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■第二二夜:境界線に立つ少女(2)




 狼狽する精神の妹:スノウに、夜魔の姫:シオンは姉として、厳として語った。


「そうだ、スノウ。夜魔であれば己が本性イドの怪物からは決して逃れられない。その血が古ければ古いほど、濃ければ濃いほど──つまり高位であればあるほど、その呪縛は深まる。年月とともに歴史の積み重ねが、夜魔を強く縛っていくからだ」

本性イドの怪物。古き濃き……血の呪縛……」


 夜魔の血を引くふたりの会話に、それまで黙り込み半夜魔ダンピールの娘を挟むように抱きついていた真騎士の妹たちが身を強ばらせた。

 自然とスノウに視線が集まる。


「決して逃れられない、ってことは……それは夜魔の血に連なる者のなかには例外なく居るの? 夜魔の血統に本性イドの怪物は、必ず受け継がれるものだってこと?」

「そうだ。夜魔の血統に生を受けたのであれば、例外はない」

「それじゃあもしかしなくともわたしの、半夜魔ダンピールのわたしのなかにもいるの? ソイツ──本性イドの怪物が」


 シオンが予想した通り、集まる視線に追いつめられるようにして、スノウが致命的なひとことを口にした。


 そこには“庭園ガーデン”の怪物が、という意味合いも含まれている。

 無論、この場でスノウの叫びの真意を理解できるのはアシュレとシオン、そしてスノウ本人だけだったとしても、自分のなかに見たこともない怪物がいるのか、という悲痛な問いかけの意味するところは変わらない。


 ついに真騎士の妹たちがスノウから手を放し、そっと距離を取った。


 無理もあるまい。

 いま彼女たちの周囲には、その具体的な例示で満ちているのだ。

 壁面に、天井に、目の端に映るあれこれは単なる偶像ではない。


 考えるな、脅えるな、というほうが無理だった。

 夜魔の姫は沈黙して、ひとり震える精神の妹を見つめた。

 

 当事者であるスノウには、静かなシオンのその瞳が自分の呪われた血筋をひどく責めているように感じられた。


 沈黙に耐えられない。

 急き込むように再度、確認する。


「いるん、だね? 本性イドの怪物ってヤツが、わたしのなかにも」

「認めよう。ごまかしても意味はない」

「じゃあわたしもいつか本物の怪物になっちゃうの?」


 さらに性急にスノウは訊いた。

 呼吸は速く、浅く、発作の前兆さえ窺えた。


 しかしそれに対する夜魔の姫の返答は、いささか明瞭さを欠いたものだった。

 言葉を濁しているというより、確証を得られず悩んでいる、というのが正しい態度。

 うむん、という唸り声とも嘆息とも取れる呼気が、その喉から漏れる。


 血液に関する専門家であるからこそ、断言できないことがある。

 返答の曖昧さを、アシュレはそう捉えた。


ねえ?」

「それについてはわからん、というのがわたしの見立てだ」

「わからないってどういうこと? この世界にはねえほど高位の夜魔はそうはいないんでしょ? だったらねえほど夜魔に詳しい人物もそうはいないってことで……そのヒトがわからないってどういうことなの!?」


 煮え切らないシオンの態度に、スノウが噛みつく。

 こちらには追いつめられたケダモノが、触れる相手に反射的に反撃するあの勢いがある。

 対するシオンは特に動じた様子もなく、またごまかそうともせず、冷然と応じた。


「まず、そなたに流れる夜魔の血は濃い。それだけは保証できる。そなたの血潮が放つ薫りからして、父君が相当に強力な《ちから》を備えた夜魔の騎士だったことは明らかだ。それは認めよう」


 なにしろあのユガディールがそなたの父なのだから、とスノウには聞こえた。

 もちろんそれは疑心暗鬼に陥ったスノウの幻聴に過ぎない。


 そんなスノウを無視して、シオンは続けた。


「だから本性イドの怪物も間違いなく、そなたのなかにいる。いるはずだ」


 しかしそうであってもシオンが断言を避けたのは、スノウが内包するそれ以外の因子に、ある種の希望を見出していたからだった。


「けれどもそなたは、それ以外の不確定要素をいくつもその身に帯びている。それがそなたにどのような影響を与えるものなのか、わたしでさえ計り知れぬ」

「それ以外の不確定要素……それってそれって」


 悪いほうへ悪いほうへと想像を膨らませがちな妹が暴走を始めるより早く、シオンは不確定要素と呼んだもののうちのひとつを断定して見せた。


「たとえば──海トカゲから真騎士の乙女たちの飛翔艇を守る作戦のとき、自分で言っていたではないか……アシュレの視線を感じてしまうと。名を呼ばれるだけで電流が走り抜けると。それは断じて夜魔の血のせいではない。そなたの身にいまも起きているであろう異変は、すくなくともいまのところ夜魔の血に起因するものではない」


