第12話 再開 2
執事は静かに一歩前へ出る。
その動作には、
一切の無駄が無かった。
そして。
レギアへ向け、
深く一礼する。
「ようこそおいでくださいました」
低く落ち着いた声だった。
「レギア=ノクス様」
“様”。
その呼び方に。
レギアは一瞬だけ、
小さく目を見開いた。
「……あ、はい」
少し戸惑った声だった。
その後ろで、
二人のメイドも自然な動作で頭を下げる。
「お待ちしておりました」
柔らかな声。
けれど。
そこに迷いは無かった。
まるで最初から、
レギアがこの屋敷の人間である事を知っていたみたいに。
レギアは少しだけ視線を揺らす。
居心地が悪かった。
歓迎されている。
丁重に扱われている。
それなのに。
自分が本当に、
ここへいていいのか分からない。
辺境で震えていた少女だった自分と。
今、
“将軍家の人間”のように扱われている現実が、
まだ上手く繋がらなかった。
レギアは小さく視線を逸らす。
「……そんな、
かしこまらなくても」
思わず漏れた言葉だった。
だが。
執事は穏やかに微笑む。
「旦那様が大切になされている方ですので」
その返答に。
レギアの胸が、
小さく揺れた。
何も言えなくなる。
老執事はそんなレギアの様子を見ても、
表情一つ変えない。
ただ静かに言った。
「旦那様がお待ちです」
その一言だけで。
レギアの胸が、
強く脈打つ。
ガルド=フェンリル。
五年ぶりだった。
老執事は静かに身を引く。
「こちらへ」
レギアは小さく頷く。
「……はい」
そして、
屋敷の中へ足を踏み入れた。
暖かかった。
外の雪が嘘みたいに。
広大な玄関ホール。
赤黒い絨毯。
巨大な階段。
壁面へ飾られた軍旗と長剣。
静かな照明。
どこを見ても、
“帝国最強の将軍”の屋敷だった。
レギアは小さく息を呑む。
「……すごい」
思わず、
そんな言葉が漏れる。
メイドの一人が小さく微笑んだ。
「旦那様は、
ほとんど執務室でお過ごしですが」
「レギア様のお部屋は、
数日前より整えられております」
レギアは少し目を瞬かせる。
「……私の、部屋?」
「はい」
「旦那様ご自身のご指示です」
その瞬間。
胸の奥が、
少しだけ熱くなった。
ガルドは。
自分が来る事を、
本当に待っていたのだ。
レギアは小さく唇を引き結ぶ。
そして。
静かに執事の後ろを歩き始めた。
長い廊下だった。
規則正しく並ぶ照明。
磨き上げられた黒床。
壁へ掛けられた歴代軍人達の肖像画。
遠くから聞こえる時計の音だけが、
静かな屋敷へ響いている。
レギアの足音だけが、
やけに大きく聞こえた。
緊張している。
自分でも分かるくらいに。
廊下を進むたび、
胸の鼓動が少しずつ速くなっていく。
やがて。
執事が一枚の巨大な扉の前で立ち止まった。
重厚な黒扉。
フェンリル家紋章。
周囲とは空気が違う。
この先に、
ガルドがいる。
レギアは無意識に、
喉を鳴らした。
執事は静かに一礼する。
「旦那様」
「レギア様をお連れしました」
静寂。
返事は無い。
数秒。
いや。
実際より、
もっと長く感じた。
レギアは小さく息を止める。
指先が、
少しだけ震えていた。
怖いのか。
緊張しているのか。
自分でも分からない。
そして――。
扉の向こうから、
低い男の声が響いた。
「……入れ」
その瞬間。
レギアの胸が、
大きく脈打つ。
間違いない。
ガルドだった。
五年前と変わらない。
低く。
重く。
威圧感のある声。
執事が静かに扉を開く。
暖かな灯りが、
部屋の奥から漏れた。
レギアは小さく息を吸う。
そして。
ゆっくりと、
その部屋へ足を踏み入れた。
部屋の中央。
巨大な執務机。
積み上げられた軍資料。
壁へ掛けられた軍刀。
その奥で。
一人の男が、
静かにこちらを見ていた。
黒髪。
鋭い灰色の瞳。
黒衣隊将軍軍装。
圧倒的な威圧感。
五年前より、
さらに大きく見えた。
ガルド=フェンリル。
帝国最強の将軍。
