第27話 視線
フェンリル家邸宅――ガルド邸地下。
巨大地下演習区画。
鋼鉄壁に囲まれた広大な演習場では、
レギア=ノクスとミレナ=ヴァルケインが模擬戦闘を続けていた。
互いに言葉は無い。
視線すら、
ほとんど交わさない。
それでも。
二人の動きは、
異様なほど噛み合っていた。
レギアが踏み込む。
その瞬間。
ミレナが自然に射線を開く。
ミレナが後退すれば、
レギアが死角を埋める。
まるで長年組み続けた戦友。
あるいは。
最初から一つの戦闘様式だったかのような連携だった。
そして。
二人は同時に理解する。
昨日感じた違和感は、
間違いではなかった。
自分達は。
異様なほど、
噛み合っている。
◇
数分後。
模擬戦は終了していた。
停止する機動標的。
静まり返る地下演習場。
薄く残る熱気だけが、
先ほどまでの激戦を物語っている。
その上層部。
監視モニター室。
薄暗い室内で、
二人の男が先ほどの記録映像を見つめていた。
黒騎士――ゼクト=アイゼン。
そして。
フェンリル家執事、
アルベルト=レイヴンハルト。
かつてガルド直属特殊戦闘部隊《黒衣隊》副隊長を務めた、
歴戦の軍人でもある。
大型モニターでは、
先ほどの模擬戦映像が繰り返し再生されている。
レギアの踏み込み。
ミレナの援護。
視線無しで成立する連携。
完璧すぎる間合い。
沈黙の後。
ゼクトが静かに口を開いた。
「……アルベルト様は、どう見ます?」
アルベルトは僅かに眉を寄せる。
「ゼクト様。その言葉遣いはおやめください」
落ち着いた声。
だが、
ゼクトは小さく笑った。
「今だけですよ」
視線はモニターへ向けたまま。
「元黒衣隊副隊長アルベルト様」
アルベルトは小さく息を吐く。
「……だから昔の話です」
ゼクトは肩を竦めた。
「貴方が執事になって長いのは知っています」
「ですが、
昔を知る者からすると未だに慣れない」
アルベルトは答えない。
ただ静かに、
記録映像を見つめていた。
モニター内。
レギアが前へ出る。
同時に。
ミレナが迷いなく射線を開く。
あまりにも自然な連携。
ゼクトが低く呟く。
「……異常ですね」
「ええ」
アルベルトも静かに頷く。
「あれは初連携ではありません」
「長期間、
実戦を共にした者達の動きです」
だが。
二人にそんな経験は存在しない。
だからこそ、
異常だった。
やがて。
静寂の中で、
アルベルトがゆっくりと口を開く。
「……多分ですが」
ゼクトは視線を向ける。
アルベルトはモニターを見つめたまま続けた。
「レギア様は、
第11翼兵装の適合者候補です」
空気が僅かに変わる。
ヴァルグリム帝国最深部へ封印されている、
黒い翼。
未だ完全解析不能の禁忌。
アルベルトは静かに続けた。
「影響を受けている可能性があります」
「……影響?」
「ええ」
アルベルトは頷く。
「超感覚――」
「あるいは、
それに近い何かです」
モニター内。
再び、
レギアとミレナの映像が流れる。
踏み込み。
重心移動。
呼吸。
視線。
殺気。
アルベルトの目が細まる。
「敵意。」
「筋肉の初動。」
「呼吸の変化。」
「……あの方は、
無意識に全て拾っている可能性があります」
ゼクトは静かに映像を見る。
確かに。
あれは単なる反応速度ではない。
“分かっている”動きだった。
ゼクトが低く呟く。
「だから、
噛み合いすぎている……」
「はい」
アルベルトも頷く。
「そして恐らく、
ミレナ様側もそれに引っ張られている」
「戦闘感覚を同期させられている状態に近い」
モニター室に、
重い沈黙が落ちた。
もし。
第11翼が本当に、
人間の知覚領域へ干渉する存在だとしたら。
あれは。
単なる才能では済まない。
◇
重い自動扉が開く。
低い駆動音と共に、
監視モニター室へ一人の男が姿を現した。
