第12話 ミシェル=アークライト
アークライト家の屋敷。
騎士学校中央区画を見下ろせる高台に建てられたその屋敷の二階、自室の窓辺で、ミシェル=アークライトは静かに外を眺めていた。
夕暮れだった。
視線の先――教会へ続く石畳の坂道に、先ほど別れた二人が並んで歩いているのが遠くに見えた。
銀髪の少女――アーデルハイド=セラフィーネ。
その隣には、黒髪の青年――ノア=エルセリオン。
一学年上。
今年の高適合組でも特に有名な存在だった。
次年度には不死隊所属がほぼ確実と言われる実力者。
ぶっきらぼうだが面倒見がよく、後輩からの信頼も厚い。
対して、アーデルハイドの方はそこまで目立つ生徒ではない。
実技成績も学科も中堅程度。
決して悪くはないが、騎士学校では埋もれてしまうくらいの成績だった。
だからこそ、ミシェル自身も最初はそこまで気に留めていなかった。
けれど――
「……なんでだろ」
胸の奥に、妙な感覚が残っていた。
特別美人だからとか、強そうだからとか、そういう単純な話ではない。
むしろ印象は静かだった。
儚げで、どこか危うくて。
なのに。
時折ふと見せる横顔が、妙に胸へ残る。
ミシェルは窓枠に肘を乗せ、小さく微笑んだ。
「……なんだか、放っておけない子だな」
ノアと何か話しているのだろう。
遠目にも、二人の空気は自然だった。
兄妹のような、長い時間を共に過ごしてきた者同士の距離感。
その姿を見ながら、ミシェルはもう一度だけアーデルハイドへ視線を向ける。
すると不意に。
アーデルハイドが空を見上げた。
風に揺れる銀髪。
その瞬間だけ、なぜか胸がざわついた。
――あの子、どこか普通じゃない。
理由なんてわからない。
けれど。
その違和感だけは、いつまでもミシェルの胸に残っていた。
アークライト家の名は、エデン=ノアで知らぬ者はいなかった。
両親は共に、不死隊を支える後方支援組織――《情報管理局》の中枢を担う人物である。
前線で戦う不死隊が“国家の剣”ならば、情報管理局は“国家の盾”。
レムナント侵攻予測。
封印塔監視。
医療支援。
戦術情報解析。
通信管制。
戦死者管理。
戦場を支えるあらゆる機能を統括する、国家防衛の頭脳。
その局長を務める父。
そして副局長である母。
アークライト家は、代々情報管理局の中核を担ってきた名門だった。
当然――
ミシェル自身もまた、幼い頃から多くを期待されて育ってきた。
礼儀、教養、学問、戦術理論。
騎士学校入学以前から、情報管理局の専門教育を受けていたほどである。
ただ、ミシェルはその性格もあってか、自らの家柄や才能を誇示することはなかった。
誰に対しても隔てなく接し、穏やかで、優しい。
だからこそ。
幼い頃から、自然と彼女の周りには人が集まってきた。
そんなミシェルも十五となり、騎士学校へ入学した。
十歳の時に行われた天使核適合判定。
その数値自体は“中の上”程度。
決して低くはない。
だが、不死隊の最前線を担うような突出した適合値でもなかった。
しかし――
知能指数。
情報処理能力。
戦術演算速度。
それらは幼い頃から異常なまでに高かった。
特に戦況解析や同時並列思考能力に関しては、情報管理局の実務担当者達すら驚愕したほどである。
まだ学生でありながら、その思考速度は既に実戦レベルへ到達していた。
そんな彼女が騎士学校の教室へ足を踏み入れた時だった。
何故か。
本当に何故か――
ミシェルの視線は、一人の少女に引き寄せられた。
窓際の席。
静かに外を見上げていた銀髪の少女。
アーデルハイド=セラフィーネ。
特別目立つわけではない。
成績も中堅。
騎士学校にはもっと優秀な生徒も、強い適合者もいた。
なのに。
何故か、その少女だけが目に残った。
まるで最初から、そこにいることを知っていたかのように。
気づけばミシェルは、銀髪の少女へ声をかけていた。
