第七話 不変
東海高校総体が終わり、待ち望んでいた合同練習が始まる。
「明日から合同練習だな」
「うん……まさか二日間も受け入れて貰えるなんて思わなかったから、先生に感謝しなくちゃ」
「俺も楽しみだなー」
「少しでも練習について行けるように頑張ります」
遥と蓮は矢取りを終え、道場を整える。お互いに学校の朝練があるからだ。
「ーーーーじゃあ、また明日な」
「うん、また明日ね」
繋いでいた手を離し、名残惜しそうにしつつも、それぞれ弓道部へと向かった。
道場に着くと常連の翔に加え、和馬、雅人、奈美、真由子の未経験者組が引いていた。
四射三中と四射一中の的が続けて並ぶ。ようやく正規練習が出来るようになり、残念や掃き矢が出にくくなったのは四人の成果である。
遥が感心した様子で眺めていると、残りのチームメイトが揃った。
「ーーーーすごいですね……」
そう呟いた遥に、北川は四人の射形と彼女を見比べる。
「ハルちゃんは綺麗な射形だから、みんなのいいお手本になってるかもね」
「……そんな……上手な人は、たくさんいますよ……」
北川は微笑むと、着替えるよう促した。
変わらずに弓を引く遥に視線が向けられる。自身が否定しようとも、副部長の言っていた事は事実だ。
綺麗な射形を自然と目で追ってしまうのだろう。仲間の手はほとんど止まっていたが、彼女は変わらずに弓に触れていた。
「明日から一泊二日で、風颯学園にお世話になります。挨拶を常に心がけて下さい」
『はい!』
藤澤の呼びかけに応える瞳は不安よりも期待が強いと、誰の目から見ても明らかだ。そんな部員を藤澤は頼もしく感じながらも、懐かしさを覚えていた。
「明日は、この用紙のとおり風颯学園のある最寄り駅に八時に集合だから、遅れないように!」
最後はきちんと部長が締めて、いつもより早めの解散となった。
「この最寄り駅って、遥の帰ってる方向だよな?」
「うん、私の最寄り駅だよ」
電車通学の四人は、いつも通り駅まで歩きながら話しているが、話題になるのは明日の事ばかりだ。
「どんな学校なんだろう? 部員多そうだよねー」
「……部員は、男女合わせれば五十人以上いるんじゃないかな?」
「すごいなーー」
「私も、高等部はあんまり行ったことないけどね……明日、部長に聞くといいよ」
「絶対、話しかける!」
意気込む陵に微笑むと、明日から始まる合同練習に心躍らせていた。
遥は早朝から通い慣れた道場に来ていた。二つ用意した的のうち、一つには矢が中っている。
蓮が静かに道場に入ると弦音が響く。彼女が八射皆中を決めると、彼も隣で引き始めた。
視線を通わせながらも、お互いが終わるのを待つ。
たった数分が二人にとって居心地がよく、続いて欲しいと願ってしまう時間だ。
「おはよう、蓮…………今日は、遅くまでいいの?」
「うん、今日は清澄が来るから、俺達は八時に道場集合」
「私も八時に駅前集合だよ」
「遥、学校から遠くなってるじゃん」
蓮は可笑しそうに笑っている。
「それ、みっちゃんにも言われたー」
「やっぱり! 満なら、俺と一緒に登校した方が早いって言いそうだな」
「それも言われたよー」
取り留めない話を終えると、もう八射ずつ的に中ていく。
梅雨晴れの空に弦音の心地よい音が響き、視線が交わる。
「今日から二日間、遥の射が間近で見れるの楽しみにしてるな」
「うん……」
蓮に優しく抱きしめられ、そっと唇が重なる。
「…………また後でな」
「……うん…………」
額を寄せ合い、合同練習に向けて動き始めていた。
風颯学園高等部と逆方向になる最寄り駅に、制服姿の遥は弓具に一泊二日分の荷物を持って向かう。
駅前に着くと、大石部長、北川副部長に藤澤先生の三人が、一年生の到着を待っていた。
「おはようございます」
元気よく挨拶をすると、部長にさっそく突っ込まれる。