ガルド=フェンリル。
長身。
黒い軍装コート。
白髪混じりの黒髪。
鋭い灰色の瞳。
歴戦の軍人だけが纏う、
圧倒的な威圧感が室内の空気を僅かに沈ませる。
ゼクトは即座に姿勢を正した。
「ガルド様」
アルベルトもまた、
静かに一礼する。
「お戻りなさいませ」
ガルドは短く頷くだけだった。
そのまま大型モニターへ視線を向ける。
画面では、
先ほどの模擬戦記録が停止状態で映し出されていた。
レギア。
ミレナ。
互いへ背を預ける瞬間。
ガルドは数秒、
無言で映像を見つめる。
やがて。
低く呟いた。
「……噛み合い過ぎだ」
その声には、
僅かな驚きが混じっていた。
アルベルトは静かに室内奥へ移動する。
モニター室端部。
小型給湯設備と、
黒木製の茶器棚。
アルベルトは慣れた動きで湯を沸かし始めた。
金属音すら小さい。
長年この屋敷を支えてきた者らしい、
無駄の無い所作だった。
茶葉を開く。
湯気が立つ。
静かな紅茶の香りが、
無機質なモニター室へゆっくり広がっていく。
その間も。
ガルドの視線は、
映像から動かなかった。
ゼクトが低く口を開く。
「アルベルト様も、
同じ見解でした」
ガルドは答えない。
ただ腕を組み、
静かに映像を見る。
やがて。
アルベルトがティーカップを置いた。
白磁のカップ。
深い紅色の液面。
ガルドの前へ、
音も無く差し出される。
「どうぞ」
ガルドはカップを受け取る。
僅かに立ち上る湯気。
静かな香り。
そして。
ガルドは視線をモニターへ向けたまま、
低く呟いた。
「……アルベルト」
「はい」
「お前はどう見る」
アルベルトは一瞬だけ沈黙した。
その後。
静かに答える。
「多分ですが」
アルベルトは静かにモニターを見る。
「第11翼は、
既にレギア様へ干渉を始めています」
「知覚。」
「反応。」
「戦闘本能。」
「……人間の感覚領域そのものを書き換えている可能性があります」
監視モニター室には、
静かな紅茶の香りが漂っていた。
大型モニターでは、
未だにレギアとミレナの模擬戦記録が再生され続けている。
ガルドは無言のまま、
映像を見つめていた。
白磁のティーカップから、
僅かに湯気が立ち上る。
やがて。
「……人間の感覚領域を書き換える、か」
低い声。
重い呟きだった。
アルベルトは静かに頷く。
「可能性の話です」
「ですが、
第11翼兵装は元々“異常”です」
ゼクトが腕を組みながら口を開く。
「実験記録でも、
感覚異常の報告は多かった」
「幻聴。」
「空間認識異常。」
「未来予測に近い反応。」
「発狂。」
「……どれも正常とは言えません」
ガルドの目が細まる。
第11翼。
黒い翼。
帝国最深部へ封印された、
未解明の禁忌。
そして。
ガルドにとっては、
妻と娘を奪った呪いでもあった。
室内へ、
重い沈黙が落ちる。
モニター内。
レギアが踏み込む。
同時に、
ミレナが援護へ動く。
迷いが無い。
速すぎる。
自然すぎる。
ガルドは低く呟いた。
「……似ているな」
ゼクトが視線を向ける。
ガルドは映像から目を離さないまま続けた。
「昔の黒衣隊だ」
その瞬間。
ゼクトの表情が僅かに変わる。
アルベルトもまた、
静かに目を伏せた。
黒衣隊。
ガルド直属特殊戦闘部隊。
帝国最強。
そして。
最も多く死んだ部隊でもある。
ガルドは静かに紅茶を口へ運ぶ。
「長く戦場を潜った部隊ほど、
言葉を使わなくなる」
「視線も。」
「合図も。」
「……必要無くなる」
短い沈黙。
「死角を見る必要すら無くなる」
低い声。
歴戦の軍人だけが知る実感だった。
ゼクトが小さく息を吐く。
「ですが、
あの二人は昨日初めて組んだ」
「普通ではありません」
「分かっている」
ガルドは短く答える。
そして。
僅かに目を細めた。
「だから気味が悪い」
