■第十二夜:輝きは遠い日の花火(1)
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「《魂》を持たぬのは夜魔を始めとする魔の十一氏族だけではない。いまだ《魂》に至った者は、この世界=エールズエンデには我々人類のだれひとりとして、いないのだ」
これが真実だよ。
スカルベリがそう告げたとき、その言葉の意味するところを正確に理解できた者は、この世界にはひとりとしていなかった。
そう──かつて戦列を供にし、夢と未来とを語り合った九英雄たちでさえ。
事実、いまスカルベリの眼前にたたずむふたりの勇者の顔には、戸惑いと不信の色がある。
「なんということだ」
ああ、と喉から漏れ出そうになる悲嘆を呑み込んで、スカルベリはうつむきかけた顔を上げた。
ふたりに真実を説くため惜しみなく言葉を費やす。
「聞いてくれ、ふたりとも。我々はこれまでその真実から目を逸らされてきたのだ。ほかの誰でもない、この世界そのものによって」
そしてキミたちもかつて見たはずだ、そのからくりと仕組みを。
スカルベリは熱意を持って続ける。
「“接続子”と“庭園”が見せる幻のヴェールが、我々の耳目には生まれたときから常にかけられている。不可知領域。世界各地の遺跡や神殿、聖堂の奥に眠る《御方》たちが、“接続子”を通して汲み上げられる人々の《ねがい》を叶えるべく《そうする力》を振るうからだ」
熱弁を振るうスカルベリの言葉は、紛うことなき真実だった。
誤解を恐れず言えば、それはこの世界の真理。
だが、彼の前に立つふたりが医術王に返したのは、深い理解と賛同ではなく、狂人を目の当たりにしたかのような驚愕と、さらに深められた不信の眼差しだ。
自らの正気を疑うかつてともに命を賭して戦った仲間たちの態度を、医術王は驚きのなかで受け取るしかなかった。
「なぜだ、アルスブレイド?! レアスフィア! ふたりともなぜわたしにそのような疑いの眼差しを向ける?! すべて一緒に見たはずだ! この世界の真実をともに突き止めたではないか! あのエクストラムの地下で!」
両手を広げ訴えかけるスカルベリに、アルスブレイドと呼びかけられた騎士は目を伏せた。
全身を覆う純白の甲冑にサーコート。
金糸の縫い取りによって描かれたイクス教の聖印が、彼がエクストラム法王庁の聖騎士であることを証立てる。
その手に握られた聖剣:エストラディウスは、それそのものが聖遺物であり、奇跡の《ちから》をあまねく地平にもたらすと言われている。
だがいまそこに宿る光は弱々しい。
隣りで同じくうつむいて床に目を落とすのは、これも九英雄のひとり。
その美貌から百合の騎士と謳われた姫将軍:レアスフィアであった。
あらゆる魔を斬り伏せ人類を守護する不破の聖剣:プロメテルギアの光輝も、なぜかいまは儚げだ。
ふたりはスカルベリが篭るこの地下のアトリエになかば押し入るようにして、現れたのだった。
そしてここで押し問答になった。
スカルベリはそんなふたりの不躾を責めるのでも排除するのでもなく、むしろ情理を尽くして説いた。
「魔の十一氏族は、最初から我ら人類の敵として生まれてきたのではない。《そうするちから》によって──我々の昏い《ねがい》によって《そうされた》のだ。キミたちも見たではないか。標本にされ薬液の満たされた水槽に囚われていた彼らの原型を」
忘れようとしても忘れられぬ吐き気を催すような光景を思い出しながら、スカルベリは訴える。
「あの光景にすべては集約されている。我々の歴史は、史観は、世界観は、欺かれてきたのだ。だからこそ我々は、この事実を公表しなくてはならない。真の、真実の、我々が目指すべき世界の在り方を問わなければならない! この世に暮らす、すべての民に!」
