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第四十一話 たまには甘いオレンジを。




――たとえその先で目を背けたくなる現実が襲ってこようとも、きっと俺は彼女と過ごした甘い果実のような記憶だけは手放すことが出来ない。




 凰院(おういん)玲那(れな)という一人の人間にとって、彼女は初めて接するタイプの人間だった。……見ていて飽きない、とでも言おうか。

 彼女――安瀬山(あせやま)(ほたる)はその全身から強い生命力を感じるほどの元気さで、少々(いや、かなり)大きめのボリュームで決して口数の多い方ではない玲那にもグイグイ話しかけてくる。

 そして何より、共通の知人を通して本日知り合ったばかりだというのに、半ば強制的に二人で出かける約束まで取り付けられてしまったのだから、その行動力には目を見張るものがある。

「……普通、目の前で()()()()()()()()言ったやつと出かけたりするかね」

 ふぅ、と一人ため息を零す玲那。風海東(かざみひがし)高校放課後の校門前は既に多くの生徒たちで溢れていて、若者たちの喧騒とけたたましいばかりの蝉の鳴き声が見事なハーモニーを……。

「……いや、暑いな」

 はぁ、と続けてため息を零す。

 外の世界はもうすっかりオレンジ色で、これからだというのに玲那の気持ちはずん、と沈み既に帰宅したい気持ちでいっぱいであった。

 と、ドタドタと怪獣のような足音で近づく影を視界の端に捉える。

 ショートの黒髪と豊満な乳房(ちぶさ)を揺らし彼に手を振るその褐色乙女の姿は、まさしく(くだん)の女子高生、安瀬山蛍その人だった。

「ごめんごめん! 待たせちゃったかな?」

 ふぅ、と音を立て息を整える彼女。

「いや、俺もさっき出てきたばかりだ。……それで、今日はどこに行くんだ? まさかこれから町の案内でもするのか?」

「いやいやまさか! 明日も学校だし、今日はちょっと買い物に付き合ってもらおうかなって」

「…………悪いが、何か物を選んだりするのは得意じゃないぞ」

「いいっていいって! 一人だと退屈だから、凰院くんにも一緒に来てもらいたいってだけだよ」

 お世辞にも愛想が良いとは言えない玲那の言葉に、しかし蛍は楽し気に口角を上げる。放課後のオレンジを受けると、その輪郭は一枚絵の様にくっきりと浮かび上がった。

 それは、あまりに強い〝(よう)〟で、玲那はその眩しさに目がくらんでしまいそうだとすら感じた。

「まぁ、そういうことなら……」

「よし、それじゃあ早く行こうよ!」

 ぴょん、と校門の向こうへジャンプすると、蛍は大袈裟(おおげさ)に親指で学校の外を指さす。

 そんな彼女の姿につられて口角を上げていたという事実を、彼自身は知る(よし)もないのだった。




 風海東高校から徒歩で一〇分も掛からない近場に、蛍の目的地は在った。

「ごめんね! ほんとは隣町のショッピングモールとかに行くのが良いんだけど……ちょっと遠くてね」

「良いって。……それで、今日は夕飯の買い出しでもするのか?」

 プラスチックのカゴを一つ手に取ると、玲那は蛍と共に店内に進んでいく。

 店の中は空調がよく効いていて、風に乗って鼻腔(びくう)をくすぐる生鮮食品の香りが独特の世界を演出していた。……いや、要するにその場所は、若者が集うお洒落な何かしらの施設……等ではなく、夕方のセール品に目を光らせる主婦たちが集う食品スーパーだったのである。

「それもちょっとあるけど、妹にお土産を買っていこうかなってね」

「ふぅん、二人姉妹か?」

 と、眼前に(うずたか)く積まれた菓子袋の一つを片手で(もてあそ)びつつ、玲那は会話を続ける。

「うん! 中学生の妹が一人。わたしなんかより、よっぽどしっかりしてる子……なんだけど。ちょっと昨日まで色々と大変だったから、何か美味しいものでも食べて元気になってもらおうかな……ってね!」

