■第二五夜:一喝
「アシュレ、人類圏における半夜魔の扱いはどうだ? 当然ガイゼルロンより事例は少なかろうが、ないことではあるまい。これまで遭遇したことはあるか? 元とはいえ聖騎士であるそなたは、その道のエキスパートであろう」
ギョッ、とした顔になったのはアシュレではなかった。
真騎士の血統を含む三人の妹たち。
キルシュとエステルは弾かれるような速度で、スノウだけは凍りついてしまった肉体を無理やり動かして、首だけでアシュレを見て。
一方のアシュレは淡々と焚き火をかいぐり、灰を掻き出し、あらたに薪を足しながら答えた。
無論、と前置きして。
ボッ、と火の粉が舞った。
「まず事実として断言しよう。ボクはこれまで半夜魔と刃を交えたことはない。スノウ以前には、生きている半夜魔に遭ったこともなかった」
新しい燃料に燃え移る炎を見つめながら、アシュレは続けた。
「シオンの言うように人類圏でも半夜魔は極めて珍しいんだ。けれども確かにエクストラム法王庁にも記録は残っている。魔女狩りや異端審問会と呼ばれる聖務のなかには、ときおりその記述が出てくる」
さてそれをどう語るべきか。
言葉を選ぶ間。
元聖騎士が話しはじめたのは、しばらくしてからだった。
「半夜魔の場合、存在が露見した段階で、その大半が忌み仔として母親の家族や村人の手で葬られる。まれに成人まで生き延びる個体がいたとしても、大半が狩り出される。夜魔の血、特に血を求める性は隠し通せるものではないからだ。そして審問と拷問の後、火炙りだ。なにしろ夜魔の血は屍人鬼禍を引き起こすと信じられているからね」
そしてそれはある一面で事実でもある。
「まれに修道院や聖騎士の家で預かりの修道女とされることもあるようだけれど……」
いったん言葉を切って、アシュレは唾を呑み込んだ。
はたしてこの話を妹たちに聞かせて良いものか。
言い淀む。
「預かりの修道女というのは、その……エクストラムの聖職者界隈では隠語なんだ。つまり、」
「……つま、り?」
追いつめられ過ぎて虚ろになってしまったスノウに、アシュレはゆっくりと告げた。
「人間であればそれは妾ということだけれど、魔の十一氏族が絡んだ話になると様相が変わる」
「お妾さん、ではなく?」
そうであるならまだ救われる、とスノウは思ってしまった。
たとえそれが肉欲に傾いた関係であっても、愛されて囲われて生きれるのならば、まだ耐えられるとそう考えたのだ。
もちろん、現実は違う。
「魔の十一氏族を預かりの修道女と呼ぶとき、基本的にはそれは、訓練や実験の被験者という意味になる」
「訓練や実験?」
「仮想敵であったり、生物としての実態を調べ上げるための検体だよ。なにしろ魔の十一氏族には《魂》がないことになっている。だからどんなことをしても許される。これはイクス教でもアラムの地でもそうだ」
「イクス教だけじゃ、ない。アラムの地でも……《魂》がないから、なにをしてもいい……」
姉であるシオンに引き続き、想い人の語る世界の残酷さにスノウはめまいを覚えた。
「なにもこれは半夜魔に限らない。捕獲された魔の氏族は、どの文化圏でも敵対種の特性を学ぶための格好の教材なんだ。ただ半夜魔は夜魔に比べたら、どうしたって弱い。特別な拘束具を用いずとも閉じこめておくことが容易だ。危険性を下げながら実技演習ができる。再生能力の検体としては理想的素材なんだよ」
生きながら腑分けて、その仕組みを学ぶための。
ボクにはその経験もないけれど、と精一杯の誠意を込めてアシュレは言った。
「ちなみに下級の夜魔相手でなら、ボクにも経験がある。実戦はもちろんだけれど、いま言ったような訓練も何度もした。もっとも彼らの多くは、その過程でもう夜魔とは呼べない生き物になってしまうわけだけれど」
それまで虚ろだったスノウの喉から、ひいいっ、と断末魔に似た悲鳴が漏れたのはこのときだ。
表情筋が痙攣を起こし、無残に引き攣ってしまっている。
もう立っていることも出来ずずいぶん前から膝をついていたが、その足がさらにがくがくと震えている。
いまにも壊れてしまいそうなほど瞳が揺れていた。
焦点は完全に失われていて、目に光がない。
気絶していないのが不思議なくらいだ。
けれどもこの話をここで終らせることは出来ない。
暗澹たる気持ちでアシュレは息を継いだ。
そもそもこんな話をしなければならなくなったのは、スノウたちの密航が原因なのだ。
自分たちから帰路に着くと言い出し誓うまで、これは止めることのできない話なのだ。
それでも、すこしでもその心の痛みを和らげてやりたい一心で、言い添える。
「エクストラムに連なる全部の貴族の家門が、魔の十一氏族すべてにそういう扱いをしてきたわけではない。互いを尊重する処遇というのがないわけではない。というのはバラージェ家に伝わるこの竜槍:シヴニールが真騎士の乙女からの寄贈品であるってのでもわかってもらえるかもなんだけれど……」
「でもそれって夜魔との子、半夜魔のことじゃないんですよね!? 真騎士の、汚れてない乙女たちが相手だから出来ただけで!」
パニックの兆候を見せてスノウが叫んだ。
たしかに、とそれが特例中の特例であることも認めてアシュレは言った。
「たしかに、そうでないことのほうが圧倒的に多いのは認めざるを得ない」
「つまりつまり、わたしは人類の敵ってことです? 不浄で邪な感情の果て、獣姦にも等しい行為によって産み落とされた哀れなあいのこってこと? ずっとずっと戦隊のみんなにはそう見えてたってこと!?」
そんなの、わたしの血の本当の秘密を隠してたって、なんの意味もなかったってことじゃないですか!