モニター内。
背中合わせに動く、
レギアとミレナ。
その姿は確かに美しかった。
だが同時に。
どこか危うかった。
アルベルトが静かに口を開く。
「ガルド様」
「このまま進行すれば、
第11翼との共鳴はさらに強まる可能性があります」
「レギア様自身が、
まだ自覚していない段階で」
ガルドは答えない。
ただ。
静かに映像を見る。
やがて。
低く呟いた。
「……なら尚更だ」
ゼクトとアルベルトが視線を向ける。
ガルドは静かにカップを置いた。
小さな音が、
モニター室へ響く。
「目を離すな」
灰色の瞳が、
真っ直ぐモニターを見据える。
「レギア=ノクスは、
確実に第11翼へ近付いている」
◇
監視モニター室。
重い沈黙が続いていた。
大型モニターでは、
レギアとミレナの模擬戦記録が繰り返し再生されている。
ガルドは静かに映像を見つめていた。
灰色の瞳には、
複雑な感情が沈んでいる。
やがて。
「……ゼクト」
低い声。
ゼクトは即座に姿勢を正した。
「何でしょうか、ガルド様」
ガルドは答えない。
数秒。
いや。
十数秒近い沈黙。
その間も、
モニターではレギアの姿が映り続けていた。
そして。
ガルドはゆっくり口を開く。
「……万が一だ」
室内の空気が変わる。
アルベルトも、
静かに視線を向けた。
ガルドは映像から目を離さないまま続ける。
「レギアが、
明確に人類の敵となった時」
低い声だった。
だが。
そこには、
歴戦の軍人としての覚悟が滲んでいた。
「俺は、
あの子を斬らねばならん」
ゼクトの表情が僅かに強張る。
アルベルトも沈黙したまま、
静かに目を伏せた。
ガルドは続ける。
「だが」
「もし俺が倒れた時」
「あるいは――」
一瞬だけ、
ガルドの声が止まる。
そして。
静かに言った。
「……あの子を斬れなくなった時は」
その言葉は。
軍人としてではない。
一人の父親としての言葉だった。
ガルドは僅かに目を伏せる。
「ゼクト」
「はい」
「お前が、
切ってやってはくれぬか」
モニター室から、
音が消えた。
ゼクトはすぐに答えられなかった。
黒騎士。
帝国最強格。
幾多の処刑任務も遂行してきた男。
だが。
今の言葉の重さは、
それらとは比較にならなかった。
モニター内。
レギアが笑っていた。
ミレナと何か言葉を交わしている。
まだ。
何も知らない笑顔だった。
ゼクトはゆっくり目を閉じる。
そして。
静かに頭を下げた。
「……御意」
短い返答。
だが。
それは命令受諾ではない。
覚悟そのものだった。
アルベルトは何も言わない。
ただ。
静かに紅茶を注ぎ直していた。
立ち上る湯気だけが、
やけに白く見えた。
◇
ガルド邸地下演習区画。
巨大鋼鉄演習場。
静まり返った空間に、
荒い呼吸音だけが響いていた。
床面には、
無数の斬撃痕。
踏み込みで削れた鋼鉄床。
焼けた金属臭。
その中央。
レギア=ノクスは片膝をついていた。
黒い演習用装備は所々裂け、
肩で息をしている。
額から汗が落ちた。
数秒前。
ガルド=フェンリルは、
巨大な模擬戦斧を肩へ担いだまま背を向けた。
そして。
鋼鉄隔壁へ向かいながら、
低く言い残した。
「浴場を使え」
「手当も手配してある」
短い言葉。
だが。
それだけだった。
振り返りもしない。
重い軍靴の音だけが、
静かな演習場へ響く。
やがて。
鋼鉄隔壁が閉じた。
残されたのは、
レギアとミレナだけだった。
少し後方。
ミレナ=ヴァルケインは、
静かに狙撃銃を下ろした。
灰銀色の演習用狙撃装備。
長距離射撃用補助デバイス。
装備に目立った損傷は無い。
終始援護へ徹していたからだ。
レギアは大きく息を吐く。
「……ありがとう。助かったわ。」
床へ座り込むように呟く。
「あの方本当に同じ人間かしら?」
ミレナは小さく瞬きをした。
