはガイゼルロンの宮廷世界を生きてきた。


 父の威光を考えればそんな扱いも当然のことだと感じながらも、どこかで鬱屈した想いを抱いたまま、昼なお暗いイフ城の居室で彼女は燻ってきたのだ。


 同時にそれは、いまのままの境遇に甘んじていては、ついに自らの真の価値を知られることも、また自らで知ることもなく、退廃と停滞のなかに埋もれてしまうのではないのかという怖れでもあった。


 与えられた血統ではなく、自らの行いによって本当の自分を評価してもらいたかった。

 その機会が欲しかった。


 一度は頓挫した人類圏への大遠征計画が再起するのを目の当たりにしたとき、思わず行動に出てしまったのはきっとそれが理由だ。


 この期を逃したら、きっとわたしは一生、壁の花で居続けるしかないと思った。

 踊り場に連れ出してくれる騎士がいないのであれば、自ら躍り出るしかないとあの日のアストラは結論したのだ。


 今日この日、彼に出逢うまでは──わたしの手を取ってくれる騎士などこの世に居はしないのだと思い込んでいた。




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