スカルベリの手には寸鉄もない。
身につけるのは使い込まれた作業着であり、そこには武力の匂いも権力や権威の臭いもない。
ただただ真摯な研究者としての装いを医術王は貫いていた。
彼の武器はだから、血の通った言葉だけだ。
その男に歩み寄られ手を取られて、完全武装の騎士は動揺する。
「そうだ、そうだろう? アルス、アルスブレイド!」
親友であった。
鉄風雷火吹き荒れる戦場で、ふたりは幾度となくその背中を庇い合った仲であった。
ときに命を救い、また救われた。
魔の十一氏族とオーバーロードたちが展開した人外魔境=《閉鎖回廊》を仲間たちとともに幾度も潜り抜け、やっとわずかな土地を人類圏を取り戻した。
それは世界に広がる広大な暗黒の版図に比べればまだまだ小さな所領に過ぎなかったが、人類が自らの手で取り戻した輝かしき光溢れる大地であった。
だが親友と信じ合ったその騎士は、スカルベリの呼びかけに、小さく首を振って答えた。
「それは……できない。できないんだ、スカル。スカルベリ」
「できないとはどういうことだなんだ、アルス。我々は誓い合った仲ではないか。世界に真の平和と光を取り戻そうと……」
「法王庁はキミに異端の疑いがあると見ている。旧世界の遺物に無断で深入りし、禁断の知識や技術を手に入れようと画策している、と」
とんだ濡れ衣に、スカルベリはほとんど失笑して言った。
「《御方》の遺骸の研究は異端の思想でもなんでもない。これはただの技術、旧世界の想像を絶する技術に過ぎないんだ。そしてそれは事実であり、異端者たちの掲げる妄想とは隔絶されたものだ。わたしはただ、その隠されてきた真実を解き明かそうとしているだけだ」
これは真実なんだ。
妄想などではあり得ないし、異端の考えなどでは断じてない。
これが本当のことなんだよ。
「神に誓おう。そのわたしの行いのなにが、どこが異端だと?」
スカルベリは両手を広げ、敵意も害意もないことを示した。
だがその影は頼りないランプの炎によって長く伸び、天井で踊る。
巨大な地下空洞に声が反響して、まるで獣の唸りのように聞こえる。
地の底から響いてくるように錯覚する。
どこかすぐ側の暗がりに、本物の獣が潜んでいるのではないか。
ありえないはずの妄念に囚われる。
そんな妄想上の声の主を探すように、スカルベリの背後へと視線を送った姫将軍は、暗がりの奥にわだかまる、巨大な異物を見出した。
地下神殿に鎮座する邪神の偶像のごとき存在が、ランプの頼りなげな明かりが照らし出す世界の一番外側に、静かに屹立していた。
ああそれは、スカルベリの長く伸びた影などではなく────。
「あれは──なんだスカル」
「なんだとはどういうことだ、レアスフィア。キミも見たじゃないか、ほかならぬエクストラム法王庁の地下で。《御方》、その遺骸だ。旧世界において神の奇跡の数々を演じていた機械仕掛けの《偽神》の死骸だよ」
「そうではなく……そんなものがなぜ、どうして貴君の城の地下にある?」
呆然として、しかし己の使命に従い決然と問い質す姫将軍に、スカルベリは大きく溜め息をついた。
「この辺境の城には最初からこの遺骸があった。あるいはこの城はこの遺骸を隠すために、後からここに建てられたと言ったほうが正確かもしれん。エクストラム法王庁がそうであったように、この世界はそうやって真実から人々の目を遠ざけてきたのだ」
法王庁のあの壮麗な宮殿が、まさか偶然に《御方》の上に建てられたものだなどととは、いまはもうキミたちだって信じてはいまい?
「わかってくれるね」
親愛の情を込めて微笑みかけるスカルベリに返されたのは、拒絶を意味する冷たい沈黙と、うめきに似た唸りだけだった。