「ガルド様、
前からああいう感じだから……」
レギアが言う。
「いや、
あれで済ませるのおかしいと思わないの?」
ミレナが即座に返す。
「そうね実のところ」
「……私もちょっと怖かった」
レギアが小さく呟く。
ミレナは思わず頷いた。
「そうよね……」
レギアは髪を掻き上げながら、
天井を見上げた。
模擬戦だった。
だが。
途中から完全に生存本能で動いていた。
一瞬でも遅れれば終わる。
そう本気で感じた。
そして何より。
「……ミレナの援護」
レギアがミレナに視線を向ける。
「妙なくらい正確だった」
「私が避ける場所に、
先に射線通していたでしょう?」
ミレナは少し考える。
やがて。
「そうね……
自分でも不思議なのだけれどもなんとなく分かったの」
静かな返答。
「レギア、
そこに動きそうだったから」
レギアが顔をしかめる。
「ちょっと怖い不思議だわ……」
ミレナは静かに首を傾げた。
「でも、
レギアもだった」
「私が撃つ前に動いてた」
「援護が来るって、
分かってるみたいに」
レギアは答えない。
否定出来なかった。
実際。
考える前に身体が動いていた。
ミレナの援護位置。
射線。
次弾。
それらを、
何故か自然に理解出来てしまう。
短い沈黙。
そして。
レギアはぼそりと呟いた。
「……私がおかしいのかしら?それともミレナがおかしいのかしら?」
ミレナの目が僅かに動く。ミレナは小さく舌打ちした。
「私じゃないわ。おかしいのは貴方よ。」
レギアはそうかもね。と苦笑いする。
「ここ最近何だけど、音とか、気配とか変に鮮明に分かる時があるのよ。」
「ガルド様と模擬戦をするたびにその感覚が強くなってる気がするの。」
ミレナは静かに聞いていた。
やがて。
「……やはり変なのは貴方よ。」
その答えにレギアは少し黙る。
そして。
小さく笑った。
「気持ち悪い?……」
「気持ち悪い」
即答だった。
しかしミレナの口元が、ほんの少しだけ緩む。
レギアが即座に眉を寄せた。
「何よ?」
「だけど気持ちが良かったのよ。」
「?」
「貴方との戦闘の連携が」
真顔だった。そのあとミレナは深くため息を吐いた。
そして。
ゆっくり立ち上がる。
「……いこうレギア。浴場案内してちょうだい。汗が気持ちわるいわ。」
レギアも静かに頷く。
「うん」
二人は並んで演習場出口へ向かった。
無言。
だが。
「身体が上手く動かないわ……」
レギアの歩き方が奇妙である
「……貴方、歩き方がおかしいわ。」
「ミレナもね。」
「ちょっと肩を貸してくれないかしら?……」
レギアがミレナにいたずらっぽく問う。
「見て分からないの?貸せる肩なんて持ち合わせていないわ。」
その瞬間笑顔がこぼれる2人。
パンッと歩きながらハイタッチする2人はゆっくりと浴場に向かった。
フェンリル家邸宅――上層浴場区画。
白い湯気が、
広い浴場内へ静かに漂っていた。
大理石造りの巨大浴槽。
壁面には淡く灯る魔導灯。
静かな湯音だけが響いている。
レギア=ノクスは、
浴槽の縁へ背を預けながら、
深く息を吐いた。
「……っぅ……」
全身が重い。
模擬戦とはいえ、
相手はガルド=フェンリル。
しかも地下演習区画で、
何度も真正面から叩き潰された。
肩。
腕。
脚。
背中。
全身が鈍く痛む。
向かい側では、
ミレナ=ヴァルケインも湯へ沈みながら小さく呻いていた。
「いったぁ……」
珍しく弱々しい声だった。
長い銀髪が湯へ広がる。
「これ、絶対明日筋肉痛よ……」
「もう痛い」
レギアが即答する。
ミレナは苦笑した。
「それはそうね……」
しばらく、
二人とも黙り込む。
湯気だけが静かに揺れていた。
やがて。
ミレナがぽつりと呟く。
「……学校、行けるかしら」
「無理かもしれない」
「よねぇ……」
