だいしゅきホールドで体温まで逃がさない
一切の光が絶たれた部屋に少女が一人。
闇の中でさえ、その少女の肌は光を溜め込んだように白く輝き、その紅い左の瞳を爛々と光らせていた。
しかし、諦めきれない願望を眼帯の奥に押し込めて、その左の虚ろな瞳は左右に震えていた。
――ふと、部屋の外から足音が聞こえてくる。
この目で見なくてもわかる。間違いなく、一片の疑いもなく、この音の主は彼のものだ。
歩き方のクセ、音の重み、彼の匂い、彼の息遣い。全て憶えてる。大好きだから。会いたかったから。
失意に歪んで砕けて散って沈んだ――――その直後、部屋の扉が大きな音を立てて外れる。
顔を膝に埋めたまま、久方ぶりの光が私の網膜を灼く。
その眩しさの中で彼は光の如く咲う。そして、私には直視できない笑みを浮かべて彼は言うのだ。
「おはよう、ハニー」
―――
玲の額の傷を見てしまった日から三日が過ぎた。
それから彼女は欠席しており学園内でも少し噂になっている。
あの日の彼女の顔が頭から離れない。
一年前、彼女がこの学園に来たときの、あの弱々しい顔とは比にならない絶望に満ちた顔。
(いじめで暴力を振るわれたこともあったとは言ってたけど、あれがイジメられた要因なのかイジメで出来たものなのか……)
はたまた両方なのか――
(そういえば、玲の家の標識――『久遠』じゃなくて『清水』だ。それに、父親が居ないとも言ってた。まさか、虐待か?)
ある一つの仮説に辿り着き、あまりの不快感に顔を歪める。
この三日間、彼女についてグルグルとどんなに考えても浮かび上がるのは胸糞の悪い醜悪なものばかり。
本来なら、彼女の下へ駆けつけて何か言葉をかけてやるべきなのだろう。
しかし、俺は何も知らない。――だというのに俺の頭の中で組み立てられた仮説は大体が現実のものになる。そんな状態で言葉をかけても、その心を土足で踏み荒らしてしまうだけだ。
そう言い訳をし続けて三日が過ぎた。
重たい瞼を物憂げに開け、隣の空席を見やる。
(俺、なにやってんだろ)
内心でそうやって溜息と共に吐き捨てた。
それと同時、前の席に座る稀沙羅が勢いよく立ち上がる。
「いい加減にしてよ」
「稀沙羅……?」
「いつまでそうしてんだよ! まさか、まだあたしに気を遣ってるワケ!?」
俺の胸ぐらを掴み、稀沙羅は声を荒らげる。
狼のような琥珀色の瞳が鋭くなる。目が、合わせられない。
「別にそういう訳じゃ……ただ、無責任に踏み込んでいいものなのかよ」
「あたしの事を助けたクセに……!」
俺と稀沙羅、双方の記憶に鮮明に残る炎に包まれたあの家。少年は膝を抱える少女を抱きかかえ、少女は空虚な少年に抱きかかえられたあの日。
見違えるほど成長したあの日の少女は、何も変わらないあの日の少年の胸ぐらを掴んで揺さぶった。
「玲ちゃんだって! あたしみたいに、お兄ちゃんが無責任に助けたうちの一人じゃないの!?」
妹に指摘されハッとしてしまう。
玲に詰め寄られた際、暴いてしまった彼女の過去。彼女に言われるでもなくいじめっ子を殴り飛ばしてしまい、その挙句に勝手に不良なんて汚名を背負ったこと。
これら俺の行いを彼女の本心がどう思っていたのかは知らない。
ただ一つ言えるのは、俺の隣で妹と同じように笑っていたということ。踏み荒らしたその足跡は深く刻まれている。
俺はやっと、稀沙羅の瞳を直視した。
「そんな無責任なところも、あたしが愛してるお兄ちゃんの一つでしょ? いい加減、自分を好きになってよ……」
彼女はゆっくり胸ぐらから手を離す。その瞳は濡れていた。
「お前を泣かせるなんて、ダメな兄ちゃんだな」
その頭を撫でながら、抱きしめていると、教室の扉が開く。
「おい、一体どうしたんだ? 廊下まで響いてたぞ」
次の授業の教師が困惑をあらわに立っている。そういえば、予鈴はとっくに鳴っていた。
「ありがとう、稀沙羅」
額を合わせ、それだけを言い残す。
「先生、体調悪いので早退してもいいですか」
―――
一切の光が絶たれた部屋に少女が一人。
傷を見られてからのこの三日間、何も口にしていない。何度吐いたかもわからない。涙を流していないときがあっただろうか。
私は間違いを犯してしまった。
間違えないように正しいことをするはずなのに、私は彼の信頼を裏切ってしまった。
彼はあんなにも私を愛しているというのに、私はそれに報いることが出来ないまま。
この顔の傷はいずれ話して、きちんと向き合うべきだった。それが一番正しいことだった。
でも出来なかった。彼に見られることが恐怖でしかなく、そして逃げ出してしまった。
どうして、最愛の人を信じることが出来ないのだろう。
何より一番嫌なのが、今もこうして立ち上がれずに部屋に篭もりっぱなしの私の弱さだ。
今までどんなに不当な扱いを受けていようが、朝になったらこの部屋を出ていつもの通学路を歩いていた。
なぜ、今はそれが出来ない?
