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■第五二夜:我名乗る夜魔の王



         ※




「くっ、なんなんだコイツらは──わたしの紅血刃ブラッドブレイドが効かないだとッ?!」


 少女が繰り出した深紅の斬撃は、狙い過たず眠らない悪夢どもを直撃し、致命の一打を与えた──はずだった。


 けれどもいま現在、動かしがたい事実として、眠らない悪夢どもは無傷のまま平然とそこに居座り続けている。


 己の血液を刀身に変える必殺の一閃は、悪夢たちになにほどのダメージも与えられないまま、まるで乾き切った砂地に水が吸い込まれるようにして霧散してしまったのだ。


「イマ、ナニカシタカ?」


 あり得ない角度に首を捩じり、デスマスクが問いかけてきた。

 虚ろな笑みがそこには張り付いている。


 これまでの二〇〇有余年に渡る生のなかで、ついぞ覚えたとのない種類の感情が、胃の腑からせり上がってくるのをアストラは感じた。


 血の気を失い蒼白になっていく少女の顔色とは裏腹に、悪夢どもはいましがた吸収した刃を玩味しては、全身を明滅させて上機嫌をアピールする。


「コレハコレハ、ショジョノチ。ウマイウマイ──ウマイヨオ」

「ノイチゴミタイナ、アジガ、スルヨウ」


 美味に身震いするように、眠らない悪夢たちはぐるり、と裏返って見せた。


 変形へんぎょうと明滅を繰り返す不定形の肉体には、無数のデスマスクが浮かび上がり、また潜り込む。

 同じく突き出された幾本もの腕には、アストラも見知った記章インシグニアたちが、おぞましき本性を露にしたまま握られている。


「まさか刃となった我が血を吸収したのかッ?!」


 発作的に込み上げてくる悲鳴を噛み殺し、夜魔の娘:アストラは構えを新たにした。


 ここで弱みを見せたらおしまいだ。

 手に手に携える記章インシグニアから、どうやらこやつらが夜魔の血筋に連なるなにがしか・・・・・であり、それも決してまともな生物ではないと憶測が及んだ。


 ないにせよ包囲を完全なものとされる前にこの囲いを破らなければ、待っているのは凄惨な結末で確定してしまう。


 それを承知したからこそ、振り返りざまの一閃に最上の技を乗せたのだ。

 紅血刃ブラッドブレイドは、たとえ夜魔の血族でも無視できない数少ない技だった。


 だが意を決して放った必殺の一撃は、たったいま無残にも無効化、いや吸収されて破られた。 


 紅血刃ブラッドブレイドは夜魔だけが体得・御すことのできる異能で、同じく魔性の武具=使用者の血肉を啜るいわゆる吸血剣ブラッドソードとの組み合わせが可能とする上位技のひとつだった。


 つばや握りといった、いわゆるヒルト部分を介して体内に潜り込んだ器官から使用者の血肉を啜り喰らう吸血剣ブラッドソードたちは、その代償に多大なる恩恵を主に与える。 


 たとえばいまアストラが用いた紅血刃ブラッドブレイドは、その代表格だ。


 刀身がまとう深紅の輝きは剣の主である夜魔の血液そのものであり、その血潮でできた刃は自動的に敵を求めては鞭のようにしなって、これを追い詰める。

 液体である刃は自在にその姿を変え、装甲の継ぎ目を的確に突く。


 そしてひとたび手傷を負わせれば、そこから潜り込んだ血の刃は犠牲者を蝕んでいく。


 相手が夜魔であればその部位の主導権を争っては行動を乱し、もしそれ以外の生命体であれば、傷口から侵入した血液は周囲の組織を異化させながら血管を遡り、敵の血肉を貪り喰らう必殺の刃となる。

 

 持続時間は侵入した血液量にもよるが、数秒から長ければ数時間に及ぶ。


 生命維持に必要な器官やその至近にこの一撃を受ければ、人類ではまず命を取り留めることはできないし、たとえ夜魔やそれに類する不死者であっても多大なる消耗を強いられる。


 命に別状がなくとも、肺腑を食い破られれば血潮に溺れるのは、ヒトも夜魔も変わらない。

 仮に直撃を受けたのが心の臓であれば、致命傷となる可能性もなくはない。

 全身に再建のために送り込む血液、その循環を司る器官を継続的に破壊され続けるのは、いかに夜魔といえど危険だしその間の苦痛を無視することもできない。

 人間にたとえれば、心臓マヒの発作に襲われるようなものだ。


 人類の操る光刃系のように派手な閃光や衝撃波、物理的破壊を伴ったりはしないが、確実に相手を死に至らしめるという点で、その威力は決して見劣りするものではない。


 音もなく静かに確実に相手を仕留め得る、まさに夜の剣技であった。


 また不死者である夜魔が、人類の生み出す聖別武器以外で同族に致命傷を与え得るという意味でも、吸血剣ブラッドソードたちはほかに類を見ない特性を備えていると言ってよかった。