 蛍は玲那の隣に並ぶと、菓子の陳列棚の前で腕組みをする。

「そうか。…………姉妹仲、良いんだな」

「そうなのかな。……いや、ごめん普通に仲良いかも! ……あっ、カゴ一緒にして良い?」

 玲那が頷くのを確認すると、テキトーに菓子を何種類かカゴの中に入れていく蛍。

「……あっ、今更だけどごめんナチュラルにカゴ持たせちゃって!」

「良いって。……というか、こういう仕事のために俺を呼んだんじゃないのか?」

「あはは。わたし、そんな細かいこと考えられるような子じゃないよ。凰院くんを呼んだのは、ほんとに話し相手が欲しかったから!」

「ふぅん」

 と、興味なさげに返事をしつつ、玲那は在りし日に思いを()せる。……姉弟(きょうだい)仲は、傍目(はため)から見てもかなり良かったと思う。

「よし、次は何か甘いもの! ……それで、凰院くんは?」

「何が?」

「だから、兄弟とかいるのかなって」

「あぁ、俺は――」

 ……心の奥に閉じ込めた、真っ赤に染まったかの日。

 一瞬あの日の光景が頭の中でフラッシュバックし、玲那は言葉に詰まってしまう。……が、(かぶり)を振りその長い白髪を揺らすと、どうにか言葉を返した。

「俺は……三人だ。一番上の兄貴と、真ん中の姉貴。……それから、俺の三人」

「末っ子なんだ。……ちょっと意外かも!」

「どういう意味だよ」

 と、つい苦笑いを浮かべてしまう玲那。こうして話を続けていく間も、彼の手に持った買い物カゴは徐々にその重みを増していく(主に相方のせい)。

「いや、そんな悪い意味じゃなくって! なんか、凰院くんって結構自立してるように見えるから」

「それは……どうだろうな、単に――」

――単に、一人の時間が増えたせいだろう。

 そう続けようとするも、玲那は「……いや、なんでもない。お前から見てそうなら、そうかもな」と言葉を(にご)した。



 それから、とりとめのない会話をしつつ買い物を済ませると、二人は店を出る。

 外は変わらずのオレンジ色で、頬を撫でるぬるい風に、玲那は顔をしかめた。

「今日はありがとう! お陰で退屈しなかったよ」

「……まぁ、大したことはしてないがな。……そのまま帰るのか?」

「うん! 今日は月ちゃん早く帰ってくるだろうし、夕飯の時間に間に合わないと今日の買い物の意味ないしね」

 と、手提(てさ)げのビニール袋を持ち上げ玲那にアピールする蛍。どうやら、今日はここで解散の流れとなるらしい。

「それもそうか。それじゃあ、俺はこれで……」

 軽く手を振ると、玲那は自宅へ向かってそさくさと歩き始める。

 と、その腕に柔らかな感触が伝わる。言うまでもなくそれは、蛍の手のひらの感触だった。

「ちょっちょっ、ちょっとあっさり過ぎない!?」

「え……?」

 何かを必死に訴える褐色乙女に、玲那は不愛想に体を向ける。すぐ脇を抜ける通行人たちの視線が痛かった。

「いや、え……じゃなくって! もっとこう……なんか! こう……あるよね!」

「……悪い、具体的に言ってもらえると助かる。それと……手、そろそろ離してくれないか」

 蛍はその褐色の片手を動かし、玲那に足りていなかった何かを伝えようと懸命だ。

 ……が、彼女にはあまりに語彙(ごい)がなく、玲那は内心首を傾げつつそう伝える事しか出来なかった。

「え……? あ、あぁ、ごめんごめん!」

 と、玲那に言われるまま手を離す蛍。続きの言葉が見つからないのか、今は「うーん、うーん……」と分かりやすく頭を悩ませていた。

 そんな彼女の姿に、遂に玲那はプッと吹き出してしまう。

「あっ! 人が真剣に悩んでるのに、ひどい!」

「……いや、悪い。……なんか、分かりやすくて良いな、お前」

「…………それ、(けな)してない?」

「いやいや、そんなことないって」

「えー、ほんとに? ……まぁ、いいや。とりあえず、そろそろわたしのこともちゃんと呼んでくれたら嬉しいな! ほら、わたしだけお前呼ばわりにされてるし」

「あぁ、すまない。えっと、安瀬山蛍……だったよな。 安瀬山で良いか?」

「うん! とりあえず明日からはそれでお願いね、凰院くん! それじゃ、わたしはこっちだから」

 と、玲那が向かおうとしていた方向と逆を指さす蛍。

 穏やかなひと時もいよいよ本当に終わってしまうらしかった。

「了解した。それじゃ……その――また明日」

「うん、また明日ね!」

 バイバイ、と手を振ると、蛍はそのまま元気に駆けていく。

 その姿が視界の端に失せていくのを確認すると、玲那は(きびす)を返し再び帰路につく事にする。

 仮面を被らず異性と言葉を交えたその時間は、玲那にとって決して悪いものではなく、……少々〝陽〟に寄りすぎたかもしれないな、と彼は内心苦笑した。

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