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第17話 見守る瞳

ヴァイス司教邸――中央管理区画上層。


暖炉の火だけが部屋を照らしている。


重厚な円卓を囲むように、三人の姿があった。


ヴァイス司教。

カイル=レオンハルト。

そして、セレス=クロイツ。


机の上には、今日行われた騎士学校合同演習の記録端末が置かれている。


空間投影された無数のデータ。

心拍。

神経負荷。

適合波長。

戦闘行動予測。


その中央に映っているのは――銀髪の少女。


アーデルハイド=セラフィーネ。


静寂の中。


最初に口を開いたのはヴァイスだった。


「……どう見た、セレス」


低く、静かな声。


セレスはしばらく黙ったまま、投影されたデータを見つめていた。


吹雪の演習場。

崩壊した市街地。

その中を駆けるアーデルハイドの姿。


低い姿勢。

無駄のない動き。

恐怖下にも関わらず乱れない判断。


そして――あの瞬間の加速。


セレスは小さく息を吐いた。


「……予想以上よ」


その一言で、部屋の空気がわずかに変わる。


カイルが腕を組みながら視線を向けた。


「そんなにですか」


「ええ」


セレスは静かにデータを操作する。


次の瞬間。


演習時の波形記録が空中に拡大表示された。


青白い反応波形。


ヴァイスの目が細くなる。


「……やはり出たか」


「ほんの一瞬だけ。でも確実に反応してる」


カイルは表示されたデータを見つめるが、意味までは理解していない。


セレスは続けた。


「身体能力だけなら高適合組でも説明はつく。けれど問題はそこじゃない」


表示される数値が次々と切り替わる。


反応速度。

神経同期率。

空間認識精度。


どれも年齢不相応な数値だった。


暖炉の火が静かに揺れる。


しばらく沈黙が落ちたあと、カイルが静かに口を開いた。


「……彼女は、何か特別なのですか」


セレスの指先が止まった。


ヴァイスも答えない。


その沈黙だけで、カイルには十分だった。


――やはりそうか。


今日の演習。


セレスとヴァイスは、ただ一人の生徒に対してあまりにも注意を払いすぎていた。


演習前。

演習中。

そして今も。


単なる高適合者を見る目ではない。


もっと別の――何かを警戒している目だった。


カイルは空間投影されたアーデルハイドを見つめる。


吹雪の中を駆ける銀髪の少女。


まだ幼い。

まだ未熟だ。


だが同時に、どこか危うい。


カイルは小さく息を吐いた。


「……詮索するつもりはありません」


静かな声音だった。


「ですが、もしあの子に何かあるのなら」


その蒼い瞳がヴァイスへ向く。


「現場に立つ者として、私は知っておくべきでしょう」


部屋の空気が静かに張り詰めた。


「……そうだな」


長い沈黙の末、ヴァイスがゆっくりと口を開いた。


その視線が静かにセレスへ向けられる。


セレスはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。


暖炉の火が静かに揺れる。


ヴァイスはゆっくりとカイルへ向き直った。


その表情からは、いつもの穏やかな司教としての空気が薄れていた。


そこにいたのは――エデン=ノア最高司祭。

そして、聖堂システム最深部の秘密を知る管理者だった。


「カイル=レオンハルト」


低く、静かな声。


「これから話す内容は、国家機密指定最上位だ」


空気が変わる。


カイルの表情からも自然と柔らかさが消えた。


ヴァイスは続ける。


「お前が助けた少女――アーデルハイド=セラフィーネは」


そこで一度言葉を切る。


そして静かに告げた。


「第十二翼兵装適合候補者だ」


「……第十二翼兵装適合候補?」


カイルの声がわずかに低くなる。


ヴァイスは静かに語った。


アーデルハイドが孤児院へ預けられた直後のこと。

当時の精神状態。

悪夢。 拒食。 震え。

そして少しずつ他人と関わりを取り戻していった日々。


ノアとの出会い。

騎士学校入学までの経緯。

訓練成績。

身体検査記録。

実戦適性。


そして――十歳時の第一次適合判定検査。


通常の天使核適合判定検査。


