表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
749/782

■第五五夜:呼ぶ声




「見たのか、あれを……」


 いまやスカルベリの声には隠しようもない苦さが滲んでいた。


「はい、母さまは間違いなくここにおわします。アストラも、このわたくしめも、遠くにですが……幾度か目にいたしました。それになんども聞きました。お姿は見えずとも……聞こえてくる……あの子守歌を────」


 切々と訴えかけるアストラに、スカルベリはかぶりを振った。


「そうではない。そなたは欺かれている。違うのだ、アストラ。あれはエストでは……そなたの母ではない。わたしの愛したエストの……あれは彼女の心ではないのだ。あれは、わたしの心が生み出した虚像。わたしの《ねがい》を反射する鏡である“庭園ガーデン”が生み出した幻にして、危険すぎる罠にほかならない」


 その言葉に衝撃を受けたのはアストラだった。

 長年、探し求め続けてきた母の姿をひとことで否定されたのだ、無理もあるまい。


「幻!? 罠!? でもここは……この風景は御身の心のありさまだと言われたのは父さまではないですか! そこになぜそのような、そのようなものが巣くっているのですか!」

「ならばこれも言ったはずだ。ここは我が心象風景の似姿だと。我が心のありさまを“庭園ガーデン”が風景に置換した、よくできてはいるが最初から作り物の世界なのだと」

「では──ではそこに現れる幻や、罠とはいったいなんなのですか!?」


 なんのためにそんなものが現れるのですかッ!?

 かろうじて片膝をついた姿勢を維持しているものの、飛びかかるような勢いで身体を伸ばし問いかけるアストラに、スカルベリは目を細め答える。


「それも言ったな。《ねがい》だと。この地を訪れる者が心の奥底に封じ込めた《ねがい》だ。てっきりわたしは……わたしだけの願望だと思い込んでいたのだが……いつからかアストラルハ、そなたの《ねがい》をも“庭園ガーデン”は汲み取っていたのやもしれん」

「わたくしの、アストラルハの《ねがい》?」

「母を求める、そなたの心だ」


 驚いたことに、スカルベリの言葉はいたわるように穏やかなものだった。

 アストラが生まれて初めて触れた、それは父からの愛であった。

 だがその言葉が優しかった分だけ、衝撃の事実が、余計に強い痛みとしてアストラには感じられてしまう。


「わたくしの《ねがい》が、アレを呼び出したとそう言われるのですか?」


 そうだ、とスカルベリは頷いた。


「父が、このスカルベリがどうしてこの地のことをそなたにさえ伝えなかったか、我が真意を理解したか」


 どうしてそなたを遠ざけたか。

 言外にそう含ませたスカルベリに、アストラは必死にかぶりを振って抵抗を示した。

 理解できない、あなたは嘘をついてらっしゃる、と。


「嘘です。そうであったなら、いいえたとえそれが真実であったとて、父さまはアストラに隠しごとをなさっておられます」

「隠しごと、わたしが、そなたに」

「なぜなら、もしそうであるのなら、どうして父さまはここにおわしますの? なぜそのような偽りの世界に身をおかれますのッ?」

「それは、」

「それは父さまがまだ諦めてらっしゃらないからです。ここに母さまのお心がまだあると、どこかを彷徨っていらっしゃると信じていらっしゃるからでしょう? だからだからっ」


 いつのまにかアストラの頬からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。

 それはガイゼルロン宮廷ではついぞ見せたことのない、彼女の真情であった。


 そしてそれを見つめるスカルベリの面顔おもてかんばせに浮かぶ、親愛の情もまた。


 だがそれも秋の陽が陰るように瞬く間に消え失せる。

 拒絶の帳が、スカルベリの心に下りる。


「アストラ」

「はい、父さま」

「これ以上、わたしに甘えるのは止せ。宮廷人として言葉を正すがよい。もう二度と、わたしのことを父と呼ぶな。そなたはもう子供ではない」

「それはッ──はいっ、はい陛下」

「ならばもうよい。大義であった。下がるがよい」


 言い捨てる。

 興味を失ったかのように、アストラの存在からスカルベリは眼を逸らした。

 アストラは這いつくばり、その足下に身を投げ出すようにして訴えかけた。


「おまちくださいッ! まだわたくしめの話が、」

「もうよい、と言った。それとだ。今後、この場所への立ち入りは一切禁ずる。理由は問うな。王命である」

「どうか、おまちください! お話を、お話しをさせてください!」

「退出せよ。二度とこの地を訪れること能わぬ」


 父王の豹変に狼狽してアストラは震えた。


 先ほど一瞬、ほんの一瞬だが自分の上に投げ掛けてくれた優しい瞳と言葉とが、逆に寒さを凍えるほどのものに強めて感じさせた。


 今日この日までの宮廷におけるふたりの関係は、ひとことで言えば冷めていた。


 それも無理からぬことだと、アストラ自身諦めて生きてきたところがある。


 アストラは愛によって生まれた娘ではない。

 父:スカルベリをして「夜魔の血筋の最高のもの」と絶賛された姉:シオンザフィルが狂気に駆られたのか、謀反を起こし人類圏に走った後、母:エストラルダの無事を世間に知らしめるために儲けられた代わりの子だった。


 もちろんスカルベリ本人からそんなことを言われたことはない。

 けれども国政に閲見にと忙しい真祖は、アストラを省みるということをしなかった。

 