「ハルは、もしかして……現地集合のが近かった?」
駅の改札から出て来ていない為、彼女の最寄り駅がここだという事は明白である。
「いえ、さすがに……現地で一人はイヤです」
その反応に二年生が笑っていると、電車がちょうど来たのだろう。残りの一年生が一斉に集まった。
「ーーーーでは、十人揃ったので向かいましょうか」
『はい!!』
藤澤を先頭にして学園までの道のりを横二列になりながら向かう間も、ほどよい緊張感からか無言になる事がなく進んでいく。
そんな十人になったばかりの弓道部を藤澤は確実に成長していると感じながら、この合同練習が良い刺激になる事を期待していた。
風颯学園高等部に着くと、職員室で挨拶を済ませ、弓道部顧問の一ノ瀬に案内される形で道場に向かう。
入るなり雰囲気が一変し圧倒される。清澄高等学校より広い境内や整った設備に声が出ない。想像していたよりも広く、知っていたとはいえ大所帯だ。
すでに参加する部員が袴に着替え、清澄を出迎えていた。風颯は強制参加ではないが、ほぼ全部員が参加している。
仮に一人や二人抜けたくらいでは影響がない程に選手の層が厚い。
「おはようございます。コーチの良知です。今日から二日間よろしくお願いします」
『よろしくお願いします!!』
清澄弓道部が勢いよく応えると、続けて顧問の一ノ瀬が声をかけた。
「三年生は引退して、二年生が部長と副部長になったと、藤澤先生より伺っています」
「はい、部長の大石です」
「副部長の北川です。よろしくお願いします」
「では、これから副部長の佐々木と部長の神山にそれぞれ更衣室などを案内させますので、よろしくお願いします」
『はい!』
更衣室は道場内で男女別左右に分かれていた。また、今日寝泊まり出来る場所や夕飯等の説明を一通り受けると、再び場内の更衣室に戻り袴姿になる。
清澄の面々は、広い場内と整った設備に終始押され気味だ。
全員揃った所で良知コーチが説明を始める中、藤澤は部員の様子を見守りながらも、一ノ瀬と先生同士で話し合っていたが、部員たちは目の前の事に精一杯だ。手に取るように分かる緊張感と高揚感のせめぎ合いは何処か懐かしい。練習内容について敢えて伝えなかった効果もあるだろう。
「弓道を高校から始めた者と経験者に分かれて、それぞれ風颯でも行なっている練習に参加して貰います」
「それでは、経験者はこちらにお願いします」
満が手を挙げ、経験者の六人を誘導した。残った初心者組はコーチが直々に指導するようだ。
「ーーーー改めて、部長の神山です。今日から二日間よろしくお願いします」
『よろしくお願いします』
「清澄は自由練習が主流だと伺っているので、今日はこれから実戦練習を行います。試合同様、一人四射ずつ引いて順位も決めるので、そのつもりでお願いします」
『はい』
「まずは風颯がやって見せますので、一年生ーー!」
大きめの声で部員を呼ぶと、男女合わせて十五名程が横一列に並ぶ。遥を知っている者もいるようだが部活中の為、騒ぐ者は一人もいない。
「人数が多いから……最初は、四射二中以上だった六人だけ前に」
満の声を合図に、場内から向かって右側にいる人から一本ずつ順番に引いていく。その試合さながらの光景に、六人は瞳を輝かせていた。
四射終わると、満がまた説明を続けていく。
「ーーーーこのように行なっていきますが、何か質問はありますか? 特になければ、次は清澄が引いてみますか?」
『はい!!』
特に陵と翔が食い気味に返事をしたのは言うまでもない。
六人は先程の一年生を真似て、的を正面に男女交互に立った。右から大石、北川、陵、美樹、翔、遥の順に並ぶと、大石の矢が的に中る。
順番に引いていく中、最後の遥が皆中を決める音が響く。
「ーーーーーーーー見事だな……」
