■第十八夜:夜の門
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“この門を潜るもの 陽光のぬくもりとともに人倫を捨てよ 夜は汝とともにあり”
頭上のアーチには古代統一王朝:アガンティリスの言葉でそう刻まれていた。
ちなみに人倫の部分にはルビが振られており「くびき」と読むのだとシオンが教えてくれた。
怖気の来るような姿をした怪物を模した彫像がそここにあり、物陰から、また頭上からアシュレたち一行を見下ろしている。
だが本当の意味で少女たちを震え上がらせたのは、異形なる門扉を彩る彫像たちの姿形ではなく、ましてやそこに刻まれた文言ではなく、ただその門から覗き見える彼方の光景であった。
「あすこに行くの?」
震えながら訊いたのはスノウだった。
少女たち三人は互いのカラダに手を回して抱き合い、シオンが示した光景を食い入るように見つめている。
「夜魔たちの始まりの地、封都:ノストフェラティウム」
シオンが口にしたその名を、アシュレが忘れることはない。
「そこは、この世界によって夜魔という役割を押しつけられた我が祖先が、最初に辿り着いた聖避難所であり、やがてその存在を禁忌とされた場所。我ら決して記憶を忘れることなき夜魔が、なんとかして忘れようとした忌むべき場所だ。故に、その姿を目のあたりにして生き延びた数少ない夜魔であるわたしは、あの城をこう呼んでいる──」
──廃棄城、と。
そしていま、夜魔の姫をしてそう呼ばわしめた光景が、アシュレたちの視線の先にある。
「お墓、みたい」
恐怖に震える唇を動かしてそう言ったのが、三人の少女たちのうちのだれだったのかはわからない。
だがその表現は極めて端的に、封都:ノストフェラティウムの本質を言い表していた。
無数の人骨で埋め尽くされ飾り立てられた城塞の姿は、たしかに城と言うよりは墓場、あるいはもっと陰惨な場所に見えた。
「墳墓というのはなかなか良いたとえだ。実際あすこは墓場だよ」
恐怖に震える妹たちの言葉を、夜魔の姫は苦笑を持って認めた。
返す刀で問う。
「だが、汝らなにかおかしいとは思わんか。我ら夜魔は不死の存在。しかも故人の記憶を決して忘れない完全記憶を持っている。そんな種に墓などいるか? まあ手を尽くせば、あるいは陽光を浴びせかければ、灰燼に帰すことはできるにしてもだ」
墓とはすなわち故人を忘れぬための記念碑である、という意味でシオンは問うた。
自分たちの殺し方・滅し方を冗談めいて付け加えるところが、極めて夜魔的だとアシュレなどは思う。
投げ掛けられた不意の問いかけに、妹たちは揃って姉の顔を見つめ返すことしかできない。
抱き合ったまま、青ざめた顔で応じる。
「そうだった。夜魔にお墓って……」
「たしかに、ですわ。変ですわ」
「死ねないのに、お墓だなんて……おかしいもんね。でもじゃあ、実際に墓場って、どういうことなの?」
そう、不死者に墓は要らない。
だがだとしたら、いったいあれはなになのか。
動揺する妹たちに対し、教えてやろう、とシオンが笑みを広げた。
「あすこは地獄だ。この世に現出した実存ある地獄。夜魔専用のな」
であれば、
「その闇に巣くい蠢く者どもは、亡者かさもなくば悪鬼の類いとしか言えまい。しかも不破の監獄に囚われた……」
ひゃっ、と喉の締まるような悲鳴を少女たちは上げたが、軍議の際その一部始終を漏らさず聞いていたアシュレにとっては、ここまでは既知の情報だ。
あの日シオンは、その地獄を突破してガイゼルロンに突入すると提案したのだ。
加えて、アシュレとわたしのふたりであればその突破は可能だ、と断言した。
しかしあのときシオンは、封都:ノストフェラティウムが禁忌とされたわけも、夜魔たちがその実在と所在を忘れようとしてきた理由についても、ついに語らなかった。
ただそこに封じられている存在については「眠らない悪夢」とだけ、その名を告げた。
そしてその悪夢の存在こそが、ガイゼルロンの夜魔たちに自分たちの接近を察知させないのだ、とも。
だから、ここから先はアシュレも知らぬことである。
夜魔たちの大侵攻に対抗するための軍議のなかで、忘れられた古き都を巡る逸話など余談であるとして、シオンは詳細を省いたのか。
あるいはこうして現地で、同伴するヒトの騎士にだけ説明すればよいと決意したことなのか。
ただ、嵐と化した雲竜とともに行く空の旅のなかで、その答えについてアシュレはずっと考え続けていた。
シオンが説明を省いた部分。
封都:ノストフェラティウムの歴史を、完全記憶を持つはずの夜魔たちが忘れ去ろうとした、本当の理由について。
その仮説と疑問とをぶつける機会が、ついに巡ってきたというわけだ。
「墓場にして封都、夜魔専用の地獄。そこに巣くう者どもが眠らない悪夢と言うのであれば、その正体とはほかでもない。かつて夜魔だったモノということなのかな? それも死という安息から見放され眠ることを忘れた」
