第11話 カイル=レオンハルト
その後も教室では、
担当教官による説明が続いた。
校内規則。
訓練区域。
実技講義について。
天骸兵装適合者としての基礎心得。
新入生達は真剣な表情で話を聞いている。
やがて教官達によって、
教本や携帯端末、
訓練用識別章などの備品が配布された。
思っていた以上に本格的だった。
アーデルハイドは机の上へ配られた教材を見つめる。
騎士学校。
憧れ続けた場所。
その現実感が、
少しずつ胸へ染み込んでいく。
そして――
長かった入学初日も、
ようやく終わりを迎えた。
「本日の講義は以上だ。
各自、本日配布された校内端末へ明日以降の予定が送信されている。確認を忘れるな」
教官の声と共に、
教室の空気が一気に緩む。
「終わったぁ……」
「緊張した……」
「腹減った……」
あちこちで安堵の声が漏れる。
ミシェルも大きく息を吐いた。
「思ったより疲れたね」
「……うん」
「ヴァイス司教怖かったぁ」
「それはちょっとわかる」
「でもカイル隊長すごかったよね!」
その瞬間。
ミシェルの目が完全に輝いていた。
「もう本当にカッコよかった!
あれ絶対人気あるよね!?」
「……うん」
アーデルハイドも小さく頷く。
するとミシェルが、
じーっと顔を覗き込んできた。
「アデル、なんか演説の時ずっと見てなかった?」
「え」
「なんかこう……
憧れの人見てる顔してた」
図星だった。
アーデルハイドは少しだけ視線を逸らす。
「……昔、助けてもらったことあるから」
「えっ!?」
ミシェルが目を丸くする。
「カイル隊長に!?」
「小さい頃……
レムナント侵攻の時」
その言葉に、
ミシェルは驚いたように息を呑んだ。
だがそれ以上は聞かなかった。
代わりに優しく笑う。
「そっか」
その空気がありがたかった。
やがて二人は並んで教室を出る。
夕暮れに染まり始めた校舎。
長い廊下。
窓から差し込む赤い光。
新入生達がそれぞれ帰路についていく。
そんな時だった。
前方の廊下。
数人の教官達と話しながら歩いてくる人物が見えた。
白銀の軍装。
長い外套。
そして静かな威圧感。
カイル=レオンハルト。
瞬間、
周囲の空気が少しざわつく。
「あ、カイル隊長だ……」
「本物近っ……」
新入生達が思わず道を空ける。
その中を、
カイルは静かに歩いていく。
だが――
不意に。
その足が止まった。
蒼い瞳が、
真っ直ぐアーデルハイドを捉える。
「……君は」
アーデルハイドの心臓が跳ねた。
カイルは静かに目を細める。
「ラグナフィール外周農園区画の……」
その言葉に、
アーデルハイドは目を見開いた。
覚えている。
あの日、
たった一度救けた少女を。
カイルは覚えていた。
「……アーデルハイド=セラフィーネ、です」
僅かに緊張した声。
するとカイルは静かに頷いた。
「……大きくなったな」
その言葉だけで、
胸の奥が熱くなる。
幼い頃。
死の恐怖の中で見た背中。
ずっと憧れ続けてきた英雄。
その人が今、
自分を覚えていてくれた。
アーデルハイドは言葉が出なかった。
そんな彼女を見て、
カイルは僅かに優しく微笑む。
「騎士学校入学、おめでとう」
静かな声だった。
だがその一言は、
アーデルハイドにとって何より重かった。
「……はい!」
気付けば、
自然と強く返事をしていた。
その姿を見て、
カイルは小さく頷く。
「期待している」
そう言い残し、
再び廊下を歩き去っていく。
静寂。
数秒後――
「えええええええっ!?!?」
隣でミシェルが絶叫した。
廊下を歩きながら、
カイル=レオンハルトは静かに目を伏せていた。
隣では教官達が何かを話している。
だがその内容は、
ほとんど耳に入っていなかった。
脳裏に浮かんでいたのは、
先程の銀髪の少女だった。
――アーデルハイド=セラフィーネ。
ラグナフィール外周農園区画。
忘れるはずがなかった。
あの日。
崩壊した防壁。
燃え落ちる街。
瓦礫の中で立ち尽くしていた小さな少女。
血の匂い。
焼けた空気。
断末魔。
あれは、
カイルが経験した数ある地獄の一つだった。
だが――
あの少女の蒼い瞳だけは、
妙に記憶に残っていた。
恐怖で壊れそうになりながら。
それでも。
必死に涙を堪えていた目。
