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■第四一夜:希望に惑いて



「それは……」

「そんな……」

「ありえない……」


 先ほど魔眼で睨みつけられたこともあり、またその後の開陳された作戦のあまりの内容に成り行きを見守るしかなかった妹たちが、声を上げたのはそのときだった。


 続いて怒号とも悲鳴ともつかない不満の叫びが、それぞれの口をついて迸り出る。

 具体性を欠く非難であることは、当の三人にもわかっていたはずだ。

 だが声にしなければ到底、耐えられるものではなかった。


 言葉以前のブーイングが、盛大に夜の門に満ちる。

 

 そしてそんな妹たちの大仰過ぎる騒ぎ方に、シオンの眉がビキビキビキッ、と吊り上がったのもこのときだった。


 眉間のシワがまるで渓谷のごとくに深くなる。

 夜魔の姫は、犬歯を隠そうともせず咆哮した。


「やっかましいわーッ、この小鳥どもに子コウモリめがッ! 静かにしろと言ったのがわからんのかッ! 門を潜った途端に眠らない悪夢どもに心をすすられたいのかッ?!」 


 反論を許す隙もあらばこそ、ぽかりぽかりぽかり、とシオンは三連撃を見舞った。

 それは手加減こそされてはいたものの、本物の怒りが込められたものだった。

 妹たちは三人ともが頭を抱えて唸る。


 シオンにしてみればここまで我慢に我慢を重ねてきた道程の、堪忍袋の緒がついに切れたと言ったところだ。


「また……ひどい……ですわ。頭のカタチが変わってしまいますわ……」

「痛ったあ。さっきのところにもう一回入った……コブが二段になってるう」

「こんなのシオンねえが、とんでもないこと言うのが悪いんじゃん……」

「知ったことではないわ!」


 口々に抗議と不満を漏らす妹たちを無視して、シオンはアシュレに向き直った。

 一転、罪の意識に濡れた瞳で問う。


「わたしの言っていることがわかるか、アシュレ」

「おおむねは」

 

 つまり、とアシュレは頷いた。


「つまりスカルベリに一騎打ちを挑む資格をボクは得なければならない、ときみはそう言うのだね。そしてそれはボク自身が夜魔となることでしか得られぬ、と」


 最後の「“叛逆のいばら姫”を屈服させて〜」のところだけが、よくわからないけれど。


 茶目っ気を見せてつぶやくアシュレから逃れるように、ふたたびシオンは視線を床に移した。

 深い闇色の瞳が、前髪に隠れて見えなくなる。


 そんなシオンの姿を認めて、アシュレは続けた。

 実は、とまたすこしおどけた様子で。


「そう来る可能性は考えてたんだ……実はボクもね」

「気でも違ったか、とは返さぬのだな」

「おかしかったかな?」

「なにか、ほかにも言ことがあるだろう。ほら獅子身中の虫とかなんとかの木馬とか……不忠者や間者を罵る言葉が」

「うーん、どうだろう」

「これはそなたにしてみたら、騙し討ちそのものなのだぞ? しかも味方だと信じた者からの」

「なぜそんなことをボクが言うと思うんだい? あとシオンは変わらずボクらの味方だろ? 違うの?」

「この提案がわたしの心の奥底にひた隠しにしてきた、恥ずべき欲望だとは思わないのか」

「それは……そんなことはないこともない、かもしれないけれど……」


 そうだなあ、と頭の後ろで腕を組んでアシュレは天を見上げた。

 妹たちから向けられる非難めいた視線を完全に無視して。


「それを言い出したら、ボクにだって恥ずべき欲望はある。きみに対してのね。でも、それでもボクらは人類の運命を賭して此処に立った。実際、いま立っている。そのきみが言うんだ。信じるさ。なにか違うかい?」


