■第三一夜:約定の日
※
さて、夜魔の姫:シオンが妹たち相手に「封都:ノストフェラティウム通過の秘策」を披露したそのときから、時制は半日をほども遡る。
これはアシュレとシオン、そして密航者たちが巡礼者の道を遡り封都:ノストフェラティウムに至るより以前に、どこに立ち寄り、なにをしていたかという話だ。
そう、アシュレたち戦隊がいかなる条件で、この戦いに参陣することを決めたのか。
法王:ヴェルジネス一世と交した契約の話である。
その日、人類圏の叡知の砦を自負するエクストラム法王庁の中心、アリエス宮の平穏と静寂はときならぬ騒乱によって破られた。
手始めに木々を薙ぎ倒すほどの猛烈な嵐がエクストラムを襲った。
たしかに夏の終わり、秋の初めには激しい降雨を伴う嵐が、この地を訪うこともある。
内海であるファルーシュ海周辺の雨は、秋と冬に集中するのが常だった。
けれども今日のそれは、例年の嵐とは比べ物にならぬほど激しかった。
まるで聖典に予言されたこの世の終わりが来たようだ──迷信深い修道士たちだけでなく、高位聖職者たちまでもが口々にそう囁き合ったものだ。
この嵐こそは、これから来る困難の時代を暗示しているのでは、と。
そして修道士たちのそれはともかく、高位聖職者たちが口の端に乗せた不安は根拠のないものではなかったのである。
なぜなら彼らは無用な混乱を避けるためなにも知らされておらぬ修道士たちとは違い、つい先日いま東方で起きている聖戦の増援という名目で聖都:エクストラムを出立した聖堂騎士団の精鋭が、実際には旧イグナーシュ領との国境で迫り来る夜魔の軍勢との決戦に備えるものだと知っていたからだ。
しかしそれは暗示などという悠長なものではなかった。
直後に、事件は起きた。
あろうことか敵が法王の私室、そのテラスに取りついたのだ。
人類の叡知の砦、その象徴たる法王宮に。
神敵襲来の報を受け近衛である四騎士(聖騎士のさらに上位に当たる法王にだけ仕える四名の強力な騎士たち)のうち二名が、テラスへと駆けつけたときには、敵はすでに法王その人へと肉薄を果たしてしまっていた。
あまりの光景に場に居合わせた全員が息を呑んだ。
強烈な嵐が溶けるようにして消滅したそのとき、テラスに現れ出でたのは天を圧するほどに巨大な竜の姿だったのである。
そして、その竜が両脚に掴む船から降り立ったのは──。
「騎士:アシュレダウ・バラージェ、法王猊下よりの参陣要請に基づき、ここに推参いたしました」
アシュレは土蜘蛛王:イズマがその手で打ち直した重甲冑に身を包み、膝をついた騎士の礼の姿勢で来意を告げた。
対する少女法王はあまりの出来事に目を見開き口元を押さえてはいたものの、気丈にも脅えた様子はおくびにも出さず、その場に踏みとどまっていた。
「猊下ッ!」
「法王聖下ッ!」
「おまちなさい」
扉を蹴り飛ばす勢いで私室になだれ込んできた四騎士や聖騎士たちを押しとどめ、法王:ヴェルジネス一世=レダマリア・クルスは膝をついた騎士に視線を投げ掛けた。
己を鼓舞するように胸の上で両手をきつく握りしめ、法王としての威厳を保つ。
自らが信じた騎士への想いを介添えにするように、ひとり立って。
「騎士:バラージェ。きっと……きっと来てくださると信じておりました。しかしこれほど迅速とは、そしてこれほど大胆にとは……さすがに驚きましたよ」
「なによりも火急のことと存じます。ご無礼の段は平にご容赦ください」
「どうかお顔を上げて。お立ちになって」
突然のことに動悸が収まらぬのであろう。
普段は冷静沈着で知られる法王:ヴェルジネス一世に動揺がうかがえた。
特にそれは即位以降の彼女の言動だけを見聞きしてきた者たちにとっては、意外とも思えるほど豊かな感情を含んだ口調であった。
思いがけぬ再会への喜び、とその感情を読み解いたとしたら、あるいは下衆の勘繰りが過ぎるというものか。
ともかく胸を押さえなながら、しかし努めて落ち着いた口調で促すレダマリアに対し、アシュレは立ち上がることで応じた。
改めて来意を告げる。
ご機嫌うかがいの言葉など無用とばかりに。
「騎士:バラージェ、本日は法王猊下の参集に応じ、我が戦隊を代表して、ここエクストラムへとまかり越しました」
「改めてお礼を申し上げます、騎士:バラージェ」
「しかし今日わたしがここに立ち寄った理由とは、参陣を告げに来た、というのとはいささか異なるものです」
単刀直入でありながら含みあるアシュレの物言いに、それまで驚きを隠せないながらもどこかに喜びを帯びていたレダマリアの表情がわずかに陰った。
「では参陣を……断ると? つまり人類圏を見限るとそう申されるのですか?」
「いいえ、それもまた否。今回の申し出に賛意がないわけではない。それもまた事実です」
では、どのようなご用向きで。
無言でそう問いかけるレダマリアに、アシュレは自分たち戦隊の本意をぶつけた。
「法王猊下ご本人の手なる親書、そこに記されたお申し出の件の詳細を詰めてから、というお話です。我ら戦隊が法王庁に加勢するかどうかは、ここでの法王猊下のお言葉次第、契約の内容次第とさせて頂きたい」
その確認に参りました。
一瞬、昔と変わらぬ、いや覚悟のようなものを帯びてより美しくなった幼なじみの姿に頬を綻ばせたアシュレだったが、次の瞬間、冷徹な最前線司令官の顔となり要求を突きつけていた。
「すべてをお望み通りに、と親書にはしたためたはずですが」
