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第5話 別れ

静寂が落ちた。


外では、

街の崩壊音が響いている。


だが。


倉庫の中だけ、

まるで時間が止まったようだった。


アーデルハイドは、

息を呑みながら父を見つめる。


レオンは何も言わない。


ただ静かに、

装甲へ手を伸ばした。


ガギン――


重い金属音。


腕部装甲が、

レオンの右腕へ固定される。


続いて左腕。


胸部。


脚部。


装甲が噛み合う度、

鈍い駆動音が倉庫へ響いた。


まるで。


眠っていた怪物が、

再び目を覚ましていくようだった。


フェルトが怯えたように、

セシリアの後ろへ隠れる。


「お、おねーちゃん……」


アーデルハイドも、

言葉を失っていた。


父なのに。


いつもの優しい父なのに。


今目の前にいる存在は、

どこか別人のように見えた。


レオンは最後に、

壁へ立てかけられていた巨大戦斧を握る。


黒鉄の柄。


蒼白い光を帯びる刃。


内部へ組み込まれた天使核片が、

低く脈動していた。


――ヴン……


その瞬間。


レオンの空気が変わる。


セシリアが小さく息を呑んだ。


それを、

誰より近くで知っているから。


これは農夫レオンではない。


不死隊時代の。


戦場で“戦神”と呼ばれた男だ。


レオンはゆっくり振り返る。


装甲越しの瞳が、

家族を見る。


その視線だけは、

昔と変わらず優しかった。


「セシリア」


低い声。


「……子供達を頼む」


セシリアは、

唇を噛みながら頷く。


本当は止めたい。


行ってほしくない。


けれど。


この人が、

行かなければならないことを理解していた。


 レオンは次に、

アーデルハイドを見る。


娘は震えていた。


けれど、

泣いてはいなかった。


その姿に、

レオンはほんの少しだけ笑う。


「アデル」


大きな手が、

娘の頭へ置かれる。


装甲越しなのに、

不思議と暖かかった。


「お前は強い子だ」


その言葉に。


アーデルハイドの胸が、

ぎゅっと締め付けられる。


そしてレオンは、

ゆっくりアーデルハイドを抱きしめた。


「母さんとフェルトを頼む」


低く、

静かな声。


アーデルハイドは、

父の装甲へぎゅっとしがみつく。


「……うん」


震える声だった。


レオンは静かに頷くと、

次にフェルトの前へしゃがみ込む。


怯えた瞳。


小さく震える身体。


レオンは優しく頭を撫でた。


「フェルト」


そして。


顔を覗き込むように、

視線を合わせる。


「アデルの言うこと、

ちゃんと聞くんだぞ」


フェルトは唇を震わせながら、

小さく頷いた。


「……うん……」


レオンはそんな息子を、

今度は強く抱きしめる。


小さな身体が、

装甲の胸へ埋もれる。


その温もりを、

レオンはまるで刻み込むように抱き締めた。


そして最後に。


レオンは、

セシリアの前へ立つ。


言葉が出ない。


何を言っても、

足りない気がした。


だから。


レオンはただ、

最愛の妻を優しく抱きしめる。


セシリアもまた、

涙を零しながら彼を抱きしめ返した。


壊れた兵士だった自分を、

人間へ戻してくれた女性。


帰る場所をくれた女性。


レオンは静かに呟く。


「……すまんな」


その一言に。


セシリアは涙を流したまま、

小さく頷いた。


 レオンは踵を返した。


そして。


燃え盛るラグナフィールへ、

再び歩き出す。


家族を守るために。


この街を守るために。


かつて戦場を震わせた男は、

再び地獄へ戻っていった。


 