私は二、三歩歩けば辿り着くその扉を眺めながら、そっと意識を手放した――
―――
俺は『久遠』ではなく『清水』と記された表札の前に立っていた。
インターホンを押して、誰かが出てくるのを願いながら待つ。
すると、俺が誰か尋ねる声も無く家の扉が開く。
そして、姿を現したのは未だ二十代に見える程の若さを持つ黒髪の女性。その顔立ちは整っていて玲の面影は感じられなかった。
「初めまして、清水暁美です。……安心院奏斗くん、だよね?」
当然、話は伝わっているか。
「はい。玲の彼氏の安心院奏斗です」
「とりあえず、中に入って」
導かれるまま中へと入る。
玄関を上がりリビングへと繋がる扉の前には通路が右へと伸びていた。その通路の方を見ると終点にはまた別の扉がある。
その扉を見つめて感じ取った。あの扉の向こうに玲がいる。
「ずっと、出てこないの。ご飯を置いても手をつけてくれない。声をかけてもすすり泣く声と嗚咽が聞こえるだけだった」
リビングに進み、ダイニングテーブルを挟んで暁美と相対する。
「それで、どこまで知っているの」
お互いにテーブルの上にある麦茶には手をつけず話を始める。
「いじめられていたことは知っています。それ以外は何も。――知らなかったんですが、三日前顔の傷を見てしまって……」
暁美は渋い顔を浮かべた。頭痛をこらえるように頭をさすっている。
「本当はあの子が話すべきなんでしょうけど、今は私の口から、玲に何があったのか全てを話すわ」
俺が頷くと、暁美は一つ一つ順を追って話してゆく。
その内容は、語るのも躊躇われるほど苦痛に満ちていた。何一つ良いことがないと言える人生。見え隠れしていた彼女の怯えにも得心がいく。今の日常を失いたくないと思うのは当然だ。
俺は彼女の過去に絶句しながら、その話が終わるまで一言も余さず記憶した。
「その……玲はPTSDとか、そういう虐待の後遺症は無かったんですか」
そう尋ねると、暁美は首を横に振る。
「あの子の苗字、私と違うでしょ? 変えなくていいのかって最初に訊いたの。そしたら――」
「『覚えていたいから』ですか」
暁美は目を少し見開いたあと、こくりと頷いた。
そして、思う。やはり彼女は――久遠玲は狂っている。
これほどの経験をしても尚、彼女は笑っていた。精神を病むことも無く、今まで生き続けた。
それどころか、彼女は『久遠』という苗字と同じように全ての苦痛を受け入れたのかもしれない。
「なんで名字を変えないのか、それ以上は踏み込めなかった」
――仄かな反抗心、あるいは復讐心まで抱いているらしい。普通なら忘れたくなるだろう。全く末恐ろしいな。
強すぎる心はどうやら狂気も孕むらしい。
「そんなに強いのに泣くときは泣くんですね」
それだけ俺は愛されているのだろう。
「今からすることの許しをください」
「玲のことならなんでもやってちょうだい」
差し出された麦茶を一気に飲み干して立ち上がる。
少々勢いをつけすぎたようだ。濡れる口元を袖で拭って先程の扉へ向かう。
案の定、鍵はかかっている。声をかけても意味は無いだろう。
ならば――
扉から一歩引いて息を吐き切る。そして、
「ふんッ!!」
万力の如く力を込めて、思い切り扉を蹴飛ばした。
メキィと音を立てて蝶番が外れ、扉は部屋の内部へと倒れ込む。
彼女が頭をぶつけていないことに胸を撫で下ろし、咲って言った。
「おはよう、ハニー」
―――
膝を抱えてうずくまる彼女に近付き、しゃがみ込む。
「顔、見せて欲しいな」
そう言っても彼女は首を横に振るだけ。
まぁ、それはそうだろうな。
だけど、俺は君の顔が見たい。そのためには、まず――話さなくっちゃ。
「君って不器用だよな。負けず嫌いで、誰よりも上に行きたくて、がむしゃらに走り続けた」
膝を抱えるその腕にそっと手を添えた。
「でも、そんな君を周りは理解できなかった。誰よりも多くを持って生まれた人間がそれ以上を望むことを『強欲』だと言って、増長する君を抑え込もうとした」
自分達とは違う容姿。天才だけじゃ足りない頭脳。そして、その陰に隠れた執念とも呼ぶ、血の滲む努力の数々。
