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■第三二夜:竜と四騎士


 ぐぼり、と巨大な顎門が開く音がした。

 次の瞬間、言葉にならぬうめきが周囲から上がった。


 繰り返す羽ばたきに矢の狙いも定めさせず、周囲を圧しながら滞空していた彼女が、その巨大な顎門あぎとを開いて見せたからだ。


 びしりばしり、と赤黒い喉の奥から形容し難き音色が鳴り響く。

 暗がりのなか翻る紫電が、強風に吹き消され灯火の絶えた邸内を、青く照らし出す。


 大気が異臭を帯びていく。


 竜の皇女が口腔に溜め込む強大なエネルギー塊が、宮殿内の大気を分解して生じる臭い。

 その肉体が内側から青白く光って見えるのは、《スピンドル》に導かれたプラズマが集束してくからだ。 


「皆、お止めなさい。この来訪を望んだのはわたくしであり、我々法王庁です。それに応じてくれた騎士へのいわれなき誹謗中傷、まして恫喝はわたくしが許しません」


 竜族の吐息ブレスの凄まじさは、人類圏にあっては子供だって知っている。

 聖典にさえその威力は記され、口伝がそれを伝えている。


 その一息で国土ごと消し去られた国さえあったと。


 もっとも人類圏で竜族と実際に対峙したことのある者は、この時代にもはや生きてはいない。 

 だがだからと言って、伝説が本当のことであるかどうか検分しようという試みは、ここでは蛮勇を通り越して愚行というものであろう。


「このヴェルジネス、我が名に賭けて、決してあなた方に危害を加えさせたりは致しません。もちろんこれ以上の誹りも。ですからどうかバラージェ卿……いいえアシュレダウ、その怒れる竜に矛を収めるようお願いしてはもらえませんか」

「ご安心ください猊下。かの竜:ウルドラグーンと我は、すでに分かちがたき絆で結ばれております。我が身に危害が及ばぬ限り、また猊下を始めエクストラム法王庁の方々が我らを裏切らぬ限り、彼の者がその紫電にて人類の叡知の砦を焼き払うことはないでしょう」


 もっともそれは今回の契約が無事に成立すれば、のお話になりますが。

 冷徹に告げるアシュレに、その場で微笑んで見せたのは法王ひとりだった。

 

 他の者は駆けつけた四騎士も聖騎士パラディンも含め、みな色を失い、声を失ってその場に釘付けにされていた。


 いや四騎士たちは、突然現れたこの不埒者を許すつもりはなかったであろう。


 が、彼らと敵の間には、命を賭しても護らねばならぬ法王本人が無防備な姿で立っていた。

 もちろん、そんな内心の焦りを顔に出すようでは四騎士は務まらないわけだが、ここではいかにその最強騎士であっても、攻撃を仕掛けられぬこともまた事実であった。


「辣腕家になられましたね」

「戦隊を預かる、とはそういうことだと存じます」

「貴君が率いられる戦隊の面々については、わたくしもジゼルテレジアから聞き及んでおります。極めてユニークな陣容だとも。しかし、であるからこそ、人類圏を救う切り札足り得るのだとわたくしは信じます」


 立派になられました、とレダマリアは戦隊のユニークな面々と、その曲者ぞろいのメンバーを率いるアシュレを配下の面前で称賛した。


 この瞬間、アシュレはレダマリアに対する評価を改めた。

 それは「辣腕家になった」という言葉とともに、レダマリアがアシュレの考えを深いところまで見抜いていたことを意味していた。


 いまや十字軍クルセイドを戦う法王としてはその標的たる異教の者はおろか、魔の十一氏族と結んだ元聖騎士パラディンを褒めるなどと、許されてはならない立場であったはずだ。

 それどころか、つい先ほどまでこの場に充満していた敵意のなかで、敵の正当性・優位性を認め、友好的な態度を取ることは、どんな立場の人間であれ極めて困難なことだったはずだ。


 許す許さない以前に、異論を挟むことなどできない空気が、あの場にはあった。


 それをあえて「法王庁にアシュレが仕掛けた試練」と呼ぼう。

 法王:ヴェルジネス一世の真意と覚悟とを問い質し、覆しようのない言質を引き出すための試練だ。


 だが、レダマリアはその禁忌をあえて犯して見せた。

 周囲に満ちるアシュレたちへの敵意をものともせず、身ひとつで飛び込んできて見せた。

 身を守る盾を捨て、安全を担保してくれていた重甲冑を脱ぎ捨てて、崖の向こうに手を差し伸べるしかしつい先ほどまで敵対していた男の胸に飛び移る──そういう行いにそれは等しい。