 レオンが戦線へ戻った時。


南街道は、すでに死地と化していた。


街へ続く石畳の道。


そこを埋め尽くすように、無数のレムナントの死骸が積み重なっている。


黒い血。


砕けた武器。


折れた槍。


そして、その中には人間の亡骸も混ざっていた。


民兵達だった。


農具を握ったまま倒れている者。


家族を逃がすため最後まで踏み止まった者。


若すぎる少年兵。


誰もが恐怖していた。


それでも逃げなかった。


「……っ」


レオンは奥歯を噛み締める。


視線の先。


ハラルがまだ戦っていた。


全身血塗れだった。


肩は裂け、額から血を流し、それでも大剣を振るい続けている。


一撃ごとにレムナントが吹き飛ぶ。


だが敵の数は減らない。


「第五分隊ぃ!!」


ハラルの怒号が響く。


「まだ下がるな!!」


不死隊第五分隊。


その生存者達も限界だった。


負傷者だらけ。


立っているだけで奇跡の者もいる。


それでも誰一人逃げなかった。


この南街道を突破されれば、避難民にレムナントがなだれ込む。


だから踏み止まるしかなかった。


しかし犠牲はあまりにも大きかった。


第五分隊はすでに半壊。


民兵も次々と倒れていく。


ハラルはそれでも前に立ち続けた。


「来い化け物共……!!」


「まだ……俺達は終わってねぇ……!!」


その時だった。


――ドォンッ!!


横合いから、一体のレムナントが吹き飛ぶ。


次の瞬間。


巨大な戦斧が地面へ叩きつけられた。


「……悪い、待たせた」


低い声。


ハラルが振り返る。


そして血まみれの顔で笑った。


「遅ぇぞレオン!!」


レオンも小さく笑う。


その目に、もう迷いはなかった。


守るべき家族は守った。


ならば次は。


共に戦う仲間達の番だった。


レオンは戦斧を担ぎ直し、前へ出る。


「第五分隊。」


静かな声が響く。


「まだ戦えるな?」


疲弊しきった兵達が顔を上げる。


レオンは戦場を睨みながら口を開いた。


「ここからは俺も前に立つ。」


「この南街道――」


「絶対に突破させん。」


 次の瞬間だった。


レオンが地を蹴る。


――爆音。


石畳が砕け散る。


「……ッ!?」


民兵達が目を見開いた。


速い。


あまりにも速い。


巨体。


巨大な戦斧。


それにも関わらず、その突撃はレムナントすら反応できない。


「ォォオオオオオオオッ!!!」


咆哮。


戦場そのものを震わせる怒号。


振り下ろされた戦斧が、一撃で三体まとめて粉砕する。


肉片と黒い血が宙へ舞った。


止まらない。


レオンはそのまま敵陣へ突っ込んだ。


横薙ぎ。


レムナントの上半身がまとめて吹き飛ぶ。


踏み込み。


頭部を叩き潰す。


回転。


戦斧の遠心力だけで骨と肉が砕け散る。


まるで。


鬼神だった。


「な、なんだあいつ……」


民兵の一人が呆然と呟く。


レオンは止まらない。


一歩進むごとにレムナントが死ぬ。


一振りごとに敵が吹き飛ぶ。


返り血を浴びながら。


咆哮を上げながら。


ただ前へ。


ただ前へ。


「押し返せぇぇぇぇ!!!」


ハラルが叫ぶ。


その瞬間。


止まりかけていた第五分隊が再び前へ出た。


レオンの背中が。


あまりにも頼もしすぎた。


レオンは敵の群れへ真正面から飛び込む。


常人なら囲まれ終わる距離。


だが。


違った。


「邪魔だァァァァァ!!!」


戦斧が地面ごと叩き割られる。


衝撃で周囲のレムナントがまとめて吹き飛ぶ。


黒い破片が夜に散った

 

装甲が砕け、影が崩れる

 

