■第三四夜:街は炎に
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「聖騎士:レオノール、兵を突入させなさい。方陣で持ち場を死守するだけでなく、もっと果敢に戦えと鼓舞するのです。一時的で構わない、屍人鬼どもを押し返すようにと命じて」
「正気ですか、聖騎士:ジゼルテレジア?! それではいま前線で戦っている兵たちは全滅だ! 橋の上で組んだ方陣だからこそ、少人数でも効果的に敵を迎撃できているのです!」
「迎撃と言えば聞こえはいいが、際限なく湧出してくる屍人鬼が相手では、それは単なる消耗戦でしかない。まさか、このまま手をこまねいているつもりですか? 繰り返しになるが、いくら相手が下等な屍人鬼ばかりであろうと物量の差は圧倒的。このままではジリ貧になって、すり潰されるのは我らのほう。それも時間の問題です。そうならないようにいまのうちに手を打とうと、わたくしは申し上げているのですよ?」
旧イグナーシュ王国と法王領の国境には、途切れ途切れではあっても線を引いたように城壁群が長く伸びている。
たとえばパロの村の城塞などがその代表だが、それらはかつてイグナーシュ王国が《閉鎖回廊》に堕ちたとき、周辺諸国が起こした拒絶反応の名残だ。
そうやってイグナーシュからの難民を拒んだ歴史を、法王庁を始めとした周辺諸国は持っている。
その城塞群にほど近いイプセムの街を眼前に見ながら、ふたりの聖騎士は互いの意見を激しく戦わせていた。
時制的にはアシュレが法王:ヴェルジネス一世との協定を結びつつあった、まさにそのときである。
ひとりは聖騎士:レオノール。
イプセムの街を防衛するため急派された、約五〇名からなる聖堂騎士団分隊の指揮官。
ひとりは聖騎士:ジゼルテレジア。
迫り来る夜魔の騎士たちから国土を防衛するため、あらゆる命令系統に対しての上位権限を、法王直々に与えられた特務執行者である。
そしてこのふたりがイプセムの街とそれを取り囲む城塞を前に、意見を戦わせる理由は明白であった。
燃えていた。
防衛すべき街が。
それがふたりの聖騎士を──すくなくとも騎士:レオノールを激昂させていた。
イプセムはつい最近法王領に編入されたイグナーシュの村々とは違う。
いま自分たちの目の前で燃え盛るあの街は、法王領的にあっては辺境に位置しているとは言えど、代々の枢機卿が治める歴史ある城塞都市、つまり本土であり総人口一万を超える重要な経済拠点のひとつである。
そこに夜魔の騎士たちの侵攻を許した。
これが聖騎士:レオノールの焦燥と原因、その最たるものであった。
もちろんイグナーシュ領も、正確には法王領ではある。
が、それでも法王領に暮らす人々の意識の上では依然として異郷扱い、外つ国である、というのが実際のところであった。
人類圏に取り戻されたとは言えまだ一年にも満たぬ荒れ果てた土地は復興には遠く及ばず、安全で豊穰な法王領に生まれ育った多くの民草にとって、いまだ怪物の跳梁跋扈する魔境に等しい場所だった。
夜魔の騎士たちの大侵攻を前に、流行り病を口実にしてかつての国境が封鎖されても、国民の間に動揺がすくなかったのはそういう理由による。
そうなっても当然という、諦念と納得の入り混じった反応が大多数を占めていた。
やはり彼の地は、法王領とは違うのだ、と。
しかしその境界線は、今日、いとも簡単に破られた。
国境に沿って築かれた防衛線とそこに詰める聖堂騎士団の裏を掻き、ごく一部とはいえ夜魔の騎士たちが、エクストラム本国への侵攻を果たした。
その事実が絶対死守の意気込みで国境を固める聖堂騎士団に、激震を走らせた。
まずもってイプセムがこのまま夜魔の騎士たちの手に落ちれば、いま国境に陣取る聖堂騎士団は前後からの挟撃を受けることになるわけだが、それより致命的な状況へとこの事案は発展する恐れがあった。
一〇〇〇年の間、夜魔どもを阻んできたエクストラム法王領がその侵攻を許し、結果としてイプセムが陥落したとなれば、噂は早馬よりも速く全土を駆け抜け、未曾有の大混乱を巻き起こす。
民は動揺し、法王庁に詰めかけるに違いない。
そうなった場合、軍備や指揮系統やどころ話ではなく、エクストラムの治世そのものが根底から脅かされることになる。
悪くすれば夜魔の騎士たちと刃を交える前に、法王庁は内側から瓦解する。
それを防ぐには、なんとしてもここで夜魔たちの侵攻を喰い止めなければならなかった。
それなのに自分たちには十分な戦力がない。
せめて十字軍に聖堂騎士団の半分を割いてさえいなければ。
レオノールの苦悩は、いま国境線で事態の推移を見守る守備隊の面々のそれ、そのものでもあった。