 恬淡てんたんとしたヒトの騎士の言葉に、夜魔の姫は深く溜め息をついてみせた。


「喚くどころか、驚きもしないのだな」

「いや驚いてはいるよ。でも……仰天の作戦なら、これまでボクらはいくども立ててきたし、潜り抜けてきたじゃないか」


 思いやりを込めてアシュレは言った。


 だがそれに関しては、嘘だった。

 たしかにこれまでも常人なら正気を疑う作戦をアシュレたちは決行してきたし、その危険極まりない作戦を紙一重のところにしても潜り抜けて、ここまで来た。


 けれども──いまシオンが口にした規模の賭けごとは、過去にはない。

 これほど大掛かりで後戻りの許されぬ作戦はない。


 戦場での突発的な判断ではあるいは近しい判断があったかもしれないが、これはそういうものではないのだ。


 作戦成功の前提条件として、アシュレはまず夜魔の王に転じなければならない。

 シオンはそう要求している。


 いずれにせよ戦争というものは命を賭け金にするものに違いないが、今回のそれは前払いで、しかもケタが違い過ぎた。


 妹たちが頑強に反対するのには、そこに原因があった。

 夜魔に転じたアシュレがそのあとどうなるのか、わからないのだ。


 あるいはこの三人に限っては、アシュレが夜魔の王となってしまったらもうどうやってもシオンには勝てない──恋のライバルとして──という想いのほうが強かったかもしれないが。


 それなのに、そんな戸惑いをおくびにも出さずアシュレは言った。


「実は──こうなる予感は、きみが封都:ノストフェラティウムの話をしたときからあったんだ」


 自分だけでなく、戦隊全員の緊張を解きほぐすように、大きく伸びをする。


 すでに心は決まっていた。

 否も応もない。

 シオンからこの作戦の概要を訊かされた段階で勝機はここにしかない、とアシュレは確信していたのだ。


 なぜ成功すると思ったのかと問われたら、ここにいる全員が仰天するほど突拍子もない計画だからだ、と答えるしかない。


 圧倒的な戦力を誇る夜魔の國相手に、真っ向からぶつかっていって勝てるわけがない。

 なんらしかの奇策は必要だったのだ。


 そもそもがアシュレとシオンの二騎だけで封都:ノストフェラティウムを潜り抜け、夜魔の國:ガイゼルロンの中枢を陥れるという計画だけでも、十分に仰天のプランではあるのだ。


 だがそれだけでは足りない、とシオンは言うのだ。

 この無茶を通し、人類圏の平和も守り抜くためには、アシュレの人間性そのものを賭け金にしなくては話にならないと言っているのだ。


 そして、そんな無茶をアシュレは面白いと感じている。

 聖騎士パラディン時代の自分では到底、思いもしなかったはずの感情の動きだ。


「あるいはトラントリムで夜魔の騎士:ユガディールとの一騎打ちを果たしに赴いたとき──宝冠:アステラスがボクを認めてくれたときから、薄々は感づいていたのかもしれないな。そう遠からず、こうなることを」


 そなた、とそんなアシュレを呆れたような、それでいてどこか安堵したような、複雑な表情で見てシオンが言った。


「すまない。あらん限りの可能性を探ったつもりだ。しかし、どう考えても作戦を成就に導き得る手はこれしかなかった」


 許しを乞うように跪き頭を垂れるシオンの肩に、アシュレは手をおいて立ち上がらせる。

 実行すると決めた以上、責任は戦隊のリーダーであるアシュレが引き受ける。

 それはプランの承認と責任の移行を示す手続き。


 懺悔の時間は終わりだった。


「だが改めて訊こう。わたしの提案をどう思う?」

「良いね。きっと成功する。すぐにも実行に移ろう。迷っている時間はない」

「そなた……さすがにもうすこし熟慮がいるのではないか。心の準備とか……」


 あまりにも直裁ちょくさい過ぎる返答に、さすがのシオンも顔をしかめる。

 自らが言い出したこととはいえ、ここまで迷いなく断言されるとやはり戸惑うものだ。

 かわいそうに妹たちは失神直前だ。


 それら迷いを振り切るように、アシュレはまたかぶりを振ってみせた。


「キミが考え抜いてくれた結果だろ? 我らが戦隊できみ以上にガイゼルロンと夜魔の騎士たち、そしてスカルベリに通じた存在はいない。そのきみがこれしかないって言うんだ。いまさらボクが悩んでも意味なんかない。時間の無駄遣いはよそう」