それは表向き、騎士学校進学や不死隊適性を測るための国家検査に過ぎない。


だが実際には――その裏で、もう一つの極秘検査が行われていた。


《天翼核適合判定検査》。


聖堂システム最深部に封印された天翼兵装。

その“核”から、わずかに抽出された超高次元粒子。


通称――《奇跡の粒子》。


旧文明ですら完全解析に至らなかった、人類外の情報構造体。


その粒子へ人間の遺伝子情報を微量接触させ、遺伝子レベルでの共鳴適性を測定する。


それが、天翼核適合判定検査だった。


だが。


旧文明時代から現在に至るまで。


適合率を示した人類は、一人として存在しない。


記録上、すべて0%。


それが常識だった。


だからこそ。


セレスが空中へ投影した数値を見た瞬間、カイルは言葉を失った。


『第一次第十二翼兵装適合率――5.7%』


理解が追いつかない。


5.7%。


それは高いなどという話ではない。


存在してはいけない数値だった。


人類史そのものを書き換える、“言葉にならない奇跡”だった。


セレスが静かに補足する。


「当時、技術局は測定機器の異常を疑ったわ」

「検査は七回再実施された」

「でも結果は、一度も変わらなかった」


重い沈黙が落ちる。


ヴァイスが続けた。


「……だが、本当に異常だったのはそこではない」


次のデータが表示される。


『侵食汚染率――極低』


カイルの眉が動いた。


高適合者ほど、侵食は強くなる。


精神汚染。

神経侵食。

幻覚。

人格崩壊。


だからこそ、高適合者は短命だった。


だがアーデルハイドだけは違った。


異常なまでの高適合率を持ちながら、侵食反応だけが極端に低い。


まるで。


最初から“受け入れる器”として完成されていたかのように。


「神経同期率は当時から異常に高かったわ」

「恐怖耐性も平均値を逸脱していた」

「でも、それ以上におかしかったのは――侵食反応が極端に低かったことよ」


淡々とした説明だった。


だが、その内容はどれも常識外れだった。


カイルは途中から一言も口を挟めなくなっていた。


話を聞けば聞くほど理解してしまう。


偶然ではない。


アーデルハイド=セラフィーネは、ずっと以前から第十二翼へ辿り着くための条件を満たし続けていた。


やがて。


長い説明が終わる。


部屋に再び静寂が落ちた。


重い沈黙だった。


機器の微かな駆動音だけが、静かな室内に響いている。


カイルは深く息を吐いた。


整理しきれない。


あまりにも話が大きすぎた。


一人の少女の人生として受け止めるには、背負わされているものが重すぎる。


だが同時に、カイルは理解してしまっていた。


もし彼女が本当に第十二翼兵装へ到達したなら。


自分が戦場で見てきた不条理も。

救えなかった命も。

理不尽な悲しみも。

怒りも。

人類が数百年抱え続けてきた絶望さえも。


終わらせられるかもしれない。


第十二翼兵装。


それは、人類に残された最後の希望だった。


そして同時に。


一歩間違えれば――人類史上最大の災厄にもなり得る存在だった。


ひとしきりの打ち合わせを終え、部屋の空気がわずかに緩み始めた頃だった。


暖炉の火だけが静かに揺れている。


カイルは立ち上がりかけ――ふと動きを止めた。


そして振り返る。


「……セレス」


低い声。


セレスが視線を向ける。


カイルは数秒だけ沈黙し、やがて静かに尋ねた。


「今のアーデルハイドの天翼兵装適合率は、何%だ」


その瞬間。


部屋の空気が変わった。


ヴァイスも無言のまま目を細める。


セレスはしばらく答えなかった。


空間投影の中で戦い続ける銀髪の少女を見つめる。


そして。


今日、ほんの一瞬だけ観測された、あの反応波形。


やがて。


セレスは静かに口を開いた。


「……第一次検査時は5.7%」


その声音は、どこまでも冷静だった。


「でも今日の演習記録を含め、再計算した結果――」


そこで一度言葉を切る。


そして静かに告げた。


「現在推定適合率は、11%を超えている」


沈黙。


その数字を理解した瞬間、カイルの背筋に冷たいものが走った。


11%。


旧文明時代を含めても、そんな数値は存在しない。


セレスは静かに続ける。


「普通なら有り得ない」

