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■第四三夜:覚悟を問うて



         ※



「これは夜魔への転成が成就して後の話だ。夜魔の大公:スカルベリを下したあとで、そなたを夜魔の王に留めおきたいという誘惑に、万が一にもわたしが負けそうになった場合を想定して、あらかじめこれらを……我が身に、我が身に仕込んでおいて欲しいのだ」


 そう言って夜魔の姫:シオンが持ち出してきた品々は、装身具というにはあまりに異形過ぎた。


 ベルベッドの海を身をくねらせながら泳ぎ、あるいは這い回る異形・奇形の生き物たち──その像。


 たしかに豪奢ごうしゃではあった。

 全体に惜しみなく純金が振るわれ、それ以上に価値のある精緻な彫刻を施されていた。

 卓越した彫金の技によって生み出された空想上の生き物たちの姿は、いまにも動き出すのではないかというリアリティに満ちあふれている。

 表皮の質感や凹凸、細やかな隆起や紋様の数々までもが、まるでそれらが実在の生物であるかのように考察され尽くし、そのファンタジーをまるで損なうことなく立体物へとつぶさに再現されている。


 だが、それらが見る者に与える印象は、宝飾品が本来備えるべき麗しき幻想とは程遠いものだ。


 それらは貴賓きひんのための品と呼ぶにはあまりに禍々しくいびつで拗くれており、ひとことで言えばよこしまであった。

 宝飾品・貴金属を擬態しているだけでその本質は人間の尊厳を踏み躙り、汚辱と恥辱とをその肉体に注ぎ込むために特化された──拷問具の類い。


 記章インシグニア、とそれら一群のことをシオンは呼んだ。


記章インシグニア

「夜魔の貴族たちが、己が手中に収めた獲物の所有権をその正当性とともに証立てるため生み出した印章の類いだ。人類が奴隷や罪人に対してとき・・に施す焼き印や刺青と似たようなものではあるが、こちらのほうがより一層、淫靡いんびであり陰惨と言えよう。なによりひと目見てそれとわかるように大ぶりにもきらきらしく、悪趣味に飾り立てられているであろう?」


 この生理的嫌悪を催させるデザインを見るがいい。


「こんなものをひとつでも捩じり込まれるところを想像してみるが言い。人類圏の刑罰が辱めという点において、いかに温情溢れた物か、嫌でもわかろうと言うものだ」


 決して指をつけようとはせず、蔑むような視線で記章インシグニアと呼ばれた品々を睨みつけて、吐き捨てるようにシオンは言った。。

 改めてアシュレは盆の上に並べられた品々と、その造形を目の当たりにしてうめくことしかできない。


 光の加減か、ベルベットの敷布の上でそのうちひとつが、ぬるりと蠢いたように見えた。


「焼き印や刺青より──」

「さらに酷いのは、これらの品々はそれぞれが独自にしかも自律して働き、自分がだれのものなののかを被害者に半永続的に分からせ続ける・・・・・・・機能を有することだ。それこそ際限なく、容赦なく、無慈悲に、な」


 人類圏の焼き印や刺青ははじめの内こそ痛みを伴えど、そのような狼藉を働いたりはせぬだろう?

 いましがたのアシュレの錯覚を知っていたかのように、シオンが解説した。


「動く? 働く? 自律して、半永続的に?」

「いわば能動的なのだ。熱心──と言い換えても良い。どうだすごいだろう」


 なぜだか諦めたように笑ってシオンはヒトの騎士を見た。

 心なしかその顔は蒼ざめ、瞳は焦点を欠いて、唇は震えているように見える。

 そのあまりの儚さに、アシュレは思わず目を逸らしてしまった。


 途端に夜魔の姫が眉を吊り上げた。

 キリキリという音が聞こえるほど露骨に眉根が寄せられ、口がヘの字に結ばれた。

 アシュレが示した曖昧な態度が逆鱗に触れたらしい。


 だがいやしかし、アシュレにはなぜいま夜魔の姫がこんなものを持ち出してきたのか、その理由が飲み込めない。


 いや……理解したくない。


 だって先ほどシオンはこう付け加えたのだ。

 記章インシグニアたちを並べ、その来歴と役割を説明するより前に。


『これらをあらかじめ我が身に仕込んでおいて欲しい』と。


 ワインレッドに染められたベルベットの海を泳ぐ、悪意ある異界の生物がごとき造形群の前に立ち、呆然と眺める見下ろすことしかアシュレにはできない。


 いまのところ記章インシグニアたちは拷問具にしか見えない上に、用途を聞く限りこれは夜魔たちが自らの獲物に対し、自分がだれの所有物なのかを教育するための道具なのだ。


 これを、ボクが、シオンに?