レギアは思わず立ち止まる。
喉が、
小さく震えた。
言葉が出ない。
五年間。
ずっと会いたかった。
でも。
本当に再会すると、
何を言えばいいのか分からなかった。
沈黙が落ちる。
やがて。
レギアは小さく息を吸う。
そして。
少し震える声で、
静かに口を開いた。
「……お久しぶりです、将軍」
その一言だけで。
五年間の時間が、
静かに動き始めた。
沈黙が落ちる。
広い執務室には、
暖炉の火が静かに揺れていた。
レギアは緊張したまま、
部屋の入口付近へ立っている。
ガルド=フェンリルは、
そんな少女を数秒黙って見つめていた。
鋭い灰色の瞳。
軍人らしい威圧感。
だが。
その視線には、
五年前とは違う静けさがあった。
やがて。
老執事が静かに一歩前へ出る。
「旦那様、
ただいまお茶を――」
だが。
その言葉を、
ガルドが低く遮った。
「……大丈夫だ」
低い声。
「自分で淹れる」
執事がわずかに目を瞬かせる。
後ろのメイド達も、
ほんの少しだけ驚いた空気を見せた。
「ですが――」
執事が口を開きかける。
すると。
ガルドは小さく息を吐いた。
そして。
どこか困ったような、
ほんのわずかに柔らかい声で言った。
「……すまんが、
しばらく二人にしてくれ」
その瞬間。
レギアは小さく目を見開く。
執事もまた、
一瞬だけ驚いたように沈黙した。
おそらく。
“旦那様が自ら茶を淹れる”
それ自体が珍しいのだ。
だが。
老執事はすぐ静かに頭を下げた。
「……承知致しました」
二人のメイドも、
静かに一礼する。
そして。
執事達は音も無く執務室から退出していった。
重厚な扉が閉まる。
静寂。
暖炉の火だけが、
小さく揺れていた。
途端に。
広い執務室が、
やけに静かに感じる。
レギアは少し落ち着かなさそうに視線を揺らした。
五年ぶりだった。
ずっと会いたかった。
でも。
本当に二人きりになると、
何を話せばいいのか分からない。
ガルドはそんなレギアを一瞥すると、
静かに立ち上がる。
将軍軍装の裾が揺れる。
高い背丈。
圧倒的な存在感。
やはり怖い。
そう思うのに。
不思議と、
昔ほど恐ろしくはなかった。
ガルドは部屋の奥にある給湯器具へ向かう。
そして。
慣れた手付きで、
湯を沸かし始めた。
その姿を見ながら。
レギアは少しだけ目を瞬かせる。
「……将軍、
自分で淹れるんだ」
ぽつりと漏れた声。
ガルドは背を向けたまま答える。
「昔からだ」
短い返答。
けれど。
どこか懐かしい声だった。
レギアは小さく口元を緩める。
少しだけ。
本当に少しだけ。
緊張が解け始めていた。
暖炉の火が静かに揺れていた。
広い執務室。
雪の降る夕暮れ。
ガルド=フェンリルとレギア=ノクスは、
向かい合うようにソファーへ座っていた。
レギアは両手で紅茶のカップを包み込む。
温かかった。
昔と同じ味。
その事実だけで、
少しだけ緊張が和らぐ。
沈黙が落ちる。
だが。
不思議と嫌な沈黙ではなかった。
ガルドは静かに紅茶を口へ運ぶ。
そして。
低い声で聞いた。
「……エマは元気か」
その名前を聞いた瞬間。
レギアの表情が、
ほんの少し柔らかくなる。
「はい」
小さく頷く。
「相変わらずです」
「朝からずっと動いてて……」
「この十日間も、
準備でほとんど休んでませんでした」
ガルドは小さく息を吐く。
「……あいつらしい」
レギアは少しだけ口元を緩める。
「服も、
かなり選ばれました」
「黒ばっかり選ぶなって」
その言葉に。
ガルドがわずかに眉を動かす。
「……間違ってないな」
「え?」
レギアが少し目を瞬かせる。
ガルドは静かに紅茶を置いた。
「エマから報告は受けている」
「お前は黒系統ばかり選ぶと」
レギアは少しだけ視線を逸らす。
「……言ってたんですか」
「ああ」
短い返事。
ガルドは静かに続ける。
「エマは昔から、
そういう細かい事まで書いてくる」
その言葉に。