疲労が限界だった。
極度の集中。
連携。
高速戦闘。
そして、
ガルドとの正面模擬戦。
精神も肉体も、
完全に使い切っていた。
温かい湯が、
逆に眠気を誘う。
レギアの瞼が、
ゆっくり閉じかける。
ミレナも同じだった。
「……少しだけ」
「……うん……」
そして。
数分後。
完全に寝た。
浴槽の縁へ寄り掛かったまま、
二人とも静かに眠っていた。
浴場入口。
様子を見に来たメイド達が、
固まる。
「レ、レギア様!?」
「ミレナ様!?」
「きゃあああ!?!?」
一気に騒ぎになった。
「だ、大丈夫ですか!?」
「寝てるだけ!?!?」
「えっでも顔色が!?」
「医療班!! 医療班呼んでください!!」
慌ただしい足音。
だが。
次の瞬間。
浴場外側待機区画から、
落ち着いた声が響いた。
「騒ぐな」
全員が振り向く。
そこには、
既に待機していた白衣集団がいた。
帝都中央高度医療班。
帝国軍中央病院所属。
主任医師。
看護官。
総勢十数名。
メイド達が凍り付く。
「えっ」
「な、なんで中央医療班が……」
主任医師が静かに眼鏡を押し上げた。
「フェンリル閣下より事前要請を受けています」
「演習後、
全身への過負荷が予測されると」
メイド達が一斉に理解する。
――予測済みだった。
数分後。
眠そうなまま運び出されたレギアとミレナは、
状況を理解できていなかった。
「……なに……?」
「えっ……?」
気付けば。
豪華すぎる医療室。
大量の医療スタッフ。
眩しい術式灯。
しかも。
目の前には、
帝国中央病院の紋章。
ミレナが固まる。
「え」
レギアも固まる。
「え?」
次の瞬間。
医療班が一斉に動いた。
「右腕損傷確認!」
「筋繊維断裂軽度!」
「魔力循環異常なし!」
「鎮痛術式展開!」
「冷却処置急げ!」
「こちら包帯交換!」
「はい次腕上げてください!」
「動かないでください!」
「痛っ!?」
「ちょ、待っ――」
「ミレナ様こちら向いてください」
「いや近い近い近い!?!」
完全に大騒ぎだった。
レギアは包帯を巻かれながら混乱していた。
「な、なんでこんな大事に……!?」
主任医師が平然と答える。
「フェンリル閣下命令です」
「“最高水準で治せ”と」
ミレナが頭を抱える。
「ガルド様、やること極端なのよ……!」
その頃。
ガルド=フェンリルは執務室で、
静かに紅茶を飲んでいた。
アルベルトが小さく問う。
「……過剰では?」
ガルドは書類をめくりながら答える。
「学生は無理をする」
「潰れてからでは遅い」
短い言葉だった。
だが。
どこか、
不器用な親心のようでもあった。
アルベルトは何も言わなかった。
ただ、
静かに紅茶を注ぎ直す。
窓の外では。
静かな雪が降り続けていた。
ヴァルケイン家邸宅――帝都東部高級居住区。
夜。
静かな雪が降っていた。
屋敷前へ、
一台の黒塗り大型車両がゆっくり停車する。
車体側面には、
白銀の狼を象った紋章。
フェンリル家の家紋だった。
正門警備兵達の空気が変わる。
「フェンリル家……?」
「こんな時間に……?」
車両扉が静かに開く。
降り立ったのは、
黒燕尾服の老執事。
アルベルト=レイヴンハルトだった。
白髪混じりの髪。
隙の無い立ち姿。
かつて軍に所属していた者特有の圧が、
静かに漂っている。
ヴァルケイン家使用人達が慌てて頭を下げた。
「こ、これはアルベルト殿……!」
アルベルトは一礼する。
「夜分遅くに失礼します」
「フェンリル閣下より、
ヴァルケイン当主殿へお届け物を」
応接室。
重厚な暖炉の火が揺れていた。
ミレナ=ヴァルケインの叔父。
現ヴァルケイン家当主は、
静かに封書を受け取る。
黒封蝋。
フェンリル家当主印。
直筆だった。
当主が眉を上げる。
「……ガルド閣下直筆か」
アルベルトは頷く。