不思議と緊張はなかった。
初対面のはずなのに、どこか自然に言葉が出た。
そして少し会話をしただけで、ミシェルは思った。
――あ、この子とはきっと気が合う。
静かで、どこか不器用で、けれど優しい。
話していて、不思議と落ち着く。
もっと話してみたい。
もっと知ってみたい。
そんな感覚が自然と胸に浮かんでいた。
そしてミシェルは、まだ出会ったばかりだというのに。
この少女となら、いつか親友になれる気がしていた。
――コン、コン。
静かな部屋に、控えめなノックの音が響いた。
「ミシェル、入るわよ」
落ち着いた女性の声。
聞き慣れたその声に、ミシェルはすぐ振り返る。
「どうぞ、セレス叔母様」
扉が静かに開く。
入ってきたのは、一人の女性だった。
長い銀灰色の髪。
知的な蒼い瞳。
白を基調とした技術局制服の上から、薄い黒のロングコートを羽織っている。
セレス=クロイツ。
封印国家エデン=ノア技術局局長。
天骸兵装。
封印塔。
そして――天翼兵装。
国家最高機密に関わる開発責任者の一人であり、“翼を作る者”と呼ばれる存在だった。
「入学、おめでとう」
セレスは柔らかく微笑みながら言った。
ミシェルも小さく笑みを浮かべる。
「ありがとう、叔母様」
セレスにとって、ミシェルは特別な存在だった。
幼い頃からよく懐いてくれた可愛い姪。
そして――
小さな頃から自分の背中を追い、研究室へ入り浸り、夜遅くまで本を読み漁っていた優秀な弟子でもある。
いつしかミシェルは、技術局の研究員達すら驚く速度で知識を吸収するようになっていた。
その才能を、セレスは誰より早く理解していた。
「それで? 騎士学校初日はどうだった?」
「思ったより賑やかだったかな。もっと堅苦しい場所かと思ってた」
「あら、あなた入学前から予習し過ぎてたものね」
「叔母様のせいだよ? 小さい頃から専門書ばっかり渡すから」
「ちゃんと全部読んでたのは貴方でしょう?」
二人は小さく笑い合う。
そんな何気ない会話は、幼い頃から変わらなかった。
セレスは部屋を見回しながらふと尋ねる。
「友達はできそう?」
「うん、たぶん」
ミシェルは少しだけ考えるように窓の外へ視線を向けた。
「今日ね、ちょっと気になる子がいたの」
「へえ?」
「アーデルハイド=セラフィーネっていう子」
――その瞬間だった。
セレスの表情が、僅かに止まる。
本当に一瞬。
だが、ミシェルは見逃さなかった。
「……叔母様?」
「……いえ」
セレスはすぐにいつもの穏やかな表情へ戻る。
けれどその蒼い瞳だけが、どこか遠くを見るように細められていた。
「どうしてその子が気になったの?」
「わからない。でも……なんだか放っておけなくて」
ミシェルは苦笑する。
「初対面なのにね」
その言葉を聞きながら、セレスは静かに窓の外へ目を向けた。
アーデルハイド=セラフィーネ。
その名を、彼女は既に知っていた。
五年前。
エデン=ノア中央医療局。
十歳を迎えた子供達へ行われる、《天使核適合判定検査》。
国家防衛の根幹を担う重要検査であり、適合値次第ではその後の人生すら変わる。
不死隊。
情報管理局。
技術局。
あらゆる進路の基準となる検査だった。
本来、技術局局長であるセレス=クロイツが現場へ立ち会うことはほとんどない。
まして子供達の一次検査など、通常なら確認報告だけで十分だった。
だがその日だけは違った。
姪であるミシェル=アークライトも検査を受ける。
ただそれだけの理由で。
セレスは半ば気まぐれのように、その検査へ立ち会っていた。
検査では、ほとんどの子供達が平均的な適合数値を示す。
低すぎれば一般職。
高ければ騎士学校進学候補。
その程度の差でしかない。
突出した適合者など、数年に一人現れるかどうかだった。
十二年前。
カイル=レオンハルトが記録した数値は、当時の検査官達を騒然とさせた。