なんでも手に入れようとするその姿は――もはや、異形の魔物だった
「けど君はこう思ったんだろ?」
それはきっと、俺の目には輝いて見える彼女の根幹。
「『私は間違ってない。上は目指すものだから、その強欲に間違いがないことを証明してやる』って」
拓けてゆく世界の美しさなら知ってる。彼女はそれを頂点で見晴らしたいのだろう。
「それから君は間違えないことを第一に考えてきた。正しくあるべきだと、実直に努力を重ねてきた」
そして、俺という壁にぶち当たった。
「当然、傷のこともいつか話すべきだと考えていた。君にとって、それが一番正しいことだから」
愛に報いて恋人を信じる。
もしかしたらあの日、君が一足早く登校したのは覚悟を決めるためだったのかもな。
「でも、自分が思っているよりも早くその時が訪れた。だから、思わず逃げ出してしまった」
この苛烈な傷を見られてしまうことで恋人を失うのが怖い。
大好きな人に醜いって思われるのが怖い。
あの日々みたいに独りぼっちになるのが怖い。
気づけばそんな弱さばかりが心の中に溜まっていた。
だからあの時、君は向き合えなかった。その場に涙を残して思わず走り去ってしまった。
「その『間違い』を生んだ自分の弱さが許せない。そうやって君は自分を責め立てる」
たかが俺の信頼を裏切っただけで、彼女はこんなにボロボロになって思い詰めている。それこそ報いであり愛だ。
だったら、俺ができることは――
「だったら!! 他ならぬ俺が――君は間違ってないって全てを肯定してやる」
俺も彼女に返さなくては。
その腕を固く握り、熱を込めて力強く彼女に言った。
「君は俺の事が好きなんだろ。なら、向き合うべきって感情も、見捨てられるのが怖いって感情も、そのどちらを選ぼうが何も間違ってない! その全てが俺を思ってのことだ」
彼女の肩がピクリと動く。
「その傷も、過去も、何も間違ってない。全ての紆余曲折を経て『今』があるんだ。そこに間違いなんて一つもあるわけがない」
どんなに凄惨な過去だろうと、君がどんなに後悔していようと、俺の目には君が美しい理由の一つにしか見えない。
「誰にも君の過去を否定させないし、君にだって間違ってるなんて言わせない」
彼女は黙っている。たとえ日が暮れようと、YESかNOが聞けるまで待っていようと、そう思った時――ゆっくりと嗚咽混じりに声が聞こえる。
「ひと、つ…………約束が……っ……あるの……」
酷く掠れた絶え絶えの声。その声が聞けただけでも今は嬉しい。
「あぁ、なんでも言ってくれ」
「約束っ……最後まで……っ……私と居て」
「最後までとは言わずにどこまでも。死んでも君から離れない」
彼女は涙を拭ってしゃくり上げながら顔を上げる。
「約束……ならっ……いいよ…………」
拭っても拭っても濡れていた。その手を握って真っ直ぐ見つめる。
「君の素顔を見ても良いかい?」
「……うん」
その手は震えていて、俺が手を離すと自らを繋ぎ止めるように固く握った。
俺は自由になった手で彼女の眼帯を外す。そして、顔に右手を添えながら、逆の手でその長い前髪をかきあげた。
「………………ぁ」
初めて目にする彼女の全貌に思わず陶然として溜息が漏れる――
右目周辺、おでこから頬骨の辺りまでに達する痛々しい火傷痕。常に眼帯の下にあった右眼は、鈍色に褪せていて左眼のように燃え盛ることはない。そして、瞼は完全に開くことは無く、睫毛は焼け落ちている。
しかし、それを補って余りあるほど彼女の顔は美しかった。
上質な絹のように輝く艶のある白髪。産毛の一つすら無いキメ細やかな処女雪の肌。すうっと整った鼻梁にルビーのような唐紅の瞳。その逆にある傷すら、彼女にはコントラストとして成立してしまう。まさに傾国の美女。
あまりの美しさに何も言えず固まっていると、そんな反応を真逆に汲み取ったのか、彼女はボロボロと泣き始めて嗚咽を漏らす。