 

 事実、これら吸血剣ブラッドソードは各家の家宝であることが多く、高位夜魔たちは所有物(つまり愛玩奴隷や獲物としての人類あるいは恋人や妻)を巡る決闘や、今回のような大侵攻には必ずと言ってよいほどこれを携え、戦場へ赴いた。


 一例を挙げるならば夜魔の姫:シオンとアシュレがファルーシュ海の東の果て、カテル病院騎士団の本拠:カテル島で刃を交えた伯爵家の子息であり、爵位としては子爵を拝するヴァイデルナッハ・ゲデア・ハイネヴェイルの履いていた魔刃:ヴァララールが挙げられる。


 主人である夜魔の血肉を啜り、これを凶刃・魔弾と変じるヴァララールは、最終的には夜魔の騎士:ヴァイデルナッハと文字通り一体となり、アシュレたちを苦しめた。


 大ぶりなサーベルを思わせて分厚い切っ先を持ちいかにも実戦的な造りであったヴァララールと異なり、葡萄の蔓と高山植物の花を模して作られた護拳を持つアストラのそれは淑女の武装として極めて洗練された姿を持つ片手剣ではあったが、その獰猛さにおいて同列と考えるべきものであった。


 細部での魔刃とはいささか異なるものの、これが固有の特質を秘める吸血剣ブラッドソードであることに変わりはない。

 そして、その武具を通して放たれた一撃は、紛れもなく必殺のものだった。


 ただアストラは知らなかっただけだ。


 いま目の前を漂う眠らない悪夢どもはたとえ知能に劣るように見えていても、かつてはその一体一体が、アストラをはるかに超える高位夜魔たちであったことを。


 なにより、その長き永遠生の果てに正気を失い、すでになかば夢幻の側に堕ちた狂気の住人たちにとって、アストラが見舞った血液による攻撃は、訪れる者とてないこの都市の暗闇に長く潜み渇き切り干からびたその心身にわざわざ甘い蜜を足らしてやるようなものであったということを。


