僕が何かを書く理由
平成元年生まれ、平成28年1月10日現在26歳の僕。
人並みに生まれ、人並みに育ち、人並みに働いているが、皆さんと同じように僕は僕なりの人生を歩んできた。
その中で与えられたものや趣味もあれば、自分から進んで取り組み始めたこともある。
ただ、自分から進んで、と言えども何かしらのきっかけがあったはずで、既にありふれたものから選びとったに過ぎない。
それでも、何を選んで、何を選ばないか、その選択の有無がその人をその人らしく形成するのではないだろうか。
このエッセイシリーズは、「僕が○○を○○理由」というテーマをもとに、今まで選んできたことのきっかけを自分なりの言葉にしてみるものだ。
このことを記すことで、僕が僕らしく在り得る。
前置きが長くなったが、先ずは僕が「何かを書く」理由を考えてみたい。
何かを真剣に書き始めたのは大学に入ってからだが、その前段階に触れておく必要がある。
小学生の時。
僕には6学年離れた兄がおり、兄は中学受験を経験していた。
毎日のように塾に通い、母から厳しいことを言われながらも何とか私立中学に入った兄を見て、自分もそうしなくてはならないという勝手な使命感を抱いていた。
小学2~3年生の時から塾に通い始め、小学4年生から週4日ほど塾に通う日々が始まった。
母と兄は文系、父は理系であり、塾のテスト結果を見ても僕は明らかに理系と言われる成績を収めていた。
算数のテストは満点近く取れるのだが、国語の成績は毎回偏差値50前後で、国語の記述問題を満足に解けたことなどほぼなかった。
学年が上がるにつれ、国語に対する苦手意識が芽生え、時には授業を休むこともあった。
だが、ある日の授業でとてつもなく厳しかった国語の先生から
「このリストは、中学受験によくでる小説だから読んでおきなさい」
とプリントを渡された。
少しでも国語の成績をよくしたかった僕は、それまでほとんど本を読んだ経験がないというのにいくつかの本を手に取った。
その中にあった辻仁成の『そこに僕はいた』というエッセイ集に大いに心揺さぶられたのだ。
「国語が楽しくなった!」「成績がよくなった!」
などということは全くなかったのだが、そのエッセイ集に書かれていた辻少年の様々なエピソードが面白く、塾通いしている自分は何て平凡な人生を歩んでいるのだろうか、というぐらいにまで考えるようになった。
中学受験の結果、第一志望の中学には受からず、滑り止めのまあまあな学校に通うことになった。
その学校は小中高大一貫校であり、中学には受験組と内部組が役半々の割合でいた。
進学校でないことからも普段の授業のレベルは高いとは到底言えず、退屈な授業が続いていた。
けれども、辻仁成のエッセイ集を読んだ影響は思ったより強く、毎日乗る30分の通勤電車内ではいつも何かしらの本を読んでいた。
その中で知らず知らずに出会ったのが筒井康隆。
「あ、こんなふざけた面白い小説もあるのか」
と気づかされた。
SF作家としての筒井康隆ではなく、ユーモア作家としての筒井康隆の面に興味を惹かれていた。
学校の帰りで本を買ったり、図書館で適当に手に取った本を借りたりして、様々な小説を読むようになった。
そんな中で、衝撃的な出来事が起きたのだった。
綿矢りさ、金原ひとみの芥川賞W受賞である。
「こんな若い人でも芥川賞を取れるのか。それなら、俺も20歳ぐらいで取れるのかな」
高校の卒業アルバムで「10年後の自分に一言」を書く欄があって、そこには
「そろそろ芥川賞を取っていますか?」
と書いた気がする。
高校時代はプログラミングをやる部活に入り、数学・物理を履修しており、相変わらず典型的な理系であったはずだが、大学の学部は文学部を選択した。
理由は単純で、創作活動をしたかったから、更に言うなら芥川賞を取りたかったからである。
と言っても、小説などブログで2~3篇書いたぐらいで、まともな創作活動など全くしていなかった。
大学に入ってから本腰を入れて小説を書くつもりだった。
だが、想定外の嬉しい出来事が起きた。
大学に入って最初の専門的なゼミの先生が詩人であったのだ。
詩など全く興味なかったのだが、ある時、その先生が
「今度の土曜日に詩の朗読および講演会があるので、興味ある方がいたら来てみて下さい」
という紹介をした。
大学は学ぶ場所、少しでも学べるものがあれば足を運ぶ価値があると思い、その講演会に足を運んだ。
詩人、白石かずこ
今となってはその名前の偉大さを痛いほど理解しているが、当時はやたらお洒落なおばさまだとしか思わなかった。
それに、ゼミの学生は3~4人しか足を運んでおらず、100人は優に入れる会場には20人いたかどうかぐらいの人数しかいなかった。
それでもこの場所が僕に詩を書き始めるきっかけを与えたのは間違いない。
「卵のふる街」という詩の朗読。
(え、卵のふる街?意味が分からない…)
「私は三島由紀夫とラストダンスを踊ったのよ」
(え、詩人でもそんな夢のような出会いがあるのか…)
「聖なる淫者の季節」という詩の朗読。
(え、何このタイトル、詩って何でもありなのか…)
すっかり白石かずこの虜になった僕は、講演会終了後、わざわざ順番待ちまでして白石さんに質問をした。
「どうやったら詩を書けるようになりますか?」
その返事はものの見事に忘れてしまった。
ただ、その頃にはもう詩を書く気になっていた。
確かに翌日から詩を書き始めた。
詩のイベントに顔を出し始めた。
詩の先生の授業は繰返し参加した。
退屈な授業中には詩を書いていた。
卒業制作に詩集を綴った。
とにかく大学時代は詩を書きまくっていた。
いろいろな書き方を模索して、300篇ぐらいは書いた気がする。
さて、本題に戻る。
僕が「何かを書く」理由であるが、
一つは、恩返しである。
大学時代、詩を書くことの魅力を教えてくれた先生だけでなく、
僕にとっての詩人の先生は何人もいる。
僕のためだけに時間を割いて、詩のことを語り合った先生もいる。
そうした方たちのためにも詩を書き続け、
いつか先生たちのように立派になることで恩返しをしたい。
もう一つは、言葉を紡ぐことが苦手だからである。
文学部に入り、大学院に進学して文学研究科も修了した。
一般的に言えば、国語が出来る人だと思われるだろうが、
決してそんなことはないと思っている。
日本語も相変わらず不自由なところがある。
それに加え、僕は思ったことをあまり表に出さない。
というよりも、なかなか表に出せない。
誰かと会話するにしても7:3ぐらいの割合で相手方が喋ることが多いように感じている。
自分で言うのもなんだが、僕が人当たりよく相手の話を聞くのがうまいのか、人から悩み相談されることもある。
だからこそ、書くことによって、存分に自分を表に出すことができる。
国語ができなくても、詩は自由だから許される。
以上が「何かを書く」理由である。
思い立ったエッセイシリーズ、一つ目。
思いつきでテーマが生まれ、その一つ目にふさわしい内容になったのではないでしょうか。
次回以降に書きたい候補もいくつか挙がっているので、できれば間を開けずに二つ目を書いていきたいです。
久々に文章を書いたので、相変わらず不自由な日本語となっているかもしれないです…。




