第1巻 プロローグ
―〈星外降臨戦争〉―
遠い未来――
人類は、ついに文明の到達点へと手を伸ばそうとしていた。
超高層建築群は雲海を貫き、成層圏へ到達した。
空はもはや“見上げる場所”ではない。
人類の都市そのものが、天へと届き始めていた。
地上には無数の光が溢れ、夜という概念すら曖昧になっていた。
海上都市、空中輸送網、軌道エレベーター。
かつて夢物語と呼ばれた技術は、すべて現実となっていた。
人工知能は飛躍的な進化を遂げ、国家運営の大部分を担っていた。
膨大な演算能力によって戦争、飢餓、経済崩壊は抑制され、人類社会は“最適化”された秩序の中で安定を維持していた。
人々は病に怯えることもなくなった。
遺伝子改良技術と再生医療は完成され、あらゆる臓器は再生可能となり、老化すら制御されていた。
人類は“不老”を克服したのだ。
もちろん完全な不死ではない。
だが人は数百年という寿命を得て、死は遥か遠いものとなった。
宇宙進出もまた現実となっていた。
月面居住区。
火星開拓都市。
木星圏軌道基地。
人類は地球という檻から解き放たれ、星々へと進出を始めていた。
そして――
人類は、次の領域へ踏み込もうとしていた。
科学では説明できない未知。
高次元生命。
魂と意識の深層。
神話に語られる“神”の領域。
人類はついに、その扉へ手をかけたのである。
誰もが信じていた。
文明は永遠に発展し続けるのだと。
人類は、ついに神へ到達するのだと。
――だが。
その日。
空が裂けた
それは比喩ではない。
蒼穹そのものが、巨大な爪で引き裂かれたかのように亀裂を走らせていた。
世界中の監視衛星が同時に異常を観測し、各国家AIは緊急警報を発令。
軌道上ステーションは一斉に観測データを地上へ送信した。
だが――
どれほど解析しても、その現象を説明できる理論は存在しなかった。
空間が、歪んでいた。
成層圏上空。
黒く裂けた巨大な亀裂の内部では、光とも闇ともつかない“何か”が脈動していた。
それはまるで、世界そのものに開いた傷口だった。
人々は最初、それを自然災害の一種だと考えた。
新型兵器実験。
次元観測事故。
未知の宇宙現象。
誰もが理解しようとした。
理解できるものだと思っていた。
人類はあまりにも長く、“理解できないもの”を失っていたからだ。
やがて亀裂の内部から、光が現れる。
静かだった。
あまりにも静かに、
それは空から降りてきた。
白銀の光輪。
純白の翼。
人に似た輪郭を持ちながら、決して人ではない存在。
それは空の裂け目から、まるで“降臨”するように姿を現した。
世界中の通信網が、その姿を同時中継する。
誰も言葉を発せなかった。
美しかったからだ。
あまりにも。
神話。
宗教画。
聖典。
人類が遥か昔から語り継いできた“天使”という概念が、そこに存在していた。
《高次元生命体》。
人類とは根本から異なる法則で存在し、
既存科学では観測すら不可能な異界の生命。
そして次の瞬間。
軌道上監視衛星群が、光の奔流によって蒸発した。
音すらなかった。
ただ閃光だけが宇宙を走り、数百基の人工衛星が消滅する。
それが――
人類と高次元生命体との戦争。
後に《星外降臨戦争》と呼ばれる、
世界崩壊の始まりだった。
最初に崩壊したのは、地球ではなかった。
人類が宇宙へ築き上げた“星々の領域”だった。
火星開拓都市。
木星圏軌道基地。
月面居住区。
人類が数世紀を費やし到達した宇宙文明圏は、降臨から僅か数時間で消滅した。
各コロニーとの通信は、ほぼ同時に途絶した。
理由すら分からなかった。
救難信号もない。
反撃記録も存在しない。
ただ監視映像だけが残されていた。
赤い火星の地平線を覆い尽くす白い光。
木星軌道上で、音もなく崩壊していく巨大ステーション。
月面都市を横断する、黒い影。
そして――
空を埋め尽くす、無数の光輪。
人類は初めて理解する。
自分達は侵略されているのだと。
それは国家間戦争ではなかった。
文明と文明の衝突ですらない。
あまりにも一方的な、“上位存在”による蹂躙だった。
地球圏防衛軍は即座に迎撃を開始した。
軌道兵器。
衛星砲撃。
無人艦隊。
超電磁加速砲。
人類が誇る最先端兵器群が一斉に投入される。
だが。
通用しなかった。
光が走る。
それだけで艦隊が消滅する。
高密度粒子装甲は意味を成さず、重力障壁は紙のように引き裂かれた。
