■第十四夜:微睡みは目覚めに似て
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「あなた……いとしいかた……すかるべり」
呼びかけられ夜魔の大公は目を覚ました。
珍しいことにどうやら眠ってしまっていたらしい。
いやそれ以上に不思議なことがあった。
「夢を見ていた、というのか。このわたしが」
珍しいこともあるものだと微苦笑し、大公:スカルベリは玉座の上で姿勢を正した。
見れば玉座の間を彩る重厚なタペストリーの数々は切り裂かれ、ズタズタに裂けていた。
そこから血が飛び散り滴り落ち、白亜の壁面と床を汚している。
なんということか。
タペストリーと思われたものは生物──夜魔の成れの果てであった。
かつてスカルベリに叛逆を試みた公爵家の血筋、あるいは侯爵、伯爵といった高位夜魔に連なる血筋たちのもの。
その肉体と生皮をいかなる秘術を持ってかスカルベリは加工し、こうしてタペストリーとして用いていたのだ。
「許されよ、諸卿。我が激情がいわれなき暴力となってそなたらを襲ったことを、ここに謝罪する。まさかこの歳になって、過去に苛まれるとは……不覚であった」
夜魔の大公は、すっ、とタペストリーと成り果てた反逆者たちに頭を下げた。
玉座を彩る内装たちには声もない。
かすかなうめきがあるばかり。
「それはずいちょうで、ありましょう」
どこからか銀の鈴を鳴らしたかのような、涼やかな声がした。
血臭立ちこめる玉座の間には似つかわしくない、麗しい響きだ。
「瑞兆。ほう。吉なる兆しとそなたは言ってくれるのか、エスト。エストラルダ」
「はい。それはもう、まちがいありません」
声は玉座の裏側から聞こえた。
普段はタペストリーの列に隠されている、玉座の間の深奥。
普段はかけられている御簾が上がり、暗がりの奥が明らかとなって、声はそこからするのだった。
タペストリーたちは高位夜魔だった時代のことを忘れてはいないようで、その破片はじりじりと床を這い、柱を伝って再生を試みる。
なるほどそこに刺繍された紋章や絵物語、装飾の数々は、犠牲者を戒めるテグスであり刑具でもあるのだ。
「兆し、というのはどういうことだろうかな、エスト」
「はい、それは──あのこの、きかんに、そういないかと」
「きかん。ああ、帰ってくるというのか。我が愛し子:シオンザフィルが」
「はい。それはもう。きっとあなたさまのかこを、あのこがいま、のぞいたからですわ」
あなたさまと、あのこは、繋がっておりますもの。
揺るぎなき自信を持って請け負った声の主に、微笑んでスカルベリは頷いた。
なんどもしずかに。
「それは──わざわざ国をもぬけの殻にした甲斐もあるというものだ」
「わたくしとあなたさまのこですもの。もじどおり、しんけつをそそいだ、さいこうの──さくひん。まちがいなどありません」
「そうだな。そうだった。シオンこそ《魂》に至るための器だった。そのようにふたりで拵えたのだった」
「さようです」
「あれは、あの子は、今度もわたしたちの期待に応えてくれるであろうか」
「それは、ええ、もちろん」
「ああ、そなた、エストラルダ。その姿をどうか見せておくれ」
自らの想いを肯定してくれる声の主に、スカルベリは呼びかけた。
「わたくしも、おめもじしとう、ございます」
その言葉に満足げに微笑むと夜魔の大公は玉座から立ち上がり、再生を始めつつあったタペストリーたちをもう一度、薙ぎ払った。
大した《ちから》を込めてなどいないはずなのに、そしてまたその手にはいかなる武具も握られていないはずなのに、玉座の間を颶風が吹き荒れ、装飾という装飾を、糖衣という糖衣をすべて剥ぎ取った。
さすがに生けるタペストリーたちの刑具を嵌め込まれた口から、苦悶の叫びが漏れ出る。
しかしそんな惨憺と哀願などまるで届かぬとばかりに、スカルベリは隠された声の主に歩み寄る。
そうすることで、変わり果てた高位夜魔たちの肉体の林が隠していたものが明らかとなる。
そこに鎮座するは巨大な女神像。
いいや、それは顔だけのことであり、その全体像は生物と無機物とを無秩序に混ぜ合わせたがごとき造形であった。
それが玉座の間を覗き込むように身を屈め、手をついて座していたのだ。
この異形をひとことで言い表すのならば──《偽神》。
つまり《御方》がそこにはあった。
そしてその女神像の頭部には、そこだけ瑞々しき生命の徴がある。
「来てくれるか、あれは」
「かならずや」
「至るであろうか、あの子は」
「はい。きっと」
スカルベリの問いかけに微笑むモノ。
それはかつてこのガイゼルロンで最も《ちから》ある存在のひとりであった。
“叛逆のいばら姫”:シオンザフィルの母にして、夜魔の大公:スカルベリ・ルフト・ベリオーニの妻。
かつて狂い咲きの氷華とあだ名された夜魔の姫──エストラルダ・ファナティ・ベリオーニ。
その似姿であった。




