■第二三夜:境界線に立つ少女(3)
自分が異種族間に生まれたという事実から、人間と他種族の間には自然と子がなされるものであるという認識でスノウはいた。
そこに恋と愛と男女の関係があれば、たとえ異種族間でも肌を重ね合いその結果として子を授かることは、ごく自然な行為であり結論だとずっと思い込んでいた。
もちろんいまやスノウと一体となった魔導書:ビブロ・ヴァレリには、その子細もすべて、いまシオンが語るよりも遥かに詳しく実例を持って記述されているハズだが、スノウはそれを知らない。
読んでいない。
本能的な嗅覚とそれを呼ぶか、魔導書による悪意ある偏向と呼ぶべきかは、わからないがとにかく読もうとしてこなかった。
己が内に記述があることと、スノウ自身がその知識を得ていることはまるで別のことだった。
スノウ自身が望まぬかぎり、魔導書は本当の意味で大事な知識を与えてはくれない。
そしてシオンの言葉は、これまでのスノウの幼い思い込みを粉砕するものだった。
「たとえば真騎士の乙女たちはたしかにヒトの子の英雄と番う。が、真騎士の乙女たちが身篭るためには、ヒトの子の英雄を人間から英霊にしなければならない。肉を持ったまま番っても、その子どもを得ることは決して出来ないのだ。どれほどに互いが望んでもな……」
いささかにしても、その場に居合わせた真騎士の妹たちを気遣うような口調で、シオンは言った。
キルシュとエステルのふたりはうつむいて、ちらちらとアシュレに視線を向ける。
たしかに彼女ら真騎士の乙女たちが真に欲するのは、ヒトの子の英雄そのものではなく、さらに純粋化され概念化された情報体としての英霊との交わりだ。
さらにはその結果、英霊と真騎士の乙女の間で生み出されるのは、必ず乙女たちの血筋の者となる。
そうやって真騎士たちは女性しかいない自分たちの種を維持してきたのだ。
この事実についてはかろうじてスノウも知るところだが、あらためて言葉に直されるとやはり衝撃を受ける。
肉体ある種族=ヒトや夜魔にとってそれは、愛する男を情報体に変えて永遠に奪い去られるという意味だからだ。
「またこれは過去にイズマに聞いた話だが──土蜘蛛が人間との間に子を望むのであれば、数ヶ月に渡る投薬と秘術の行使が必須だそうだ。それも母体は必ず人間の側でなくてはならん。血の可塑性の問題だとイズマは言っていた」
だから人類圏で語り継がれる土蜘蛛の取り換え仔の話=父親と肌の色の違う子どもが生まれてしまうという逸話は、必ず妻の不貞と結びつく。
「蛇の巫女たちは、これも名が示すように女性だけの集団だから、別系統の秘術に訴える」
こちらは土蜘蛛より長命種らしく、さらに気の長い方法だが、
「気に入った人間の男を自らの血と肉で何年も養うのだそうだ。そのうえでそれら血肉を触媒に男の肉体に呪いをかけて変質させる。それこそまるで呪物のように。蛇の巫女を孕ませる呪いそのものに変える。そのうえでやっとのことなのだと蛇の姫:マーヤは教えてくれた」
ちらとアシュレに視線を走らせて、シオンは口中にしても呟いた。
もしあの姫:マーヤがそう望むのなら、この男はどうするつもりだろうな、と。
「そう考えれば淫魔や豚鬼、そして魔獣たちの場合は、その胎内や精そのものが呪いのようなものなのだろうよ。借り腹を提供する側なのか、注ぎ込む側なのかはわからぬが、いずれにせよ生まれ出でてくるのは混血種ではなく、必ず相手側の種のものだ。淫魔なら淫魔、豚鬼なら豚鬼、魔獣であれば必ず魔獣が。この場合、人間の腹も精も単なる借り物に過ぎない。まこと一種の呪いであるな」
だが、と瞳を閉じ、微かに小首を傾げる。
「だが我ら夜魔の場合はそのような秘術や秘薬、儀式に頼る必要はない」
なぜなら、
「なぜなら我らはヒトの子を、血の授受によって自ら同族に作り替えることができるからだ。子を望むのであれば、見初めた相手を同族へと引き上げ、迎え入れれば良いだけのことだからだ。夜魔同士の番いであるのならば、なんの問題もなく子は産まれる」
まあそもそも夜魔同士の婚姻と受胎自体がそうそうあることではないが──それでも人間との間に子を望むよりははるかに可能性のあることだ。
そうシオンは言った。
道理だった。
そしてそれはまた極めて端的に、先立ってのシオンの主張を裏付けるものでもあった。
夜魔の姫は指を二本立てて見せた。
「夜魔にとって、我が子とは二種類の意味合いを持つ呼びかけだ」
ひとつは吸血によって印を与え、その後、自らの血肉を分け与えヒトの世の業苦から救い上げ迎え入れる愛し子という意味。
もうひとつは文字通りの我が子=夜魔同士の間で望まれて生まれた純血の夜魔という意味。
わざとゆっくり、指折り数えて聞かせる。
そして現れ出でた拳に力を込めて見せた。
まるでなにかを握り潰すように。
「そこに半夜魔などという半端な存在の差し挟まる余地はない」
冷たく突き放されたスノウは実際よろめき、一、二歩と後退ってしまった。
姉と慕った夜魔の姫からの拒絶とも受け取れる告白を聞いてしまったスノウは、めまいを覚えずにはおれなかった。
「そんな……そんなのおかしいよ。だって姉、わたしはたしかにこうしてここに居るんだよ!? 人間の母さまと夜魔の騎士のお父さまの間に、望まれて生まれてきたんだよ!?」