 いったいそれがどういう意味を持つものなのかアシュレには──想像を巡らせると血の気が移動して目の前が暗くなりそうだ。


 いやそれよりも、そんなことを実際にしでかしてしまったら、大変なことにある。


 だが、そんなヒトの騎士の葛藤など「知ったことではないわ!」とシオンは一蹴した。

 ことここに至っても理解を拒み狼狽して見せるアシュレに対し、夜魔の姫の態度は不機嫌をはるかに超えて露骨なものとなっていたのである。


「そなたここまで言っても、これらを見ても──まだわからないのかッ!」

 

 ちょっと以上に怒っていた。

 あげく、責めるような口調で詰め寄られた。

 いやさすがにちょっとまってください、とアシュレは思う。


「いやちょっとまって、シオン。さっきまではたしかボクを夜魔の王に仕立て上げるって話をしてたんだよね?」

「ああそうだ。ついさきほどまでその話をしていた。そしていまも、だ」

「いまもって……いやどこをどう押したらこうなるの? なったの? これは、記章インシグニアはなにをするためのもの?」


 シオンがこれらの使用を望んでいるところまではわかっても、それから先が本当にわからなくて問うたアシュレは、夜魔の姫の特徴的な眉が限界を超えて吊り上がり、見開かれた瞳の奥に赫怒かくどにも似た激情が渦巻くのを見た。


 その直後──予想だにできなかった事態が、アシュレと(そのとばっちりで)妹たちを見舞う。


「こんのおおおお、ドニブチンのコンコンチキめがぁああああああああああ!!」


 怒髪天を衝くとはこのことか。

 いつもは冷静沈着で知られる夜魔の姫:シオンが、これまで聞いたこともないような恐ろしい金切り声を発し、大仰に腕を振り上げたかと思うと振り降ろし、さらには檻に囚われた猛獣よろしく足早に眼前をうろつきながら、眼前の品々の来歴を説明しはじめたではないか。


 呆然と見守るしか、アシュレにはない。

 いや、できない。


 爛々と目を光らせる夜魔の姫の様子は、未熟な新兵をしごく鬼教官にそっくりだった。

 ちなみに振るわれるのは教鞭ではなく聖剣:ローズ・アブソリュートであり、教えを乞う新兵であるところのアシュレたちには、わずかな怠慢すら許されない。


 とにかくわかるのは、状況はかつてないほどにハードな局面にある、ということだけ。

 思わず飛びついてきた妹たちを必死に抱きしめてかばう。

 

 いやさらに言うと、この場面において真の意味で追いつめられているのは、アシュレたちではない。

 なかった。

 本当に追いつめられていたのは「説明する夜魔の姫の側」なのだった。


 その証拠に記章インシグニアについて語るシオンの口調は、ほとんど泣き声だった。


 よいかよく聞けッ! と激情のままに振るわれた光刃が床面を舐め、赤変させるのをアシュレは見た。


「これらの品々は所有されし者の証である。これらをその身に埋められし者は、つまりその箇所を主によって征服された者である。屈服した者であり、それゆえにその者の肉体とそこにまつわる自尊心は、すでに主である夜魔の領土であるという証明となる」


 ゆえに!


「これら記章インシグニアを埋められ領土となった者に手出しする輩に対し、主たる夜魔は正統な報復を許される。不埒者を即決裁判、つまり決闘やそのほかの戦闘行為でもって罰しても──たとえその末の殺害に至ったとしても──ガイゼルロンの法の下に正当なる理由と認められる。またそれ以前に、これら征服の証を埋められた獲物に強奪や誘惑を試みた者は、同じくガイゼルロンの国法によって裁かれる定めにある。これはたとえガイゼルロンの大公であっても例外ではない。記章インシグニアはただの装飾品ではない。正しき所有物と所有者の証なのだ!」


 であるから、と急速に口調を怪しくしながら続けた。

 さきほどまでの鬼教官ぶりはどこへやら、聖剣:ローズ・アブソリュートを投げ捨て、アシュレの下へ駆けつけると跪いた。

 

 大粒の涙が、その瞳には溜まっている。


「これを持って──どうか我が心をへし折って欲しい。我が尊厳を砕いて、そなたへの従属心を肉どころか骨にまでも刻み込んで欲しい。さもなければ、わたしはきっと恥知らずな欲望に負けてしまうであろうから。そしていざそうなる兆候を察知したなら、思い知らしせて欲しいのだ。主がだれか。そなたこそが我が主だと、わたしが完全に屈服して理解するまで。そしてそして、どうか命じてくれ、」


 そなたの人間性を回復させるように。

 頼む、と記章インシグニアを差し出されながら懇願されたアシュレは、頭頂から霊魂が抜け出るのを感じた。


 その間、数秒というところか。


 当のシオンは抜け殻と化したアシュレから妹たちに向き直ると、叫ぶように言い放った。

 続きを、またあの自分を抑制し切れない声で。


「さらに妹たちよッ! これはそなたたちのためのモノでもある。夜魔の文化は略奪と強奪、誘惑と籠絡と調教で編まれた織物だ。主なき者、躾けなき者、その証明なき者は、たとえ夜魔本人であっても奪われる。抗うだけの力量を持たねば結末は同じ。他種族の、それも見目麗しい女子であれば、一秒たりとて無事ではおれぬ。そなたらは夜魔の騎士たちにとって格好の獲物、未来の玩具に見えるのだ!」


