■第四八夜:刃の下に心を隠して(2)
「オマエを晒せ、とはどういう意味か、シオン」
「は、はいっ、それは──」
疾くつまびらかにせよ、と酷薄に告げながら、アシュレは手荒くシオンの裸身を抱き寄せた。
小さく夜魔の姫がうめく。
荒々しい抱擁に、がくがくと全身が震える。
割り入れられた主の指先が、記章に触れたからだ。
いまや“叛逆のいばら姫”の瞳は、分厚く刺繍の為された遮眼帯に覆われている。
刺繍はヒョウモンダコを思わせる奇怪な悪虫がモチーフだが、紋様に見えるパターンは柄ではなく、すべて実際の眼球として機能する。
むろんこれもまた記章のひとつ。
尋問対象の視覚を奪うことは対象に周囲の状況を悟らせないだけでなく、疑心暗鬼を増大させ精神的に追いつめる手管として人類圏の聖騎士たちも多用する、初歩的かつ効果的な手法としてよく知られた技術である。
しかし夜魔の貴族たちが用いるこの遮眼帯は、その洗練度合いにおいて、聖騎士たちの用いる手段の数段上を行くものであった。
これは対象の能動的な視覚情報獲得を封じるだけでなく、全身に埋められた記章たちと連動し、責め苛まされ堕ちて行く自身の姿を眼の裏に投影させて客観視させる機能を有していた。
視覚を奪うのではなく、強制的に自らの姿を見せつけるための道具。
遮眼帯の表面に施された刺繍の眼球たちが、その役割を果たす。
さらにはその客観的視点には、悪意ある偏向が施される。
すなわち妄想の未来視。
おぞましき想像・夢想の映像化。
つまりいまシオンは堕とされゆく数秒後の自分の姿を、記章たちの手によって欲望に歪んだ視点から、先んじて強制的に視聴し続けることを強いられているのだ。
欲望の生贄としての自分がいま、そしてこれから、どうやって玩ばれ、どのような種類の屈辱によって踏み躙られてしまうのか。
そういう怖気の来るような情景が、悪意に満ちた想像力をたっぷりとまぶされ、圧倒的なリアリティを添加されて脳裏へと流し込まれる。
先んじてもたらされる屈辱の未来予想図が、その箇所をより鋭敏にさせてしまう。
まぶたの裏側に投影される悪夢からは、どれほど頑なに目を閉じても逃れることはできない。
この遮眼帯は犠牲者が最も触れられたくない箇所、羞恥心と嫌悪感と罪の意識を一番感じる場所を相手の意識から読み取り、他の記章たちへと伝達し、想像を現実のもの足らしめる。
そしてそんな恐ろしい予感に震えつつも、シオンは答えなくてはならない。
答えよ、と耳元で主が囁くからだ。
「答えよ、シオン。オマエの晒し方とはどのようなものであるのかを」
「こ、言葉通りわたし、わたしを奴らの眼前に掲げ、全身に埋めて頂いた記章を露にして、その上で屈服を新たにさせてください。できる限り残忍に、躊躇なく、徹底的に陵辱の限りを尽くして。ご主人さまの技法と獲物であるわたしの反応、流される血潮と涙と屈辱の質で夜魔は、そして眠らぬ悪夢どもは相手の《ちから》のほどを知り判断するから、です」
「ふむん」
夜魔の姫からの解答にアシュレは小さく鼻を鳴らした。
びくり、と純白の裸身に走る戦慄きにも似た脅えを見逃さない。
声音に滲む恥じらいを嗅いだ。
「まだ躊躇があるようだな、シオン」
オマエからはふしだらな隠しごとの匂いがする。
アシュレは静かに、有無を言わせぬ調子で問い詰める。
鷹が、ときに獲物を玩ぶように。
夜魔の姫の肌を走る緊張に、指と唇とを這わせる。
「屈服を新たにするとはどういうことか。言葉を濁すことは先に禁じたはずだ。もはやオマエには羞恥から言葉を選ぶ自由は許されていないのだぞ」
恫喝めいた物言いであるのにも関わらず、アシュレの声は驚くほどに穏やかで──その穏やかさにシオンは震え上がる。
氷のナイフで首筋を撫でられたかのように感じてしまう。
ゾクゾクゾクッ、と背筋を這い登ってくるのは、いまや恐怖だけではない。
危うい感覚から逃れるように激しく首を振る。