「ばかぁ……っ、ブサイクでしょ……っ……醜いでしょ……わたっ……し…………ほんとはよわい……っ……とか……まちがい、とか…………どうでもよくて……貴方にっ……可愛いって……思われたくて……っ」
素直にそれを言えば良いものを。そんな事こっちはとうに知っている。だから散々言ってきたんだ。
「可愛いよ」
そう微笑みかけると、堰を切ったように泣き出してしまう。今度は大声を上げながら、子供のように泣きじゃくっている。
「あーあー、鼻水が。はい、チーン。よくできました」
頭を撫でてやると、彼女が俺の胸に飛び込んで抱きついてくる。
好きなだけ甘えて、気の済むまで泣けば良い。
――そうして、どれだけの時間が経ったのだろう。
ワイシャツがぐしょぐしょになるまで泣き続けて、彼女はようやく落ち着きを取り戻した。
彼女の右手を握りしめてベットに腰掛ける。
「ん、ありがと。それから、ごめ――」
「待った。謝られる筋合いはないぞ」
すると、彼女は頬を膨らませてあからさまに不満そうな顔をする。
「貴方、私の全てを総括したつもり? しかもその態度。むかつく……」
頬を膨らませて彼女はむくれる。どうやら調子は戻ったらしい。
その事に小さく笑っていると、彼女は顔を寄せて俺の瞳を覗きこむ。
「で、いつから気づいてたの?」
「? なにが」
「傷のこととか虐待のこととか」
「あぁ。いや? やたら怯えてるなぁとは思ってたけどいじめられてたのは知ってたからな。そのトラウマ的なのかと」
そう言うと彼女は顔を引っ込めて正面を向く。
「じゃあ、全部今日知ったことなんだ」
すると、彼女は「フン」と鼻を鳴らした。
「名探偵にでもなったら?」
「ははっ! じゃあ君は相棒だな」
冗談めかして笑い合う。彼女の笑顔は前よりもずっと緩んでいた。
「貴方の予想通り。これは言い訳だけど、この傷のことと虐待のこといつか言おうとは思ってた」
「そうか」
「酷い顔だったでしょ」
「あぁ。三日間風呂も入らず泣きじゃくってゲロ吐き続けた奴の顔だった。隈も前より濃くなってるし」
「はぁ……万全の状態で見せたかった…………」
彼女は肩を落とす。
そして、落として俯いたまま告げる。
「今日って貴方の誕生日でしょう? ホントはもっとしてあげたかったけど、叶わなくなっちゃった。だから、せめて本来施そうとしてたことだけ、しよう」
彼女は顔を上げる。握る手が強くなった。
「ピアスを開けよう。この日を、『今』を刻もう」
「あぁ。いいと思うよ」
「貴方は左。私は右ね」
ピアッサーを手渡され、彼女の乱れ髪を耳にかける。
その耳たぶに触れ、位置を決めたあとピアッサーで貫く。
「ありがと。ほら、貴方の番」
耳を触れられ、こそばゆさを覚える。ピアッサーが貫くのは一瞬で痛みも無い。
「お揃いのピアス、着けるのが楽しみ」
――あぁ。楽しみだ。
そう思いながら、微笑む彼女の横でベッドに倒れ込む。
「奏にぃ?」
「悪い。少し寝かしてくれ。三日間、ろくに寝てないんだ」
彼女の視線が目元に注がれる。隈が濃くなっていたのは自分もか。
「私、貴方に心配かけすぎたみたい。布団被って枕使って寝たらいいよ」
彼女に言われるまま布団を被り、微睡む意識の中で声が聞こえた――
「おやすみ、奏にぃ」
―――
泥のように眠った意識がゆっくりと浮上し、重たげに瞼を開ける。
「知らない、天井だ」
「あ、奏にぃ起きた?」
声のする方を見やると玲が居た。寝ぼけた視界がだんだんクリアになってゆくと、彼女が丁度今ネグリジェを着たことが分かる。
「――あぁ、クソっ。見逃した」
「将来的にいくらでも見れるよ」
そういう彼女はベッドの脇で膝立ちになり、頬杖をつきながらこちらを見つめている。その顔に眼帯は着いていなかった。
「もう少し寝ててもいいよ?」
「今、何時?」
「十七時半」
「まじか……寝すぎだろ」
三日ぶりの睡眠だ、無理もない。頭痛を堪えながら、お香の匂いがするベッドから体を起こした。
「もうちょっと……一緒に居たいかも。ほんの五分程度でいいの……」
気遣わしげな上目遣いでこちらを覗く。恋人にそれをされたら断れないのが男である。
俺は微笑んで彼女の頭を撫でた。