満から思わず本音を漏れる。
四射四中を決めたのは、彼女だけだったからだ。
矢取りを先程引いていない一年生に頼むと、気を取り直すように声を張った。
「では、次は二年な」
男女混合で並ぶ中、蓮は一番右端に立っていた。ここ最近、彼は大前をやる事が多い為、さらに実戦的な練習と言えるだろう。
彼の放った矢は、吸い込まれるように中っていく。
強豪校は伊達ではない。四射皆中を決めた者が二人いた。蓮ともう一人の二年生レギュラー、佐野だ。
「やっぱり、すごいな……」
そう呟いた陵は羨望の眼差しを向けていた。
今、引いていた二年生は全員、四射二中以上と、これが県大会予選なら、次の試合に全員が進める事になるからだ。
矢取りが終わると、三年生が的の前に並ぶ。副部長の佐々木は右端、部長の満は左端で引いている。
自分の練習をしていた部員も、部長達が弓を引く姿に思わず視線を移す。
佐々木、満、そして県大会三位だった土屋が、四射皆中を決め、残りのメンバーも二年生と同様に四射二中以上だ。
「次は四射とも中った蓮、遥、春馬、佐々木の順に右から並んでくれ」
急に名前を呼ばれ慌てて応えると、直ぐに立ち上がり列に加わる。
蓮が中ると、遥の番だ。彼女の弓を引く瞬間を清澄の五人は緊張感のある中、見守っていた。
カンと心地よい音を響かせていく。
その後も彼女の射形が崩れる事はなく、四射皆中で残ったのは、蓮、遥、春馬。そして、満の四人だった。
「それじゃあ、最後はこの四人でまた四射引くので、射形が自分とどう違うのか見ておくように」
『はい!!』
風颯だけでなく、清澄の五人もはっきりとした口調で応えた。
満が『見ておくように』と言った為、先程よりも強い視線を背中に受けながら引いていく。
蓮が射ると、その流れに続くように遥、春馬、満の三人も順当に中っていく。
先程と合わせれば、十二射連続で皆中している事になるが、まだ誰も外しそうにない。
「みんな調子いいな。もう四射追加で、的は中央の四つを使うから、これが終わったら一年、矢取りお願いな」
『はい!』
四人が右へ移動し中央の的まで来ると、見ていた部員達も後を追うように移動していく。
遥は緊張感のある中、深く息を吐き出していた。
「並び順はどうする?」
尋ねた春馬は何処か楽しそうだ。
「せっかくだから、さっきと変えてみるか?」
「さすが部長! じゃあ、リクエストしてもいい?」
「みんなが了承すれば別にいいけど、時間足りなくなるから早くな」
「分かってるって。右から満、蓮、俺で……ラストがハルは?」
試合ではないが、この面子だとプレッシャーのかかる位置にハル。
俺の後に蓮か…………それにこの立ち順だと、最初の俺にも、的中率のいい俺達の後の春馬自身にも、大なり小なりプレッシャーがかかるか……
満はプレッシャーが特にかかるであろう二人の身を案じたが、同時に射形が何処まで保てるか見てみたいとも思っていた。
「……蓮と遥は、これでいいか?」
「はい」 「構いません」
春馬の意図が分かったのか、二人も変わらずに応えた。
四人が的の前に並び、弓を引く。一本、また一本と、中る音が響いていく。
プレッシャーに打ち勝つかのように、一本目は全員が的に中った。
結果は、春馬を除く三人が四射四中で、二十射連続で皆中を決めたのだ。
「あーー、一本外したーー」
「言い出したのは春馬だろ?」
「だって、満が注目させるからさーー、ちょっと試合の空気感ぽいの出てて、面白そうだっただろ?」
「はいはい。それじゃあ矢取り終わったら、男女別に分かれて、試合のように五人一組でまた四射引くのを繰り返して行くからなー」
清澄は男女別になると三人ずつになってしまう為、大石が支持を仰ごうとするが、直ぐに応えが返ってきた。
「清澄の男子は春馬と佐野が入って、女子は佐々木と伊藤と木村が入って五人な」
