■第五九夜:愉悦に身を任せて
思い返せば、先だっての交戦でアストラが披露した太刀筋や足さばきには、達人級と言って良いものがあった。
騎士見習いやエクストラムの従士たちとでは、剣士としてとても比べ物にならない素質を見たことをアシュレも素直に認める。
特に抜き打ちに片手剣を使う技は、見事のひとことだった。
初見であれを凌ぐのは、手練の騎士でも難しい。
第一に吸血剣が生み出す血の刃と、その発展系に連なる異能の類いは通常の装甲では防げず、もちろん剣や盾で受けることもできないもので、対処法を知らなければ一方的な蹂躙が確定のものとなる。
白兵戦において盾と武器による能動的な防御を封じられる上に、装甲による防御までもを無効化されることは、それが素肌剣術にせよ甲冑戦闘にせよ、まず致命的と言っていい。
そこにあの目にも留まらぬ抜き打ちが加わるとなれば、並程度の使い手では反応することさえ難しかろう。
戦場で彼女に対峙したほとんどの相手は、なにをされたか分からぬままに深手を負わされ、絶命することになるはずだ。
単純な戦闘能力だけを比較すれば、これは聖堂騎士を凌ぐどころではない。
相当数の夜魔の眷族との実戦経験を積み、その上で手の内を知り尽くした《スピンドル能力者》つまり聖騎士クラスでなければ太刀打ちできまい、というのがアシュレが下した冷静な評価だった。
それはアストラに受け継がれた古き濃き夜魔の血と、選ばれた上級夜魔にだけ佩剣を許された特別な武具:吸血剣が生み出す脅威だ。
だが夜魔の世界がいかに血統を重んじ、その血筋に才能が比例するとは言っても、大公の血統に生まれたというだけでは、これほどの技量に到達することは決してないこともまた揺るぎなき事実だった。
完全記憶があるからといって鍛練を経ずに達人級の技術を会得するなど、たとえどのように優れた上級夜魔であっても不可能なことは、シオンから何度も聞かされてきたことだ。
膂力や記憶力、身体的な強靭さ、不死性については生まれついてのものがあったとして、技術に関してだけは単純に訓練と反復による習得以外にはあり得ない。
手順や剣の型をひと目見ただけで完全に記憶できることと、それが寸分違わぬように繰り出せるようになるまで肉体に覚え込ませることは、まるきり別のことだからだ。
もちろん夜魔の完全記憶が、そのプロセスのすべてにおいて大きな助けになってくれることは間違いないにしても、実際に剣を握り肉体を動かさねば身体はついてこない。
あの素晴らしい剣技や流れるような身のこなしは、彼女がこれまで真摯に努力を重ね、己の技に磨きをかけてきた証拠だ。
実戦に現れ出る太刀筋は、決して嘘を吐かない。
それはアストラが周囲に認められたいと空疎に願うばかりでなく、ひたむきに努力する者であったという、なによりの証であった。
「そなたも見たはずだ、我が剣舞の冴えを。たしかに奴らには効き目が甘かったようだが、それも我が手の内よ──なんだその目は! アストラにはさらなる秘技があったのだぞ!? のこのこと間合いに入ってきたあのバケモノどもが地獄を見るのは、あすこからだったというのに!」
「ああ、そうかそれはそれは……ナルホド……」
「そなた、その生返事! 聞いているのかと訊いている! 信じないと言うのであれば、この吸血剣がお飾りなどではないこと、その身でわからせてやるぞッ!」
けれどもその一方で、彼女の指揮官としての状況把握と判断力、なにより追い込まれたときの対応については大いに疑問があった。
特に初撃を無効化されたあと、家紋を振りかざし相手の萎縮を狙った一連の動きは、アシュレならずとも実戦経験者であればだれでも落第点をつけるところだ。
戦場における名誉を第一のものと標榜する騎士としては口にするのがはばかられるところであるが、それこそ一騎打ちの場面であればともかくも、戦場における無用な名乗りは首級を狙う敵将や身代金目当ての傭兵たち相手に悪目立ちするばかりで、益するものがなにもない。
どころか貴重な時間を空費して相手の包囲陣の完成に自ら加担してしまうなどと、目も当てられない失態だ。
それが眠らぬ悪夢どもなどという狂気の住人相手では、なにをかいわんやという話になる。
すくなくともあれがなければ星幽の杭錨をもらって、足を止められることだけはなかった。
あすこはプライドを含むすべてをかなぐり捨ててでも、全力で逃走しなければならない場面だった。
なんとしても逃げ延びて、反撃の方策を練る局面。
そのチャンスを彼女は自分から、みすみす放棄してしまった。
