■第十一夜:追憶は雪のように
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「わたしはここに超少数精鋭によるガイゼルロン侵攻──夜魔の大公:スカルベリの首級のみに的を絞った装甲突撃作戦を提案するものである」
シオンの宣言にひっくり返らなかったのは、事前に彼女からその計画を聞かされていたアシュレだけだった。
その後に吹き荒れた怒濤の非難と質問の数々、紛糾した軍議の様子は繰り返しになるので割愛する。
「理屈はわからないでもないが……あまりに破天荒過ぎる」
戦隊全員の心中を集約すれば、ノーマンのひとことに尽きる。
「たしかにガイゼルロンはいま世紀の大侵攻作戦のさなかにあります。本陣が手薄かと言われたら、手薄でしょうな。ですが……敵の本国にたったふたりで殴り込みをかけるなどと、前ご当主:グレスナウさまでもそこまでは……。あまりに無謀かと」
言葉を失って黙り込むノーマンの後ろをバートンが継いだ。
もっともこちらも評価としては、似たようなものだったわけだが。
「無謀過ぎです!」
「絶対、おふたりとも死んでしまいますわ!」
真騎士の妹ふたり、キルシュとエステルの抗議は当然に過ぎる。
なんならシオンから計画を聞かされた当初の、アシュレのリアクションそのまんまだ。
しかしシオンはそれら非難と疑問に対し、平然と応じた。
「今次作戦を主導する頭領の首級を挙げぬ限り、あの夜魔の軍勢は止まらん。これまで人類と夜魔の間で起きたいた小競り合いなどとは規模が違う。イグナーシュ王国が《閉鎖回廊》に堕ちていなければ半世紀前に起きていたハズの大侵攻が再起したのだ、これは」
「!」
夜魔の姫から語られた事実は、戦隊に衝撃を持って迎えられた。
そういえば、とアシュレは思う。
この話はシオンと出逢ったとき、その口から直接聞かされたものだった。
シオンと降臨王:グランの馴れ初めの話。
彼女はまだ若き王子だったグランに夜魔たちの大侵攻の計画を知らせに、イグナーシュに赴いたのだ。
「大侵攻」
「文字通り国を上げての大遠征だ。そして普通の夜魔の感覚で言えば──大公ともなれば必ず最前線に姿を現すものである」
「大公自ら最前線に……だと」
シオンの語る夜魔の戦争の在り方に、全員が戦慄した。
人類圏の戦争であれば王は居城にて吉報を待つものであり、たとえ戦線に出向いても軍団の最後列、奥深くに本陣を構え、容易にはその姿を晒さぬのがセオリーだ。
しかし、シオンの語る夜魔たちの戦い方は、そのまったく逆を行くものであった。
「高位夜魔にとって戦争とは狩りなのだ。人類でも王侯貴族が遊びとしての狩りを催すだろう? そのための動物たちを育む森があるだろう? 森番たちが手入れした森で狩りの獲物を肥え太らせ、貴族たちがこれを狩り出しては戦利品として競い合う遊びが? それと同じだよ、まったく」
「戦争を遊びと見るのか」
「しかり。それはたとえ、仇敵であるわたしを討つために送り込まれてくる刺客たちだって変わらない。そなたもその身を持って体験したであろう、ノーマン、カテル病院騎士団の筆頭よ。夜魔の騎士たちの狩りを」
夜魔の姫に名指しされ、むう、とノーマンが唸った。
ノーマンの所属していたカテル病院騎士団の本拠であるカテル島は、約八ヶ月前、夜魔の騎士たちによる襲撃を受けた。
月下騎士団:八名とその従者十名、軍狼が四頭(※)。(※この記述は単行本版の戦力に準じます。なろう掲載版とは微妙に異なりますので注意)
人類圏では小国同士の小競り合いに過ぎない戦力投下で、カテル島は火の海になった。
彼ら夜魔の騎士たちは、たしかに人類を狩りの対象としてしか見ていなかった。
ヒトは劣等種であり、自分たちの食卓を彩る獲物に過ぎぬ。
そしてそんな劣等種を、彼らは楽しみとして狩っていった。
あの襲撃を防ぎ切り押し返すことができたのは、カテル病院騎士団が常在戦場を旨とする本物の戦闘集団であったから──だけではない。
そのことを陣頭指揮に当たったノーマン本人がよく知っている。
いまは味方となってくれている土蜘蛛の姫巫女:エレとエルマによる手引きがあったとはいえ、夜魔の騎士たちは想像を絶する強さを誇っていた。
彼ら夜魔の騎士たちの誤算は、夜魔の姫:シオンザフィルが人類側に助力しただけではなく、その事実をカテル病院騎士団に受け入れさせた男:アシュレダウがともに迎撃に働いてくれていたことだ。
守るのではなく──積極的にそして逆に、夜魔の騎士たちを狩り出して。
結果的にカテル島は陥落を免れた。