レギュラーメンバーが清澄と組む事で騒がしくなるが、部長の一言で静寂に戻る。
「清澄にはうちの強いメンバーと組んで、自分の射だけでなく、隣の射形をよく観察してほしいっていうコーチの意向だ」
部長の指示通り、清澄と風颯は交互になるように的の前に並ぶ。
「そっちの男子は大石部長と春馬に、女子は北川さんと佐々木に任せるから頼んだ! ちゃんと記録もつけて、一人十二射は必ず引くように!」
満は蓮と遥を連れて移動している為、春馬が声をかけた。
「満達はーー?」
「俺達は右端の的で競射をするから、選抜以外の一年はこっちに集まってくれー」
『はい!』
残された陵と翔は、その後姿を見つめていた。
「見たかったーー」
素直に口にした春馬は、二人の視線に気づいたのだろう。競射と聞いて、食指が湧かないはずがないのだ。
「ボヤかない。これが終わったら、お昼だから頑張りましょう」
佐々木が和やかに告げると収まり、男女別に五人のチームを学年を混ぜて四組つくり、引いていった。
「みっちゃ……満、競射って?」
名前を呼びにくそうにする遥に、兄は頬を緩ませ話を続ける。
「じゃあ、二日間だけ満な。さっきの二十射の後で、どれだけ正確に弓が引けるか見るのと、一年生に射形を見てもらう為だな。清澄の子にもな」
コーチの元には、清澄の未経験者組が姿勢を正したまま座っていた。指導を終え、ひと段落着いたようだ。
「最後まで残ったメンバーと一年生を連れてきました」
「お疲れさま。では満、松風、遥さんの順に右から並んで下さい」
良知指導の元、三人は的前に立つと、弓を満から順に引いていく。
一年生と清澄の四人にとっては、お手本のような射形を見る良い機会だか、弓を引く三人にとっては緊張感のある練習方法である。
そんな中でも、三人はいつもと変わらずに引いていた。
三射終え、三人の的には三本ずつ矢が中っている。このまま続けると、その場にいた誰もが思っていたはずだが、良知コーチが口を挟んだ。
「ーーーーそれでは、四射目を中白に皆中して下さい」
ここまで矢を二十三射引いて、ど真ん中に当たる確率が、いつもよりも低くなっている事は、的を見れば明らかである。それでも、あえて言ってくるコーチに対し、応えは決まっていた。
ーーーーーーーー落ち着いて引けば、出来る……
それは彼らが今まで弓道と真剣に向き合い、弓に触れない日がない程、努力を続けてきた事からくる自信だった。
「いきます」
満が声を出し、状態を整え弓を引くと、中央の白い円の中に矢が中る。その勢いに続くかのように、蓮と遥も皆中するが、矢取りの際に自分の的を確認すると、ど真ん中に当たっていたのは満だけであった。
「枠内だけど、満部長に比べると僅かに中心から、ずれてるな……」
「うん……」
「今回は俺が一位で、蓮と遥が同率二位だな」
ようやくここで、順位を決めると言われていた事を思い出したのだろう。二人は顔を見合わせ、笑い合う。
「満達も片付けたら、お昼ですからね」
コーチの声に揃って元気よく応える。
『はい!』
コーチが遠ざかると同時に大きく息を吐き出すと、蓮と満はクスクスと笑っている。
「緊張したーー……」
「あんだけ引いといて、本当ハルは変わってないよな」
「それとこれとは別なの。あんなに間近で見られてたら緊張するでしょ?」
「まぁーな」 「あぁー」
この返事に心がこもってないのは明らかだ。二人にとっては射形を見せるのも、競い合うのも、日常なのだから。
「じゃあ、ハルも制服に着替えたら時計の下に集合な」
『はーい』
場内の部員は三人しかいない為、満もいつもの口調戻っていた。
カフェテリアにはカレーの良い香りが漂っている。清澄と風颯で分かれる事はなく、チームを組んだもの同士、先程まで満達の射形を見ていたもの同士で、テーブルにつき楽しそうに会話をしているのが目に入った。
