第18話 聖剣と聖槍1
騎士学校・第二演習棟。
そこは一年生が使う基礎演習場とは違い、空気そのものが張り詰めていた。
広大な円形フィールド。 壁面を覆う観測端末。 天井から降り注ぐ青白い投影光。
そして中央には――
無数のレムナントがいた。
もちろん実体ではない。 だが、ホログラムとは思えないほど精密に再現された、敵性端末群。
人型。 獣型。 飛行型。 四肢の欠けた異形。 壁を這う小型群。
その数、二百以上。
騎士学校二年――高適合組。 卒業後、不死隊配属がほぼ確実視される生徒達に課せられる、大規模防衛シミュレーションだった。
「第七防衛線、突破されるぞ!」
誰かが叫ぶ。
次の瞬間、前衛の一人が獣型レムナントの突進を受け、仮想判定で吹き飛ばされた。
赤い警告表示が空中に浮かぶ。
《戦闘不能判定》
「くそっ、数が多すぎる!」
「左翼、持たない!」
混乱が広がる。
その中で、一人だけ動きが違う者がいた。
黒髪の少年。
ノア=エルセリオン。
彼は槍を構えたまま、静かに戦場全体を見ていた。
焦りはない。 怒鳴りもしない。 ただ、状況を見ている。
次の瞬間、ノアの足が地面を蹴った。
「左翼、三歩下がれ。盾持ちは中央に寄せろ」
短い指示。
だが、不思議と通る声だった。
「飛行型は俺が落とす」
ノアは低く踏み込み、槍を投げるように突き出した。
青白い疑似刃が空を裂く。
一体。 二体。 三体。
上空から急降下していた飛行型レムナントの群れが、連続で撃墜判定を受けて霧散する。
そのままノアは槍を引き戻し、背後から迫る人型の腕を紙一重でかわした。
「遅い」
回転。 柄の一撃で膝を砕き、穂先で核の位置を正確に貫く。
《撃破》
観測室の教官達が、思わず目を細めた。
「……相変わらず、判断が早い」
「単独戦闘能力も高いが、それ以上に戦場を見る目がある」
「今年の高適合組序列一位、か。納得だな」
演習場では、防衛線が崩れかけていた。
だがノアが動くたび、崩壊寸前の穴が一つずつ塞がっていく。
味方が倒れそうになれば、先に敵の脚を止める。 後衛が狙われれば、槍の投擲で射線を潰す。 突破されかけた地点には、誰よりも早く入る。
派手ではない。
だが、確実だった。
「第七防衛線、再構築。中央は下がるな。ここ抜かれたら終わりだ」
「ノア、お前は!?」
「俺は前に出る」
「はあ!?」
「ここで潰さなきゃ、後ろが死ぬ」
そう言って、ノアは一人で前へ出た。
押し寄せるレムナントの大群。
その前に立つ黒髪の少年は、槍を構え直す。
口元に、わずかな苦笑が浮かんだ。
「……ったく。数だけは一人前だな」
次の瞬間。
ノアの姿が消えた。
いや、消えたように見えただけだった。
低い姿勢で一気に距離を詰め、最前列の人型を貫く。 槍を抜かず、そのまま柄を軸に身体を反転。 背後の獣型の顎を蹴り上げ、空中で槍を引き抜く。
着地と同時に、三連撃。
核。 脚部。 頸部。
無駄がない。 迷いがない。
まるで、倒すべき場所だけを最初から知っているかのようだった。
《撃破》 《撃破》 《撃破》
警告音が、撃破通知へと変わっていく。
後方の生徒達が息を呑んだ。
「……すご」
「これが、序列一位……」
だがノアは振り返らない。
ただ前を見ていた。
この先、自分達が向かう場所を。 この演習が、いつか本物になることを。
誰よりも理解しているように。
そして彼は、静かに呟いた。
「守れなきゃ、意味がないだろ」
その言葉は、誰に向けたものでもなかった。
けれど。
観測室の端末は確かに記録していた。
ノア=エルセリオン。
高適合組序列一位。
単独撃破数、四十七。 防衛線維持率、九十二パーセント。 味方損耗率、想定値の三分の一以下。
そして評価欄には、教官の手で一文が追加された。
――不死隊前線指揮適性、極めて高い。
観測室上階。
高適合組専用シミュレーションフィールドを見下ろすガラス越しに、カイル=レオンハルトは静かに腕を組んでいた。
眼下では、ノア=エルセリオンがレムナントの大群を相手に戦っている。
槍閃。
判断速度。
戦況把握。
どれを取っても、一級だった。
「すごいな……」
「やっぱり今年の序列一位は別格か」
「単独で防衛線を維持してるぞ……」
周囲の候補生や教官達から、感嘆の声が上がる。
だが。