 そのせいだろうか。

 人類の乳母と家庭教師たちによって育てられたアストラは、ただ父の目に留まるためだけに並々ならぬ研鑽を、あらゆる分野において怠らぬ娘になっていた。


 夜魔の能力の大半は受け継いだ血筋によって、生まれ落ちた瞬間にほとんど決しているといっても過言ではない。


 その意味ではアストラはすでに第一級の血統を誇る存在として、この世に生を受けた。


 けれどもそれなのに、父からの口から「あの言葉」がもたらされることはなかった。

 そう「夜魔の血筋の最高のもの」という、あの賛辞だ。

 

 その証拠に、と言うべきことではないのかもしれないが、真なる夜魔を象徴する漆黒の瞳と同じくぬばたまの黒髪を、アストラは引き継げていない。


 血の継承にあってときおり起きることだと父は言ったが、アストラにとってそれは落第の烙印だった。


 なによりそれを際立たせたのが、姉にして“叛逆のいばら姫”の名で知られるシオンザフィルの存在だった。


 紫色に底光りする漆黒の瞳と闇夜色の黒髪、そして青きバラのように香るという夜魔の純血の最高傑作。


 それをしてスカルベリは讚えたのだ。


 それに比べて──わたしの血は……温めたミルクにラベンダーの蜂蜜を加えたような……下品ではないけれど夜魔の大公の娘としては恥ずかしくなるような、甘ったれた匂いがすると自分でもアストラは思う。

 なにもかもが未熟で、子供じみて、背丈も胸乳さえ思うように伸びてはくれない。


 悔しくて悔しくて堪らなかった。

 なぜ国家を臣民をなにより父からの全幅の信頼を裏切り、人類の下へと走ったあの女だけが、父からその称賛を受けるほどの美を許されたのか。

 

 あの女が忌まわしき邪剣:ローズ・アブソリュートを手に夜魔の騎士たちを次々と蹴散らし、刺客を返り討ちにしたという報がもたらされるたび、宮廷内は異様な興奮に包まれ会議場ではだれも彼もがシオンザフィルの名を連呼した。


 もちろんそれは許せざる仇敵としてのものだが、その手強さ悪辣さそしてそうであるがゆえに美しい“叛逆のいばら姫”の名を語る男たちの口調には、どこか誇らしさが宿っているのをアストラは聞き逃さなかった。


 そのうち見覚えた数名に決闘をふっかけては実力を示し、近衛騎士団の長へと昇進したものの──アストラの気は晴れなかった。

 

 だれもがアストラを、いいやスカルベリの血筋を怖れ、本気では相手をしてくれていないことが明白だったからだ。


 そもそもスカルベリはそれまで近衛兵団を置いたことがない。

 置く必要がないほどに、彼は強大な夜魔だったからだ。


 だから近衛兵、その隊長という肩書きは、逆説的にアストラのために設けられたものと言っても過言ではなかった。


 見目麗しい夜魔の貴族の子息子女を集められて結成されたこの兵種は、どちらかと言えば式典を彩る華としての役割に重きが置かれていた。


 人類圏への騎行を命じられることもなく、かといってほかの夜魔の騎士たちからの交際を賭けた決闘を申し込まれるわけでなく、アストラはお飾りの華としてこれまでの生の大半を費やしてきた。


 ただひとつ、“庭園ガーデン”における母の心の探索者としての生き方だけを心の支えにして。


 だがそれも今日、たったいま終わりを告げた。

 父王:スカルベリは自らの心から出て行くように、アストラに命じたのだ。

 なぜどうして母の心が失われたのか、その真実さえ教えてもらえぬままに。


 もう自分は用済みなのか。

 代わりの子は、やはり代わりの子でしかないのか。


 いいや、とアストラはそんな諦念を無理やり引き剥がした。

 膝と両手に突き立つれきの痛みを無視して四つん這いになり、父王に言い募った。


「お願いが、お願いがございます! 奏上したき儀がございますッ! このことを陛下に直訴するべく、アストラは今日ここまで参ったのです!」


 どうしてもそこを動かぬつもりならば、とばかりに実力でアストラを退けようとしたスカルベリの手が、その叫びに止まった。


「奏上すべきこと」

「いかにも。このアストラルハの命を賭けて、偉大なるスカルベリ陛下に、申し上げたきことがございますッ!」

「……そのために、今日、ここを訪ったとそなたは言うのか」


 一瞬、思案する光が細められたスカルベリの瞳を過った。


「ご明察でございますれば。どうか、どうか最後までアストラの言葉をお聞きくださいますよう、伏してお願い申し上げます!」


 額を地面になすりつける勢いでまくし立てるアストラに、ふむん、と夜魔の大公は溜め息をついた。

 言ってみよ、と続けて訪れた沈黙が言外に促す。


「特務を、どうかこのアストラルハめに特務をお命じになられてください」

「特務」


 それはどのような。

 沈黙に問いかけを代えて、スカルベリは訊く。


「率直に申し上げて、人類圏への名誉ある降伏勧告のための特使としての命にございます!」


 アストラの決死の申し出に、夜魔の大公は小さく息をついて見せただけだった。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
久しぶりに読み進めた。アストラ愛されてるように見えるけど。愛されてるといいな。でも多分悲しい出生の秘密とかあるんだろうな。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