だが実のところ、方法が全くないわけではないのだ。
この局面をひっくり返す戦力と方策が、あるにはある。
聖騎士:レオノールは、そのことには気がついていた。
この程度のことが思いつかないでは、法王より聖務を預かる聖騎士は務まらない。
そしていままさにその方策を、冷ややかな視線を向ける“聖泉の使徒”が説こうとしていることにも。
ただそれを認め実行することが、レオノールには絶対的に許せなかったのだ。
それが余計に焦燥を募らせる。
「クソッ、なぜこうなるまで気がつかなかった!」
「それはいまさら嘆いても始まらないことです。まさか夜魔どもが前線を無視して、古代の地下道を使うなどとだれが予測できたでしょう。そしてその通路が、この街に通じていたなどと。わたしでさえ、それに気がついたときには遅かったのだから」
だからわたしはあなたを責めているわけではないのです。
「いまはまだ、ね」
相変わらずの冷静さで修道女姿のジゼルは言った。
この女を前にしていると、氷でできた彫像を相手にしているような気持ちになると、レオノールは思う。
人間としての情理を通じ合わせている気が、まるでしなかった。
だがいまさらそんなことを言い出しても始まらない。
「おかしいとは思ってはいたのです。夜魔の騎士どもがなぜ寄ってこないのか、圧倒的な戦力を持ちながらどうして正面から国境の城壁を攻めないのか、とは……」
がつん、と甲冑に包まれた拳を街路を成す低い壁に振り下ろし、レオノールは歯がみした。
こうでもしなければ頭がどうにかなりそうだったのだ。
たしかに当初から夜魔の騎士たちの行動は、奇妙と言えば奇妙ではあった。
永久氷壁にたとえられるイシュガル山脈を越え姿を現した夜魔の騎士たちは、雪崩を打って旧イグナーシュ王国へと進軍した後、その勢いのまま一気にエクストラム本国へと攻め入るものと思われていた。
それゆえに法王庁は取るものもとりあえず、現状振り絞れる最大戦力を国境を成す城塞群へと送り込んだのだ。
ところが、夜魔の騎士たちは城壁に陣取った聖堂騎士団を嘲笑うかのように、旧イグナーシュ王国領内での略奪と殺戮に終始した。
去年の秋に彼の地に十年居座ったオーバーロードが打ち倒され、およそ十年ぶりに人類圏に奪還されたイグナーシュ王国へは、すでに荒廃した国土の復興を名目に主に貧民層・下層市民たちが開拓者として移住を始めていた。
荒れ果てた田畑を耕し直し復興させた暁には、その土地の半分を彼らに与え、自作農として認めるという条件でだ。
それまで貴族の荘園や富農の農作地で小作農に甘んじていた貧民、あるいは各都市で食い詰めていた下層市民が相当数これに応じた。
そしてそれを当て込んだ怪しげな酒保の主や大規模な人口流動に商機を見出した商売人が続き、小競り合いの匂いを嗅ぎ取った傭兵、下級娼婦、流浪の民などが加わって、数万規模の人間が新天地を求めて流入した。
もちろん法王庁自らが送り込んだ司教や司祭、修道士に修道女などからなる復興支援使節団や、統治を任された下級貴族や兵卒などもそこには含まれてはいたが、ぞくぞくと増加する開拓民たちに比べれば、これらはあくまで少数であった。
その開拓者たちの村や教会、小さな都市を、夜魔の騎士たちは標的にした。
聖堂騎士団が陣取る国境の城壁には手をつけようとさえせずに。
こちらの戦力を恐れているのだろう、という短絡的な見解で済ますことができたのは初めの間だけだ。
夜魔の騎士たちは開拓民を屍人鬼化させる作戦に出た。
夜な夜な城塞に押し寄せるのは、これら下級の屍人鬼たちばかりであったのだ。
その規模はイグナーシュ領へと流入した開拓民の人口に照らせばごくわずか、数十匹から多くとも百匹程度の群れでしかなかった。
大多数は食料としての家畜と見なされ連れ去られているのであろう、と聖堂騎士団の面々は噂し合った。
あるいは大侵攻というのは、夜魔たちの食料確保が主たる目的であり、本気で法王庁とことを構える気ではないのではないか、という意見すら出た。
ただ襲撃は間欠的ではあっても日を置かず続き、騎士たちは国境防衛のために戦い続けなければならなかった。
その間にも夜魔の騎士たちは人間の奮戦を嘲笑うかのように、次々とできかけた村落や復興し始めた都市を攻め滅ぼしていった。
まるで鳥が獲物をついばむように、一気呵成にではなく、小出しに齧り取って。
まさに騎士たちの狩り、娯楽としての狩猟のように。
あるいは鷹が獲物を嬲り玩んでから仕留めるように。
遠眼鏡越しにその様子を見、あるいは詳細な報告を密偵たちから受け取るたび、聖堂騎士団の面々は歯がみしながら、国境に延びる城壁の上で耐え忍ぶことしかできなかった。