「じゃあ、俺達も久々に三人で食べるか」
「うん」
「遥、トレイ忘れてる」
「ありがとう」
右隣に並ぶ蓮からトレイを受けとり、カレーとサラダをのせ、並んで席に着く。
『いただきます』
三人が仲良く両手を合わせ食べ始めると、春馬と佐々木が報告に来た。
「コーチにも渡したけど、これが順位表ね」
「佐々木、ありがとう」
満は用紙を受け取ると、食べながらも部長の仕事をこなす。
「ーーーーで? 満達の順位は?」
率直に聞いてきた春馬に、蓮が応える。
「部長が一位。俺と遥が同率二位」
「はぁーー、今日は満かーー」
春馬の反応に、遥は右隣に座る彼に話しかけた。
「蓮は……いつも、この練習してるの?」
「うん、週一くらいでやってるな」
「すごいね……」
二人の会話に春馬が入ってくる。
「午後はさっきの順位を元にトーナメントやるっぽいぞ」
「それは楽しそうですね」
「ハルなら、そう言うと思ったよーー」
話ながらも食事は進んでいく。
「そういえば、ハルの学校の制服始めて見たな。セーラー服って、いいよなー」
「土屋先輩……基本、パーソナルスペース近いですよね?」
「褒めてる?」
「褒めてないです。ほら、佐々木先輩が呼んでますよ?」
「ハルちゃん、ありがとう」
佐々木の変わらない笑顔に、遥は癒されたようだ。
「……会うのは二年ぶり近くなるけど……佐々木先輩、優しいよね」
「遥は先輩を慕ってたからな」
先に食べ終えた蓮は、遥の髪が耳から落ちてきている事に気づき、そっと耳にかけた。
「髪の毛まで食うなよ?」
「うん、ありがとう」
その一部始終を側で見ていた満の方が、にやけてしまいそうになるような仕草だった。
「午後二時から男女別に分かれて、個人戦を行います」
カフェテリア中央に、藤澤先生、一ノ瀬先生、良知コーチの三人と共に、両校の部長が揃っていた。
「まずは女子から始めますので、二時には着替え、道場に集合して下さい」
大石部長が声を張る姿に、清澄の面々は心の中でエールを送っていると、続きを満が話していく。
「決勝は男女同時に行います。男子も二時には着替え、場外の見学スペースで、見学と矢取りをするように。先程、別メニューだった一年生は、コーチから支持があるので、着替えたら時計の下に集合して下さい」
部長達が話し終えると、一ノ瀬が補足した。
「試合なので、最初は四射三中以上。次の四射は一回目の本数と合わせて六中以上の者が、決勝に残れます。先程の順位と本数を参考に、県大より厳しい基準にしてありますが、どんな時も同じ射形を維持出来るようにしていきましょう」
『はい!』
試合参加の清澄メンバーは、調子が良い時は四射三中だが、それがいつも出来るかとそうでないかで、勝敗は分かれるのだ。
「藤澤先生は、なかなか面白いことを考えますね」
「そうですか? これは、ある意味賭けですね」
「賭けですか?」
「ええ、あの子達が練習とはいえ、四射三中を試合で二回出せるかどうかです」
両校の顧問は、場内の簡易の椅子に腰掛けながら、交流を深めていた。
「ーーーー始まりますね」
一ノ瀬の言葉に、藤澤は笑みを浮かべる。
「はい……楽しみです」
試合のように番号札を袴につけ、十一名が的を正面にして立つ。一組目には十番をつけた美樹がいた。
緊張感が伝わってくるのを、遥は肌で感じていた。
息を大きく吐き出した美樹は、先程まで一緒に引いていた佐々木のフォームを思い浮かべて引く。
美樹の矢が中ると、場外では清澄の男子三人が静かに喜んでいた。
一組十番の美樹、二組十三番の北川は共に四射三中で、次に進める事になった。
藤澤も二人の安定してきた射形を喜んでいた。
「次、遥さんが出ますね」
「……ご存知だったんですか?」