 シオンから指摘され、ここ数ヶ月で起きた急変に呼応するように爆発的に成長してしまった胸乳にスノウは手を置いた。

 そこにはいまもずっと、まるで開いてもらうのを待ちわびる書籍のように、爆ぜてしまいそうな圧力が内側からかかっている。

 スノウが密航までしてついてきた一因は、間違いなく自らの肉体を襲うこの異変にある。

 

「それは……魔導書グリモア:ビブロ・ヴァレリのこと?」

「そうだ。たしかに魔導書グリモアとの融合は不幸な事故であり、そなたの望むところではなかったであろう。であれば、いまそなたを襲う異変もそなた自身の望みではないはずだが……。しかしわたしはそこに一縷いちるの望み──希望を見てもいるのだ」


 バラの神殿での経緯から、スノウを襲う変異は彼女が心の奥底に抱える《ねがい》と深い関連があることを、シオンとそしてスノウ本人だけはすでに知り得てしまっている。

 

 ゆえにシオンが口にした『いまそなたを襲う異変もそなた自身の望みではないはず』という言葉は、ある種の方便に過ぎない。

 いまスノウの肉体が起こす急激な変化は、すべて『もっとアシュレに耽溺して欲しい』と望む彼女自身の《ねがい》を、魔導書グリモアが直接的に叶え続けてしまっているからなのだ。


 当然シオンがそれを口にすることはありえないが、当事者たるスノウにして見れば、そんなものを希望と呼ばれてもすんなり呑み込めるものではない。


 だいたいがスノウの血筋への直視を妨害しているのは、その魔導書グリモアそのもの、ビブロ・ヴァレリが該当頁を封印してしまっているからではないか。


 理不尽だ、とスノウは思った。

 瞬間最大風速的に、嫉妬にも似た怒りが突き上げてくるのを感じた。


 純血の夜魔のお姫さまであるねえに──キレイな血筋のねえに──混ぜ物一杯で汚れてるわたしの気持ちが分かるはずない!


「希望って。そんな簡単に言うけど。ねえにわたしのなにがわかるの。そんな無責任だよ!」


 自らのカラダを襲う異変について、シオンがその秘密をここで詳らかにしなかったことについてはその優しさに感謝しながらも、吐き捨てることしかスノウにはできない。


「これが、こんなものが希望って、そんなのあるわけない!」


 視線をいまも肥大し続ける胸に落として、吼える。

 対照的に、シオンの対応は冷ややかだった。

 自覚があるようだな、と念を押す。


「自分でも認めるようにいまそなたを襲う異変は、その経緯と症状から魔導書グリモア:ビブロ・ヴァレリとの融合が引き起こしているものだと診断できる」

「そうだよ、いまだってメチャクチャ我慢してるんだよ、大変なんだよ。それをそれをそれを!」

「だがそれは同時に、そなたの何割かはすでにアシュレを主人と認めた《フォーカス》と一体である証でもあるということなのだ。そして、」


 それがわたしには希望に見える。

 淡々とシオンは言った。

 それがスノウには気にくわない。


「だからなに勝手なこと言って……」

「聞け、スノウ」


 うつむいて首を振り、頑なに否定しようとするスノウを遮って、シオンは続けた。


「たとえば、そなたのなかですでに夜魔の血に起因するおぞましき魔性が育っていたとしても、それを御し得る手綱がすでにある、あるいはあるのかもしれないと、そうわたしは言っているのだ。つまりここで重要なのは、そなたがすでに何割か魔導書グリモア=《フォーカス》であることであり、さらにその所有者はアシュレであるということだ」