幼い子供とは思えないほど、
強い目だった。
「……隊長?」
不意に隣の教官が声をかける。
カイルは僅かに顔を上げた。
「どうしました」
「いえ……
珍しいなと思いまして」
「……?」
「新入生に自分から声をかけるなんて」
その言葉に、
カイルは少しだけ沈黙する。
やがて小さく息を吐いた。
「……知っている子だったので」
「お知り合いですか?」
「昔、少しだけ」
短い返答。
それ以上は語らない。
だがカイルの脳裏には、
先程のアーデルハイドの姿が残っていた。
真っ直ぐな瞳。
緊張しながらも、
必死に前を向こうとしていた姿。
――本当に大きくなったな。
その姿に、
ほんの少しだけ安堵している自分がいた。
戦場では、
救えない命の方が多い。
守れなかった者達の顔は、
今でも夢に出る。
だからこそ。
ああして未来へ進もうとしている姿を見ると、
少しだけ救われた気持ちになる。
カイルは窓の外へ目を向けた。
夕暮れのエデン=ノア。
白亜の塔群。
巨大防壁。
守るべき街。
そして――
新しい世代。
「……よく立ち上がり、前を向いてくれた」
誰にも聞こえないほど小さく、
カイルは呟いた。
それは新入生全員へ向けた言葉ではない。
一人の少女へ向けた、
静かな願いだった。
騎士学校を出る頃には、
空は夕暮れ色へ染まり始めていた。
白亜の校舎群。
長く伸びる影。
防壁都市エデン=ノアを包む、
穏やかな夕景。
入学初日を終えた新入生達が、
それぞれ帰路についていく。
アーデルハイドとミシェルもまた、
並んで中央街路を歩いていた。
「はぁぁぁ……」
隣でミシェルが、
大きく息を吐く。
「まだ信じられない……
カイル隊長が普通に目の前いた……」
その言葉に、
アーデルハイドは少しだけ笑う。
「そんなに?」
「そんなにだよ!?」
ミシェルは勢いよく振り返った。
「だって“聖剣”だよ!?
不死隊の英雄だよ!?」
興奮した様子のまま、
ミシェルは続ける。
「しかも思ったより若かったし、
すごく格好良かったし、
声も落ち着いてるし、
なんかもう本当に物語の騎士みたいだった……」
その熱量に、
アーデルハイドは少しだけ苦笑する。
するとミシェルが、
ふと優しく笑った。
「でもアデル、
カイル隊長に覚えてもらえてたんだね」
「……うん」
「すごいなぁ」
胸の奥が少し熱くなる。
忘れられていなかった。
あの日、
救けた少女として。
それが、
思っていた以上に嬉しかった。
「いいなぁ……」
ミシェルが羨ましそうに空を見上げる。
「私もいつか、
ああいう騎士になれるかな」
「なれるよ」
アーデルハイドは自然に答えていた。
「ミシェル優しいから」
その言葉に、
ミシェルがぱちりと目を瞬かせる。
そして数秒後。
顔を赤くした。
「アデルって恥ずかしくなるような事普通に話すのね!?」
「?」
「無自覚なんだ……」
ミシェルが慌てている姿を見て、
アーデルハイドは少しだけ笑った。
そんな時だった。
「アデル」
後方から、
低い声が聞こえた。
振り返る。
黒髪の少年が、
静かにこちらへ歩いてくる。
ノア=エルセリオン。
白銀の制服を乱すことなく着こなし、
淡々とした表情のまま二人の前で足を止めた。
鋭い黒い瞳。
同年代とは思えないほど落ち着いた雰囲気。
ミシェルが少しだけ姿勢を正す。
ノアは一度ミシェルへ視線を向けた。
「……友達か?」
「う、うん」
その返答を聞き、
ノアは小さく頷いた。
「そうか」
短い言葉。
だが拒絶感はない。
ミシェルも少しだけ安心したように笑う。
「ミシェル=アークライトです」
「ノア=エルセリオン」
互いに名乗る。
するとミシェルが、
はっとしたように目を見開いた。
「エルセリオンって……
今年の高適合値組の……?」
高適合値組。
騎士学校内でも、
特に高い天骸兵装適合値を記録した者達だけで構成される特別選抜クラス。
二年次には、
不死隊所属がほぼ内定している
騎士候補生達の中でも別格の存在だった。
その中でも――
ノア=エルセリオンは、
今年度適合値序列第一位。
入学時点で、
既に教官達から将来を期待されている存在だった。
だが当の本人は、
そんな評価に興味がないように答える。
「ただの数値だ」
淡々とした声。