 信じるだけだよ。

 言い切ったヒトの騎士に夜魔の姫の美しいかんばせがくしゃっ、と歪むのが見えた。


「アシュレ」

「おっと、このプランはもうボクが了承したんだ。ここから先は戦隊のリーダーたるボクが責任を預かる。だからもうシオンが罪悪感を感じる必要はない。それに……さっきも言っただろ? いつかこんな日が来るとは思って生きてきたんだ。きみから心臓を与えてもらったあの日からずっとね」


 ああ、と堪え切れず、すがりついてくる夜魔の姫の華奢な身体を、ヒトの騎士は優しく抱き止めた。


「これしか方策がないとはいえ、そなたをヒトの道から踏み外させること、すべてはわたしの責任だ。どのようにそなたが庇ってくれても、これだけは譲れぬ。許せとは言わぬ。気の済むまで責め抜いて欲しい。そうでないとわたしのほうが壊れてしまうだろうから……罪の意識でな」

 

 いつも堂々たる態度を崩さない夜魔の姫は縮こまり震えていた。

 アシュレはまたなるたけゆっくり、軽妙な口調で応えた。


「いいんだシオン。ボクのいまの生はおまけみたいなものだ。それもキミが与えてくれたんだよ? 使おう、ボクらの信じる世界とその未来のために」

「バカっ、実行するわたしの身にもなれ。こんなこんなこと、こんな恥知らずな──」


 放っておくといくらでも自分を責めてしまいそうなシオンの頭をゆっくりと撫で、アシュレは訊いた。


「で、具体的にはどうするの?」


 驚くほど落ち着いていた。

 自分はいまから人間としての生を捨て、夜魔になる。

 そうしたら名実ともに「人類の、世界の敵パブリックエネミー」となる。


 それがどんな意味を持つものか、元とはいえ聖騎士パラディンであったアシュレには、痛いほど分かっている。


 だがそうであるにもかかわらず、恐れはどこにもなかった。


 ここへ至る旅のなかで、そしてその道程で数知れず潜り抜けてきた死地のなかで、そういう感情を──カギ括弧つきの「人間性」いうものに対する執着や感慨などいうものを──とうに昔にアシュレは焼き切ってしまってたのだ。


 ヒトであるか、そうでないか。

 そんなことなどもうアシュレにはくだらない固定概念、いや世界が押し付けた役割としか思えなかった。


 いまさら種の垣根を飛び越える程度のことで揺らぐような信念を、すでにアシュレは持ち合わせていない。

 むしろ自分自身が夜魔となることでこの世界が救えるというのであれば、喜んで我が身を差し出すつもりだった。


 なによりすでにこの身は、夜魔の姫の献身で生かされてきたのだ。

 その彼女がこれしか手だてがないのだと言うのだから、是非もないとはこのことだ。


 そんなヒトの騎士に泣き出しそうな顔のまま、シオンはは一通りの手順と、夜の血の覚醒が引き起こすであろう現象について解説した。


 すなわち、牙と飢え。

 直後に起きる本性の暴走。


 問題は大きくまとめれば、この二点。


 血を求める夜魔としての本能が理性と競合し、定着するまでの間、対象の精神は極端に不安定化する。

 またその暴走は内的変化が引き起こすものであり、精神を護る宝冠:アステラスといえども十分な加護は期待できない、とも。

 精神のありようのなにが正常で、なにが異常かを決めるのは、それぞれの種によって判断基準が違うからだ。


 期待できるのはアシュレ自身の《意志のちから》と、それを引き受ける親、つまりシオンの献身しかないということになる。

 

「最後に。一応だが、これらの変化には時限措置がある。つまり、そなたが夜魔へと転じるなかで、ヒトへと戻るための猶予期間とタイムリミットがわずかながらある。ある、はずだ……」


 すべてを説明し終えた夜魔の姫は、そう付け加えた。

 ここまでの一連の流れを黙って聞いていたアシュレが、唯一動揺したのはこの箇所だった。




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