声にこそしなかったが、スノウの瞳はそう言っていた。
だが追いつめられ先鋭的な結論に飛びつこうとするスノウを、穏やかにアシュレは諭した。
「ボクにとってはそうじゃない。それにボクはもう正しい意味での人類とは違う。むしろキミと同族なんだ、スノウ。だからボクはキミをそんなふうに扱ったりしない。騎士として、いやひとりの男として誓おう」
でも、と震える少女の前に跪いて言った。
「でも世間の、世界の目は違う。人類圏における半夜魔はある意味で夜魔そのものより厳しい目を向けられ、悲惨な扱いを受けざるを得ない。《魂》のないはずの魔の十一氏族と、聖典によって《魂》があることを認められている人類との間に生まれた不都合な真実、その証明だからだ。夜魔たちが半夜魔をそう見るのと同じで、」
だから、
「だから人類圏では、よほどのことがない限りそういう存在を認めない。もし生存の事実が露見すれば、もっとも残酷で陰惨な方法を持ってこれを闇に葬る」
つとめて柔らかい口調でアシュレは告げたはずだ。
しかし、どのように諭されても、絶対的な精神的支柱である騎士の口から聞かされる世界の実際に、そしてこれまで自分を支えてきてくれた美しい物語への否定に二重に打ちのめされ、スノウは錯乱直前だった。
そして、その感情の動きは真騎士の妹たちにも伝播しかけている。
英雄の介添えとしてではなく、凡俗の群れに虜囚として捉えられたとしたら、自分たちがどう扱われるのか想像したのだ。
事実、不死ではなくともほぼ不老の存在である真騎士の乙女たちがそのような境遇に陥った場合、待っているのは果て無き欲望による玩弄の日々であり、例外なき蹂躙の運命が彼女らを襲う。
それゆえに真騎士の乙女たちは人間の凡夫を毛嫌いする。
英雄たちの《意志》の輝きが彼女らの目には実際の光となって映るのは、相手が信に足るべき存在か事前に見抜く生存の術でもあったのだ。
そしてそうであるがゆえに、いま妹たちから自分に向けられる脅えを含んだ視線を、アシュレは避けることなく受け止めた。
バラージェ家の祖先が修道女として匿った女性のなかには、実はそういう悲惨な境遇から救い上げられた者たちが居る。
これは、魔導書:ビブロ・ヴァレリと融合したスノウが貪り読んだバラージェ家の過去から、アシュレも知ったことだ。
その乙女は歴代の当主に仕え、その時代時代の奥方たちと手を取り合ってバラージェ家を守護してきた影の存在だった。
だが、あるとき愛する男たちに乙女の祝福を与えながら黄泉路への旅立ちを見送り続ける苦役からの解放を願い出て、未亡人である奥方のひとりにこれを許された。
竜槍:シヴニールもそういう来歴から人類圏にもたらされた武具のひとつだが、いまここでその話をしても妹たちの心は休まらないだろう。
無理もないことだし、こうなることを前提で、シオンもアシュレもこの話を始めた。
いかなる陰惨であろうとも、ここから先、自分たちとともに歩むと言うのであれば「知りたくなかった」という言い訳は通じない。
「もっとも残酷で陰惨な方法で闇に葬る──ってどういう、どんなことをするんですかっ」
だが当のスノウは、そうは思わなかったようだ。
突きつけられる衝撃の事実の連続に耐え切れず、ついにパニックを起こして噛みついてきた。
「具体的な内容は聞かないほうがいい。ただ死んだほうがマシだ、という扱いだということだけはハッキリと言える。それは人類社会における警告の意味でもあるんだ。禁を犯して魔の十一氏族と通じたときなにが起こるか、という」
「そんなのっ、ひどい、ひどいよっなんでっ。じゃあ騎士さまにもわたしは、わたしたちはそう感じられてきたってことなの!? ねえ教えて! 汚らわしい姦淫の子だって思ってたってことなの!? 罪の子だって、罰されるべき人外との、姦通の、」
「甘えるな、小娘」
瞬間、鋭く一喝したのは、ほかならぬ夜魔の姫だった。