その反応に、
ミシェルは少しだけ苦笑した。
その後も三人は、
他愛のない話をしながら街路を歩いた。
食堂の話。
訓練が厳しそうだという話。
教官達が怖そうだったという話。
ミシェルはころころとよく笑い、
その度にアーデルハイドも自然と笑っていた。
やがて大通りへ差しかかる。
「私はこっちだから」
ミシェルが足を止めた。
中央区画方面へ続く帰路。
アークライト家の居住区は、
この先だった。
ミシェルは少し名残惜しそうに笑う。
「また明日ね、アデル」
「うん」
「ノア先輩もさよなら」
「……ああ」
短い返事。
だがそれだけで、
ミシェルは嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあまた明日!」
そう言って、
金髪を揺らしながら駆けていく。
その背中が人混みの中へ消えていくまで、
アーデルハイドは静かに見つめていた。
「……賑やかな人だな」
不意にノアが呟く。
「でもいい人」
「そうだな」
短い返答。
けれど否定はしない。
夕暮れの街を、
二人は並んで歩き出す。
ノアは少しだけ空を見上げ、
静かな声で言った。
「……帰ろう、アデル」
「うん」
その声は、
昔から変わらない安心感を持っていた。
孤児院へ戻る頃には、
空はすっかり夜色へ染まっていた。
教会併設孤児院。
石造りの温かな建物からは、
食事の匂いと子供達の賑やかな声が漏れている。
扉を開けた瞬間――
「アデルおねーちゃん帰ってきた!」
「ノアにーちゃんも!」
「今日どうだった!?」
「騎士学校すごかった!?」
子供達が一斉に駆け寄ってきた。
小さな足音。
無邪気な笑顔。
静かだった騎士学校とはまるで違う、
騒がしくて温かい空気。
アーデルハイドは少しだけ困ったように笑う。
「ちょ、ちょっと待って……」
「ずるい!アデルおねーちゃんばっかり!」
「ノアにーちゃん今日強かった!?」
「騎士学校って剣使うの!?」
次々飛んでくる質問。
ノアはそんな子供達に囲まれながら、
小さくため息を吐いた。
「飯の前に騒ぐな」
「はーい!」
返事だけは元気だった。
その後、
夕食の鐘が鳴り響き、
孤児院の食堂はいつもの賑やかさに包まれる。
長い木製テーブル。
温かなスープ。
焼きたての黒パン。
笑い声。
子供達の他愛ない会話。
誰かがスープを零し、
別の子が騒ぎ、
シスターが慌てる。
その光景を見ているだけで、
どこか安心する。
アーデルハイドとノアも、
子供達に囲まれるように席へ座っていた。
「それで!?騎士学校どうだった!?」
「広かった」
「それだけ!?」
「えっと……
講堂がすごく大きかった」
「へぇー!」
子供達は目を輝かせながら話を聞いている。
そんな様子を見ながら、
ノアが静かにスープを口へ運ぶ。
そして不意に。
「……カイル隊長に会えてよかったな」
その言葉に、
アーデルハイドの手が少し止まった。
向かい側。
ノアは変わらない表情のまま、
静かにこちらを見ていた。
昼間。
廊下での再会。
ノアは少し離れた場所から、
その光景を見ていた。
アーデルハイドがどんな想いで、
カイルを見ていたかも。
どれほど憧れていたかも。
全部知っている。
幼い頃から、
ずっと隣で見てきたのだから。
アーデルハイドは少しだけ俯く。
「……覚えててくれた」
小さな声。
けれどその響きは、
どこか嬉しそうだった。
ノアは静かに頷く。
「当たり前だ」
短い言葉。
だがそこには、
不思議な確信があった。
「あの人、
そういうの忘れる人じゃない」
その言葉に、
アーデルハイドは少しだけ目を見開く。
そして小さく笑った。
「……うん」
その表情を見て、
ノアは小さく息を吐く。
正直、
少し安心していた。
アーデルハイドにとって、
カイル=レオンハルトは特別だった。
絶望の中で、
唯一“希望”として現れた存在。
だからこそ、
今日の再会はきっと意味があった。
ノアは静かに視線を落とす。
――よかったな、アデル。
その言葉だけは、
口には出さなかった。
代わりに。
「パン取って」
「え?」
「そこ」
「あ、うん」
いつものやり取り。
いつもの空気。
だがその夜の食卓は、
少しだけ特別な温かさに包まれていた。




