第十一話 餌の盾と素材箱
広間の空気は、まだ微かに血と火薬の匂いを残していた。
小鬼の親玉を倒してから、コルンはすぐには盾へ近づかなかった。広間の中央に置かれた金属製の盾は、多少の傷こそあるものの、まだ十分に使えそうな立派な代物だった。あまりにも目立つ。あまりにも、取りやすそうに置かれている。
「珍しいな」
ガルドが言う。大盾を構えたまま、警戒を解いていない。
「何が?」
「お前なら、一目散に駆け寄るかと思った」
「失礼だなあ」
「罠を見つけると、嬉しそうに近づくだろ」
「今日は違うよ」
コルンは遠くから盾を眺めた。光の当たり方ひとつで、金属の表面が鈍く反射する。完全に餌だ。自分でもそう分かっている。
彼はしゃがみ込み、足元の小石を拾った。声が、わずかに弾んでいる。
ガルドが嫌そうな顔をした。
「……嬉しそうだな」
「うん」
「危険なんだぞ」
コルンは小石を軽く放り投げた。
「こんなに分かりやすく罠が集まってる場所、なかなかないよ?」
「普通は喜ばない」
「義賊は喜ぶ」
「お前だけじゃないか?」
「そうかも」
コルンは楽しそうに笑った。
一投目。小石が盾の手前へ落ち、ころころと転がる。何も起きない。二投目。少し左。カチ、と小さな音がした瞬間、コルンは身を引いた。
直後、壁の小穴から木の矢が三本、ヒュッと飛んだ。反対側の壁へ突き刺さる。
「矢罠か」
ガルドが頷くと、コルンの目が輝いた。
「三本とも使えそう」
「そこを見るな」
「あとで回収しよ」
「覚えてるのか」
「もちろん」
三投目は右側。何もなし。四投目はさらに奥。またカチ、と音がした。ガルドが身構えるが、矢は飛ばない。 代わりに、天井付近の小さな袋がぱふっと破裂した。白い粉が盾の周囲だけにゆっくりと落ちていく。
「下がって!」
二人が数歩退く。粉は広間の中央にだけ広がり、こちら側へは流れてこない。
「何だ?」
「眠り粉じゃないかな」
「触るなよ」
「もちろん」
「本当だろうな」
「さすがに吸いたくないよ」
コルンは鼻と口を布で覆い、指を湿らせて風の流れを確かめた。
「こっちには来ない」
「ならいい」
「でも…」
彼は嬉しそうに続けた。
「粉も回収できるかな」
「やめろ。眠り粉だぞ!」
「使えるかもしれない」
「扱いを知らんだろ!」
「細工屋か薬屋に聞けば…」
「まず帰ってから聞け!」
「じゃあ袋だけでも」
ガルドは頭を抱えた。
「罠を危険物じゃなく、素材箱だと思ってるだろ」
「素材箱よりいい」
「何がだ」
「中身いっぱい」
五投目。盾の前へ小石を落とすと、床がガコンと沈んだ。石床が四角く崩れ、深さ三メートルほどの落とし穴が現れる。底には尖った杭が並んでいるが、何本かは折れていた。
「落とし穴か」
「一番分かりやすいな」
「盾取りに行ったら、真っ直ぐ落ちる」
「なるほど」
コルンは穴の縁を覗き込んだ。
「板で覆われた薄い石板か」
「再利用できるかな」
「穴に落ちるから、近づくな」
「分かってる」
「その返事、本当に信用ならん」
六投目。盾の後方でまたカチ、と音がした。壁の隙間から何かが飛び、ガン、と金属音を立てて壁に刺さる。
「……今度はナイフか」
ガルドが低く言った。刃は黒ずんでいる。
「毒ついてる」
「絶対触るな」
「素手では触らない」
「そういう問題じゃない」
「でも」
「でもじゃない」
「毒ナイフって、売れるかな」
「その発想をやめろ!」
コルンは笑った。
「使えなくても、毒だけ調べてもらえる」
「危険物だぞ」
「仕分け袋に危険物用あるよ」
「道具屋の親父も、こうなると思って渡したんじゃないだろ!」
「先見の明が、あるね」
「違う!」
ガルドの声が広間に響く。だが、罠はまだ終わらなかった。七投目、八投目は何もなし。九投目で、盾の少し後ろから細い縄が床から跳ね上がった。
「足絡めか」
「転ばせるだけ?」
「たぶんな」
コルンが落とし穴を見る。
「ああ、転ばせて落とす仕様」
「罠の組み合わせか」
「面白い」
「感心するな」
「でも、賢いよ」
