■第十七夜:封都:ノストフェラティウムへ
「その言葉、人類の代表たる《魂》の所持者:アシュレダウが言うと、とてつもなく重くに感じるな」
そうだ、とシオンは頷いた。
人類の多くが夜魔に惹かれてしまう理由。
それは不死性とその特質を吸血という行為によって分け与えることができる存在であることだ。
「慧眼、というのはこういうことであろう。同じ人類として直視しずらい種としての願望・欲望を、しっかりと見抜いている」
人類の暗部をハッキリと言葉にしたヒトの騎士に、夜魔の姫は称賛を惜しまなかった。
だが、そんなふたりのやりとりに気色ばんだ者たちもいる。
「え、永遠生の話なら英霊に奉ることが出来ますよ、わたしたち真騎士の乙女なら!」
「それにいまなら絶対服従で献身的ご奉仕確定の美少女ふたりがついてきますわ!」
対抗心剥き出しで真騎士の妹たちが噛みついた。
短い主張のなかに、その小さな胸のなかを吹き荒れる動揺と嫉妬と種の誇りが、これでもかと詰め込まれている。
絶対服従とか献身的ご奉仕確定とか、いくら売り込みにしたって踊る文言が過激を通り越して、もうむちゃくちゃだ。
「猪突猛進も勇敢さのうち」と人類圏の騎士たちは言うが、キルシュとエステルのふたりのそれは猛進というより玉砕という感じがする。
その突撃をふふん、と鼻で笑って夜魔の姫は受け流した。
「たしかに真騎士の乙女たちも人類に比べたら無限に近い寿命を持つ」
「ですわそうなのですわ。わたくしたちは英霊と真騎士の乙女の間で望まれた者。生まれついての美の化身。どちらかと言えば──そう女神なのですから!」
「そ、そうだよね。歌も踊りも生まれつきうまくてしかも美少女。頑張ればお料理だって、お裁縫だってうまくなる! かまどは爆破しない! これって女神だよね!」
「ほう、そうか。そうかもしれんな」
ふたりの主張を、しかし当のシオンは鷹揚に認めた。
ただ、静かに反証する。
「ただ、だ」
「ただ? ただなんですの?」
「ただ、そなたらの基準で英霊になることを許されるのは、生前に英雄としての証を立て、認められた者だけであろう?」
アシュレからの愛の告白で、いったいどれほど心が落ち着いたというのか。
先ほどまでの剣幕からは一転、余裕ある調子で淡々とシオンが問い返した。
爆破料理人の汚名も、いまの夜魔の姫には負け犬の遠吠えに聞こえるのかもだ。
「それは……そうですけれど。それがなにか問題でもありますの?」
「ですです。英霊の座につくにはやはり相応の試練を乗り越え、選ばれた資格ある者でなければいけません。でもそういう高潔で英邁な男子だからこそ、わたしたち真騎士の乙女の純心と──じゅ、純潔を捧げられる資格があるということで」
「そうですわ、わ、わたくしたちをたおっ、手折る資格のあるのは希代の英雄だけ。たとえばそのう……」
キルシュとエステルのふたりの視線が、足を止め周囲の安全を確認するアシュレの足下あたりを彷徨った。
おませのように振る舞っていても、根は純粋で慎み深い乙女たちなのだ。
ふたりの様子に、シオンは頷いた。
「そうそこだ、真騎士の。我ら夜魔と、そなたらが違うのは」
「どういう意味ですの、シオンさま?」
「いいだろう妹たちよ、いまから説明してやろうほどに」
言い置き、続ける。
「まず、ヒトの子がそなたらとともにあるためには、その者は資格として人間の男の子でなくてはならず、さらに英雄としての証を示さねばならぬ。そしてそなたらに認められたならば、その人間は転成の儀を経て英霊となり、以後、肉体は捨てねばならぬ。肉の持つ欲……性欲や食欲はもちろん独占欲、支配欲からも解き放たれた概念としての英雄──つまり物語にならねばならん」
どうだ、違うか?
シオンは確認する。
直截な問いかけに、真騎士の妹たちは顔を見合わせた。
責められているように感じたのだ。
思わず弁明じみて、言葉が口をつく。
「でもっ、でもそれは英雄の大半が望まれるカタチ。永遠の存在として歴史に輝かしく刻まれる名、そのものになれるのですから。そしてその果てに完全に損なわれぬ者に至れるのです。これ以上の栄誉と至福は地上には────」
「だが、それは厳し過ぎるのだ。ヒトにとって」
口々に同じことを言う妹たちを遮って、シオンはかぶりを振った。
「えっ?」
「基準が厳し過ぎる、と言った」
どういうことです?