母親から繰り返し繰り返し語られてきた恋物語を心の支えに、スノウは叫んだ。
「トラントリムにはほかにも同じような子たちがたくさん居るって、みんな言ってたよ! 夜魔の騎士さまとの恋で生まれた子たちだって、だからみんなで大切に育てるんだって! 実際にわたし、わたし、村ではとっても大事にされてきたよ!」
カラカラに乾いた喉から声を張り上げ、スノウは主張した。
けれども必死に自らの実在を叫ぶ妹に、シオンは冷たく応じるだけだった。
「それについてだが、トラントリム以外の國でそのような事例はまずない。まったくなくはないが、もっとずっと稀なことだ。すくなくとも同時代の国内に何人も半夜魔が居る、というようなことはあり得ない」
事実は事実として認めながらも、容赦なく指摘する。
「きっとなのだが、そなたの母君と夜魔の騎士との間にそなたが生を受けたのも、それ以外の半夜魔たちが複数、それも同年代の者たちがそれなりの数存在し得たというのも、あの國ならではの特殊な事情に原因があったのであろうな」
「あの國ならではの特殊な事情?」
「半夜魔が生まれやすくなっていた理由だ」
このときスノウの表情が痙攣するように強ばるのを、シオンは見逃さなかった。
シオンの言うところの特殊な事情こそが、己の“理想郷”にまつわる特別な出自を指しているのだと、スノウは勘付いたのだ。
そしてそれは、この場ではまだ口の端に上らせてはならない真実だった。
夜魔の姫は、勇み足を踏んだ妹が飛び込まなくてもいい危地に踏み込んでしまわぬよう、素早くフォローを見せた。
「これは運命が操作されていたと考えるのが筋だ。トラントリムという國は、ユガディールという男が描いた夢=《閉鎖回廊》の一種だったのだからな。どうだスノウ、そなたもそう思うだろう(・・・・・・・)?」
意味深な視線とともに話を振られ、スノウは姉の意図を察した。
ガクガクと震えているのか同意しているのか見分け難い仕草で、曖昧に頷く。
「《閉鎖回廊》の影響……運命操作って、そんな。ねえ……シオン姉、半夜魔ってほかの国では、本当にそんなに珍しいの?」
このとき、ふたりのやりとりの本当の意味に気がつけたのは、シオンを除いてはアシュレだけだった。
当事者であるスノウはたぶん、半分も分かっていないままにシオンのフォローを受け入れた。
本能的な怖れに突き動かされ、反射的に深入りを避けただけ。
それほどにシオンのフォローが見事だったとも言える。
ギリギリで踏みとどまった妹の理性を褒めるように、夜魔の姫は大きく頷いた。
半夜魔は珍しいのか、という当初の問いに応じる。
「ああ珍しい、かなりな。もちろんそなたの言うように、事例がないことではない。が、すくなくともガイゼルロンでは極めて稀だと言わざるを得ない。過去に十数例ほどしか実例はない。人類圏では言わずもがなだろう」
「現世界最大の夜魔の國:ガイゼルロンの一〇〇〇年以上の歴史のなかで……十数例!? たったそれだけしかないの? どうしてなのか聞いても良い、姉?」
これまでにない必死さをスノウは見せた。
シオンとて、その心の動きは理解できないものではない。
スノウは、これまで自らの目標として夜魔の騎士に並び立ちたいと願い、そこに向かって邁進してきた娘だ。
両種族の血を半分ずつ引く自分は、夜魔とヒトとが融和して暮らしていける世界を象徴する存在なのだと、ずっと信じて生きてきた。
自らが純粋な夜魔の血統ではなく、ましてや人間のそれだけでなく、“庭園”の因子までをも引き継いでいる存在だと知らされたいまでも、その想いはスノウにとって自らを支える大きな柱であり続けてきた。
その娘が世界の本当の理を知る。
人類圏の人々が夜魔という存在に抱く、狂おしいまでの嫉妬と恐れ。
どうしようもない敵愾心を。
反対に夜魔たちが人類に向ける蔑視。
その残酷な現実を。
そしてなにより、半夜魔という種の異常性を。
それは通過儀礼と言うにも過酷な試練。
だが、この事実から目を逸らしている内は、自らが抱える更なる秘密を直視することなど出来はしない。
いいや。
究極を言うのであれば、出来ずともよい。
シオンはそう思っている。
そしてこれについてはアシュレも同感だと言ってくれた。
だからこそシオンとアシュレは、この作戦からスノウたちを外した。
けれどもスノウは、その気遣いを拒んだ。
アシュレたちの配慮を、自分を仲間外れにする策だと曲解した。
結果として、ひとたび踏み込んだら引き返すことの出来ぬ場所──封都:ノストフェラティウムの喉元にまで──密航してまでついてきてしまった。
その上で自らの出自を直視せぬと言うのであれば、ここから先に連れて行くこともまた出来ぬことだ。
己が出自の秘めたる陰惨を知らぬままにそれを目の当たりにすれば、それこそスノウは壊れてしまう。
これより先、封都:ノストフェラティウムに足を踏み入れたのなら、必ずそのようになる。
そうなってしまったら、アシュレもシオンもスノウを守り切ることはもはや不可能だ。
そうはさせぬ、と内心にしてもシオンは決意した。
そうなる前に、わたしがその残酷を買って出る。
発達した犬歯が焚き火の明かりに照らされ、ぬめるように光った。
声色は地に落ちる。