 自分たちは貴族であり支配者。

 それ以外は搾取すべき隷下か、獲物。

 力なき者からはいかように奪っても構わない。

 たとえば奪われるべきが、その本人であっても。


「そういうふうにしか夜魔は世界を認識できない!」


 断言して、シオンは指を振り立てる。

 大きく息を吸い込むと続ける。


「さらにこれから赴く封都:ノストフェラティウムに潜む眠らない悪夢どもは、その最たる者である。狂うほどに極まった夜魔の血の体現者ども。剥き出しとなった本性のその苛烈さは、夜魔の騎士のそれを遥かに超えるものとなる!」


 だがしかし!


「そうであるがゆえに、このことわりは、いっそう強くきゃつらには働く。きゃつらにとってこれらの記章インシグニアは無視を許されぬ絶対の規矩ルール。勝手に手をつけることは許されぬ、絶対不可侵の他者の所有物の印なのだ」


 つまり、


「そなたらがあの封都:ノストフェラティウムを無事に潜り抜け、夜魔の國で自分自身を保ちたければ、いまここでこれらの洗礼を受けるほかない!」

「でも、ねえ記章インシグニアって言うけど……これってどう見ても……」


 まくし立てるシオンの隙を突いて、訊いたのはスノウだった。

 蒼白になって、震えながら。


 さきほどから言うように、記章インシグニアとシオンが呼んだ品々はどう見ても宝飾品に擬態した拷問具であり、トレイに並べられたものすべてが、ヒトの尊厳を貶めるために特化された形質を持っていた。

 その洗礼を受ける、とは?


「こん……こんなものをどうやって……まさか」

「使い方か? それはそなたの想像の通り、先ほどからわたしが説明しているとおりだ。そのまさかである!」


 成人したばかりの娘にとっては、問うにしたってそれが限界だったのだろう。

 自分の口からはとても具体的な使用法を訊くことなどできず、唇を戦慄わななかせるばかりのスノウに対し、決然とシオンは答えた。

 まるでそれが姉としての責務だとでも言うように。


「これらは埋められる。主たる夜魔の所有物である証として、その玩具と成り果てた者に突き込まれて!」


 肉体のそこここに、と示す。

 己の臍や耳や、下腹を無意識にも指で触れて。


「どれもがいびつねじくれ簡単に取り外せぬ姿をしているのは、これが証ゆえ。簡単に取り外されてはならぬがゆえ。事実、ひとたび肉に潜り込んだこれら記章インシグニアの数々は、主の許しなく取り外すことは叶わぬものとなる。肉に食い込み一部は癒着して、そなたたちの一部となる。そして屈服と服従と忠誠を日々新たにさせるのだ!」


 非難の声すら妹たちからはなかった。


 すでに想像を絶する夜魔世界の因習・慣習が、それを語る夜魔の姫の言葉が、彼女たちを圧倒していた。

 それらは思慕や恋慕といった想いが喚起する甘やかな感慨とは別種の、もっとずっと残酷な──言うなれば隷属の法に属する感覚だ。


 容赦なくシオンは説明を続ける。


 いまやその瞳には狂熱のごとき脅えが宿り、声色には狂信めいたはやさがある。

 言うまでもなく、いま自分が語る苛烈な仕置きの数々は、この直後、ほかでもない己に振るわれる所業のことなのだ。


 シオンの小さな胸郭が、自分で語る恐るべき仕打ちの数々に、爆ぜそうなほど上下するのが見えるのは錯覚ではない。

 荒く逸る息を整える術すらないままに、それでも言葉を絞り出す。


「これらの蹂躙を受けた者は、もはや決して光の道を歩むことはできまい。ひとことで言えば堕ちる。穢される。真騎士の乙女であれば、もはやそなたらは乙女ではいられなくなる。尊厳などというものから最も縁遠き、欲望の玩具と成り果てる」


 その説明が与える恐怖からか、あるいはシオンのおこりにも似た昂ぶりが伝染したか。


 ぶるぶると震える妹たちの瞳を、夜魔の姫は確かめるように覗き込んだ。






さて、今週分の更新を開始させてもらいます。


ただ、ちょっと今夜はわたくし、おひとりさまご飯でして、のんびりというか優雅に過ごそうかと考えておりましてw


私事ではございますが、先週末に引き続き、このようなお時間に更新させて頂きます!


あ、金曜日からこっちたくさんのいいねを頂きまして本当にありがとうございます!

おかげで眉毛の痙攣が止まりません!


お気に召したらお気軽にご感想などもくださいませ!

それではちょっと、鶏のセセリ肉などカツにしてまいりますわ、オホホホホ。

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