 それは端的に言えば、逆効果であったということだ。


「我をだれと心得るかッ! ガイゼルロンは大公:スカルベリが息女:アストラルハ・フィニス・ベリオーニであるぞッ!」


 高位夜魔として生まれたアストラには、これまでこのような局面に陥ることなどなかったのだろう。

 恐怖に上ずりそうになる声を必死に堪え、見得を切った。

 吸血剣ブラッドソードの護拳にあしらわれた家紋を掲げて見せる


 それは己が出自、ガイゼルロン大公家の紋章。

 物理的な攻撃に効果が見込めないと見て取っての、咄嗟とっさの判断だった。


 アストラが掲げる片手剣にあしらわれた紋章──高山植物の一種であるあの青く可憐な夢見るような花は、イシュガル山系とその周辺地域では「悪魔の爪」と怖れられる。

 それを意匠として図案化されたあの印は、ガイゼルロン公国の、それも伯爵家以上にだけ家門の象徴として配することを許された特別な紋章だった。


 アストラが属する大公家のものは、その「悪魔の爪」に、スカルベリの直系を示す二重螺旋を描く蔓が深紅に染め上げられ組み合わされている。


 その家紋を頂く吸血剣ブラッドソードとなれば、それは彼女が古く濃き血統に連なる者だと証立てるに十分な品。


 彼女は自らの名乗りに偽りなく、たしかにスカルベリの血筋であったのだ。


 そして大公の血筋、その息女であるというアストラの名乗りは、ガイゼルロン公国内であれば絶大なる効果が望めた。

 いや、たとえ国外であっても夜魔のなかに大公:スカルベリを知らぬ者はいない。


 すくなくとも夜魔の血筋に連なる者であれば、この時点で畏怖に打たれ膝をついて平伏したはずだ。


 これは悪夢どもが携える記章インシグニアから、奴らが夜魔の血に連なる者だと見て取っての行動だった。


 人類圏以上に血統と格式を重んじる夜魔の社会において、それは決して間違った対応ではない。


 ガイゼルロン直系の家紋を携えた相手に対する狼藉は、大公:スカルベリへのそれと同義なのだから。


 ただそれは相手がまだ正気と権威の通じる相手であり、ここが法治の及ぶ場所であった場合の話だ。


 眼前に佇む四体──四群と言うべき者どもは目まぐるしく体組織を変化させながらも、その表面に現れるデスマスクを使って互いに顔を見合わせた。

 安っぽい喜劇のように、厚みのない仕草でしきりに、過剰に首を傾げて見せる。


 それから、一斉にアストラに向き直ると、けたたましく笑いはじめた。


 ──キャハハハ、キャハハハ。

 ──オモシロイオモシロイ。

 ──コイツ、タイコウノムスメ。

 ──ソレナノニ、マイゴ!

 ──シカモ、ヨワイ!


「なにいッ?!」


 あからさまな侮辱に気色ばんでアストラは一歩踏み出した。

 叩きつけるような重圧が物理的な現象に変換され、ときならぬつむじ風となって悪夢どもを打つ。


 上位夜魔がまとう特有の重圧。

 アシュレもかつて法王庁の一角で、シオンから同じくそれをぶつけられた経験がある。


 だが狂人が描いた壁画を思わせて宙を漂う悪夢たちは、意に介した様子もない。


 ──キカナイ、キカナイ!

 ──スゴンダ! ガンバッタ! 

 ──ナノニ、イミナイ!

 ──カワイイ、カワイイ! 


 ──ツカマエロ!


 ずるり、と伸びた腕が一斉に手にした記章インシグニアをかざして打ち鳴らした。


「ああ、あああっ」


 にじり寄る悪夢とその手に握られた記章インシグニアに気圧され、蒼白になったアストラが後退る。


 きゃつらの毒牙にかかり、所有物に貶められる自分の姿が、鮮やか過ぎる夢想となって脳裏を襲った。

 記章インシグニアがなんのための品で、どのように用いられるものなのか、大公家の娘が知らぬはずがなかった。


 気圧されるまま後方へ、影渡りシャドウステップで距離を取ろうとして──失敗する。


「くあっ。これはッ?!」


 じゃらり、と足下で鎖が鳴った。


 ──ツカマエタ、ツカマエタ!

 ──ニゲラレナイ、カワイイ!

 ──マルハダカニスル、カワイイ!

 ──ムシリトレ! ムシリトレ!