 わかるか、と視線で諭した。

 それを見たスノウの顔色が変わった。

 シオンの言わんとすることが、すこしだけ理解できたのだ。

 つまり、と確認するようにうめく。


「つまり、わたしはもうアシュレさまに個人適合化パーソナライズされた《フォーカス》でもあるから……そういうこと?」

「ある種の毒と毒が拮抗して打ち消し合うように、呪わしき運命同士がときに互いを相殺する鍵となり得るかもしれぬ。夜魔の本性がそなたを引きずり回すのを、魔導書グリモアの魔性が阻害するかもしれぬ。あるいは所有者であるアシュレの介入が、なんらかの好転を起こしてくれるやも。いずれの場合もあくまでもしかしたらだが、可能性がまるでないというわけではない」


 あるいはいまもまだ我が身を犯し続ける魔具:ジャグリ・ジャグラが、《魂》の伝導によって大きな変化を起こしたように……。

 自らの胸乳に手を置いて、シオンは告げた。


「アシュレさまに所有されていることが好転を。そっか……そっかそういう意味の希望なんだ」


 精神の姉と慕ったシオンからの言に、スノウは納得を示した。

 蒼ざめていた頬に、かすかに血の気が戻る。


 アシュレに所有されていることが自分を怪物化から救い得るかもしれないというシオンの言葉は、いま寄る辺なく立ち尽くすスノウにとってたしかに希望と言えた。

 小さく胸の奥に光が灯った気がして微笑む。


「だが、だ」


 しかしシオンは、妹の安い期待を即座に打ち消した。


 事実を直視せぬままの安堵など、ただの気休めよりもよほどにタチが悪いことを、シオンはだれよりも知り抜いていた。

 特に当事者が己の危険性を完全に理解するまでは、安易な希望は猛毒より遥かに剣呑であると知っていた。


「だが、それも単なる希望的観測に過ぎぬ。安易に過大な期待など抱かぬことだ。それほどにそなたが背負った運命は過酷」


 希望的観測を自ら進んで現実のものと取り違えることで、速やかに安心を得ようとするスノウに、シオンは容赦なく釘を刺した。

 

「そんなことより先に、そなたは知らねばならん。曖昧な希望ではなく、冷然たる事実を。己に流れる夜魔の血のこと。その怪物性の強大なること。それにその運命サガに呑み込まれた者の無残。そして半夜魔ダンピールという存在の異常性を」


 手厳しい指摘に、スノウはふたたび固まった。

 なによりそれは予期せぬ指弾だった。

 不意打ちに震える口調で、おうむ返しに訊く。


半夜魔ダンピールという存在の異常性? なんでどうして? 半夜魔ダンピールであることがすでに異常だって、いまねえはそう言ったの? なにそれ……どういう、」


 意味?

 暗闇のなか微かに灯された希望の火を、不意の突風に吹き消されてしまった迷子のように、スノウは虚ろに問いかけた。

 夜魔の血の怪物性うんぬんの話以前に、自らの存在そのものを否定されたのだから、無理もない。


 動揺を隠せない妹に、知らぬなら教えよう、とシオンは応じた。


半夜魔ダンピールとは本来あり得ない種だ、という意味だ」


 至極簡潔にシオンは答えたが、当然のごとくスノウは納得しようとはしなかった。


「そんな。だって、わたしは現にここに居るよ。これが現実じゃん。母さまと……名前も顔も知らないけれど父さまの間で恋をして愛し合って生まれてきた子だって言われて……ずっと信じて生きてきたもん。あり得ないっていう話のほうがあり得ないよ。そんなの信じられるわけない!」

「そうだな」


 あくまで認めようとしない妹とは異なり、シオンはスノウの主張を一部認めて頷いた。


「たしかに異種族間で子供が産まれる事例があることは認めよう。たとえばヒトの子の英雄と真騎士の乙女との間には、同じく真騎士の娘たちが生まれる。土蜘蛛とヒトとの間には取り換えが。蛇の巫女や淫魔もときにヒトとの間に子を設けるというし、豚鬼オークや魔獣どもはどの種とも交わり、自らの子孫=忌みを孕ませる」


 しかし、だ。

 おぞましいたとえを折り混ぜながら、シオンは言った。


「それらはその多くが秘術や秘薬の助けを必要とするもので、生物本来の営みという意味では通常は成立しないものなのだ」

「えっ!?」


 初めて明かされる内容に、スノウは驚愕した。






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