たとえ大侵攻と呼ばれた夜魔の騎士たちの進軍が直接的には法王庁を脅かすものではなかったとしても、苦節十年を経て人類圏に取り戻された土地が、そしてそのほとんどが食い詰めた下層民だと言われても民草が脅かされ蹂躙されるのを聖堂騎士団の面々はよしとしなかった。
大変な屈辱、許し難い蛮行とそれを受け取った。
そして、そうであるにも関わらず、彼らは軍律に縛られ勝手に持ち場を離れることを許されていなかったのだ。
もちろん打って出ようという意見がなかったわけではない。
いやむしろそれは多くの騎士たちが声を上げたことであった。
民を救え、聖イクスの正義を示せ、と。
ただそれは間違いなく戦力分散の愚を犯す行いであったし、そうでなくとも長大な国境線に沿って配置された聖堂騎士団に、そのような余力はなかった。
そんなこととが数日続いた後、それにしても様子がおかしい、と感づいたのはジゼルだった。
獲物を嬲り玩ぶ夜魔の騎士たちの振る舞いの不自然さが、妙に癇に触った。
秋を通り越して一気に冬がきたような鈍色の空の下、厚く垂れ込めた雪雲を聖瓶:ハールートの《ちから》で無理やり雨に変え、その水の流れを持って敵の動きを探った彼女は恐るべき謀に気がついた。
夜魔の騎士たちは遊んでいたのではない。
いや人類を玩んでいたというのは間違いないのだが、そう見える裏側で、もっと決定的な破滅を与える策を講じていただけなのだ。
十一年前に滅び去ったイグナーシュ王国は、他国に比べても格段に長い歴史を誇るイダレイア半島にあって、もっとも古い血筋を誇っていた。
その血統はエクストラム法王庁に並ぶか、勝るとも言われ、かの統一王朝:アガンティリスの時代にまで遡ることができるとさえ噂された。
その古き血統が残した遺跡を、夜魔の騎士たちは探っていたのだ。
つまるところアガンティリスの遺産、かつてその全土に張り巡らされていたという地下の道を。
恐らくは夜魔の騎士たちを率いる大公:スカルベリの入れ知恵であろう、というのが枢機卿団の見解である。
そして夜魔の騎士たちはそれを使い、国境で待ち受ける聖堂騎士団の防衛線に捕まることなく、法王庁本土へと難なく到達した。
直後にそのたくらみを察知したジゼルが、聖別した真水を持って地下道を水没させていなければ、どうなっていたかわからない。
だがそれでも、防衛を完全なものとすることはできなかった。
現にいま、ふたりの眼前でイプセムの街は炎に呑まれ、市街を外敵から守るはずの城門からは際限なく屍人鬼たちが湧き出てきている。
地獄と化したイプセムの城門が屍人鬼であふれ返る前になんとかイプセムへと辿り着き、外部への湧出を最低限に押さえ込むことには成功したものの、状況はまさに多勢に無勢。
いかに聖堂騎士団選り抜きの精鋭たちとはいえ、これを覆すことはいかんとしても難しい。
街へとかかる橋で迎え撃ち一時に相手取る正面戦力を制限、油と硫黄を混ぜ合わせた火を用い石弩を惜しみなく投じて手を尽くしてはいるが、それも時間の問題であろうと思われた。
ジゼルが聖瓶:ハールートを使い聖別された雨を降らして数を減らそうにも、相手側にも天候を操作する能力者が居るらしく、効果は芳しくない。
恐らくはかなりの上級夜魔が指揮を取っているのだ。
雪雲を呼ぶ夜魔特有の異能がジゼルの試みを妨害していた。
男爵や子爵級の夜魔どもが全く顔を出さないのも、その上級夜魔が指揮しているためであろう。
時間経過とともに自分たちが有利になることを知り抜いているのだ。
これではいかにジゼルが聖別の異能を振るったとても、足止めを狙う程度では逆効果だ。
「どのみちあの街はもう駄目です。あふれ返る屍人鬼どもの増殖は止められない。すでに住民の半数が屍人鬼化したと計算して約五〇〇〇。これはこちらの投下戦力の一〇〇倍に達する数です。皮肉なことに本来は住民を守るためのものであるはずの城壁と橋、増水した河の流れがその流出を最小限に喰い止めてくれている、いまが好機。そう絶好の好機なのです」
「好機ッ?! この状況が、まさかッ?!」
内心でそうであろうと思いながらも、聞きたくなかった提案を受け、レオノールの激昂は最高潮に達した。
だがそんな男を前にしてさえ“聖泉の使徒”と呼ばれた娘の反応は、淡々としたものだった。
ここまで燦然のソウルスピナをお読みくださりありがとうございます!
本年の更新はこれが最後となります!
ほんとはこのセンテンス全部いこうかと思ったんですが一万二千字くらいあったのでやめました!w
新年は4日から再開できたら良いなー、と考えながらご飯こさえてますw
でわ、みなさんどうかよいお年をお迎えください!
サラダバー!