なかば確信めいて言うアシュレに、シオンは頷いた。
やはり答えに辿り着いたのはそなただったな、と。
「左様。ノストフェラティウムは、だからこそ封ぜられた。あの都市に巣くうのはかつて夜魔であった者どもであり、いまや夜魔であることを保てなくなった連中だ。そなたの言葉を借りるなら──眠りを忘れて」
「眠りを忘れ、夜魔であることを保てなくなった者ども。そうなんだな?」
「ああだが、ひとことでその全容を説明するのは難しい。なにより語るより見たほうが早いし実際そうするつもりでいたのだが……状況が当初の予定とは大きく変わってしまったからな。手間は手間だが、やはりここで話すことにしよう」
見てからでは手遅れになりそうな者たちがおるゆえ。
ぶるぶると震え、完全に歩みを止めてしまった妹たちを見返って、シオンは腰に手を当てた。
苦い笑みがその口元には浮かぶ。
「門の下に休憩所がある。かつてこの道が人類のものとして使われていた時代、積み荷の改めをや関税の支払いを待つ間、隊商を留め置いたり、実際に衛兵たちが詰める関所として使われていたスペースだ。そこに辿り着いたら詳しく話そう。妹たちにはその上で決断してもらう。進むか引き返すか、そのいずれかを」
「なるほど、たしかにそれは妙案かもだ」
シオンがそう説明する間にも、少女たち三人は垣間見える封都:ノストフェラティウムの異景に、膝から頽れ落ち跪いてしまっている。
恐ろしくて堪らないのに目が逸らせず、泣き出してしまっている。
そうだ。
あの都市は見る者の正気を脅かすなにかを発している。
それはちょうど陰惨な祭祀を奉じる邪教のモニュメントにも似て、見る者の心を蝕む。
「そなたら、己を御し切れぬようなら、あまりアレを直視せぬほうがよいぞ。すでに感じているだろうが、アレはまともな精神の持ち主には耐えられぬ趣向だ」
シオンが膝をつき、震える子猫のような三人の視界を遮った。
そうすることで邪悪な景観の影響から三人を守ったのだ。
視界が遮られたことで幾分にしても気持ちが落ち着いたのか、妹たちが口々に疑問を口にする。
「なんでお城の姿を見ただけでこんなにこわいの、姉、おかしいよねおかしいよ、あのお城、あの都市ぜったい変だよ」
「膝ががくがくして立てない。背筋がぞくぞくして……風邪をひいたときみたいに、気持ち悪い」
「心臓を冷たい指でなぞられるような、そんな苦しさがありますわ。わたくしわたくし……」
まだ脅えの収まらない三人の頭を優しく撫でながら、シオンは諭した。
「それはそなたらの感受性がキチンと仕事をしている証拠だ。あの都市、あの城の異相を前にして心を平静に保つには、相応の残酷と残虐を乗り越えていなければ無理な話だ」
言いながら、シオンは視線を巡らせてアシュレを見る。
ヒトの騎士は身じろぎひとつせず、見るだけで人間の心を蝕む魔都の姿を直視し続けている。
その姿に夜魔の姫は、ほうと息をついた。
「さすがはアシュレダウ。我がこれと見込んだ歴戦の騎士、というところか」
「シオン、キミがスノウや真騎士の妹たちを連れていけないと激昂した理由が、いまはよくわかる。あすこはよくない。よくないものが巣くう都市だ」
「わかるかそなたにも、あの街に潜む魔が。眠らない悪夢の放つ狂気が」
「わかるさ。感じる。でもボクはもっと具体的に知らなければならない。いいや、知りたいんだ。その魔について。あの白き骨の城の暗がりに潜む者たちについて」
そして──どうやってボクたちがあの城に潜りこみ突破して、そこから北に棲む夜魔たちの首都:ガイゼルロンに潜入するのかその方策を。
骨で編まれた魔の城から視線を外さず、アシュレが言った。
と、次の瞬間、その唇に不敵な笑みが浮かぶのをシオンは見た。
アシュレはそびえ立つ人骨の城の頂点にある尖塔が、まるで柱のように地上へと続く天井部分に迫っていることに気がついたのだ。
そして、対になる天井からは螺旋階段を思わせる構造物が、こんどは鍾乳石を想わせて下向きに延びていることにも。
互いの先端はわずか数メテルの距離を間に挟むだけで、かろうじて接していないというありさまだ。
「なるほど、そういうことか」
「そなた本当にこういうことには察しが良いな。あとは城門の下で話そう」
シオンは頷いて、全員を門の片隅に誘った。
ここまで燦然のソウルスピナをお読み頂きありがとうございます。
さて10月頭から連載を続けてきたソウルスピナですが、ここで書き溜めのためのお時間を頂こうと思います。
原稿そのものはまだすこしストックがあるのですが、作品の完成度となにより読者の皆さんに楽しんでもらえるお話にしたく思い、しばしの猶予を頂きたく思います。
ざっくりですがひと月程度の休載を予定しております。
十一月下旬、あるいは12月の頭から連載を再開する予定です。
それではどうぞよろしく。