いやそもそもを言うのであれば、自らの先制攻撃が敵に通用する種類のものなのか、どうして最初に見極めなかったのか。
初手にすべてを賭ける必殺技というものは、それが通じなかったとき死ぬのは今度は自分のほうだ、という意味だ。
振り返りざまの一太刀ともなれば、なおである。
敵の正体と性情、自らの血統との相性を見極めぬまま戦端を開いてしまったのだとしたら、これはもう致命的とさえ言って良い。
あの場面、彼女は敵の性情を正確に見定め、全力逃走にすべての《ちから》を振り向けなければならなかった。
それをせず、足を止めての打ち合いを選んでしまったのは、自らが上級夜魔であるという驕りがあったからだ。
いずれも悪い意味で、夜魔の不死性がもたらす偏向が出てしまった一例だろう。
彼女が戦隊の指揮官だったなら、その判断で部隊なり軍団なりが全滅しているところだ。
だが……それをしてアストラを無能呼ばわりすることは、これもまた間違いであることをすでにアシュレは学習し終えてしていた。
実戦経験が不足していることは否めないが、アストラの先だっての立ち回りを見て「夜魔の騎士としての才覚を欠く」という評価を下すのは話が違う。
むしろアストラの一連の行動は、自らの血筋に絶対の自信を抱く高位夜魔の振る舞い、そのものだった。
血脈の優位性を誇るあまりに戦略面で、ときに戦術レベルでも過ちを犯すのは夜魔の、特に上位になればなるほどに際立つ彼らの習性だ。
そしてそれを「軍事的過ち」と見なすのは、定命の者──人類側の視点に過ぎない。
夜魔たちの言う軍才と、人類が考えるそれとには天と地ほどにも大きな開きがある。
夜魔の世界における軍事の才能とはすなわち個人的な強さ・技量そのもの、つまり個人の戦闘能力を示していると言ってしまっても過言ではない。
そもそも夜魔という種族が隊伍を組み、比較的にしても組織的に立ち回るようになったのは、スカルベリによる統治に以降それも何百年も経ってからだ。
武器と防具で身を固め、集団の力で互いの死角や欠点を補い合わなければならない人類と、たとえ素手であっても一個体が極めて強力な戦闘生物である夜魔とでは、戦闘に対する考え方もノウハウも、その蓄積の質に巨大な差があるのはあたりまえのことだった。
むしろ人間たちが弄する小賢しい策を、血統がもたらす圧倒的な能力差で食い破って見せるところに、夜魔の騎士たちは矜持と悦楽を見出している節さえある。
つい先ほどアシュレが、眠らぬ悪夢どもを相手取ってのことを判断ミスと断じたアストラの行動の数々は、まさにその典型だ。
逆説的に言えばそれは、アストラが極めて優れた夜魔の血筋であることの言い換えでもある。
最も優れた夜魔の血統である大公の娘は、その血統の素晴らしさを常に試される立場でもある。
たとえば彼女はガイゼルロンの宮廷にあって、並みいる夜魔の騎士たちから怖れられ、敬われる、最高の血筋の果てに結実した孤高の存在でなくてはならなかったはずだ。
どのような窮地も己の血統ひとつで覆す──真祖の末裔として理想の騎士を演じ続けてきた結果が、今日のあの惨禍を招いたと表現してしまっても、決して過言ではないだろう。
そして、そのあるべき理想像を、ついいましがた言葉ではなく行いによって壊してしまった男がいた。
いや正確には壊したのは眠らぬ悪夢どもなのだが……不期遭遇戦とそこからの救出劇によって、彼女がひた隠しにしてきた本性を暴いてしまった男がいたのだ。
騎士に窮地を救われ頬を染める、可憐なる姫君としての自分を彼女に自覚させてしまった男が。
なにを隠そう、アシュレ自身がそうだった。
そしてその行いがアストラのこんな態度を引き出した。
なるほどそう考えれば、この展開にもすこしは合点がいく。
だが、まあその……だからと言ってだ。
必要に迫られて威厳を取り繕うにしても、アシュレが相手では、いまさら無理がありすぎるのではあるまいか。
背伸びまでして怒って見せるアストラの姿は、やはりどう見ても愛らしい小動物が飼い主相手になけなしのプライドを振り回して、認識の訂正を求めているようにしか見えなかった。
人間であればこれは、照れ隠しにポカポカと腕を振り回しては殴りかかってくる女子の姿だ。
アストラが成功していたのは威厳の誇示ではなく、別の魅力のアピールのほうだ。
さらにこれは……自らの威厳の誇示が上手くいっていないことに、うっすらとだが気がついている節がある。
その証拠に、アストラ、半泣きになっていないか?