その髪は少し湿っていて、顔の血色も良くなっている。その上シャンプーの匂い付きだ。俺が寝る以前の姿はお世辞にも人に語れるものでは無かったから風呂にでも入ったのだろう。あのときも可愛いし、綺麗なのだが。
ついでに部屋も綺麗になっていた。壊れた扉はそのままだったが、ゴミ箱の吐瀉物は捨てられ、換気をしたのか臭いも無くなっていた。今は若干お香の甘い香りがする。この布団もだが、普段からの使用で染み付いた香りだ。
「一緒に居たいとは言ったけど自分の部屋はちょっと恥ずかしいかな……匂いなんかかいじゃって。すけべ…………」
それもそうだ。俺は立ち上がって玲ともにリビングへ向かった。
「奏斗くん、起きたんだ」
ソファに座る暁美と目が合う。おそらくブラックコーヒーを飲んでいる。
「もし良かったら、うちでお夕飯食べていかない?」
「そうしたいんですが……家に妹と厄介な同居人が居まして。少ししたら帰ります」
「そう……わかったわ。なら、私は邪魔ね」
少し玲の方を見て立ち上がろうとする暁美。しかし、その前に玲が言った。
「別に、行かなくていいよ。お母さんも居て欲しい」
「…………。わかったわ」
それを最後に暁美はノートパソコンを開き何かを打ち込み始める。仕事関係だろうか。音を追えば文を思い起こせるが頭が痛いのでやめておこう。
そう思いながら、玲に促されるままソファに座った。
そして、玲は俺の首に手を回し、向かい合う形で俺の両太ももに跨った。
――暁美の手前、こういうことはやめて欲しいのだが。さっきから画面とこちらを往復してニマニマとしてるし。
すると、玲が収まりの良い場所を探して身じろぐ。そっと彼女の腰に手を添えた。
(にしても、本当に綺麗だ。片眼が紅で片眼が鈍色。炎と灰的な)
彼女は顔をグッと近づけて全身を密着させた。画面一杯に凄まじい美人と際どい胸元。ネグリジェ姿だということを忘れてないだろうな?
「ねぇ、奏にぃ――」
しかし、その表情は先程までとはまるで異なっていた。
彼女の息が触れる。心臓が跳ね上がるのを感じた。
「私ってなんでこの体に生まれたのかな」
「君に似合う色がこの世にはまだ無いからだろ」
――即答してしまった。何言ってんだ。
顔が熱くなるのを感じながら、思わず早口でまくし立てる。
「いやっ、その……君の美しさを飾る色が無いって話であって、決して君が――」
「わかってる。恥ずかしくなってくるでしょ。皆まで言わなくても汲み取れるから」
彼女は首に回した手を解き、その両手で俺の左手を持ち上げた。
「ありがとう。愛してる」
そして、その手を顔の火傷痕に添えた。
「貴方の手はこんなにも温かいのに、私の傷は何にも感じ取ってくれないんだね」
眉を下げて表情に影を落とす。添えられた彼女の手は切なげでか弱い。
「そんな表情をしないでくれ……俺は君を感じているから」
結局、五分どころか三十分――いや、それ以上の時間が経ってようやく帰ることにした。
「それじゃ、気をつけて」
「うん。また明日」
―――
翌朝、たまには玲を待ってみようと思い、稀沙羅を叩き起して早い時間に家を出た。
しばらくして、日傘をさした玲が歩いてくる。少しだけ胸に残った心配もこれで霧散した。
「おはよう、ハニー」
「おはよう、ダーリン」
いつもの照れくさい常套句を言って、目を細める。
彼女は前髪を切っていた。眼帯を覆っていた右目周辺の火傷を隠す長い長い前髪をバッサリと――
「えぇ!? どうしたの玲ちゃん! というかその傷は……」
同じように気づいた稀沙羅が声を上げる。が、火傷痕にも気づき尻すぼみになる。
「ご、ごめんなさい……無神経だった」
「この傷のことはもういいの、 貴女のお兄ちゃんのおかげでね。話が聞きたいなら歩きながらしましょう?」
俺は稀沙羅を横目に、微笑みながら先を行く玲の後について行く。
何があっても変わらずに、君の隣は俺のモノだ。久遠の時を経てもそれが守られれば君は輝き続ける。
一つ決意を固めて、俺は軽やかな足取りで進む彼女の手を取った――