カイルだけは、何も言わなかった。
ただ静かに、戦場を見ている。
ノアの動き。
呼吸。
踏み込み。
敵を倒す順番。
そのすべてを。
そして――小さく目を細めた。
「……前に出過ぎだ」
誰にも聞こえないほど小さな声。
だが、その蒼い瞳は鋭かった。
ノアは強い。
間違いなく、この世代でも突出している。
だからこそ問題だった。
仲間が危険になれば、自分が穴を埋めに行く。
突破されそうなら、自分一人で抑え込む。
誰かが傷つく前に、自分が前へ出る。
それを、無意識でやっている。
まるで――
“自分が壊れること”を前提に戦っているような戦い方だった。
再び、演習場で警告音が鳴る。
左翼崩壊。
次の瞬間、ノアが最短距離で飛び込んだ。
複数のレムナントの包囲。
普通なら一度引く場面。
だが、ノアは止まらない。
槍を回転させ、強引に中央を突破。
敵陣のど真ん中へ踏み込む。
観測室から歓声が上がった。
「うおっ!?」
「突破した!」
「やば……」
だがカイルは、逆に表情を険しくした。
――今のは危険すぎる。
ほんの僅か判断が遅れていれば、包囲判定だった。
いや。
実戦なら、死んでいた。
カイルは知っている。
ああいう戦い方をする人間を。
誰かを守るために、自分を削る者。
仲間を死なせないために、一人で前へ出続ける者。
そして、そういう人間ほど――
ある日突然、壊れる。
次の瞬間。
ノアの身体が半歩だけ遅れた。
獣型レムナントの牙が、脇腹へ食い込む。
《重度負傷判定》
赤い警告表示が演習場に走った。
観測室がざわつく。
「っ!?」
「ノアが被弾した!?」
「まず――」
だが。
その直後だった。
ノアの目が、一瞬だけ鋭く細められる。
槍を握る手に力が入った。
「……まだだ」
低い声。
噛みついた獣型の懐へ、自ら踏み込む。
普通なら後退する場面。
だがノアは逆だった。
至近距離。
槍を横回転。
穂先ではなく柄で顎を叩き上げ、体勢を崩した瞬間――
零距離の刺突。
《撃破》
さらに背後。
飛び込んできた人型へ反転突き。
《撃破》
血路を無理やりこじ開けるように、ノアは前へ出た。
重度負傷判定が出ているにも関わらず、その動きは止まらない。
いや。
むしろ、加速していた。
「中央突破する気か!?」
「馬鹿だろあれ!」
「止まれノア!!」
候補生達の叫び。
だがノアは振り返らない。
汗が頬を伝う。
呼吸も荒い。
それでも槍は止まらなかった。
敵群中央へ踏み込み、最短距離で指揮個体へ接近する。
一体。
二体。
三体。
撃破通知が連続する。
そして――
最後の大型個体へ、ノアが踏み込んだ。
振り下ろされる巨大な腕。
ノアは紙一重で潜り込み、地面すれすれから槍を跳ね上げる。
穂先が核を貫いた。
《指揮個体撃破》
その瞬間。
演習場全域のレムナントが、一斉にノイズ化する。
赤かった警告表示が次々と消滅していく。
静寂。
そして数秒後。
巨大な文字が空中投影された。
《レムナント群、撤退確認》
《防衛戦終了》
《シミュレーション勝利》
歓声が爆発した。
「うおおおおっ!!」
「勝った!!」
「マジかよ……」
「ノア一人で押し返したぞ……!」
候補生達が興奮した声を上げる。
教官達ですら、感嘆を隠せなかった。
だが。
その熱狂の中で。
カイルだけは、静かにノアを見ていた。
演習場中央。
槍を地面に突き立て、荒い呼吸を繰り返す黒髪の少年。
勝利した。
確かに勝利した。
だが――
カイルの表情は晴れなかった。
「……今のは、“勝った”じゃない」
ぽつりと呟く。
「死ななかっただけだ」
周囲の歓声とは対照的に、その声は静かだった。
ノアは限界寸前だった。
あと一歩判断が遅れていれば。
あと一瞬体勢を崩していれば。
実戦なら、帰って来られなかった。
それでも前へ出る。
傷ついても止まらない。
誰かを守るために、自分を削る。
カイルは静かに目を細めた。
――あの戦い方は、危うい。
歓声の中心にいるはずのノアは、どこかひどく張り詰めて見えた。
その時だった。
――訓練生に告ぐ。
低く、よく通る声が演習場全域へ響いた。
歓声が止まる。
候補生達が一斉に上階観測席を見上げた。
ガラス越しに立っていたのは――カイル=レオンハルト。
白銀の不死隊外套を纏った男は、静かに演習場を見下ろしていた。
