■第二八夜:改変の切先
スノウにはシオンがいきなり攻撃を受け、体内から槍衾に貫かれて爆ぜたようにしか見えなかった。
「ひいっ」
ここまで散々脅かされたあとだ。
這うようにして飛び退く。
引き攣れるような悲鳴が自分のものか、あるいは惨状を目の当たりにした真騎士の妹たちの上げたものかさえ、わからずにいた。
その場で冷静だったのは、当事者であるシオンとアシュレだけだった。
「案ずるな、妹たち。これは攻撃ではない。ただあまりに長い間、出番を待ち続けて退屈しておったのだろう。そなたらが脅える姿が見たかったようだな」
大丈夫だ、と苦笑して見せるシオンの声には、しかし、あまり余裕は感じられなかった。
「シオンさま?! これは……なんですのッ?!」
「お、お身体にいえお身体から槍がっ、穂先がっ?!」
「そうか、真騎士の妹たちはこれを目にするのは初めてか。なに慌てることはない。だが、決して触れずにおくのだ。いいな?」
駆け寄ろうとした真騎士の妹ふたりを、シオンが制す。
衝撃的に過ぎる現象と、シオンからの有無を言わせぬ制止に射貫かれ、さすがの妹たちも立ちすくみ慄くしかない。
刹那の沈黙が場に降りる。
最初に白い槍の穂先の正体に気がついたのは、悲鳴を上げた本人=スノウだった。
まさか、といううめきが白い喉を震わせて漏れた。
「これはジャグリ・ジャグラ。かつて人体改変の魔具だったもの。でもその内に溜め込まれていた邪悪な思念は、騎士さまの努力とシオン姉の改変ですでに使い果たされ《魂》の伝導によって焼かれ清められた。絶望の大君:エクセリオスとの闘いを経て、いまはもうアシュレさまの完全な制御下に置かれているはず」
それなのになぜこんなッ?!
そもそもわたしを二度も救ってくれた《フォーカス》のハズなのに。
驚愕とともにスノウが疑問を吐き出した。
「それがなぜ、こんな出現の仕方をッ?!」
見るのはおろか名を聞くのも初めてな真騎士の妹たちに比べ、夜魔の騎士:ユガディールとの決戦も、理想郷の王にして絶望の大君であったエクセリオスとの激闘も、そのいずれをもシオンとともに潜り抜けたスノウには、この異形の《フォーカス》の正体はすでに明らかであった。
それどころかスノウはヘリアティウムの地下書庫で、その肉体と精神をこの穂先で貫かれ、そこから注入されたアシュレの《魂》の輝きによって、魔導書:ビブロ・ヴァレリの支配から脱したという経緯さえ持っている。
だが、だからこそ目を見開いて、いまシオンを槍衾にしているそれとその挙動を凝視せざるを得なかった。
あえてぬめるように蠢きながらゆっくりと刺突を繰り返すその動きを、己の肉体である魔導書の頁で検索すれば──即座に該当するものに突き当たった。
あのバラの神殿で絶望の大君となったエクセリオスがジャグリ・ジャグラを支配してシオンを責め苛み、自分の理想の姿に書き換えていくときの動きと、いま眼前で起きている展開は酷似していた。
そしてそれこそが、いまシオンを襲う現象をして、スノウを恐慌に陥らせた理由だった。
「それに以前に見たときよりずっと太く大きく長くなってる。コイツら……成長してるんだよ姉!」
そんな義妹の表情に、しかり、と夜魔の姫は震えながら微笑んで見せた。
「しかり、そのとおりだ我が妹よ。こやつらはわたしのなかで日々成長し、同時にわたしを改変し続けているのだ。だがそれは、そなたと出会うよりずっと以前からのことだ」
こともなげに、しかも当然のように言う義姉の態度に、スノウは呆然と叫んだ。
「しかり、ってこんなことが普通であるはずないでしょ?! 姉のなかで成長?! しかも姉を改変し続けているっていうの?! ずっと?! そんなのわたし知らないよ?!」
「ああ、そなたには言わずにおいた。そして魔導書:ビブロ・ヴァレリの能力は内心や身の内で起きていることは記述できないから──知らぬのも無理はあるまい」