石畳に黒い残骸が転がる


黒い血飛沫が雨のように降り注いだ。


それでも敵は押し寄せる。


だがレオンは笑った。


獰猛に。


戦士の顔で。


「その程度か化け物共!!」


さらに踏み込む。


戦斧が唸る。


また死骸の山が積み上がる。


まさに鬼人。


誰よりも前で。


誰よりも暴れ。


誰よりも敵を殺していた。


その姿に。


疲弊していた民兵達ですら雄叫びを上げ始める。


「戦神に続けぇぇぇ!!」


「押し返せぇぇぇぇ!!」


崩れかけていた戦線が、再び前へ動き始めた。


 だが――。


次の瞬間だった。


遠方。


天鱗粉の舞う南街道の奥。


そこに、新たな影が現れる。


一つではない。


十。


二十。


さらにその奥にも。


「……なんだ、あれは」


民兵の一人が震える声を漏らした。


現れたのは、これまでの獣型レムナントではなかった。


人型。


黒く痩せ細った身体。


異様に長い四肢。


歪んだ人間の顔。


その全身から、禍々しい黒煙が漏れ出している。


そして。


その手には――武器。


錆びついた剣。


折れた槍。


旧文明時代の残骸のような兵装。


「人型……ッ!!」


第五分隊の兵が青ざめる。


空気が変わった。


明らかに違う。


これまでのレムナントとは危険度が違う。


次の瞬間。


――消えた。


「ッ!!?」


高速。


人型レムナントが地を滑るように駆ける。


そして。


民兵の首が宙を舞った。


「が――ッ」


血飛沫。


悲鳴。


一瞬だった。


「構えろぉぉぉ!!!」


ハラルが怒鳴る。


だが遅い。


別の一体が第五分隊へ飛び込む。


剣閃。


兵士の胴が斜めに裂けた。


「ぐあぁぁぁ!!」


「くそっ!!」


戦線が崩れる。


人型レムナントは強かった。


速い。


硬い。


そして知性がある。


連携しながら、一気に人間側の綻びを抉ってくる。


レオンが戦斧を振るう。


一体を叩き潰す。


だがその背後からさらに二体。


横から三体。


止まらない。


「チッ……!!」


レオンが初めて舌打ちする。


押し返していたはずの戦線が。


再び劣勢へ傾き始めていた。


民兵達が次々と倒れる。


第五分隊も限界だった。


疲労。


出血。


武器損耗。


それでも戦うしかない。


この南街道を抜かれれば。


避難民が死ぬ。


街が終わる。


だが。


敵はあまりにも多すぎた。


「まだ来るのかよ……!!」


誰かが絶望混じりに呟く。


「下がるなぁぁぁぁ!!!」


ハラルの怒号が響く。


人型レムナントの群れが第五分隊へ殺到する。


兵が吹き飛ぶ。


悲鳴。


血飛沫。


崩れ始めた戦線を、ハラルはたった一人で押し留めていた。


全身傷だらけだった。


呼吸も荒い。


それでも大剣を振るう。


一撃で二体まとめて叩き潰す。


「まだだ……!!」


「まだここは通さねぇぇぇ!!」


その時だった。


背後。


倒れていた兵士へ、人型レムナントが飛びかかる。


ハラルが反応した。


「――ッ!!」


無理矢理踏み込む。


間に合った。


大剣で人型を弾き飛ばす。


だが。


その瞬間。


別の人型レムナントが、横合いから突っ込んできた。


「ハラル!!」


レオンが叫ぶ。


遅かった。


黒い刃が、ハラルの脇腹を深々と貫く。


「……ぁ」


動きが止まる。


次の瞬間。


さらに二体。


三体。


人型レムナントが一斉に飛びついた。


肉が裂ける音。


血が舞う。


それでも。


ハラルは最後まで立っていた。


「……レオン……」


血を吐きながら。


それでも笑う。


「あとは……任せた……」


直後。


ハラルは最後の力で大剣を振り抜いた。


凄まじい一撃だった。


周囲の人型レムナントごと、地面が吹き飛ぶ。


だが。


そのまま。


巨体が崩れ落ちる。


「――ハラルッ!!!」


レオンの咆哮が響いた。


次の瞬間。


戦斧が唸る。


怒りのまま、人型レムナントを叩き潰す。


一体。


また一体。


骨ごと砕く。


肉片を撒き散らしながら。


まるで狂戦士だった。


だが敵は減らない。


第五分隊はほぼ壊滅。


民兵も限界。


それでもレオンは退かなかった。


「まだだァァァァァ!!!」


血まみれのまま戦斧を振るう。


孤軍奮闘。


その姿だけで、かろうじて戦線が崩壊せずに済んでいた。


その時だった。


遠方。


農場地区の先。


暗闇の中に、複数の光が灯る。


「……ッ」


レオンが顔を上げる。


信号灯。


不死隊中央本隊の増援信号だった。


さらに。


避難誘導灯。


避難民達が農場地区への退避を完了しつつある証。


レオンの表情が、初めて僅かに緩む。


「……逃げ切ったか……」


もう少し。


あと少し耐えればいい。


その瞬間だった。


――ォォォォォン!!


