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■第四二夜:帰還の条件



「戻れる? 夜魔から?」


 思わず「まさか」という、低いうめきが漏れた。

 外野に押しやられた格好の妹たちも互いに顔を見合わせてざわつく。


 戻ることのかなわぬ道行きだとばかり思い込んで、覚悟を決めていたところへの不意打ちだった。

 そんなアシュレに、やはりどこか所在なさげに立ち、シオンが問うた。


「そなた聖騎士パラディンであったのだから、そういう話を聞いたことがあるのではないか?」


 質問に質問で返されたカタチになったアシュレは、思わず頭上に視線を投げかけた。

 夜魔の騎士の彫像と目が合う。

 たしかに思い当たるものがあった。


「たしかに、夜魔にされた人間を人類に復帰させる手だてはある、と聞いたことがある。教本でも講義でも習ったよ」


 でも実践したことはない。

 困惑を隠し切れないアシュレに、シオンがふたたび問うた。


「それは……どんな教えであった?」

「人間から夜魔への転成はいきなり起こるものではない。人間がいきなり夜魔そのものになるわけではない。それが起きるのは屍人鬼グールだけで……夜魔に同族となるべき者として見初められ吸血を受けた者は、こんどは夜魔から血を与えられる。これを夜の血と呼ぶ。その授受の繰り返しが、ヒトを夜魔へと変じさせると」


 けれど、とアシュレは続けた。


「けれど、その血を飲み下してから数日の内に親である夜魔を打ち倒し、同じ日数、吸血から遠ざけておければやがて人間の側に帰ってこれる、と。そんな内容だった。これで合っているのかな、夜魔側からの答え合わせとしては?」


 アシュレの説明に、シオンは何度も頷いた。


「おおむね正解だ。さすがエクストラム法王庁、さすが聖堂騎士団アカデミー、そして聖騎士パラディンであるな。伊達ダンテではない」

「それはどうも。でも、おおむね正解ってことは、正しくない部分もある、ってことだね?」


 ああ、それはいまから説明する。

 最後に大きく頷いて、シオンは話を引き取った。


「まず期限の日数だが、数日ではなく七日七晩というのが正しい。夜魔の血を摂取した者のなかで夜の血が目を覚ましてから丸七日のうちに、親である夜魔をこの世から滅し、血の覚醒の縛鎖を断ち切り、こんどは費やした時間と等しい間だけ犠牲者を吸血から遠ざけておくことができるのであれば──夜魔への転成は止まり、人間性は復元される」


 この説明に、ほっと息をついたのは妹たちだった。


 シオンからの提案が一方通行のものではなく、アシュレの人間性の回復を前提とした作戦なのだと知って安心したのだ。

 なぜかスノウのものにだけは複雑な感情が混じってはいたが……一応にしてもそれは安堵に類するものだったとしておこう。


 だが、そんな夜魔の姫の言葉に、ひとり眉根を寄せた者がいる。

 アシュレだ。


「シオン、その説明だとボクはいまより七日七晩の後に──いや白銀の結魂アルジェント・フラッドがそのプロセスを省略しているならもっと早く──キミを殺さなければならなくなるんじゃないのか」

「なるほどそういう解釈も成り立つか」

「だとしたら、そんなの御免だ」


 そう告げる騎士に、夜魔の姫は優しく微笑みかけた。


「そんなことにはならん」


 言い切って請け負うシオンを、アシュレはじっと見つめた。

 さきほどからシオンが見せる所在なさげな立ち振る舞いと、それにしてはハッキリと無事を断言して見せる姿がどうにもちぐはぐに思えたのだ。

 

「理由を訊いても?」

「無論だ」


 シオンはゆっくりと応じた。

 まずをもって、と腕組みしながら言う。


「まずをもってこの話は、転成していく対象が失われていく人間性を回復させるのに、どうして親である夜魔を討ち滅ぼす必要があるのか、というところから説明しなければならないであろう」


 アシュレは黙って先を促す。

 妹たちもそれに倣う。

 シオンは続けた。


「なぜ親である夜魔を滅ぼさねばならぬか。それは彼の者が夜の血に命じた転成の指示を、取り消させる必要があるからだ」

「転成の指示を取り消させる必要がある? つまり夜の血は、それを与えた親が死滅すると励起を止めるってことか。命じていた夜魔の意志が消滅するから自動的に……」


 アシュレは顎に手をやりながら唸った。


「夜魔への変貌……つまり、きみたちが転成と呼ぶ儀式のきっかけが夜の血の励起にあり、それを命じることができるのは親として血を与えた夜魔だけだというのであれば、たしかに辻褄は合っている」


 シオンはヒトの騎士の理解を認めて言った。


「しかりだ、アシュレ。ただ、それまで進行してしまった夜魔への変貌は、その後も他者からの吸血を完全に断たぬ限り収まらない。暴れ泣きわめく犠牲者を捕らえ、押さえつけ、頑丈な鎖を打っては縛りつけ、監禁せねばならぬ。夜魔から夜の血を与えられて過ごした日数を逆算してな」


 さもなければ屍人鬼グールとも夜魔ともつかぬ、出来損ないの惨めな生き物をこの世に放つことになる。


「でもそれじゃあ──」

「やはりわたしを殺さなくてはならないんじゃないか、か?」

「…………」


 顎に手を当て思案の姿勢を崩すことなく、アシュレはシオンを注視した。

 いまの説明だけでは、そうするしかないように思えたからだ。

 

