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■第三六夜:我、来れり




 城壁とは元来、外敵の侵入から内側に暮らす者たちを護るためのものである。

 だれもがそう信じ守り抜いてきた巨大な建造物が、次の瞬間、眼前で砕け散った。


 しかもそれはただ爆砕されたのではない。


 爆発があまりに予想外であったのは、イプセムの城壁は外側からの攻撃によって爆破されたのではなく、内側から弾け飛んだからだった。 


 当然のようにこの異変を予見できた人間は、だれひとりとしていない。


 “聖泉の使徒”と謳われ、聖瓶:ハールートを用いて圧倒的な大規模殲滅攻撃を敢行しようとしていたジゼルテレジアその人でさえ、事態の急変を予測できなかった。


 衝撃波、続いて巨大な岩塊が超音速で放物線を描きながら、文字通り爆発的な勢いで持って立ち尽くすジゼルたちへと迫った。


 一方、城門へと続く橋で絶望的な防衛戦を戦っていた兵士たちは、眼前に迫っていた屍人鬼グールの群れが文字通り肉の壁となり、奇跡的にもほとんど無傷で生き残る。


 折り重なるようして倒れた彼らの頭上を、巨大な破片が大砲の葡萄弾(※後に榴弾が発明される前の弾丸。城壁を標的にしたものではなく、複数の小型鉄球や石塊、砂利などを詰めた接近防衛用のものであり、対騎兵・歩兵を的とする弾種)を思わせて高速擦過する。


 聖堂騎士団にあって、超音速で飛来する巨大な岩塊に対してわずかながらにしても反応できたのは、ジゼルとその騎士であるトラーオだけだった。


 ジゼルは瞬間的に聖瓶:ハールートが操る水流を用いて、これをガードしようとするが、果たせない。

 城壁内部を蹂躙する目的で大量の水を都市上空へと送り込んでいたジゼルは、その動きを急には自衛へと割くことができなかったのだ。


 一瞬、その瞳に宿ったのは恐怖か、諦念か。

 ともかく彼女が「自分だけの騎士」と呼んだ男:トラーオが飛び込んできていなければ、“聖泉の使徒”とあだ名された聖騎士パラディンの命は、ここで絶えていたかもしれない。


「ジゼル師!」

「トラーオ、バカ、離れなさい! 直撃する!」


 ジゼルには見えていた。

 巨大な複数の岩塊が、またそれに追従して怒れるミツバチのごとく舞う細かな石片が、自分たちに向け高速で回転しながら突っ込んでくるのが。


 このままではふたりとも──いいや、いまだ苦悶にうめくレオノールをも巻き込んで──三人ともが圧死する。


 瞬間的にトラーオを突き放そうとした腕を、逆に捕らえられた。

 彼女を抱きかかえた純白の騎士:トラーオが横っ飛びに、もっとも巨大な岩塊の直撃からジゼルを庇おうする。

 せめても彼女だけは、無残な死から逃れられるかもしれぬと。


 そして、もはや避けることのできぬ死神のごとく、少年騎士の背に岩塊が迫るのと、その男が空より飛来するのはほとんど同時だった。


「おおおおおおおおおッ────虚の金環ヴォイド・エクリプスッ!!」 


 次の瞬間──消えた。

 空間を埋め尽くすほどの密度で飛来していたハズの城塞の破片が跡形もなく、それどころか砂煙さえ、いや衝撃波までもが。


 自分を守るように抱きかかえていた少年騎士の腕のなかで己を取り戻したとき、いま自分が生きているのが不思議なほどの破壊にさらされた周囲の田園と、自分たちの周りだけがその大破滅が嘘であったかのように保たれているという、あまりに不可思議な光景のなかにジゼルはいた。


「あーらら、結局助けちゃったの? ほっときゃよかったのに。美人だからって、ちょっと贔屓ひいきが過ぎるんじゃないのノーマンの旦那。奥さん居るんデショ? イケナイと思うなあ」

「なにを言っている、イズマ? そうはいかん。アシュレが法王庁との契約を締結したということは、彼女たちはたったいまからとは言え、友軍だ。どれほどの遺恨が互いにあろうとも、すくなくともいまはな。それにオレが真に助けたのは……久しい……そうでもないか。この間ぶりだ、なあトラーオ」


 懐かしい声に呼びかけられ、トラーオは弾かれるようにかんばせを上げた。

 目深に下ろしたフェイスガードの奥から、見間違えることなどあり得ない精悍な男の顔を見上げる。


 だが、わずか数ヶ月ばかりの離別の間に起きた己の変化に心かき乱された少年が、彼の名を呼ぶことはあたわなかった。

 爆砕された城壁の奥から、大量の屍人鬼グールたちがドッと溢れ出してきたからだ。

 さらにはその群れを扇動するように、女のカタチをした影絵が幾体も飛び出してくる。


 全身に走る紋様がけばけばしく明滅を繰り返し、離れていてもわかる苛立たしい笑い声が癇に触る。

 友好的な存在ではありえなかった。

 

「新手かッ」


 氾濫するテスナ河の流れを飛び越えこちらへと飛来する影絵の一群を迎え撃つべく、トラーオは剣を構え直す。

 そんな少年騎士に、案ずることはない、と首を振って見せたのはノーマンだった。

 こちらは特に警戒した様子はない。


「だいじょーぶだいじょーぶ、問題ないって」


 無言を貫くノーマンの代わりとばかりに、まったく信用のおけないぺらぺらの調子で解説してきた男を見て、トラーオは飛び退いた。


「土蜘蛛ッ?! 貴様、これは何事だッ?!」

「アッレ?! そうか初顔合わせだっけ、ボクちんたち? いいやたしかに空中庭園でお会いしましたヨねー? でもカテル島のときは……ボクちん隠密に徹していたから顔合わせてないのは、ありえるかー」