とっくの昔に振り切れてしまっている羞恥心の限界を踏み越えて、なんとか言葉を紡ぐ。
全身を伝い落ちる汗が真珠を思わせて散った。
「は、辱め手折って、首筋に牙を立てて誓わせ、我が物であると示してください。わたしが、ガイゼルロンの大公の娘であるわたし、シオンザフィルがご主人さまに屈するところを奴らに存分に見せつけてくだ、さい──ひいっ」
羞恥に全身を朱に染め小声で言ったシオンが、突然、身を弓なりに反らした。
その身に埋められた十を超える記章たちが、口ごもる夜魔の姫の態度を、主人がそうするよりも早く不躾と咎めたのだ。
アシュレが警告したにも関わらず、羞恥心からシオンは小声になり、修辞を用いて表現を曖昧にしてしまっていた。
たとえば「手折る」、たとえば「牙を立てて誓わせる」──これらはすべて詩的な修辞に過ぎない。
それは記章たちにとって、とても看過できるものではなかったらしい。
怒れるスズメバチたちがそうするように、シオンの肉体のそこここで記章どもが激しく身を震わせて大顎を噛み鳴らし、毒針を突き込んでは夜魔の姫を責め立てる。
なにより恐ろしいことは、その牙や針が与えるのは苦痛ではなく、屈辱的な種類の官能であり、そのことがさらに深くシオンを苛むのだ。
自分はいま本当にそのすべてをアシュレへとだけに捧げ、一本の剣となろうとしているのか。
はたまた激烈を極める道具の手管に屈しようとしているのか。
夜魔の姫にはもうわからなくなってしまっている。
背徳に彩られた甘い苦悶が、際限なく全身を責め嬲る。
記章たちは巧みに連携して、言語道断な手管で夜魔の姫を貶めていく。
片時も休まず、ふしだらな秘密を植え付けていく。
そして、その瞬間。
言葉にしてはならぬ種類の官能に翻弄され身悶えする夜魔の姫のありさまに、憤怒にも似た衝動が腹の底から沸き上がり、己を突き動かすのをアシュレは感じた。
めらり、と胸の内で暗い炎が翻るのを幻視る。
道具ごときに追いつめられるシオンが、なにより残酷さとその技巧において記章に遅れを取った己が許せなかった。
かつて氷雪に閉ざされた森の国:トラントリムで昏睡から目覚め、意識を失っていた間にシオンとユガディールの間に結ばれた密約を知ったあのときのように、煮えたぎる溶岩のごときものが胃の腑から突き上げてくる。
夜魔の姫の肉体に、己の感情をカタチとして刻むことを、次の瞬間には決めている。
ただし焦がれるような衝動は冷酷へ、怒りの言葉は冷徹な仕打ちへと変換することは忘れずに。
夜魔の暴力は粗暴さではなく、美学にまで昇華された糾弾、つまり甘美なる残酷でなければならない。
支配の技法、と夜魔の姫が表現したのは比喩ではない。
それらを至上のものとする夜の支配者、つまり夜魔たちの上に君臨する王たろうというのであれば、自らの技は洗練の極みになくてはならない。
極言すれば夜魔の作法とは、芸術の一種なのだ。
だからそれは屈辱と苦悶によって彩られた圧倒的な恐怖でありながら、逃れられぬほど甘き魔性でなければならない。
アシュレは夜魔の姫の首に嵌められた首輪と縛鎖を用いて、華奢なその肉体を引き摺り上げる。
連携する記章どもからの加虐に、悲鳴すらないシオンの裸身を世界に晒す。
彼女が、その気高さからこれ以上屈辱的な言葉を口にすることができぬというのであれば、先んじてこちらが実践に及び、これを認めさせなくてはならない。
なによりその心に絶対の忠誠を誓わせるのは、道具ではなく自分でなくてはならなかった。
そのときようやく記章たちは、新たなる王=アシュレの威光を輝かせるための道具となり、真の証明となり得るのだ。
見方を変えれば、いまシオンを責め立てる過剰とも思える記章の群れは、言うなれば人類圏の王侯貴族が、なぜ外交の場である宮殿に湯水のごとく資金を投じるのか──その真の理由に等しいものだとも言えた。
権力者の居座る宮殿は、単に贅を尽くした邸宅なのではない。