「勿論、神山兄妹は昔から有名でしたからね」
「そうですか」
「ーーーー彼女……少し変わりましたね。中等部の頃から射形の綺麗な子でしたが、時々思い詰めて引く事があって、気になってはいたんです…………良い弓引きになりましたね」
「はい……遥さんに憧れて、弓道を始めた子がいるくらいですから」
藤澤の視線がコーチの方に向けられると、すぐ近くに清澄の四人がいた。真剣に彼女の射を見つめている姿が、一ノ瀬にも映っていた。
三組二十九番。遥は一番最後に引く順番だ。
三組目は四射三中を確実に決める者しかいない組合せの為、四射四中を決める者もいる。
いつもと変わらない射形で弓を引くと、的の中心に中っていく。彼女も四射皆中で次も引ける事になった。
「次で、決勝に残れるか決まるな」
「大石先輩、三人とも残ってますね」
「そうだな……四射三中か」
「俺達も残りましょうね」
珍しくはっきりとした口調の翔に、大石は驚きながらも心強く感じた。
「……必ずな」
矢取りが済むと、四射三中を決めた十五人が弓道場の的を全て使って並んでいる。
一番右端の人から順番に一本ずつ引いていく。流石は強豪と言うべきか、的に中る音が響く。
十番の美樹は四射三中、十三番の北川も四射三中。二十九番の遥も先程に続き四射皆中を出し、清澄は三人揃って決勝進出を決めたのだ。
場外では、その姿を見ていたチームメイトが抱き合っていた。
先程と入れ替わり男子の一組目が始まった。十八番の大石は二組目。二十二番の陵と二十三番の翔は三組目の出番だ。
矢取りが終わると、大石が弓を引く番が来た。
遥はその射形で、必ず中ると直感した。いつも重心がずれ気味の射形が、少しも乱れていなかったからだ。
「午前中の練習の成果ですね」
「そうだね。今日、ここへ来れて良かったぁーー」
北川の言葉に、美樹と遥は頷いていた。
十八番の大石、二十二番の陵、二十三番の翔が四射三中で順当に残り、三人とも女子同様に決勝進出が決まったのだ。
清澄女子の三人は矢取りを手伝いながら、六人とも決勝まで残れた事を喜んでいた。
「決勝は競射を行います。まず四射用意しますが、外した時点で抜けて貰います。そして、残った男女で最後は合同の競射を行います」
『はい』
決勝まで残ったのは女子十一名、男子十五名。出場するメンバーは場内に戻っている。
先程より背後の視線が多い中、女子から先に的を正面にして並ぶと、一射目が始まった。
一射で二人外れ、二射で三人、三射で二人と徐々に弓を引く人数が減っていく。
四射目まで残ったのは、佐々木副部長、遥、美樹を含めた四人だ。
北川は二射目で外した為、二人の射形をチームメイトと一緒に見守っていた。
弦音が響き、的に中ったのは二射。
佐々木と遥の二人だけだ。
練習とはいえ、初めての決勝に美樹はここまで来られた事を喜んでいたが、同時にもっと引きたいと貪欲に思う自分に気づかされていた。
チームメイトの勇姿を見た男子も気合いを入れ、清澄の六人でハイタッチを軽く交わすと、自分の位置に進んでいく。
一射で外す者はいないが、二射で三人、三射で五人と、弓を引く度に減っていく。四射目まで残ったのは、風颯の団体戦メンバーの五人と陵、翔を合わせた七人だ。
三人が見守る中、的に中ったのは、満、春馬、蓮の風颯団体メンバーの五名中三名と陵、翔の大会五位までの入賞者だけだ。
三射目で外した大石は、後輩の活躍を頼もしいと思うと同時に、美樹のような貪欲な思いを感じているようだった。
「ーーーーそれでは、また競射を行いますが、今回は本数を決めません。自分が出来る所まで引き続けて下さい」
一ノ瀬がルール説明し、立ち位置はくじ引きで決める事になった。
右端から春馬、翔、蓮、遥、満、佐々木、陵の順に規則正しく並び、春馬の一射目が始まった。