コルンは本気で感心していた。盾を取りに行った人間は、まず足元の落とし穴を避け、木の矢をかわし、眠り粉を避け、後ろへ逃げれば毒ナイフが飛び、急いで動けば足を絡められ、それでも生き残れば小鬼たちが襲いかかる。
「よくできてる」
「罠師みたいな言い方するな」
「たぶん、親玉が考えたんだろうね」
「小鬼にしてはな」
二人は、倒れた親玉を見た。ただの小鬼ではない。迷宮の中で学習し、魔石を集め、罠を組み合わせる知恵を得ていた。
「放っておいたら、もっと面倒になったかもな」
「うん」
コルンは頷き、そしてまた罠のほうへ視線を戻した。
「でも、今は全部もらえる」
「そこに戻るのか!」
◇
解除作業は、コルンにとって本当に楽しそうなものだった。
まず矢罠。弦と留め具を確認し、残りの一本が飛ぶことを確かめてから、小さな刃物で先に弦を切る。張力が抜け、木の矢を五本回収した。うち三本は使えそうで、二本は矢尻だけ。
「いいね」
「また、増えたな」
「弓使いの子にあげてもいい」
「昨日の新人か、それなら使えるな」
次は眠り粉。コルンも今回は慎重だった。袋に穴がないことを確認し、袋ごと密閉できるよう包む。
「これは危ないから、袋ごと回収」
「……やっぱりか」
「密閉できそう」
「絶対に開けるな」
「開けない」
ガルドが少し安心したように息を吐く。
「怖くないのか? 顔は嬉しそうだぞ」
「怖いのと嬉しいのは両立する」
「意味が分からん」
「危険物って、扱い方分かったら、価値あるでしょ」
「……まあ。でも吸うなよ」
毒ナイフは、厚手の布と棒を使い、刃に直接触れずに台座ごと外した。ガルドが金具の押さえを指摘すると、コルンは目を丸くした。
「ガルド、罠師になってきた」
「お前のせいだ!」
二本の毒ナイフは台座ごと危険物袋へ入れた。
「薬屋行こう」
「絶対行くと思った」
足絡めの縄は傷んでいたが、短く切れば荷物縛りに使える。落とし穴の杭は、コルンが縁から覗き込む。まだ使えそうだが、重そうなので諦めた。
「お前の判断基準、それでいいのか」
「持って帰れないものは仕方ない」
「危険だからじゃないのか」
「それもある」
「後付けだろ」
「細かいなあ…」
◇
そして、ようやく盾へ。
ガルドが念のためにもう一度小石を三つ投げ、反応がないことを確認してから先に進んだ。大盾を構えたまま、一歩、二歩、三歩。何も起きない。盾の前で安全を確認してコルンが近づいた。
金属盾は重いが、かなり良い。親玉を怒らせるためにつけた傷以外は、ほぼ無傷だった。
「惜しい。傷つけちゃった」
「お前がやったんだろ!」
「必要経費」
「売値、下がったぞ」
「うぅ」
「そこは効くのか」
ガルドが笑う。コルンは盾を眺め、少し考えた。
「これ、かなりいいものだね」
ガルドが持ち上げ、重さ、縁、中央と様々な角度をつけ裏返し、持ち手を確認する。
「中級品だな」
「そんなの一階層に?」
「誰かが、落としたか。親玉が拾った?」
「その可能性もある」
「餌にした」
「だろうな」
コルンは盾を見ながら言った。
「ガルド使う?」
「俺には今の盾がある」
「じゃあ、売る?」
「新人に回してもいい」
「あぁ、昨日の剣士に? まだ盾役じゃないよ」
ガルドが少し笑った。
「まら、俺が教える」
コルンが目を丸くする。
「ガルドが? 先生みたいになりそう」
「やめろ」
「大丈夫、似合う」
「やめろ!」
コルンは笑った。盾、木の矢、眠り粉、毒ナイフ、縄、金具、罠の部品、親玉の魔石。一つの餌の周りに、これだけ詰まっていた。
「迷宮って、やっぱり罠の見本市だね」
「嬉しそうに言うな」
彼は本当に嬉しそうだった。
「一個ずつ覚えたら、次から怖くなくなる」
ガルドが少し真面目な顔になる。
「怖くなくなるのは、危ないぞ」
「?」
「怖さは残しとけ」
「……なるほど」
「分かるだろ」
「分かる」
コルンは罠の残骸を見た。
「じゃあ、怖いけど嬉しい」
「それならまだいい」
「今と同じじゃん」
「そうだな」
二人は笑った。迷宮の罠は、普通なら避けたいものばかりだ。だが義賊コルンにとっては、避けて、崩して、外して、持ち帰って、ようやく攻略となる。