「第十二翼兵装は、適合率が上昇する前に侵食で人格崩壊を起こす」

「でも、あの子は逆に安定している」


暖炉の火が小さく揺れる。


「……まるで、第十二翼そのものが、アーデルハイドへ順応しているみたいに」


誰も言葉を返せなかった。


やがて。


カイルが低く呟く。


「……三年後には、どこまで行く」


セレスはしばらく沈黙した。


科学者として。

技術局局長として。

そして、第十二翼研究責任者として。


その予測がどれほど危険か理解していた。


だが。


彼女は静かに答える。


「順調に成長した場合――」


空間投影された未来予測グラフ。


青白い数値がゆっくり上昇していく。


そして。


一つの数値で停止した。


『予測適合率――25%』


部屋から音が消えた。


カイルは言葉を失う。


25%。


それは、もはや人類という枠組みの数値ではない。


神域。


本来なら存在してはいけない領域だった。


セレスは静かに目を伏せる。


「……そこまで到達すれば」

「あの子は本当に、第十二翼を起動できる可能性がある」


暖炉の火が揺れる。


誰も動かない。


誰も言葉を発しない。


空間投影には、銀髪の少女が静かに映し出されていた。


カイルはしばらく無言のまま、その姿を見つめていた。


11%。


そして三年後には25%到達予測。


常識外れにも程がある。


本来なら恐怖するべきだった。


警戒するべきだった。


だが――


カイルの胸にあったのは、それだけではなかった。


脳裏に浮かぶ。


戦場。

炎。

泣き叫ぶ人々。

救えなかった命。


そして。


吹雪の中で絶望を経験した、あの銀髪の少女。


カイルは静かに息を吐いた。


やがて。


ゆっくりとヴァイスへ視線を向ける。


その蒼い瞳には、もう迷いはなかった。


「……ヴァイス司教」


低く、落ち着いた声。


「我々で、あの子を守りましょう」


その言葉に。


ヴァイスとセレスの表情がわずかに変わった。


驚いていた。


まるで、別の答えを予想していたかのように。


危険視されることも覚悟していた。


隔離。

管理。

監視。


そういった判断すら想定していた。


だがカイルは違った。


カイルは静かに続ける。


「どんな結果になるかは、誰にもわからない」


暖炉の火が揺れる。


「第十二翼が何をもたらすのかも」

「あの子が、どこへ辿り着くのかも」


そこで一度言葉を切る。


そして。


カイルは空間投影のアーデルハイドを見つめながら、小さく笑った。


「……けれど」


「私は、あの子の未来が」


静かな声だった。


だが、その言葉には確かな願いが込められていた。


「明るくて、幸せだったと思える結末になってほしい」


部屋が静まり返る。


ヴァイスはしばらく何も言わなかった。


やがて。


静かに目を閉じる。


その表情は、どこか安堵しているようにも見えた。


セレスもまた、小さく視線を伏せる。


暖炉の火が静かに揺れる。


誰も言葉を発さない。


だがその瞬間。


この部屋にいた三人は、確かに同じ願いを共有していた。


ヴァイスは静かに続けた。


「セレスを含め、我々は騎士学校全教員、そして利用できるものすべてを使う」


暖炉の火が揺れる。


「この三年間で、アーデルハイドに“生きる術”を教え込む」


その声音は穏やかだった。


だが、その言葉の重さはカイルにも理解できた。


戦い方ではない。


ただ敵を倒す技術でもない。


絶望の中で壊れず。

力に呑まれず。

それでも人として生き続けるための術。


それを教えようとしているのだ。


ヴァイスは静かに目を伏せる。


「そして同時に――普通の人間としての生活も、可能な限り経験させる」


騎士学校の日常。

友人。

笑い合う時間。

誰かと食事をすること。

誰かを好きになること。


何気ない日々。


本来なら、誰もが当たり前に持っているもの。


だがアーデルハイドには、それすら遠かった。


ヴァイスは再びカイルを見る。


「だから」


その言葉だけで、部屋の空気が静かに張り詰める。


「アーデルハイドが戦場へ立つ時――その背中を守ってやってくれ」


静かな声音だった。


命令ではない。