「あの親書はあくまで法王猊下おひとりのお考え、胸の内の想いのはず。それをそのまま鵜呑みにするような愚か者では我々はない」
「騎士:バラージェ、それはわたくしひとりとの約束では不足というお話でしょうか?」
心外、というふうではなく、ただ純粋にアシュレの真意を知りたいという様子で問いかけるレダマリアに、騎士は小さく笑って頷いて見せた。
そのとおりです、と包み隠すこともなく言い切って。
「そのとおりです、法王猊下。すでに我ら戦隊は聖イクスの教理を外れ、人理の規矩の外を征く者ども。あなたがたが定義するところの異教徒もおれば、魔の十一氏族の首領すら……いやむしろ人間ではない者の方が数が多いくらいだ」
ざわり、とアシュレの発言に動揺を見せたのは法王ではなく周囲だった。
それはそうだろう。
いきなり法王の居室のベランダに竜で乗りつけ、あろうことか法王本人がしたためた親書の内容を疑う発言をした男が、魔の十一氏族とすら結んでいるとほざいたのだ。
これで黙っているようでは、法王庁の兵ではない。
しかし、それこそがアシュレの狙いでもあった。
親書のなかでだけ語られた事実、アシュレたち異端の戦隊に法王自らが救援のサインを送ったという事実を、ここでアシュレは法王本人だけでなく、その周囲の者たちにまで認めさせたかったのだ。
であるからには、不逞の騎士は周囲から向けられる敵意の眼差しと誹りの呟きなど、黙殺する。
我関せず、いや我が意を得たりとばかりに要求を続けた。
「さて、そんな我ら相手に法王猊下はまるで対等の人間であるかのように約束をなされました。救援の見返りに猊下が叶え得る願いであるならば、すべてを叶えてくださると。ですが……」
一度言葉を濁して、アシュレは周囲を見渡した。
いい感じに、敵意が育っている。
そうここでお付きのものたちがその腹に呑んでいる負の感情──魔の十一氏族と異教徒、そして元聖騎士でありながらそれらと結んだ自分に対する悪感情を、レダマリアに見せつける必要がアシュレにはあった。
法王:ヴェルジネス一世となった彼女が、己のなかの理想だけをしたためていたのであれば、この現実を目の当たりにして約定の実現の困難さを思い知ってもらわなければならない。
その認識と覚悟を持って結ばれたものでなければ、約定にはなんの価値もない。
きれいごとだけで塗り固められた約束事とは、現実を知らぬ理想主義者が描いた画餅に過ぎない。
そんなものが果たされるはずなどないことを、かつて支配者階級に属していたアシュレは、良く知っていた。
だから、自分に周囲の敵意と悪意が集中するのを十分に待ってから、続きを切り出した。
「たしかに法王猊下自らのお手による親書を頂いたこと、我らにとっては身に余る光栄と申し上げるべきところでしょう。ですが、すでに人理の規矩の外を行く我々としては、一通のお手紙だけで、そこに綴られたお約束の数々を信用するのは難しい」
おわかりになられますね?
アシュレはレダマリアにも周囲を見渡すよう促した。
彼女が誓った約束の実現を、だれが阻むのか。
その相手の顔がよく見えるように。
「はたしてあの美しいお手紙のなかで誓われた約定が、人と人との間でだけ通じるものではないのか、それとも真実、相手がだれであるかに関わらず──そうたとえ我らが悪魔であったとしても──必ず履行されうるものであるのか。猊下が、いや法王庁の方々までもが一致して、なにがあろうと必ず約束を果たすとお認めになるものか、わからぬでは困るというお話をしに参ったのです」
人外の者、異教の者、規矩の外を征く者との交渉事、約束事は反故にしても構わぬ。
その論理で幾多のヒトならざる者、教えを違える者を滅ぼしてきた。
それがエクストラム法王庁一〇〇〇年の歴史だった。
「端的に申し上げれば親書ひとつで猊下を信じろ、と言うのは無理がある」
「貴様アアアアッ、逆賊:バラージェ!! 我らがエクストラム法王庁を裏切り、魔の者と結んだ貴様が言う台詞かああああッッ!!」
歯に衣を着せず言い切ったアシュレに対し、喰ってかかったのは聖堂騎士団の聖騎士のたちだ。
先ほどまでの囁きめいた呪詛とは違う面罵と怒声を正面から浴び、アシュレは沈黙した。
もちろん威圧に屈したわけではない。
むしろ好都合と内心、笑う余裕すらあった。
あなたたちはわかっていない。
いまや恫喝するのはこちら側なのだ。
なぜならボクはすでにひとりの悪党であり、世界の裏面を行く者だからだ。
だから自分と同じく世界の真実を知ってなお戦ってくれると誓った者たちを──《意志》によって繋がれた仲間たちを──守るためであれば、どんなことでもする。
そんなアシュレに無言のうちに応じる者があった。
ほかのだれでもない、テラスの外で待機していた竜の皇女である。
ここまで燦然のソウルスピナをお読み頂きありがとうございます。
ただいま絶賛、間のブロックを執筆中DEATH!
とりあえず年内はノンストップでいけそうか、な?
攻城戦の部分を書いてるんですが、ホント城攻め鬱になりそう(異能者による城攻めは何度書いても鬱になりそう)DEATH!
あととりあえず、これ以降の年内の更新は20時ではなく17時とか18時とかを予定しております。
皆さんも、なんやかんやとあるでしょうし?
新年は……三が日はとりあえず更新はお休みさせて頂きます。
それ以降は原稿の整合性が取れ次第更新再開ということでよろしくお願いいたします!
でわ、よいお年をお迎えください!