しかたがない。
ここで一応にしても折れてやらねば、彼女の繊細なプライドはズタズタになってしまうことだろう。
「それはなんというか──悪かったよ」
「きゃっ」
態度を改め頭を下げたアシュレに、アストラが飛び退いた。
思わず口をついた可愛らしい悲鳴をなかったかことにするように、口元に手をやるがそれは後の祭りというものだ。
慌てて威厳を取り繕うと慎ましやかな胸を精一杯、反らして見せる。
「なんだ、そなた急に!」
「アストラの言う通りだと思ったのだ」
「おっおっう、うむ。そのっ、そのとおりである。そなたの助力などなくとも、アストラはあの場面を脱することができた。できたのだぞ? つまり、そなたの拙速に過ぎる助力はいわば勇み足、余計なお世話というものだったのである。そもそもが窮地などではなかったのだからな。そなたは我が雄姿を悠然と観覧すべきであった。……よいな、あの場面での出来事はちゃんと記憶を修正しておくように」
「──仰せのままに」
どこかで見たことのあるあの特徴的な眉を怒らせ、頬を膨らませてはまたもあらぬ方角を睨みつけるアストラに、とりあえずにしてもアシュレは謝罪を入れた。
ゆっくりと目を伏せ謝意を示すフリをして、彼女が目の端に溜まった涙を密かに拭うための時間を作ってやる。
釈然としないところがなかったかと言われたらそれはまあないことはなかったが、この気高き少女の誇りをこれ以上傷つけるよりは、ないはずの非を認めるほうがずいぶんとマシに思えたのだ。
だが今回のアシュレは、命を賭けて姫君を守るヒトの騎士ではない。
ましてやこのおしゃまな夜魔の姫のお守りを命じられたわけでは、断じてない。
現世界最強の夜魔の大公:スカルベリ相手に玉座を賭けて挑もうという若き夜魔の未冠の王──それが今次作戦によって割り振られた、なにより愛する夜魔の姫:シオンが己が尊厳を賭けて用意してくれたアシュレの役割なのだ。
すくなくとも今回の人類圏の窮地を覆すまで、アシュレは新たなる夜魔の王として振る舞わねばならない。
その相手が、スカルベリの血統だというのであればなおのこと。
いったんそう決意すれば不敵な笑みが口元に浮かぶのを、不思議な感慨とともにアシュレは受け入れた。
この場でシオンの妹と邂逅するという出来過ぎな偶然さえ、おもしろいと感じている自分にすくなからぬ驚きを覚えつつも。
「どうしたそなた、さきほどからなにやらニヤニヤと」
一方のアストラといえば、謝罪を引き出したことで、心の余裕を取り戻したのか。
はたまた新参のよそ者に上下関係を思い知らせたと思い込んだのか。
アシュレが噛み殺した笑みの名残を目敏くも見出した態度には、明らかに増長の兆しが窺えた。
「おおかたアストラの魅力にいまさらながら気がついて、圧倒されておるのだろうが」
アストラのそんな小生意気な振る舞いに、どうしようもなく夜魔の男としての本能をくすぐられるのをアシュレは感じてしまっていた。
それはいますぐにもこの娘を玩んで、泣き顔にしてしまいたいという──嗜虐的な支配欲でもある。
ぐらり、と突然に湯が沸き立つように噴き上げてくる感情を、アシュレは《意志のちから》で押さえ込んだ。
まいったな、と内心で呟く。
自分はいまからこれら夜魔としての感情を、どれほどに我が物として十全に操ることができるものか。
シオンから仕込まれた夜魔の男としての振る舞いを、まさか一番最初に試す相手が彼女の妹だとは、運命というのは本当にわからないものだ。
庇護欲から一転、愉悦に吊り上がっていく口角を隠し切れず、アシュレはその感覚に身を任せることにした。
いつも燦然のソウルスピナをお読み頂きありがとうございます。
本連載は、作者の手元に更新可能な原稿がある場合、月曜日〜金曜日(公休およびGW、盆休み、年末年始を除く)に更新しております。
明日2025年1月11日〜13日は公休ということでお休みを頂きます。
連載再開は14日火曜日となります。
どうよろしく!
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でわ、次のお話で。