 そんなレダマリアの行動は「この者たちと共闘する」という宣言だけではなく「これ以降わたしは、彼らとともにある」という言外のメッセージとしてさえ働いた。

 すくなくとも、この場に居合わせた聖騎士パラディン以上の聖職者には、意味するところが正確に伝わっただろう。


 その証拠にむうう、と唸りを漏らしたのは人類の側だった。

 明らかな動揺が見て取れる。

 現実を受け入れられない、また意思統一ができていない証拠だった。


 無理もあるまい。

 一連のレダマリアの行動は「これ以降、彼らを謗る者は法王自身をも謗る者である」と断言したのと同じことだったからだ。

 これまで一〇〇〇年以上に渡り絶対敵として見なしてきた敵を相手に、そんなことを言われても普通の、いや普通以上の人間であってもこれを即座に認め改めるのは難しい。


 一方で、アシュレも竜の皇女:ウルドラグーンも、始めからそのつもりで来た。

 この流れはある意味で思い描いた通りの展開と言えた。

 統率の乱れは起きようがない。


 ただレダマリアの見せた予想を遥かに上回る決断力と、クソ度胸としか言いようがない言動に、アシュレは自らの感情を必死になって押さえ込まねばならなかった。


 自分があえて育てた悪意による重圧を、レダマリアはわずかな時間で跳ねのけ、困難な交渉への道筋を整えてしまった。


 その手際にアシュレが覚えたのは驚きと同時に、浮き立つような喜悦だった。

 つまりところアシュレはレダマリアの器の大きさに打たれていたのだ。


 こんなだっただろうか、と内側から輝くように光を放つ彼女の姿を見つめる。

 己の内心を悟られぬよう、必死で無関心を装いながら。


「ではアシュレダウ・バラージェ、どうかこちらに。ここから先はわたくしだけの極めてプライベートな空間になります」

「猊下、それはッ!」


 衛兵のひとりが堪らず叫んだ。


 繰り返しになるが、この時代、男女がひとつの部屋でふたりきりになるということは、肉体関係を結んだと取られて当然のことと認識されていた。

 そのような事態に陥らざるを得ない場合は、戸を開け放つなどの配慮が必要とされるわけだが、当のレダマリアにその意思はないようだった。


 そして兵たちの認識の上では、アシュレたちはまだ「敵」だった。

 たとえそれを口にしたり、態度で表すことを禁じられたと言っても、なお。

 お付きの者たちが思わず制止の声を上げるのも、当然のことだった。

 

 それにエクストラムを出奔する以前のアシュレとレダマリアが、どのような関係だったか知る者は、この場にすくなくない。

 間違いが起こらぬとは限らぬ、否、起こってもおかしくない。

 そう考えた者がいたとしても、それは致し方ないことであったろう。


 だがレダマリアはその懸念を打ち消すように、毅然と言い放った。


「よい。我はいまから歴史を変える調印を行うのだ。彼の者とはふたりきりで真心を明かして話し合わねばばならぬ」

「ですがッ」

「くどい。……が、そなたらの心労・心痛もわかる。扉の番を立てよう。ウォーザード卿、頼めるか」


 頑なに己を通すだけでは為政者は務まらぬ。

 さらり、と臣下たちの心情を汲み取り、レダマリアは上級者としての威厳を誇示して見せた。


 名を呼ばれたウォレスベルク・ウォーザードは四騎士のひとりである。

 聖騎士パラディン昇格の最終試験で、アシュレの腕を甲冑ごと切り落としたこともある最強騎士の一角だ。 


 前法王:マジェスト六世の頃から近衛を務めた彼は、法王が代替わりしてからも信任を得ているらしい。

 鉄壁のウォーザード、難攻不落インヴィンシブルのウォレス、法王の盾といった数々の異名は伊達ダンテや酔狂ではない。


 これまで無言を貫いていた男が、呼びかけに応じて進み出た。

 矢のように鋭い眼光が、アシュレを睨め付ける。

 

 かつてのアシュレであれば、竦み上がったかもしれない。


 なにしろかつて、完膚無きまでに叩きのめされ敗北を喫した相手だ。

 騎士として全く敵わなかった苦い過去が甦る。


 あのときは打ちかかった攻撃をいとも簡単に受け流され、返す刀で甲冑ごと腕を切り落とされた。

 揚げ句に、シールドバッシュで吹き飛ばされ、もんどり打って苦杯を舐めた。


 這いつくばりながら地面に落ちている自分の腕を掴み、消耗を覚悟で治癒の異能を使う自分を、まるで虫けらでも見るかのように見下ろすあの目を忘れることなどできない。

 トドメをくれるわけでなく、ただ関心を失ったかのように、無価値な石ころを眺めるかのごとく無慈悲な。

 あるいは感情を感じさせない、奈落へと通じる穴を覗き込んだような。


 あの日の彼の瞳を思い出すたびに、かつてのアシュレは恐懼に震えたものだ。


 だが、いざふたたび相対してみると、不思議と落ち着いている自分がいることに驚いた。


 これまで潜り抜けてきた幾多の死地が、あの過去の一騎打ちを凌ぐほどのものだった、とそういうことなのであろう。

 知らぬ間にアシュレはあの経験と記憶とを克服していたのだ。


 ほう、と軽い驚愕の色がウォレスが漏らした吐息にわずかにしても混じったのを、アシュレは聞き逃さなかった。





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