懇願に近かった。


エデン=ノア最高司祭。

聖堂システム管理者。

人類最後の切り札を知る男。


そんなヴァイス=アークヴェルが、初めて一人の少女の未来を案じるように頭を下げていた。


カイルはしばらく黙っていた。


やがて。


小さく息を吐く。


そして静かに答えた。


「……了解しました」


短い返答だった。


だがその声には、不死隊の騎士としての覚悟が確かに宿っていた。


ヴァイスは静かにカイルを見つめる。


やがて。


ゆっくりと口を開いた。


「……カイル」


低い声だった。


カイルは視線を上げる。


ヴァイスは真っ直ぐに彼を見据えていた。


「三年後、お前を不死隊総司令へ就任させる」


唐突な言葉だった。


カイルの眉がわずかに動く。


不死隊総司令。


エデン=ノア全戦力を統括する、実質最高軍事権限。


現場指揮官である自分には、あまりにも飛躍した話だった。


だが。


カイルはすぐに違和感へ気づく。


――三年後。


なぜ今ではない。


なぜ“その時期”なのか。


思考が繋がる。


騎士学校。

卒業。

実戦配属。

天翼兵装適合段階。


そして。


アーデルハイド=セラフィーネ。


カイルは静かに息を吐いた。


「……アーデルハイドを守れ、と?」


ヴァイスは答えない。


だが、その沈黙こそが答えだった。


暖炉の火が静かに揺れる。


セレスもまた、何も言わない。


カイルは目を閉じ、短く考える。


不死隊総司令。


それは栄誉ではない。


もし本当にアーデルハイドが第十二翼へ到達するなら。


その時代の不死隊は、彼女を中心に世界そのものへ向き合うことになる。


守る者。

監視する者。

導く者。


そして最悪の場合――


“止める者”。


その全責任を背負えという意味だった。


カイルはゆっくりと目を開く。


蒼い瞳に迷いはなかった。


「……随分と、重い役目ですね」


静かな声だった。


ヴァイスは小さく目を細める。


「だからこそ、お前に託す」


その言葉には、司教ではなく。


一人の管理者としての、重い覚悟が滲んでいた。


ヴァイス邸を出る頃には、すでに深夜になっていた。


聖堂区画の灯りだけが、静かな街を淡く照らしている。


別れ際。


ヴァイスは静かに言った。


「今日はもう遅い。泊まっていけ」


だがカイルは、小さく首を横に振った。


「お気遣い感謝します」


穏やかな声音だった。


「ですが……少し、一人になりたい」


ヴァイスはしばらくカイルを見つめていたが、やがて小さく頷いた。


それ以上は何も言わなかった。


石畳を歩く。


夜の聖堂区画は静かだった。


冷たい夜風がコートを揺らす。


カイルはゆっくりと空を見上げた。


白い天鱗粉が、静かに夜空を漂っている。


今日聞かされた話は、あまりにも重かった。


第十二翼兵装。


適合率11%。


三年後には25%到達予測。


そして――アーデルハイド=セラフィーネ。


思い返す。


吹雪の演習場。


銀髪の少女。


迷いなく死地へ踏み込む姿。


あれは才能ではない。


生き残ろうとして身についた動きだ。


カイルは小さく息を吐く。


戦場で何度も見てきた。


人は極限状態で変わる。


だが。


あの少女は、あまりにも幼すぎた。


本来なら。


友人と笑い、

未来を語り、

平穏な日々を生きていてよかったはずの年齢だった。


それなのに。


あの背中には、既に戦場の影が染み付いている。


カイルは静かに目を閉じた。


そして思い出す。


「我々で、あの子を守りましょう」


自然に口から出た言葉だった。


だが、後悔はなかった。


むしろ不思議なほど心は静かだった。


どんな未来が待っているのかは分からない。


第十二翼が希望になるのか。

それとも災厄になるのか。


誰にも分からない。


だが。


もし、あの少女が運命へ立ち向かわねばならないのなら。


せめて。


その時くらいは。


独りで戦わせたくなかった。


カイル=レオンハルトは静かに歩き続ける。


降り続く白の中を。


まるで、自分自身へ誓うように。



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