それは自らの国力と文化程度を他国に知らしめる舞台装置であった。
建築物そのものの偉容もさることながら、たとえば大きな一枚板の姿見、歪みのない総硝子造りの窓、色とりどりのステンドグラス、天井を飾るシャンデリアに巨匠の手なる肖像画・風景画、サロンに秘された裸婦画の数々、磨き抜かれた大理石の床に柱、惜しげもなく振るわれる金銀の装飾、洗練され技巧を凝らされた調度品──それらすべてを単なる貴族の放蕩・蕩尽・退廃趣味の顕れ程度に見ているようでは、その者はもうすでに外交センスにおいて絶望的であると言わざるを得ない。
そこにあつらえられた品々は、それら一切を賄える王族・貴族の財力・権力とともに、他国の使者や王侯貴族を瞠目させる国力、つまり技術力と文化程度の集約であり、物質化された国家の総力、精髄なのだ。
そして、人類の王侯貴族が自らの宮殿に注ぐ情熱を、夜魔たちは己の獲物に振り向ける。
自らを絶対強者と見なしてはばからぬ夜魔の血統にとって、いかに強大で美しい獲物を所持し、いかに徹底的な調教を持って玩具に貶めたるかということほど、己の《ちから》を示す物はない。
ゆえに廃嫡されたりとはいえ、一族の頂点に位置する公国大公の娘であるシオンが、抵抗することも許されず吊り下げられ首筋を犯される姿は、人類が壮麗なる王宮とその内に収められし秘宝の数々を目撃したときのように、衝撃的なものとなる。
なにしろ彼ら夜魔の騎士たちにとって、“叛逆のいばら姫”ことシオンザフィルは不死殺しの聖剣:ローズ・アブソリュートを遣い、同族を葬り続けてきた不倶戴天の敵なのだ。
その絶対敵、そうでありながらも夜魔の大公自らが最高と認めた夜魔の血筋を、獲物として手中に収め手折った男の姿が、いったいどのように彼らの瞳には映るのか。
想像に容易いとはこのことだ。
ガイゼルロンの騎士たちが彼女を執拗につけ狙っていたのは、なにも大公:スカルベリへの忠誠心からだけではない。
それは最高の獲物とそれを仕留めるための栄誉ある戦いであり、だれよりも優れた《ちから》の持ち主はだれなのか、その証明のための闘争であった。
もしその証を手に入れたならば、その者は比類なき羨望と嫉妬、そして畏怖の対象となったであろう。
嫡子たるシオンが逆賊として廃されたとなれば、その首級を挙げた者はスカルベリより血族に迎えられ、あるいは次なる大公として位を譲られる可能性すらあった。
ゆえにアシュレが、かくも美しくかくも危険な獲物=シオンザフィルを組み伏せ、完全なる隷下においた事実は、人間世界の首級を掲げて見せる文化にも似て強力な抑止力として働くのだ。
そう──《ちから》ある夜魔であればあるほど、即座に確信へと至る。
新たな王を名乗るこの男を軽々に扱うことはできぬ、と。
シオンを手酷く手折るさまを見せつければ見せつけるほどに、それは効果的に働く。
夜魔の騎士たちのだれも、血に刻まれた種の本能からは自由になれないからだ。
彼ら自身がその血に生きる夜魔の騎士である以上、このくびきから逃れることはできはしない。
これこそが夜魔の世界の規矩であり、夜魔の姫:シオンが、己の愛するヒトの騎士:アシュレをして、己が心身を踏み躙る苛烈なる夜魔の王足らねばならぬ、と定めた理由であった。
「なによりもまず──わたしのなかに息づく、ふしだらで恥知らずな《ねがい》を砕いてください」
さらにシオンはそう囁いた。
真っ先に征されねばならぬ夜魔の血とは、自らの内側に燻る《ねがい》であると指摘した。
具体的には暴力で自分を捩じ伏せ、自分の肌の下を流れる夜魔の血に言うことを聞かせろ、とシオンは言ったのだ。
もしこれを怠れば、自分は、シオンザフィルという女は、きっとアナタを永劫のパートナーとして欲してしまうであろうから、と。
アシュレはその求めに応じ、暴虐を我が行いとする。
夜魔の血を征するべく、己が《ちから》を振るう。