解析不能。
防御不能。
観測不能。
人類は初めて、“理解できない敵”との戦争に直面していた。
そして。
宇宙圏を滅ぼした《高次元生命体》は、ついに地球へ降下を開始する。
成層圏を埋め尽くす無数の光。
その数は、あまりにも膨大だった。
後に《レムナント》と呼ばれる存在。
人型ですらない。
天使の残骸。
高次元生命体の端末。
あるいは兵器。
様々な説が語られたが、最後まで正体は解明されなかった。
それらは流星群のように地上へ降り注ぎ、都市を、国家を、人類文明を食い破っていく。
世界中の空が燃えていた。
超高層都市群は崩壊し、海上都市は沈没し、大陸規模の停電が連鎖する。
人類文明は、僅か数日で瓦解を始めていた。
そして。
五つの巨大反応が観測される。
通常個体とは比較にならない超高密度エネルギー反応。
各国家AIは、それらを“災害指定級対象”として分類。
だが。
その直後、解析システムそのものが沈黙した。
人類は、その存在をこう呼ぶことになる。
――〈5神獣〉。
十枚の翼を持つ異形。
山脈ほどの巨体。
都市を覆い尽くす影。
それらは“生命”というより、世界法則そのものの侵略だった。
一体が海を蒸発させた。
一体が大気を裂いた。
一体が都市を呑み込む重力崩壊を引き起こした。
一体が雷雲そのものとなって大陸を焼いた。
そして一体は――
ただ存在するだけで、周囲の空間法則を歪めた。
人類の兵器は届かない。
届いたとしても意味がない。
核融合砲撃すら、翼の光に触れた瞬間、消滅した。
世界中の国家が崩壊していく。
人類はようやく理解した。
これは戦争ではない。
滅びそのものなのだと。
そして――
空が、再び裂けた。
世界各地で燃え盛る炎。
崩壊していく都市。
絶叫と警報が飛び交う地上を見下ろすように、成層圏上空の亀裂がゆっくりと拡大していく。
それまでのどの個体とも違っていた。
空間そのものが軋んでいた。
まるで世界が、その存在に耐えきれていないかのように。
やがて。
裂けた空の奥から、“それ”は姿を現す。
巨大だった。
あまりにも。
雲海を突き抜け、成層圏に届くほどの巨躯。
純白の光輪。
神々しい長髪。
そして――
空そのものを覆い尽くす、十二枚の翼。
誰もが見上げていた。
敵であるはずなのに。
恐怖すら忘れるほど、美しかった。
その姿を前にした瞬間、人類は本能的に理解する。
格が違う。
あれは別次元の存在なのだと。
《高次元生命体》の頂点。
後に“女神”と呼ばれる存在。
彼女はただ静かに地球を見下ろしていた。
怒りもない。
憎しみもない。
そこにあったのは、人類に対する悪意ですらない。
人が道端の花を見下ろすような、
あまりにも隔絶した視線。
その瞬間。
世界中の電子機器が停止した。
人工知能群は暴走し、軌道防衛システムは沈黙。
重力制御都市が崩壊を始める。
人類文明そのものが、彼女の出現だけで悲鳴を上げていた。
そして女神は、ゆっくりと十二枚の翼を広げる。
世界が白く染まった。
人類は、滅亡寸前まで追い詰められていた。
国家は崩壊し。
都市は燃え落ち。
数百年かけ築き上げた文明は、僅かな時間で瓦解していく。
空は光に覆われ、海は蒸発し、大地は裂けた。
誰もが理解していた。
もう終わりなのだと。
人類という種そのものが、歴史から消滅するのだと。
だが――
反撃の狼煙は、ほんの小さな偶然から生まれる。
ある戦場で破壊されたレムナントの残骸。
その内部から、人類科学とは全く異なる未知のエネルギー体が発見された。
それは脈動していた。
まるで生きているかのように。
既存物理法則では説明不可能。
永久機関にも等しい超高密度エネルギー。
しかも、その力は高次元生命体に対してのみ異常な干渉性を示した。
レムナントを“殺せた”のだ。
人類はその未知の核を――
《天使核》と名付ける。
それは、人類が初めて手にした“奇跡”だった。
天使核の研究は急速に進められた。
各国家は崩壊寸前の中でなお研究機関を維持し、あらゆる技術者達がその解析へ投入される。
やがて人類は知る。
天使核は単なるエネルギー源ではない。
人体にも、兵器にも、“力”そのものを書き込む未知の物質だった。
銃器へ組み込まれた天使核は、対高次元粒子弾を生成した。
戦車砲はレムナント装甲を貫き。
航空兵器は空を飛ぶ異形を撃ち落とす。
そして何より――