静かに低く、押さえた口調で、ただし有無を言わせぬ強さを持って。
「アシュレダウは違うと言った。たったひとり、自分だけは違うと言い切ってくれた。それでは不足か? たとえこの天地がひっくり返ろうとも、アシュレだけはわたしたちの騎士でいてくれる。わたしたちと同じだと、そう言ってくれている。そしてその言葉が確かなことは、すでに彼の生き方が証明してくれている」
「でもっ、姉っ!」
「言葉ではなく彼の者の行いを見よ。その男はわたしやそなたのために、すでにヒトの騎士としての人生を投げ打って戦ってくれたではないか。その男が夜魔の究極であるわたしのために、そして半夜魔であるそなた自身のために、いかに我が身を投げうち、いかに奮闘してくれたか。ヘリアティウムの地下書庫で魔導書に融合されたとき、あるいはあの理想郷の王:エクセリオスとの闘いに居合わせたそなたが、さらには死せる《御方》の祭壇で取り込まれかけたとき彼の献身に助けられたオマエが、知らぬとは言わせぬ」
「でも、でも……っ」
「その男が誓ってくれたではないか。彼だけは決して《みんな》のように、この世界のようには我らを扱わぬと。それだけでわたしには十分に過ぎるが?」
それとも彼の者が、いまも変わりなく注いでくれている愛を、そなたは疑うというのか?
最後の問いかけだけは言葉ではなかったが、代わりに断固たる意志を秘めた瞳がスノウを射抜いていた。
それは同時に、聴衆としての真騎士の妹たちをも貫く。
我が身を賭して自分たちの尊厳と自由のために戦ってくれたヒトの騎士の話は、たしかにキルシュとエステルのふたりにとっても決して他人事ではなかった。
「自らを取り巻く世界の現状──その残酷、陰惨、凄絶、不条理と、それらに立ち向かい、これを変革すべく、わたしたちとともにあることを誓ってくれた騎士の心とを混同するでない。なんなれば、我らはその男とともに戦うと誓ったはずだ。この世界の理不尽を覆すために!」
まだ動揺を隠せない妹たちをまっすぐ見て、シオンは告げた。
「わたしとアシュレは、できればこの世の残酷をそなたたちには知らずにいて欲しかった。ただまっすぐに未来と希望を信じ、ヒトと夜魔とが、いいや魔の十一氏族と人間とが、いつか手を取り合える未来だけを夢見て歩んで欲しかった」
そのために、
「そのために我ら大人が暗闘を引き受ける覚悟をした。この戦いからそなたらを遠ざけたのもだからだ。今次作戦のメンバーから外したのはそのため。決してそなたらを軽んじたからではない」
しかし、
「その心遣いを無に帰したのはそなたたちである。なぜ姉が、わたしが、このシオンザフィルがあれほど激昂したか、望まぬ暴力に訴えたかまだわからぬのか。そのうえでまだ被害者と弱者を気取り、駄々を捏ねるならこの場で素ッ首、切り落としてくれよう。そのような性根では、ここに残るも進むも待ち受ける未来は無残というものだろうからな。それが姉としての、せめてもの情けというものであろう」
わたしたちが賭けているのは互いの命であり、己の存在であり、自らが望んだ世界の未来そのものなのだから。
「わかったか」
有無を言わせぬシオンの問いに、がくがくと震えるアゴを隠すこともできず妹たちは頷いた。
「なれば黙れ、騒ぐな、そして覚悟して選択せよ」
一息に言い切ると「アシュレ、半夜魔についてはまだなにかあるか」とスノウたちの意向など歯牙にもかけずシオンは問うた。
いやない、とアシュレも簡潔に答える。
こちらも姉と妹たちの間で交されるやりとりに動じた様子は微塵もない。
ヒトの騎士はもう完全に夜魔の姫の考えを理解していた。
夜魔の姫は自らが信じると断言した男の落ち着き払った様子に、わずかに眼光を緩めると話を再開した。
「ならば妹たち──さらに聞け、より深く理解に及ぶために」
そう、ここからこそが本題なのだから。
シオンは言った。
そなたは理解せねばならぬ。
そなたとわたしのなかに巣くう本性の怪物のことを。