 一方、夜魔の姫はそんなアシュレの様子を、愛しくてたまらぬという表情で見つめ返した。

 案ずることはない、と囁きかけて。


「案ずることはない、アシュレ。たしかにわたしは言った。夜魔になりかけている者をヒトの側に引き戻すには、親となった夜魔を滅さなければならないと」


 だがよく聞くが良い。


「それは大半の夜魔が殺しでもせぬ限り、血の呪縛を解くことはないからだ。逆に言えば親たる夜魔が七日七晩の内に犠牲者を手放す決意を固めたのであれば、これを滅する必要はない。その者が素直に従うのであれば、傷つける必要すらない」


 夜魔の姫から衝撃の真実を告げられた途端、アシュレは自分でもわかるくらい表情が明るくなるのを感じた。


「そうか、この場合の親はキミになるから、ボクを人間に戻すことにはなんの障害もない! そういうことか!」

「そうだ。しかし……それについて一抹の不安がある」

 

 疑問の氷解に口元を綻ばせたアシュレとは反対に、シオンは表情を曇らせた。


「えっ?」

「……それについては自信がない、とそう言ったのだ」


 これにはさしものアシュレも絶句した。


 シオンが自らの血に励起を命じ、夜魔へとアシュレを転じさせようとしたのであれば、その彼女が転成中止を決意するだけですべては丸く収まる。

 たとえその後、数日にしてもアシュレは束縛を受けることになるわけだが──そんなものこれまで潜り抜けてきた修羅場に比べればものの数ではない。

 これはそういう種類の話であり、だからこそ成り立つ作戦……ではないのか?


 それなのにシオンの表情は晴れないどころか、ますます曇っていくではないか。


 いったいなにがどうなっているのか、アシュレにはさっぱりわからない。

 先ほどシオンの立ち姿や振る舞いに抱いていた違和感が、胸の内で急激に膨らんでいく。

 このどうにも落ち着かない気分の正体を特定すべく、アシュレはシオンへと問いかけた。


「自信がない、というのは、いったいどういう意味なんだい?」と。


 そしてヒトの騎士から投げ掛けられた当然過ぎる問いに夜魔の姫が浮かべたのは、これまでアシュレが見たこともないような恐れの表情だった。

 狼狽と恐怖。どこか虚ろで、血の気を失って。


 絞り出すようにして、シオンは苦しい胸の内を明らかにした。


「ヒトの子に己が血を与え、覚醒を命じた夜魔は、その相手に非情な執着を抱くようになるという。その……このたとえで正しいのかどうか自信がないのだが、まるで我が子を得た人間の親のように」


 それは夜魔の本能であり、理性では押しとどめることが極めて難しい、とも。

 シオンは想像に脅え、震えていた。


「我が子のように。それが夜魔の本能」

「そうだアシュレ。それが夜魔なのだ」


 シオンの首肯は、これまでになく強張り、ぎこちないものだった。


「そなたも知っての通り、わたしは吸血で眷族を得た試しがない。いやそれを言うのであれば、腹を痛めて子を得たことさえないわけだが……。だからこれは我が父と夜魔の慣習より学んだ単なる知識でしかない。そこからの想像、憶測、推察──それゆえに恐ろしい」


 わたしはわたし自身の、自分の心がどうなるのか、わからないのだ。

 シオンが見せる脅えの意味が、このときやっとアシュレにも理解できた。


「つまり一旦、夜魔にしてしまったら、キミはボクを人間には戻したくなくなってしまうかもしれないって、そう言うのかい?」

「可能性は否定できない。それほどにそなたを想ってしまっていると、どうかそう解釈してくれ。たとえばにしても、」


 たとえばにしても、もしそなたがともに永劫の夜の底を歩んでくれる者となってくれるたならば……。

 わたしの真の血族となってくれたのだとしたなら────そう考えるだけで。


「そう考えるだけで全身がざわめき、血の巡りが猛り狂う暴れ馬のごとくになるのが、わかる」


 そう望んでしまう自分がいることが、わかるのだ。


 己の胸の内で暴れ狂う激情を押さえ込むように、胸乳を強く押さえシオンは言った。

 その口調は静かではあったが、言葉遣いには熱いものを吐き出すような苛烈さが宿っている。


 なるほどたびたび視線が床を舐めるのは、己のなかに渦巻く情念の後ろ暗さを自覚するがゆえか。


「じゃあ」


 どうすれば、と口を開きかけたアシュレを、弾かれるように上げられたシオンの深紫の瞳が捉えた。


「そのため──そのためにも、これらがいるのだ」


 そうして夜魔の姫は示した。


 自らが影の包庫シャドウ・クロークより持ち出してきた道具の数々。

 ウォールナット材より削り出された大ぶりなトレイの上、瀟洒しょうしゃなベルベット地に並べられた、見るも禍々しき異形の品々を。







妙な時間帯に更新してしまい申し訳ありません。

本日、重要な私用がありまして……具体的には我が家のヒツジことまほそマンが手ずからご飯をこさえてくれるらしく、それを堪能したいので、食ってる最終に更新している場合じゃねえということでこの時間帯になりましたw


月一あるかないかのことですので、ご容赦のほどを(そのかわり朝食はほぼ毎日ヒツジがこさえてくれておりますw)


さて、ここまで燦然のソウルスピナをお読みくださり、ありがとうございます。

このコンテンツは作者の手元に掲載可能な原稿がある場合に限り、土日祝日を除く平日に更新を予定しております。


明日明後日は定休となりますので、あしからずご了承ください。


またいいねとか感想を書いたりすると、画面の向こう側でオッサンの眉毛が「ビククッ」とか動いて面白いらしいですよ、やってみましょう。


では、引き続き燦然のソウルスピナをお楽しみください。

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