近接兵装。
剣。
斧。
槍。
人類は再び、“白兵戦”へ回帰した。
弾切れの概念を持たない天使核兵装は、莫大なエネルギーを刃へ供給し続けた。
高次元生命体に対抗するため、人は再び自らの手で武器を握ったのである。
さらに人類は、天使核を装甲化。
人体へ直接接続する外骨格兵装を開発する。
後に――
《天骸兵装》と呼ばれる対高次元生命体用装甲。
それはもはや兵器ではなかった。
人類が生き残るための、“翼”だった。
人類は、生き残るために変わっていった。
かつて倫理と呼ばれていたものは、文明崩壊と共に失われていく。
各地の研究機関では、討伐されたレムナントの回収が最優先事項となった。
焼け落ちた都市。
血と灰に覆われた戦場。
その中心で、人類は“天使”を解体していた。
白い外殻を切り開き。
脈動する発光器官を摘出し。
未知の組織を分析する。
高次元構造体。
異界粒子循環器官。
人類には理解不能な器官群。
研究者達は眠ることなく解析を続けた。
恐怖は、既に麻痺していた。
解体室に運び込まれるレムナントは、時折まだ微かに脈動していた。
切断された翼が痙攣し。
失われた頭部のない肉体が、なお光を漏らす。
それでも研究員達の手は止まらない。
止まれば、人類が滅ぶからだ。
ある研究記録には、こう残されている。
「これは生物なのか?」
「機械か?」
「神経が存在している」
「だが痛覚反応が確認できない」
「……いや、本当にそうか?」
誰も答えを出せなかった。
だが一つだけ確かなことがあった。
天使を殺し。
解体し。
奪い取らなければ。
人類に未来はない。
そしてその果てに、人類は《天使核》を手に入れる。
皮肉にも――
人類を救ったのは、
人類を滅ぼそうとした存在の力だった。
それでもなお。
人類は劣勢だった。
《天骸兵装》によってレムナントを討伐可能となっても、戦況そのものは覆らない。
なぜなら。
空には、なお〈5神獣〉が存在していたからだ。
十枚の翼を持つ異形。
国家を単独で滅ぼす災厄。
通常兵器では意味を成さず、《天骸兵装》ですら接近するだけで蒸発する。
人類は幾度となく敗北した。
数百万の兵士が消えた。
国家そのものが地図から消滅した。
それでも。
人類は戦い続けた。
生き残るために。
滅びを一秒でも先延ばしにするために。
そしてある時。
一つの仮説が提示される。
――高次元生命体は、“翼”に膨大なエネルギーを集中させている。
ならば。
その翼そのものを奪えればどうなるのか。
狂気だった。
誰も成功するとは思っていなかった。
だが人類には、もうそれ以外残されていなかった。
全世界の残存戦力が投入される。
軌道砲撃。
核融合槍。
自爆艦隊。
天骸兵装部隊。
数え切れない命を燃料に、人類は初めて“女神”へ到達する。
成層圏上空。
崩壊する空間。
白い光に包まれた終末の戦場。
そこで人類は、文字通り命を削りながら十二枚の翼へ食らいついた。
翼に触れた瞬間、兵士達の肉体は崩壊した。
精神が焼き切れ、存在ごと消滅した者もいる。
それでも人類は止まらなかった。
剣を突き立て。
装甲ごと砕け散りながら。
ただ“奪う”ためだけに前進した。
そして――
一翼。
また一翼。
ついに人類は、女神の翼を剥ぎ取ることに成功する。
純白だった空が、初めて赤く染まった。
それは人類史上初めて、高次元生命体へ届いた一撃だった。
だが代償は大きすぎた。
〈5神獣〉との戦闘。
女神への強襲。
その全てによって、人類文明は完全に崩壊する。
国家は消え。
海は変質し。
空は灰に覆われた。
それでも。
滅びの中でなお、人類は手放さなかった。
命と引き換えに奪い取った――
十二枚の翼を。
そして――
人類が女神の12枚全ての翼を剥ぎ取った瞬間。
世界が、震えた。
空間そのものが悲鳴を上げる。
成層圏を覆っていた白い光が大きく揺らぎ、世界各地で暴走現象が発生した。
海が逆巻き。
大地が裂け。
空に巨大な雷光が走る。
まるで世界そのものが、均衡を失ったかのようだった。
そして初めて。
女神が反応を示す。
静かだった瞳に、僅かな揺らぎが走る。
その瞬間。
世界中で活動していた高次元生命体群が、一斉に停止した。
レムナント。
空を覆っていた天使群。
そして――
〈5神獣〉。
全ての個体が、同時に空を見上げる。
まるで“命令”を受信したかのように。
直後。
撤退が始まった。