的に中る音が次々と響き、一射、二射、三射と外す者はいない。四射目で佐々木と陵が外し、残り五名で競う。
矢取りが済むと残った五名は姿勢を正し、また弓を引く。
六射で翔、七射で春馬が外すと、午前中と同じ三人が残った。
八射目も外す事なく決めると、矢取りはせずに新しい的へ移動し、更に弓を引く。
遥は弓を引きながら弓道を始めた日を想い出していた。
九、十、十一射と一人も欠ける事なく、十二射目を迎えると、 弦音が二射で止んだ。満が僅かに的から外したのだ。
満が大きく息を吐き出すと、同時に緊張感から開放された蓮と遥に、良知がすかさず声をかける。
「では、残った松風と遥さんは、午前中にもやった皆中を出して下さい。中心点に近い方の優勝とします」
『……はい』
二人は気持ちを切り替えるように声を出した。
蓮の弦音が響き、遥もいつもの射形を整えて引く。
揃って皆中だったが矢取りをすると、遥の矢が蓮よりも僅かに中心に中っていた。
久しぶりの全力の練習に、遥は気力を使い果たしたかのようにその場にしゃがみ込んだ。
「ーーーー遥……お疲れさま……」
「…………蓮……」
優しく手を引いて遥を立たせると、場内に拍手が響く。
清澄のチームメイトは感動したようで、涙目になりながら遥に抱きついたり、頭を撫でたりしている。
満と蓮はいつものようにハイタッチをして握手を交わすと、お互いの健闘を称えあった。
「お疲れ、蓮」
「お疲れ、満部長!」
「久々に童心に帰ったなーー」
その言葉に、二人は静かに頷いていた。想い出していたのは遥だけではなかったのだ。
「それでは、優勝は神山遥さん。準優勝を松風蓮くん。三位を神山満部長とします。お疲れさまでした」
上位三名の発表を北川が終えると、一ノ瀬が引き継ぐ。
「みなさん、お疲れさまでした。夕飯はカフェテリアで十九時半までには済ませて下さい。各自部屋では自由行動ですが、道場は開放しませんので、引き足りない方はまた明日、存分に練習に励んで下さい。明日も八時には袴に着替え、ここに集合するようお願いします」
『はい!』
解散になり、清澄の部員は藤澤を囲む形で半円状になった。
「みなさん、お疲れさまでした。神山さん、優勝おめでとうございます」
「……ありがとうございます」
仲間から送られる拍手に照れた様子だ。
「明日はまた練習です。みなさんがこの合宿を経てどう変わっていくのか、私はとても楽しみです。今日はゆっくり休んで、明日また頑張りましょう」
『はい!』
部員の後姿を誇らしげに見つめる藤澤の姿があった。
風颯も同じように今日の反省会が終わると、優勝者の話題になる。
「神山遥さんって、部長の妹さんですか?」
「中等部はうちにいたんですよね?!」
「連覇してましたよね?」
外部から入部した者が次々と聞いてくる為、満は覚悟を決めて彼女を呼んだ。
「……満が呼んでるから、ちょっと行ってきますね」
「うん。ハルちゃんも着替えたら、カフェテリアに集合ね」
北川に応え、風颯の集まる場所に向かいつつも足取りは重い。あまりの部員の多さに行きにくいと感じ、無意識に尻込みしていたのだろう。立ち止まりそうになる右手を蓮が引っ張るようにして、満の元に連れていった。
「ーーーー神山遥は、俺の妹だ。明日も一日、よろしく頼むな」
「……清澄高等学校一年の神山遥です。ご挨拶が遅くなりましたが、明日もよろしくお願いします」
戸惑いながらも、清澄の部員としてしっかりと応えると、美しい所作に騒いでいた一同も静かになる。
「それでは……チームメイトが待っていますので、失礼します」
その場から逃れるように手早く着替えを済ませ、仲間の待つカフェテリアに向かう。
「さすがハル、満より部長向いてるなーー」
「おい!」
一部始終見ていた春馬が笑いを誘うと、和やかな雰囲気のまま一日目を終えるのだった。