真騎士の妹ふたりはシオンの言葉の意味がわからず首を捻る。
真騎士の乙女たちにとって、英雄以外の人類はゴミ同然。
逆説的に言えば、英雄でないそれ以外の人類の感覚には、まったく理解が及ばないのだ。
この状況に助け船を出したのは、ほかでもない人類の英雄たるアシュレだった。
「人間の男のほとんどはそこまで行けない。そうシオンは言っているんだよ。英雄を夢見る男たちは多いけれど、そのほとんどは本物の英雄になどなれはしない」
歩みを再開しながら、アシュレはシオンの話の後を継いだ。
そっと真騎士の乙女たちの肩を抱いて、行こうと促す。
キルシュとエステルのふたりはそれでも話が理解できない様子で、不思議そうにアシュレを見つめ返した。
「ボクたち人間は本来とても心弱く、肉体的にも脆弱な存在でしかない」
「でもっでも騎士さまは」
「ですわっ、アシュレさまはっ、」
自分たちの憧れの対象から、あってはならないはずの弱さを示されたように感じたのだろう。
反射的に反論しようとしたふたりに、ゆっくりと首を振ってアシュレは続けた。
「ボクは違うって言ってくれるのかい? ふたりとも、ありがとう。でもボクの場合はただ運が良かっただけだ。小なりとはいえエクストラムの聖騎士に連なる名門貴族の家に生まれ、奇跡的に《スピンドル》に目覚め、その試練をも無事に乗り越えることができた。家督にも先祖伝来の《フォーカス》にも、なにより素晴らしい教育を受ける機会にも恵まれたしね」
「でも実際に厳しい教育と訓練と試練をいくつも乗り越えてこられたのでしょう? そうでなければこんなに強い英気をまとえるはずありませんわ」
「ですっ、騎士さまの放つ英雄のオーラがどんなにまばゆいか。それは生まれた場所だけで培われてきたものでは断じてないんですから!」
キルシュとエステル、ふたりからの猛反論にアシュレは笑顔を作って頷いて見せる。
ありがとう、とふたたび礼を言いながら。
でも、と正す。
「そりゃ普通の家に生まれた子たちに比べたら、小さいころから厳しく躾けられてきたかもしれないし、聖騎士としての試練とそのあとに続いた闘いは苛烈と言ってよいほどだったしね。でも……いまになってわかる、わかることがあるんだ」
アシュレは、ふたりの肩を抱く指にわずかに力を込める。
「本当の不平等というのは、その不平等が生み出す不遇とは、ボクが言う試練などとは比べ物にはならないんだってことが。そもそも多くのヒトが、ボクが気がつかないうち与えてもらっていた厚遇な場所からスタートを切れないんだ。ボクなんかが比べてはいけないほど不公平な場所から、多くの人々はスタートしなければならない。そのことがわかったんだよ。やっとやっとだ」
ボクは寒空の下で飢えたことも、暖炉どころか焚き火にくべる薪さえもなく、毛布一枚が購えなくて凍えたこともない。
「そういう……どうしようもない身分の差、生まれ落ちた場所の差、努力ではどうにもならない見えざる壁が、この世にはいくつもあるんだということをやっとボクは知った。本当の意味で、ね」
そして、
「夜魔の囁く夜への誘いは────」
「そういう不遇に対して極めて強く作用する。認めよう、それが事実だ、アシュレ」
振り返りまっすぐアシュレを見つめて言うシオンに、深く頷きながらヒトの騎士は続けた。
「でも人間が夜魔に憧れるのは、それだけが理由じゃない。たしかに飢餓や疫病から逃れたいという欲望は、人類圏にあって普遍的な《ねがい》ではあるけれど、それだけではない」
たとえば、
「たとえば戦士階級であれば夜魔の持つ不老不死の肉体は喉から手が出るほど欲しいものだ。それさえあれば、どんな苦難も跳ね除けて大事な人たちを守れるかもしれない」
だから、
「自分とそのまわりにいる人々への理不尽に抗う強さとして夜魔の血を求めるのは、そんなに不自然なことではない。いくつもの死地を潜り抜けたいまは、それがもっとハッキリわかる。ボクがいまこうして生きていられるのも、シオンという夜魔の姫君が自らの心臓を捧げてくれたからだし」
ハッキリ言ってそれは奇跡だ。
自分の胸を縦に走る傷痕を、衣服の上から指でなぞりながらアシュレは呟いた。
「だからもしボクが生まれつきの不死者であれば、と思い願ったことは実は何度もある。願ったことも、たぶん数え切れずあるよ」
もちろんそれは実現してもらったら困る《ねがい》なんだけれどね。
こともなげに語るヒトの騎士の言葉を、その場にいる全員が沈黙の内に聞いた。
アシュレを囲む娘たちそれぞれの表情には驚愕であったり、深い理解であったり、様々な感情が窺えた。
そのなかでただひとり唇を噛んでうつむいたのは、スノウだった。
本物の夜魔の騎士になりたくて修業という名の自主訓練に明け暮れた少女時代、自分が夜魔のなにに憧れ期待していたのか、その暗部を言い当てられたように感じたのだ。
そんなスノウの心中を察したのかのように、アシュレは続けた。