そうなのだった。
スノウは《魂》の伝導を経て生まれ変わったジャグリ・ジャグラの自律性・制御不可能性のことを、このときまだ知らないでいた。
姉の口から明かされる驚愕の事実にくらり、とスノウはめまいを覚えた。
自律性については初耳でも、ジャグリ・ジャグラの凶暴性を知らぬではないからだ。
《魂》の伝導体としてではなく、征服のために振るわれたジャグリ・ジャグラが、どんなふうに他者の肉体を書き換えてしまうのかを、スノウはもうあの理想郷のなかのアシュレの姿=エクセリオスの所業を目撃して知っていたのだ。
あのとき覚えた戦慄と恐怖、それから得体の知れぬ疼きを伴った憤りを忘れることなどできない。
泣きながら懇願する姉に振るわれる彫刻の、残酷に過ぎる、だからこそ甘美な見事さ。
愛した男の似姿が、姉自身の肉体を楽器にして歌わせる、残忍なる歌唱の絶望的なまでの艶めかしさ。
そのすべてを目撃したとき同じく──己の腹の底から突き上げてきたどす黒くも熱く、甘い疼きを伴った激しい感情が、このとき再び胸中に甦るのをスノウは感じた。
それは正確にはいまシオンが襲われている苦境に対する抗議ではなく、まったく別の感情なのであるが、なにとどう違うのか年若いスノウにはまだわからない。
ただその表出が同じく怒りであったがために、スノウは自らに勘違いを許したのだ。
あのときも、そのときもそうしたように、今回も。
不意にシオンの口から喘ぎが漏れたのは、そのときだ。
ああ、と桜色の唇から不意の悲鳴がこぼれ落ちる。
ぐぶりぞぶり、と夜魔の姫の肉体のそこかしこを音を立てるほど強く穂先が抉ったのだ。
スノウにはまるで、己のなかに湧き上がった激情をジャグリ・ジャグラが感知し、それに応えたように思えた。
弓なりになってしまいそうな肉体をなんとか押しとどめ耐える姉の姿に、スノウの心はさらに激しく乱されてしまう。
穂先が自分の同じ箇所を刺し貫いて、掻き回していったように感じた。
錯覚であるとわかっているのに痺れるほど強く。
「なんで?! どういうこと?! ジャグリ・ジャグラはもう負の《フォーカス》じゃなくなったんでしょ?! だってだって、あの塔の上で“理想郷”に心を喰われてしまったユガさま……ユガディールの攻撃を防いだじゃない! ううんそれだけじゃない。《魂》を伝導して、その心を救ってあげたじゃない! エクセリオスのときだって聖剣:ローズ・アブソリュートに《スピンドル》を伝達してくれたのは、純白に生まれ変わったジャグリ・ジャグラだった────」
わたしだって助けてくれたよ!
それがどうしてこんなことに?!
じぃん、と肉体の芯を震わせる感覚をごまかすように、スノウは激しく憤って見せた。
十三本の純白の穂先に内側から貫かれ荒く息を吐く義姉の姿は、スノウにとって直視に耐え難かった。
だがそれは、いま自分のなかに湧き上がる熱くて暗い感情を衆目にさらされているように感じているからなのだが、これもまたスノウには自覚できない。
そのもどかしさにスノウは自分の感情を取り違える。
三度目の勘違いを自分に許す。
だいたいこれが封都:ノストフェラティウムとそこに潜む悪夢どもを制するための秘策とどう繋がるというのか。
さっぱりわからないことが荒ぶりに拍車をかける。
「アシュレ、騎士さまッ、いったいこれはどういう──」
非難めいた眼差しを向けられたアシュレは黙して語らなかった。
それはスノウの問いを避けたからではない。
ジャグリ・ジャグラのこの挙動は、アシュレの制御によるものではない。
そしていまアシュレが強制的に介入したからといって事態が好転しないことを、アシュレとシオンのふたりはすでに経験と幾度も繰り返した試行錯誤のなかから知り尽くしていた。
しかしそれをどう説明したものか。
言い淀むヒトの騎士を庇うように話を再開したのは、当事者である夜魔の姫だった。