歴代でも指折り。
まさに“不死隊の英雄候補”と呼ばれるに相応しい適合値だった。
そして昨年。
ノア=エルセリオン。
カイルには及ばないものの、極めて高い適合数値を記録。
騎士学校上層部ですら、次代の中核戦力候補として注目している。
だからこそ。
その日の検査も、本来ならセレスにとっては何の変哲もないものだった。
彼女はただ、姪の検査を見届けるためだけに立ち会った。
ただの傍観者に過ぎなかった。
だからこそ。
その異変は、あまりにも唐突だった。
「……え?」
最初に声を漏らしたのは、端末を監視していた若い研究員だった。
次の瞬間。
周囲の空気が変わる。
観測員達の表情が一斉に強張った。
走る視線。
慌ただしく動き始める手元の端末。
誰かが小さく息を呑む音が聞こえる。
それまで淡々と続いていた検査室の空気が、一瞬で張り詰めた。
まるで――
空気そのものが変質したかのようだった。
「声を抑えろ」
管理責任者が低い声で指示を飛ばす。
「周囲へ悟らせるな。検査はそのまま継続」
研究員達が慌ただしく動き始める。
観測端末の確認。
数値再測定。
別系統モニターとの照合。
だが、その誰もが隠し切れない動揺を浮かべていた。
異常事態。
それだけは、セレスにもすぐ理解できた。
そして何より――
長年技術局に身を置いてきた彼女だからこそ、研究員達の“あの顔”を知っていた。
予測外。
理解不能。
あり得ない現象を目にした時の顔だった。
その様子を見た瞬間。
セレスの胸に、言いようのない胸騒ぎが走った。
「――セレス」
突然。
背後から静かな声が響いた。
セレスは僅かに目を見開き、振り返る。
そこに立っていたのは、一人の男だった。
白銀の法衣。
深い蒼を宿した瞳。
静かな威圧感を纏う老人。
「……ヴァイス司教」
セレスの声が僅かに低くなる。
本来、この検査場に現れるような人物ではない。
それなのに。
ヴァイスは静かに検査室を見つめていた。
まるで――
最初から何かを察知していたかのように。
そして。
「一緒に来てくれ」
ヴァイスは短くそう告げた。
「セレス、お前の見解を聞きたい」
検査場へ続く廊下を歩きながら、ヴァイスが静かに言った。
その声音には、珍しく僅かな緊張が混じっていた。
セレスは歩調を合わせながら眉を寄せる。
「何があったのですか?」
ヴァイスはすぐには答えない。
ただ静かに前を見据えたまま歩き続ける。
重い沈黙。
やがて――
「……検査中の子供が一人いる」
その一言だけで、セレスの胸騒ぎはさらに強くなった。
検査場へ辿り着いた瞬間。
セレスは息を呑んだ。
室内には多くの研究員と観測班が集まっていた。
だが――
その空気が異常だった。
誰も大声を出さない。
誰一人として無駄な動きをしていない。
静寂。
まるで、その場だけ時間が止まってしまったかのようだった。
研究員達は端末を見つめたまま硬直し、観測員達も言葉を失っている。
そこにあるのは混乱ではない。
理解不能なものを前にした、純粋な畏怖だった。
ヴァイスに促されるまま、セレスは中央大型モニターの前へ立った。
そして――
この異変の原因を知ることとなる。
「……っ!」
セレスは、自分の目を疑った。
表示されていた数値。
その文字列を、脳が一瞬理解できなかった。
あり得ない。
そんなはずがない。
長年蓄積され続けてきた適合データ。
歴代適合者。
技術局最高機密。
その全てを見てきた。
誰よりも、“翼”を研究してきた。
だが。
こんな数値だけは、一度たりとも見たことがなかった。
十二翼全てを通して、適合率一%を超えた人類は存在しない。
それどころか、観測値の多くは、限りなくゼロに近かった。
だからこそ。
その数字は、あまりにも異常だった。
モニターには、ただ静かに表示されていた。
《第12翼兵装 遺伝子適合率 5.7%》