その蒼い瞳が、まっすぐ中央のノアを捉えている。
「二時間休憩ののち、対人集団戦闘実習を行う」
場の空気が変わった。
候補生達がざわつく。
「対人!?」
「今日やるのかよ!?」
「マジか……!」
騎士学校の実習には段階がある。
レムナント戦。
模擬防衛戦。
連携戦闘。
そして――対人集団戦。
人を相手にした戦闘訓練は、実戦適性を見る上で最も危険で、最も難しい科目だった。
特に高適合組の対人戦は激しい。
天使核適合者同士の戦闘は、通常生徒とは比較にならない。
判断速度。
踏み込み。
反応。
殺傷技術。
すべてが実戦水準へ近づいていく。
カイルは静かに続けた。
「使用兵装制限はなし。ただし急所への直撃判定は自動停止処理を行う」
「チーム編成は後ほど通知する」
「以上だ」
短い通達。
だが、それだけで候補生達の空気は一変していた。
緊張。
高揚。
不安。
様々な感情が入り混じる。
その中で。
演習場中央のノアだけは、静かに槍を拾い上げていた。
重度負傷判定が残っているにも関わらず、表情は変わらない。
カイルはそんなノアを見下ろしながら、小さく目を細める。
――対人戦なら、見える。
レムナント相手では分からない部分がある。
人を守ろうとする時。
仲間が傷ついた時。
追い詰められた時。
その時、ノア=エルセリオンがどう戦うのか。
二時間後――
騎士学校・第八総合演習場。
先ほどまでの賑やかさは消えていた。
高適合組の候補生達も、どこか緊張した面持ちで整列している。
対人集団戦闘実習。
それ自体は珍しくない。
だが、今回だけは空気が違った。
演習場正面ゲート。
重厚な隔壁が、低い駆動音と共にゆっくり開いていく。
その瞬間だった。
候補生達の表情が変わる。
「……え」
「お、おい……」
「まさか……」
誰かが息を呑んだ。
ゲートの向こうから現れたのは、騎士学校の教官ではなかった。
白銀と黒鉄の混成装甲。
無数の戦傷。
そして、肌を刺すような圧。
不死隊第一大隊。
その中でも、最前線殲滅任務を専門とする特殊部隊。
《白狼》。
エデン=ノアでも最精鋭と呼ばれる、カイル直属の本隊だった。
静まり返る演習場。
候補生達の顔から血の気が引いていく。
「白狼……」
「なんで本隊が騎士学校に……」
「冗談だろ……?」
彼らは知っている。
外周防衛戦。
レムナント大侵攻。
最も死亡率の高い戦場へ投入され続ける、不死隊の中の“不死隊”。
生き残っているだけで異常とされる連中。
その先頭を歩いているのは――カイル=レオンハルト。
白銀の外套を翻しながら、ゆっくり候補生達の前へ立つ。
そして、その後ろ。
歴戦の隊員達が無言で並んでいた。
誰一人として無駄口を叩かない。
ただ立っているだけで分かる。
――本物だ。
訓練ではない。
実戦を潜り続けた者達だけが持つ空気だった。
カイルは静かに候補生達を見渡した。
その視線が、一瞬だけノアで止まる。
「これより対人集団戦闘実習を開始する」
低い声。
演習場全体へ響く。
「相手は不死隊第一大隊特殊殲滅隊《白狼》」
ざわめきが爆発した。
「はぁ!?」
「無理だろ!!」
「相手、本物の不死隊じゃねぇか!!」
当然だった。
候補生と実戦部隊では経験値が違いすぎる。
しかも相手は白狼。
精鋭中の精鋭。
だがカイルは構わず続けた。
「安心しろ。殺しはしない」
白狼の隊員達の間から、小さく笑い声が漏れる。
その時点で全く安心できなかった。
「今回の目的は勝敗ではない」
カイルはゆっくり言う。
「お前達が“集団戦でどう動くか”を見る」
そして、白狼隊員達が腰部ロックを解除する。
展開されたのは、実戦用ではない。
出力制限された演習用兵装。
淡い青色の識別ライン。
安全制御付き模擬刃。
だが――
候補生達の緊張はまるで消えなかった。
問題は武装ではない。
“使っている人間”の方だった。
白狼の隊員達は、まるで呼吸を合わせるように自然に散開していく。
無駄がない。
視線だけで連携している。
その光景を見た瞬間、高適合組の空気が変わった。
「……やばい」
「これ、本気で来るぞ……」
ノアもまた、静かに槍を構える。
その視線の先。
カイル=レオンハルトが、じっとこちらを見ていた。
まるで――
“お前がどう戦うのか見せてみろ”とでも言うように。