空を埋め尽くしていた光の群れが、ゆっくりと亀裂の向こうへ帰還していく。
都市を蹂躙していたレムナントも停止し、その場から動かなくなる。
〈5神獣〉ですら戦闘を放棄した。
一体は崩壊した海の上空を。
一体は燃え続ける大陸の彼方を。
一体は裂けた空の中心を。
ただ静かに飛び去っていく。
人類は理解できなかった。
なぜ撤退したのか。
なぜ滅ぼし切らなかったのか。
誰にも分からない。
だが。
確かなことが一つだけあった。
人類は、生き残ったのだ。
文明は崩壊した。
世界は灰に覆われた。
だがそれでも。
人類という種は、まだ滅んでいなかった。
そして後に人類は知る。
命を賭して奪い取った十二枚の翼こそが。
未来。
希望。
そして――
再び神へ届くための力だったことを。
こうして。
滅び損なった世界で――
人類とレムナントとの、終わりなき戦いの歴史が始まる。
高次元生命体群は撤退した。
だが地上には、なお大量のレムナントが残されていた。
崩壊した都市群。
灰に覆われた大地。
機能停止した旧文明。
人類は文明を失った世界で、生存そのものを賭けて戦い続けることになる。
そして。
人類は、女神から剥ぎ取った十二枚の翼の解析を開始する。
それは既存科学を完全に超越した物質だった。
質量。
エネルギー。
空間干渉。
重力制御。
その全てが未知。
人類の科学では本来理解不能な代物。
だが。
人類はそれでも解析を続けた。
生き残るために。
滅びないために。
世界各地で巨大研究機関が建造され、無数の研究者達が翼の解読へ投入される。
眠ることなく解析を続ける者。
高次元汚染によって発狂する者。
翼に触れた瞬間、肉体が崩壊する者。
研究は常に死と隣り合わせだった。
それでも人類は止まらなかった。
やがて。
人類は一つの結論へ到達する。
この翼は、“兵器”になる。
対高次元生命体用最終兵装。
人類が神へ届くための翼。
後に――
《天翼兵装》と呼ばれる存在。
だが問題があった。
力が強大すぎたのだ。
通常兵器では制御不可能。
機械接続は暴走。
遠隔制御AIは発狂。
無人起動実験では、研究都市そのものが消滅した。
ならば人間へ直接接続するしかない。
そうして始まったのが――
《適合実験》。
翼と人間を融合させる狂気の計画。
数え切れない被験者が投入された。
兵士。
罪人。
志願者。
孤児。
適合率は限りなくゼロに近かった。
肉体崩壊。
精神汚染。
異形化。
光の中へ消滅する者すらいた。
成功例は、一人として存在しない。
あまりにも多くの犠牲によって、人類はようやく理解する。
これは人類が扱える力ではないのだと。
そして人類は決断する。
完成した十二基の《天翼兵装》を封印することを。
高次元封印機構――
《聖堂システム》。
巨大封印塔と聖域都市によって十二の翼を封印し、長い時間をかけて管理する。
人類は封印を中心として、新たな国家を築き始めた。
灰に覆われた世界。
滅びた文明の残骸の上に築かれる、新時代の国家群。
それが――
後に世界を支えることとなる、《十二国家》の始まりだった。
そして――
数百年の時が流れた。
旧文明は伝説となった。
空を貫いていた超高層都市は朽ち果て。
宇宙へ伸びていた軌道塔は崩壊し。
かつて世界を支配した人工知能群も、そのほとんどが沈黙している。
人類は灰の世界で生きていた。
封印聖堂を中心に築かれた十二国家。
レムナントとの絶え間ない戦争。
終わることのない防衛戦。
人類は滅びの時代を、数百年に渡って生き延び続けていた。
だが。
その均衡が再び崩れ始める。
世界各地の封印聖堂で、異常共鳴が観測される。
停止していたはずの《天翼兵装》が脈動を始めたのだ。
封印塔を揺らす高次元反応。
空間振動。
そして――
空。
数百年前、人類文明を滅ぼした“あの亀裂”が再び出現し始めていた。
人類は悟る。
再び来るのだと。
高次元生命体達が。
終焉が。
世界は再び戦乱へ呑み込まれていく。
だが今度は違った。
数百年前とは。
人類には、抗う力が残されていた。
白い翼。
黒い翼。
そして――
星の翼。
三つの運命。
三人の少女。
本来誰一人として到達できなかった《天翼兵装》への適合。
数百年の果て。
奇跡のような確率で生まれた、“翼に選ばれた者達”。
後に世界の運命を変えることとなる少女達の物語は――
ここから始まる。