レギアは少しだけ驚いた顔をする。
「……手紙、
やり取りしてたんですね」
「定期報告だ」
軍人らしい言い方だった。
だが。
その内容はきっと、
“任務報告”だけではなかったのだろう。
レギアは小さく紅茶へ視線を落とす。
胸の奥が、
少しだけ温かくなった。
そして。
少し迷った後、
静かに言った。
「エマさん、
将軍の事……」
「ずっと怖い人だって言ってました」
その瞬間。
ガルドがわずかに眉を寄せる。
レギアは慌てたように続けた。
「で、でも」
「不器用で、
言葉足りなくて……」
「変な所だけ優しいとも」
数秒。
沈黙。
そして。
ガルドは小さく息を吐いた。
「……余計な事まで話してるな」
低い声だった。
だが。
どこか僅かに空気が柔らかい。
レギアは少しだけ困ったように笑う。
その表情を見ながら。
ガルドは静かに少女を見る。
五年前。
雪の中で震えていた子供。
夜になるたび悪夢に怯え、
まともに眠る事すらできなかった少女。
それが今。
ちゃんと笑っている。
その事実に。
ガルドは小さく視線を伏せた。
「……お前も、
変わったな」
レギアは少し目を瞬かせる。
「そう……ですか?」
「ああ」
短い返事。
ガルドは静かに続ける。
「昔は、
まともに人の顔も見なかった」
「今はちゃんと話す」
レギアは少しだけ困ったように視線を落とす。
「……エマさんに、
かなり怒られたので」
「そうか」
「はい」
小さく頷く。
そして。
レギアは少し迷った後、
静かに聞いた。
「……将軍は」
「この五年、
ずっと忙しかったんですか?」
ガルドはしばらく黙っていた。
暖炉の火だけが揺れる。
やがて。
「……ああ」
低い声が返る。
「帝都を空ける事が増えた」
「黒衣隊も、
昔より余裕が無い」
淡々とした声だった。
だが。
その短い言葉だけで、
どれほど過酷な時間を過ごしてきたのか、
何となく伝わってくる。
レギアは静かにガルドを見る。
その横顔は、
昔より少しだけ疲れて見えた。
けれど。
それでも背筋は真っ直ぐで。
圧倒的だった。
レギアはカップを見つめながら、
小さく呟く。
「……でも」
「また会えて、
よかったです」
静かな声だった。
ガルドは動きを止める。
数秒。
沈黙。
やがて。
「……ああ」
低く短い返事。
それだけだった。
けれど。
その一言には、
五年間分の感情が滲んでいた。
暖炉の火が揺れる。
雪はまだ、
静かに降り続けていた。
暖炉の火が静かに揺れていた。
雪の降る夕暮れ。
広い執務室には、
紅茶の香りがまだ残っている。
だが。
その空気が、
ふと変わった。
ガルド=フェンリルが、
静かにカップを置く。
その灰色の瞳が、
真っ直ぐレギアを見据えた。
先程までの穏やかな空気とは違う。
黒衣隊将軍としての眼だった。
レギアは小さく背筋を伸ばす。
胸の奥が、
僅かにざわつく。
ガルドは数秒黙っていた。
まるで、
言葉を選んでいるように。
やがて。
低く、
重い声が響く。
「……レギア」
「お前をここへ呼び、
騎士学校へ入れる理由を話そう」
その瞬間。
レギアの胸が、
小さく脈打つ。
やはり。
ただの再会ではない。
そんな予感は、
ずっとしていた。
ガルドは静かに続ける。
「お前にとっては、
辛い話になるだろう」
「だが」
「これからのお前の行く末を決める、
大事な話だ」
暖炉の火が、
小さく揺れる。
レギアは無意識に、
膝の上の手を握り締めていた。
ガルドの表情は変わらない。
だが。
その声音だけで分かる。
これは、
冗談でも。
脅しでもない。
本当に、
人生を変える話なのだと。
ガルドは静かにレギアを見る。
「……いいな」
低い確認の声。
レギアは小さく息を呑む。
怖かった。
けれど。
逃げてはいけない気がした。
レギアはゆっくりと顔を上げる。
そして。
静かに頷いた。
「……はい」
その返事を聞いた瞬間。
ガルド=フェンリルは、
ゆっくりと口を開いた。