しかし第一の都市:カテルでの死傷者は数百名、屍人鬼禍に見舞われた第二の衛星都市:ラダコーナでは、数千に及ぶ無辜の民の命が犠牲になった。
これは人類圏における数万を超える会戦型の戦力のぶつかり合いでも、なかなか見ることはない数字だ。
シオンはそれをして「本気を出した夜魔にとってその程度、小競り合いに過ぎない」と一刀両断したのだ。
「ちなみに、わたしが本国に籍を置いていた段階で月下騎士団は総勢一二四名、従者が四五九名だった。群狼の数は一〇六である。わたしが国元を出奔したときの数字だが現在でもそう大きくは変わるまい」
夜魔らしい正確な記憶力で、シオンはガイゼルロンの戦力概要を告げた。
騎士だけを見てもカテル島への侵攻時の十数倍。
もしそれら全戦力が投下されたら、被害がどれほどのものになるか想像もつかない。
「しかしまさか、いきなり全軍を投じたりはせぬはず。どれほど大規模な侵攻でも半数を投じるのが限界では?」
人類圏の戦いを長く観察してきた真騎士の乙女:レーヴが見解を示した。
それでも夜魔の騎士六十二名が動くとなれば相当なものだが。
そう付け加える。
しかしシオンはこれにもかぶりを振った。
「ありえぬ。夜魔は守ることを考える必要がほとんどない種族だ。国も、自分自身もな。しかも今回相対することになるガイゼルロン公国と人類圏との間には、永久氷壁に喩えられるイシュガル山脈が横たわっている。ごくごく限られたいくつかの狭い回廊を抜けぬ限り、人類にはとても越えられぬ要害だ。防衛戦力など、端から考えていないであろうよ」
つまり、とシオンは断言した。
「つまりほぼ全軍が出てくる。ちなみに夜魔の騎士の実力は、最低レベルで人類の駆け出し《スピンドル能力者》を軽く上回る。子爵クラスであればカテル病院騎士団の最精鋭やエクストラムの聖騎士に比肩するし、伯爵以上はその上を行くと考えるが良かろう。しかも基本的に不死だしな」
聞けば聞くほどに身の毛もよだつ話だった。
質問したレーヴの顔から血の気が失せている。
「中層を形成するだろう男爵や子爵クラスは、どれくらいいるんだい?」
「半分がそうだ。逆に伯爵級は三家だけ。ハイネヴェイル、サージェリウス、ルンツベック、これが伯爵たちだ。ハイネヴェイルについては、カテル島で次期当主だったヴァイデルナッハ子爵をわたしとアシュレが討った。生きていれば弟であるロイドベルト男爵が繰り上がっていることだろうが、正確なところはわからぬ。サージェリウス家は海軍戦力であるから、今回遭遇する可能性は低いと言える。残るルンツベックも現当主は老練な男だからそうそう前に出ては来まいが……」
アシュレの問いかけにもシオンは淡々と、かつ正確に答える。
「侯爵家はふたつ。どちらもかなり歳を食った古狸でありながら、食欲と性欲は軒昂・旺盛。むしろ前線で遭遇するとしたら、この二家か」
開戦前に敵兵力をかくも正確に把握できるのはありがたいことだが、これはほんとうに最後まで詳細を聞いていいものか悩むレベルの情報だった。
これから実際に刃を交える戦隊の指揮官としては、戦意に影響が出ないか気が気ではない。
けれどもだからこそ、とシオンは言うのだ。
「けれどもだからこそ、わたしの提案が効いてくる」
なぜなら、
「我が父:スカルベリは他の夜魔たちとは一線を画する存在だ。本国を空けることはない。決してだ。アレは玉座に居る」
「そして侵攻がさらに本格化すれば、ガイゼルロン本国は間違いなくもぬけの空になる。だからこその好機だ、とシオンは言っているんだ」
説明を引き継ぐカタチでアシュレが立ち上がった。
ここからは説得と鼓舞の時間でもあった。
戦隊全員に今回の作戦の意義と勝利への道を説き、心から賛同してもらわねばならない。
集団の士気は作戦の成否に直結する。
「高位夜魔たちは自分たちの不死性と貴族としての血筋に絶対の自信と誇りを持っている。そしてその貴族性から己の力を誇示し、領土を広げ獲物と家畜を獲るための狩りにあっては、他家に遅れを取ることはありえないと考える。一千年に渡り角を突き合わせてきた聖騎士の本拠地を攻め落とせるというのであればなおのことだ」
つまるところ全力を挙げてエクストラムに殺到してくる。
「逆に言えば、これは千載一遇のチャンスだ。まさか夜魔たちだって人類圏の命運を賭けた大戦争の最中に、たったふたりが大公の首ひとつを落としに乗り込んで来るとは想定できないはずだ」
「それは……そうかもしれないが、」
と戦隊メンバーたちは目を白黒させながら互いに顔を見合わせた。
これは成功の可能性というのものが、ある話なのか?