「さっき自分でも言ったけれど、己の非力さに歯がみする人類が夜魔の《ちから》に憧れるのは、すこしも不自然なことではない。不自然ではない、といまはそう思う」
特に護りたいものをその心に持つ人間であればるほどに。
元はとはいえ聖騎士だった男から飛び出した容認の言葉に、スノウは弾かれるように顔を上げた。
その頭を彼女の主人である騎士は、くしゃくしゃと撫でてやる。
しかしだからこそ、と言い直す。
「しかしだからこそ、その欲望を叶えてしまえる存在の本拠へと通じる抜け道がある、だなんて記述は残せない。眷族になるだけで、人の世の理不尽から解放してくれる存在への道が実際にあるだなんて……。為政者的には決して見過ごすことの出来ない禁忌だよ」
胸の内に夢見て願うだけならば仕方のないことでも、それが本当に叶えられるとなると話は別だ。
例に挙げられた為政者そのものの──厳しい顔で言う己が主を、半夜魔の少女はじっと見上げた。
瞳を閉じて応じたのは姉のシオンだ。
「あるいは歴代のイグナーシュ国王は、この道の実在を知っていたかもしれんが」
「イグナーシュは辺境伯領だった時代もあるんだものね。前も言っていたな、古いしきたりとともに古代の叡知が伝え残されてきた場所だと」
騎士の指摘に、シオンはなぜか曖昧な笑顔を浮かべた。
本当に意味するところの捉え切れない笑み。
夜魔の姫が決定的な言葉を呑み込んだことにアシュレが気がつく頃には、シオンは話を再開していた。
「その禁断の道を、我らはいまから行く」
俎上に乗せかけた話題を揉み消すように、夜魔の姫は強い言葉を使った。
アシュレもあえて食い下がらない。
「それがこの忘れられていた巡礼者の道ってわけか。この街道が実在していて、かつ一番確実なルートだなんて、たしかに本物の夜魔の姫=“叛逆のいばら姫”でなければ知り得ない話だね」
感慨深げに呟いたアシュレの言葉に、思わずという感じで妹たちが声を上げた。
「確実……それって安全ってことだよね姉? でもじゃあなんであんなに怒ったの?」
「安全なルートということは、忘れ去ったのは人間だけじゃないって意味ですの? だから夜魔に遭遇することもないってことなんです?」
「夜魔の世界でも憶えている者が稀で、存在を忘れ去られてしまうほどに古い道ってこと? だから大丈夫ってこと?」
「それだ、三人とも」
矢継ぎ早に発される質問に、応じたのはシオンだった。
またもや半目になって、なんとも言えぬ含蓄のある顔で。
「それ? どれ?」
「そなたら、そこを聞き逃したのだ。最後の軍議のとき、な」
「ああそっか、そこが軍議の要点だったんだ。密航の準備に忙しくてそれどころじゃなかったんだよね」
「それはよかっですわ。ちょうどよい頃合いだと思いますの。ぜひ聞かせてくださいまし……ええと、シオン姉さま」
「うんうん、聞きたい聞きたい。キルシュも聞いておきたいよ!」
能天気に前向きな三人を見渡し、シオンは深々と息をついた。
彼女が人間であれば「そなたらと付き合っていると顔にシワが増えそうだ」くらいは言っただろう。
かわりに半目のまま、まるで老婆のようにしわがれた声を作って言った。
いいだろう聞かせてやろうほどに、と。
「ちなみにだが、一番確実なルートというのは危険がない、という意味ではない。どこで安全などと取り違えたのか知らぬが、わたしはそんなことはひとことも言っていないぞ」
「えっ、危ないの!?」
「危ないんですの!?」
「どうして?! 夜魔も忘れている道なんでしょ?」
「スノウそなた……半分夜魔のそなたがそんなことを言うのか」
「えっあっだって……あ、そうか。純血の高位夜魔はそもそも経験したことを忘れないんだった」
「そなたときどき……いや結構頻繁にホントに夜魔の血筋なのかどうか疑わしくなるな」
シオンから揶揄されたことに気付かず「えへへそれほどでも」と照れるスノウは、すくなくともなかなかのタフガールだ。
精神的なタフさだけは夜魔並というところか。
「夜魔は忘れない。まあもっともこの道のことを憶えているのは、そのなかでもよほどの高位にして古参の連中だけだが」
シオンがこつこつと自らの額を指で叩いて見せる。
「わたしだって実際にこの道を通るまでは、知らなかったわけだしな」
そんな姉の姿に、ハッと正気に返ったようにスノウが言った。
「でもまって。じゃあ夜魔たちが、それを知るのはごく一部にしたって忘れてないのに確実っていうのは、もしかしてッ」
「決まっている。この道が抜群に危険だからだ。人間にとってだけでなく──夜魔にとって致命的なほどに」
そして夜魔の姫がその言葉を言い終えるより早く、アシュレたちの視界には、巨大な門とその彼方にそびえ立つ異形の城塞の姿が飛び込んできた。
見えてきたぞ、とシオンが呟く。
「あれこそは我らが夜魔発祥の地にして、眠らぬ悪夢の居座る場所──封都:ノストフェラティウムだ」
おおおおおおん、という呼び声をアシュレは聞いた気がした。