 口を挟む隙さえ与えず一気にそこまでまくし立てると、イズマはうんうんと頷いて見せた。


「少年がアレを敵視するのは、ボクちんの異能がちゃんと働いてる証拠なんだよねー」

「なんだと……アレはなんだ?! 敵にしか見えない」

「そうそういまこっちに向かってきてるアレね、キュートでスイートなレディたち。あれはボクちんの異能が造り上げた仮想敵なんですよー。でね、アレに引っ張られて屍人鬼グールどもは湧いて出たわけ。一気に絞り出すのに手間ぁかかってしょーがなかったんで城壁くんには、こうねドカーンと」

「城壁をドカーン……だと? ではいまの爆発はキサマらの仕業かッ?! なんてことを──あれが、あの規模の城壁がどれだけの労力と時間、そして資金が費やされ積み上げられてきたものなのか、キサマは知らんのかッ?!」


 ドカーン、とまるで喜劇を語るかのような口調でおどけて言うイズマに、トラーオの腕から解放されたジゼルが堪らず口を挟んだ。

 そんなジゼルの剣幕を舞い踊る蝶のような動きで掌を動かしては受け流し、視線を下から上まで走らせながら、はやし立てるようにイズマは口笛を鳴らした。


「ヒュー! あったりー! 良い勘・アーンド・グッドパイオーツ・カイーデ、お嬢さん! てかなんで裸? もしかしてそういうご趣味ですかあああ?」


 でもボクちん、そういうお嬢さんスキかも。

 遠慮というものをすこしは知ったほうが良いレベルで、様々な角度からジゼルの裸身を眺めすがめしつつイズマが言った。


 さすがの“聖泉の使徒”もこれには面食らったのか。

 そっと静かに、しかし素早く両手であちこちを隠す。

 その何気なさがイズマには、さらに堪らないのだろう。

 まるで気が狂った虫の動きで、恥じらうジゼルをあちこちから覗き込む。


「堂々と見るなッ、この薄バカ下郎が!」


 トラーオの蹴りがその頭部を捉え、地面と靴底で挟み込んでいなければ、イズマの動きはどこまで加速していたかわからない。


 普段であればこの程度余裕で回避して見せるイズマがまともに喰らって黙ったのは、あまりに美しいジゼルの裸身を覗くことに懸命になり過ぎたせいか、それともトラーオがジゼルに向ける感情の成せる技か、それだけはわからなかったが。


薄バカ下郎ウスバカゲロウって、なにげに……ヒドイネーミングデスヨネ……」


 そう言ったあと動かなくなったイズマの後を継いで、飛来するあの影の正体を告げたのはノーマンだった。


「あの苛立たしく嗤う影は、嘲笑う標的アグレッサーズ・ラフ。相手の精神を逆なでする笑い声と、無視を許さぬ外見でもって敵を引きつけおびき出す疑似生命体で、それ以外の攻撃能力は有していない。土蜘蛛の異能で生み出されたものだが、戦闘能力は皆無で、基本的に無害。殴り壊してしまいたい衝動に駆られる以外は、な」

嘲笑う標的アグレッサーズ・ラフ。土蜘蛛の異能が生み出した疑似生命体……ではあれは敵ではないと言うのか」

「そのとおり。アレは敵を市外に誘導して叩くため、我々が採用したデコイだ。しかしそれを用いても、狭い城門から小出しにしていては時間がかかり過ぎるのは見て取れた。特にこれ以上市民に被害を出さぬためには、溜まった膿=屍人鬼グールどもをごく短時間で街の外に絞り出す必要があったのだ。そこで、」

「そのあたりの事情をまるっとぜんぶ勘案した結果、一番効率的にやるには城壁をぶっ壊すのが手っ取り早いという結論になったと、そういうわけなんだネ!」


 それで、ドガーンッ!

 気絶からわずか数秒で立ち直ったイズマが、なにか果実を掴むような指の動きを見せ良くない感じで跳ね起きると、あっという間に解説ポジションに復帰した。


 そっ、とその視線を避けるようにジゼルがトラーオの背後に隠れる。

 土蜘蛛の男を阻むように前に出るトラーオの姿勢には、どことなくだが頼られたことへ対する誇りのようなものが感じられた。


 そしてそんな少年騎士の振る舞いに、これまで解説の間もいわおのごとくであった宗教騎士団の男の表情が緩んだのを、トラーオは見逃さなかった。

 カテル病院騎士団に席を置いていた時代であっても、ほとんど笑うところをみたことがなかった男の瞳が、ほんのすこしではあるにしても細められたのが見えた。

 一瞬に過ぎなかったが、喜悦と呼んで良い色がその口元に宿っているのさえ。


 どう呼ぶべきなのかわからない感情が、胸の奥で逆巻くのをトラーオは感じた。


「離別を余儀なくされたあの時はどうなることかと思ったが……立場は変わっても騎士としての務め果たしているようだな、トラーオ」

「いまさら気安くその名で呼ぶな。女ひとり守れなかったカテル病院騎士団時代のオレとは違う」


 感慨をこめて少年へ呼びかけたノーマンに対し、トラーオの言葉には隠しようもない頑なさがあった。

 かまわないさ、と自らの帰属する集団を揶揄されたにもかかわらず、カテル病院騎士団の男は微笑んで目を閉じた。

 オレはただオマエが生きていてくれただけで嬉しいのだ、とばかりに。


「おっと仲間割れはナシッ。時間がないからね。せっかく傷口を切開したんだ。膿を出し切って、消毒と参りましょうヨ!」


 混ぜっ返しているのか、それとも取りなしているのかまったくわからない調子でイズマが言い、ジゼルに水を向けた。





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