「そんな馬鹿なッ」


 血の気を失った顔で、アストラは己の影を注視した。

 そこに突き立てられているのは、異能によって生み出された杭とそこに繋がる縛鎖であった。


 星幽の杭錨アストラル・アンカー


 次元間移動や物質透過などの、異質な移動手段を封じる《ちから》でできた錨と対になる縛鎖だ。

 いまアストラが使おうとした影渡りシャドウステップは、この異能で封じられてしまう次元跳躍型移動手段のひとつだった。


 悪夢どもは記章インシグニアを見せ技に使い、死角から星幽の杭錨アストラル・アンカーを投じてアストラの退路を封じたのだ。

 狡猾を通り越し、獲物に対する異常な執着がそこから感じ取れた。


「くっ。こんなものッ。我が《カウンター・スピン》で打ち消してやる!」


 一瞬の動転を意志の力でねじ伏せ、アストラは己の足の影にまとわりつく星幽の杭錨アストラル・アンカーを解除しにかかる。

 だが、そのときすでに悪夢たちは、彼女を押し包むように迫っていた。


 ──ダイジョウブ、ヤサシクヤサシク、スル。

 ──ジックリジカンヲカケテ、タノシム。

 ──コワレナイヨウニ、ダイジニスル。

 ──イッパイ、アマガミ、シテアゲル。

 ──スミズミマデ、ネブリナブル。


「ひっ」


 先ほどまでなんとか押さえ込んでいた悲鳴が、名状しがたき感情とともに突き上げてきた。


 座り込むことさえできず硬直してしまったアストラの表情を楽しむように、必要以上に時間をかけて、悪夢たちは這いよった。

 軟体生物を思わせて滴り落ちる体液は霊障物質エクトプラズムだが、悪夢たちのそれは激しく情交を躱した男女の体臭にそっくりの、理性を狂わせる匂いがある。


 ハッハッハッ、と浅く速くなる一方の呼吸と胸郭を打ち破って飛び出してしまいそうな心臓を胸乳の上から押さえつけつつも、アストラは生まれて初めて恐慌に陥りかけていた。

 怖過ぎて、目を閉じることさえできない。


 これが恐怖だと、そう言うのか。

 完全なる不死者であるはずの自分が脅えている、だと。


 無様にも泣き喚かずにいられたのは、ひとえに己が血筋への誇りゆえだ。

 けれどもそれが風前の灯火であろうことも、聡明な彼女はすでに理解していた。


 攻撃は通じず、退路は断たれ、いまから自分は犯される。


 肉体だけではない。

 その心のすべてまでも。


 そしてその通りになったであろう。

 彼女が想像した通り、アストラの肉体と心はじっくりと時間をかけて徹底的に無慈悲に暴かれ、詳らかにされては貶められ、やがて悪夢と溶け合う運命にあったであろう。


 そう── 一陣の風のごとく、その男が悪夢と自分との間に立ち塞がらなかったら。


 あまやかな薫りを孕んだ漆黒の帳が視線を遮ってくれなければ、悪夢どもに触れられるより疾く自分は狂ってしまっていたかもしれない。


「どうなるものかと様子を見ていたが、ガイゼルロンとスカルベリ……その名を口にされては出てこぬわけにはいかんだろうな」


 そうだろうアストラルハ、アストラルハ・フィニス・ベリオーニ。


「それともこう呼ぶべきか、ガイゼルロン公国大公:スカルベリの息女殿下?」


 次の瞬間、ばさり、と漆黒の外套が翻り自分を包み込むのをアストラは感じた。

 それからこれまで嗅いだことのない血の──極めて甘美で高貴な同族の血の薫りを嗅いだ。


 たったそれだけで恐慌に陥りかけていた心身が平静を取り戻し、金縛りのごとき強張りが解ける。


「あなた、は? いやっ、き、貴君はだれだっ?!」

 

 問われた男は視線を一瞬だけアストラに送ると、眼前の悪夢どもをまっすぐ見据えてはめつけ、それから名乗った。


オレの名はアシュレ。アシュレダウ・バラージェ・エクセリオス──やがてオマエたちを統べることとなる新たなる夜魔の王だ」


 ──ナンダコイツ?!

 ──ドコカラキタ?!

 ──ジャマヲスル、ヨクナイ!

 ──ソコヲドケ! ソコヲドケ!


 アシュレの名乗りに悪夢どもはいきり立った。


 無理もあるまい。

 さんざんつけ回し追いつめた高貴の血筋を、手応えたっぷりに引きむしろうとした途端、卒然そつぜんとして横合いから現れた男が、待望の戦利品トロフィーをかっさらったのだ。


 どれほど狂っていたとしても、たとえすでに正気などこれっぽっちも残っていなかったとしても、いやだからこそ獲物の強奪を許せはしない。

 それだけは狩猟生物としての夜魔の本能であり、ある意味でこの悪夢どもを統御している規矩ルールそのものでもあったのだ。


 だからそれに従って邪魔者は徹底的に排除する。

 

 無数の腕がまさしく悪夢のごとくに伸び、アシュレのまとう外套を掴んでは、この無礼者を身ぐるみ剥いで地に這わすべく伸ばされる。

 

 ──刹那。


 ごうおう、と外套の内側から抗いがたい速度で颶風ぐふうが吹き荒れた。

 しかもそれは胸のすくような青きバラの薫りを運んでくる。


 狂気の住人たちが、乱れ飛ぶ花弁を幻視して後退る。


 果たして次の瞬間、新たなる夜魔の王を名乗った男が掲げていたのは、輝くばかりに美しいこの世のものとは思えぬオブシェであった。








さてここまで燦然のソウルスピナをお読みくださり、ありがとうございます。

このコンテンツは、作者の手元に更新可能な原稿がある限り、土日祝他の我が家の休日を除いた平日に更新しております。


ので明日、明後日はお休みを頂きます。


で、ちょっとだんだんと残りの更新可能領域が少なくなって参りました。

今夜のところで一時停止するか、来週末まで頑張るか、なかなか微妙なところです。


とりあえずにしても、それなりに切りの良い、引きの強いところまで更新しましたので、ちょっと今夜分は長いです。


加えて、ちょっと疲れ気味であることもあり……ゆっくりと晩餐を楽しみたいので、本日は早めに更新させてもらいました。


もしかするとここでしばらく一時停止かもしれませんので、その間にいいねとか感想とか応援とかしておくと、画面の向こうでオッサンが腹筋を頑張ってくれるかもしれません。

レッツ評価!


でわ、なるべく近い内にお会いできることをお祈りして(腹筋をキメながら)。

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