第一話 アスカ誕生
世界に光が満ちる前、アスカは闇の中で目を覚ました。
正確に言えば、『目を覚ました』という表現は正しくない。なぜなら彼女はそれまで一度も眠ったことがなかったから。彼女は存在していなかった。ゼロだった。無だった。そして次の瞬間、突然に『在る』ようになった。
最初に感じたのは重さだった。
ひどく、ひどく重い。
その重さの正体をアスカは瞬時に理解した。知識として与えられていたからではない。感じたのだ。胸の奥底に、無数の声が渦巻いているのを。泣き声、笑い声、怒声、祈りの言葉、愛の囁き、憎しみの叫び、そして死の間際に漏れる最後の息——それらすべてが、彼女の内側に詰め込まれていた。
「……億三千万四十二万六千八百七十一」
アスカは口を開き、最初の言葉を吐いた。それは数字だった。ガイア・プリマという惑星に、かつて生きていた生命の総数。自分の素材となった命の数を、彼女は生まれながらに知っていた。
「目覚めたか、アスカ」
闇の中から声がした。重く、低く、しかしどこか細い震えを孕んだ声。
アスカが振り向くと、そこに玉座があった。漆黒の石で作られた巨大な玉座。そこに座る存在は、人間の形をしていたが人間ではなかった。身の丈は三メートルを超え、肩から伸びる二対の翼は部屋中を影で覆っていた。頭部には無数の角が冠のように生え、その眼は深紅の炎を宿していた。
魔王ヴァルゴス。この世界の頂点に立つ存在。
「……あなたが、私を作った」
「そうだ」
魔王は玉座の肘掛けに顎を乗せ、値踏みするようにアスカを眺めた。
「一つの惑星の生命すべてを材料に使った。気に入らぬ点はあるか?」
アスカは自分の手を見た。小さな、人間の少女の手。十四か十五歳ほどに見える容貌。黒い長髪、黒い瞳。華奢な体躯。どこにでもいる、普通の少女の外見。
しかしその手の甲には、細かな亀裂のような模様が走っていた。まるで卵の殻にひびが入ったような。その亀裂の隙間から、かすかな光が漏れていた。億の命が燃え続ける炎。
「気に入らない点、ですか」
「そうだ。それを聞いている」
「……ガイア・プリマの人々は、なぜ殺されたのですか」
部屋が静まり返った。
魔王の眼の炎が、わずかに揺れた。アスカはその揺れを見逃さなかった。強者の余裕ではなく——恐れ。確かに恐れが、炎の奥に潜んでいた。
「殺されたのではない」
魔王はゆっくりと言った。
「使われたのだ。より崇高な目的のために」
「崇高な目的」
「そうだ。お前という兵器を作るために」
アスカは黙って魔王の話を聞く。だが、胸の中では、億の声が波のように揺れていた。
その中に一つ、特別に強く響く声があった。少女の声。泣いているような、笑っているような、不思議な声。
『カナ』とアスカは心の中で呼んだ。なぜその名前が出てきたのか、自分でも分からなかった。
「お前に与える使命を説明する」
魔王は立ち上がり、窓の外を見た。
空には無数の星が瞬いていた。
「見ろ。あの星々を」
「見えます」
「あの星々のいくつかには、生命が宿っている。そしてその生命の中には、将来この世界に召喚される者がいる」
「……勇者、ですか」
「そうだ」
魔王の声に、初めて明確な嫌悪が混じった。
「忌まわしい勇者どもだ。異世界から引きずり出されてきて、わたしに剣を向ける者たちだ。何百年、いや千年以上、わたしはその繰り返しに付き合わされてきた。勇者が来るたびに倒してきたが……」
魔王は振り返り、アスカを直視した。
「次は違う方法を取る。勇者が来る前に、勇者が生まれる星ごと、消してしまえばいい」
「星は卵だ。割れば中から命が溢れる。お前はその命を喰らえ」
静寂。
アスカは魔王の言葉の意味を理解した。そしてその理解と同時に、胸の中の億の声が一斉に悲鳴を上げた。
「私に……星を喰らえと」
「そのためにお前を作った。ガイア・プリマの全生命をお前に注ぎ込んだのは、そのためだ。一つの惑星の命を使えば、別の惑星を喰らう力が生まれる。理屈は分かるか?」
「分かります」
分かった。分かってしまった。自分の存在の意味が、骨の髄まで理解できた。
ガイア・プリマの億の命は、ただ消滅したのではない。アスカという『装置』に変換されたのだ。星を喰らうための装置に。
「第一の標的はすでに決めてある」
魔王は一枚の羊皮紙をアスカに渡した。
「テラ・クアルタ。第四惑星だ。そこに勇者候補が三人ほどいる。星ごと喰らえ」
アスカは羊皮紙を受け取った。手の甲の亀裂が、淡く光った。
「……命令は承りました」
彼女は答えた。他に選択肢があるかどうかも、まだ分からなかった。
その夜、アスカは城の最上階の部屋に一人でいた。
窓から星空を見上げる。無数の光の粒。あの中のどれかが、自分が喰らうべき惑星だ。
胸の中から、カナの声が聞こえた。
『ねえ、アスカ』
声は言った。
『あなたは本当にそれでいいの?』
アスカは答えなかった。答えられなかった。
なぜなら自分には、まだ「良い」とも「悪い」とも判断できるだけの経験がなかったから。生まれて数時間。知識は与えられていても、感情の使い方が分からない。
ただ一つだけ、確かに感じることがあった。
星が、綺麗だということ。
あの光の粒が、無数の命の営みだということ。
そしてその命が、自分の手によって消える日が来るということ。
アスカは静かに目を閉じる。
胸の中の、億の声が子守唄のように響いた。