そう、そのことをだれも判別できないのだ。
挙手して訊いたのはオズマドラ帝国の元皇子:アスカリヤだった。
「狩りが高位夜魔たちの性であり貴族の誇りだというのであれば、大公:スカルベリがこの侵攻作戦の先頭に立たない保証というのは、どこにあるのか。もし彼の大公が玉座にいなかった場合は、玉座を超少数で襲撃するというそもそもの作戦立案に無理があるという話になるわけだが」
「それについてはわたしが答えよう。不祥の娘が、不祥の父について」
ひとことで言えばアイツは変わり者なんだ。
曲がりなりとはいえ血の繋がった親に対する夜魔の姫の解説は、身も蓋もなかった。
「なにしろ人類圏最大の英雄である九英雄から夜魔に転向し、その後、件の三伯爵家とふたつの侯爵家を文字通り全員ぶちのめして真祖と認めさせた男だ。普通ではない」
「なるほどそれは聞くだにすでにして普通ではないが……それだけではざっくりとしすぎている。どう普通ではないのかもっと詳しく教えてくれないか」
「ほう。我が父を知りたいと言われるか」
「そうだ、シオン殿下。これは今次作戦の成否に関わることでもあるからだが、個人的に極めて興味のある事柄なんだ。わたしも国元で蟄居を命じられていた十代の日々、九英雄とそのなかで医術王とまで呼ばれたスカルベリの失墜……堕天の物語は何度も読んだ。一読者として、またその物語のファンとして聞きたい」
快活で活動的、男勝りと捉えられがちなアスカはしかし、他方で大変な読書家で物語を愛する気質を隠し持っている。
アラム教圏では凶兆とされるラピスラズリ色の瞳を好奇心に輝かせて、シオンに食い下がった。
夜魔の國ひとつを丸々相手取らねばならないという難題に動揺の隠せない戦隊の面々のなかで、アスカは生来の陽気さと好奇心を損なっていなかった。
物語の読者として興味があるから伝説の夜魔の大公についてを教えてくれ、とはこれからその大公が率いる軍隊とやり合おうという者としてはなかなか訊けることではない。
「この局面でのその申し出。アスカ殿下、そなたやはりちょっと変わっているな」
「同じく祖国を蹴っ飛ばし離反した姫同士ではないか、シオン殿下。わたしだけを変わり者扱いするのは無理があるだろうよ」
ふふ、と嫌味でもなく自然に笑ったアスカにつられて、真騎士の妹たちが声を漏らした。
なるほどアスカはこの戦隊のムードメーカーだと、アシュレは改めて思う。
この砂漠の国の皇子、もとい姫君にはヒトの心を明るくさせるなにかがある。
良かろう、とシオンが頷いた。
さてどこから話したものか、と瞳を閉じ時間を遡る。
彼女たち高位夜魔にとって、追憶とは単に記憶の糸を手繰ることではなく、過去の出来事を正しくそのまま追体験することにほかならない。
それを言葉に直し物語るには、相当な訓練が必要であることをアシュレはすでに知っていた。
シオンは言ったものだ。
ときに夜魔たちの振る舞いが狂的に見えるとき、彼らはその過去の夢に囚われ現実と記憶とを混同しているのだと。
だとしたら、シオンほど己と己の記憶を制御できる夜魔は、ほかにいないだろうとアシュレは思う。
その夜魔の姫が語るべき糸口を見つけたように目を開いた。
もうその瞳は眼前にいるだれも見てはいない。
いまシオンが見ているのは、かつてまだ彼女がガイゼルロンの姫君だったころの世界。
夜魔の大公:スカルベリのたったひとりの嫡子だったころの光景だ。