「本日の演習において、
ミレナ様へ想定以上の負荷が掛かった件についてのお詫びです」
「加えて、
こちらを」
後方の使用人が、
丁寧に三つのケースを運び込む。
長大な黒ケース。
重厚な短箱。
そして。
黒布で覆われた大型装備箱。
その頃。
二階自室。
ミレナはベッドへ倒れ込むように沈んでいた。
「いたたたた……」
全身が痛い。
腕も。
脚も。
肩も。
長時間の高機動狙撃支援。
普段使わないレベルで感覚を酷使した反動だった。
包帯まで巻かれている。
しかも帝都中央高度医療班に囲まれたせいで、
精神的疲労まで凄かった。
「ガルド様ほんと極端なのよ……」
そう呟いた瞬間。
コンコン。
部屋扉がノックされる。
「ミレナ様」
使用人だった。
「フェンリル家よりお届け物です」
「……え?」
数分後。
ミレナは応接室へ降りてきた。
そして。
ソファへ座るアルベルトを見て固まる。
「ア、アルベルトさん!?」
アルベルトは静かに立ち上がる。
そして。
丁寧に一礼した。
「夜分に申し訳ございません。、ミレナ様」
僅かな間。
続けて。
「先ほどは当主が大変失礼を致しました」
「お体は大丈夫でらっしゃいますか?」
ミレナが目を瞬かせる。
「え?」
アルベルトは淡々と続けた。
「演習後にも関わらず、
閣下が必要以上に追い込み過ぎました」
「本来であれば、
もう少し加減を――」
「いや、ガルド様絶対そんな気なかったですよね!?」
思わずツッコミが飛ぶ。
アルベルトは一瞬だけ沈黙した。
「……否定は致しかねます」
ミレナが頭を抱える。
「ですよねぇ……」
だが。
その直後。
アルベルトは視線を横へ向けた。
テーブル上には、
三つのケース。
「こちらは、
フェンリル閣下よりミレナ様へ」
最初の長大な黒ケースが開かれる。
中には。
漆黒の超長距離狙撃銃。
重厚な機械構造。
黒銀色の特殊フレーム。
長大な銃身。
ミレナの目が見開かれる。
「……っ」
アルベルトが静かに告げた。
「対大型レムナント超長距離狙撃銃――《レイヴン》」
「かつて閣下が北部戦線で使用されていた装備です」
「現在はフェンリル家保管指定兵装となっています」
ミレナと叔父が同時に固まる。
「保管指定兵装!?」
続いて。
二つ目のケース。
中には。
黒銀色の大型自動拳銃。
「副武装」
「静音処理、
反動制御、
近距離連射性能強化型です」
ミレナが頭を抱え始める。
「いや重い重い重い!!」
「なんで私に!?」
アルベルトは平然としていた。
「本日の演習結果を見た閣下の判断です」
「“お前はもっと後方から戦場を支配できる”と」
ミレナが完全に黙る。
最後。
黒布が外される。
現れたのは。
深い黒色の長マント。
表面へ細かく刻まれた隠匿術式。
雪明かりすら吸い込むような異様な装備だった。
アルベルトが静かに説明する。
「特殊隠密装備」
「光学、
熱源、
魔力探知を大幅低減します」
ミレナが絶句する。
「……これ、軍用試作品じゃ……」
「正式採用前段階の装備です」
「閣下が技術局より直接確保されました」
沈黙。
ヴァルケイン当主が小さく笑った。
「……相変わらず、
気に入った相手への扱いが豪快だな」
ミレナはまだ混乱していた。
「いやいやいや……」
「こんなの貰えないわよ……!」
アルベルトは静かに紅茶へ口を付ける。
「閣下は、
返却される前提で物を渡す方ではありません」
「気に入られましたね」
「嬉しくない方向で重いのよ!!」
思わず叫ぶミレナ。
だが。
その視線は、
無意識に《レイヴン》へ向いていた。
長距離狙撃手として。
あまりにも理想的な武器だった。
それを見たアルベルトは、
小さく微笑する。
「……閣下は、
才能ある若者には惜しみません」
「それだけです」
窓の外では。
静かな雪が降り続けていた。