重低音。


空から響く推進音。


民兵達が空を見上げる。


終灰舞う夜空。


そこに複数の光が走っていた。


不死隊中央本隊。


降下部隊。


蒼白い噴射光を放ちながら、次々と上空から降下を開始する。


「増援だぁぁぁぁ!!」


誰かが叫ぶ。


絶望しかけていた戦場に、再び光が差した。


 だが――。


その希望は、一瞬だった。


黒煙の奥から。


さらに十数体もの人型レムナントが姿を現す。


「……ッ」


レオンの表情が険しくなる。


多すぎる。


今の第五分隊では止めきれない。


それでも。


退くわけにはいかなかった。


「来い……!!」


レオンが戦斧を構える。


次の瞬間。


人型レムナント達が一斉に地を蹴った。


速い。


まるで黒い弾丸。


レオンへ殺到する。


「ォォォォォオオオオ!!!」


戦斧が唸る。


一撃。


先頭の人型を粉砕。


返す刃で二体目の頭部を叩き潰す。


踏み込み。


三体目を地面ごと叩き割る。


だが。


止まらない。


四方八方から飛びかかってくる。


「チィッ!!」


レオンが怒号を上げる。


戦斧を横薙ぎに振るう。


まとめて吹き飛ぶ人型達。


しかしその瞬間。


死角。


背後。


倒れたレムナントの死体の陰から、一体が滑り込んでいた。


「――ッ」


気付いた時には遅かった。


黒い腕が伸びる。


次の瞬間。


――ブチィッ。


鈍い音。


レオンの左腕が、肩口から引き千切られた。


「……ァ?」


一瞬。


理解が追いつかなかった。


遅れて。


激痛。


「――がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


絶叫。


鮮血が噴き出す。


民兵達が凍りつく。


「レオン!!」


誰かの叫び。


だが人型レムナント達は止まらない。


血飛沫を浴びながら、さらにレオンへ殺到する。


普通なら終わっていた。


立っていられる傷ではない。


だが。


レオンは倒れなかった。


右腕一本で戦斧を握る。


血走った目で敵を睨む。


そして。


咆哮した。


「――まだだァァァァァァァ!!!!」


次の瞬間。


片腕とは思えない一撃が振り抜かれる。


人型レムナントの上半身がまとめて吹き飛んだ。


まるで。


――手負いの獣のようだった。


レオンの呼吸は、すでに獣のそれだった。


左肩から血が噴き出し続けている。


視界も霞む。


それでも。


まだ倒れない。


人型レムナント達が再び距離を詰める。


レオンは右手一本で戦斧を構え――


次の瞬間。


その戦斧を、地面へ投げ捨てた。


「……?」


民兵達が目を見開く。


レオンは無言のまま歩き出す。


その先。


地面に突き刺さっていた一本の大剣。


血塗れの剣。


ハラルの剣だった。


レオンはその前で足を止める。


一瞬だけ。


親友の亡骸を見る。


そして。


「……借りるぞ、ハラル」


低く呟いた。


次の瞬間。


右腕一本で、大剣を引き抜く。


――ゴォンッ!!


重量級の鉄塊が持ち上がる。


片腕。


しかも重傷。


普通の人間なら構えることすら不可能。


だが。


レオンは立った。


巨大な大剣を肩へ担ぐ。


その姿に。


民兵達すら息を呑む。


「……なんなんだ、あの人……」


誰かが震える声で呟いた。


レオンは答えない。


ただ。


静かに人型レムナント達を睨む。


その目にはもう怒りすらなかった。


あるのは。


覚悟だけだった。


「来い。」


直後。


人型レムナント達が一斉に飛びかかる。


レオンが踏み込む。


そして。


ハラルの大剣が振り抜かれた。


――轟音。


空気そのものが裂ける。


真正面から突っ込んできた人型レムナント達が、まとめて両断された。 


 


 


 


 


 

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