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「たかが平民の女ごときにできたことが、このわたくし、エレオノーラにできないはずがありませんわ!」


傲慢な声が、人気のない別邸に響き渡った。


事の始まりは、数か月前に遡る。


平民出身でありながら精霊王に選ばれ、聖女となったマリー。


王立学園に入学するや否や、その愛らしい容姿と天使のような人柄で、瞬く間に大勢の人々の心を掴んだ。


誰に対しても優しく、思いやりに溢れ、困っている者がいれば必ず手を差し伸べる。


その姿は、まさしく聖女そのものだった。


もっとも、それはあくまでも表向きの話だったが。


元からそういう性格だったのか、それとも突然手にした力と地位に酔いしれてしまったのか。聖女という肩書きを笠に着たマリーは、次第にわがままな振る舞いを見せるようになっていった。


最初は、些細なことだった。


マリーは貴族社会の礼儀作法に疎かった。平民出身なのだから仕方のないことでもあり、当初は誰もが彼女の失敗を笑って見過ごしていた。


むしろ、そんな不慣れなところさえ純粋で愛らしいと褒める者までいたほどだ。


問題が起きたのは、マリーが自分の過ちを指摘されたときだった。


彼女に初めて礼儀作法を注意したのは、ほかでもないエレオノーラだった。


エレオノーラ・フォン・アルジェント。


王国でも指折りの権勢を誇るアルジェント公爵家の令嬢であり、王太子の婚約者でもある。


傲慢で誇り高い性格ではあったが、少なくとも自分がすべきことと、してはならないことの区別はついていた。


貴族としての義務を重んじ、それにふさわしい品格と教養を身につけるため、誰よりも努力を重ねてきた。


そんな彼女にとって、マリーの振る舞いは到底見過ごせるものではなかった。


「あなた、少々殿方との距離が近すぎるのではなくて?」


「えっ?」


マリーは目を丸くした。まるで生まれて初めて耳にする言葉だとでもいうような顔だった。


「えっ、ではありませんわ。今申し上げているのは、その振る舞いについてです」


エレオノーラは口元を隠していた扇でマリーを指し示した。


正確には、彼女の腕を。


マリーの隣には、すでに婚約者のいる侯爵家の跡取り息子が立っていた。マリーは彼の腕にしがみつくように身を寄せており、そんな光景が学園の廊下の真ん中で堂々と繰り広げられていた。


「わたくしの記憶違いでなければ、その方にはすでに婚約者がいらっしゃるはずですわ。それにもかかわらず、そのように身体を寄せて歩くなど、礼儀以前に常識の問題ではありませんか」


「エレオノーラ様、誤解です。私はただ、この方が具合を悪くされているように見えたので……」


「それならば、従者を呼べば済む話でしょう? 今回に限ったことではありませんわ。婚約者のいらっしゃる女性たちから不満の声が上がっていますし、困惑している殿方もいらっしゃいます。わたくしが代表して申し上げているのですから、今後はもう少しお気をつけくださいませ」


本来なら、それだけで済む話だった。


ところが、その日を境に、学園内ではエレオノーラに関する悪い噂が流れ始めた。


聖女に対して無礼な態度を取っただの、平民出身であることを理由に侮辱しただのという話だった。


エレオノーラは、そのような噂にいちいち取り合う価値など感じていなかった。しかし、同じようなことが何度も繰り返されるうちに、さすがにおかしいと思い始めた。


「おかしいと思いませんこと……?殿下もそうお考えになりませんか?」


「何がだい?」


「聖女マリーのことですわ」


エレオノーラの婚約者である王太子、シルヴィウスは眉間にわずかに皺を寄せ、手にしていたティーカップを置いた。


「またその話か。マリーのことなら、何度も話しただろう? 彼女は平民出身なのだから、貴族社会に慣れていないところもあるはずだ。少しくらい大目に見てやってはどうだろう」


「わたくしは、彼女の出自を問題にしたことなどございませんわ。ただ、彼女の振る舞いに問題があると申し上げているのです。殿下も以前は同じお考えだったと記憶しておりますけれど?」


「エリー、君の言いたいことは分かっているよ。ただ、マリーは聖女であり、王国にとって重要な人物だ。彼女の行動に問題があるとしても、もう少し慎重に対応する必要がある。君は彼女のこととなると、少し過敏になりすぎているように思うんだ」


「……」


少し前まで、シルヴィウスはマリーに対するエレオノーラの指摘に同意することが多かった。むしろ、エレオノーラよりも先に彼女への警戒心を露わにしていたのは、ほかでもない彼だったのだ。


ところが最近、シルヴィウスの態度は少しずつ変わり始めていた。


マリーの話を持ち出すたびに、どこか不快そうな顔をすることはあっても、以前のように彼女の行動を問題視することはなくなった。


それどころか、エレオノーラのほうが過剰に反応していると言わんばかりの態度を取ることさえあった。


「……そういうこともあるのかもしれませんわね。わたくし、用事を思い出しましたので、本日はこれで失礼いたしますわ」


どうにも腑に落ちない気持ちを抱えたまま、エレオノーラはそれ以上何も言わずに席を立った。


いつも理性的だった彼が、あんなことを言うなんて。見慣れない彼の態度に不安が胸をかすめたが、それ以上に強い怒りが込み上げてきた。


「あの忌々しい女狐……!まさか、わたくしの婚約者にまで手を出したというのですか?!」


扇を握る手に力がこもる。


みしり、と音を立てて扇の骨が歪んだが、今の彼女にとってはどうでもいいことだった。


マリー。


あの平民出身の聖女は、一体どこまで手を伸ばすつもりなのだろう。


エレオノーラの不安は、一か月も経たないうちに現実となり、彼女を追い詰めることになった。


王宮の庭園で開かれた茶会の最中、エレオノーラを見つけたマリーは、自ら歩み寄って声をかけてきた。


「エレオノーラ様、少しお話ししてもよろしいでしょうか?」


「何ですの?」


「あの……先日のことを謝りたくて。私、貴族社会に慣れていないものですから、エレオノーラ様を不快にさせるような振る舞いをしてしまったのではないかと思って……」


マリーは頭を下げた。周囲にいた人々はその様子を見守りながら、小声で何やら囁き合っている。


「それならば、今後お気をつけになればよいだけのことですわ。この場でわざわざ謝罪する必要まではございません」


「エレオノーラ様……私のことを許してはいただけないのでしょうか?」


「許すだなんて。何度も申し上げておりますけれど、わたくしは今後気をつけていただきたいとお伝えしただけですわ」


「で、でも……」


マリーの目元に涙が浮かんだ。


エレオノーラは小さくため息をついた。彼女は一体、何と言ってほしいのだろう。 とっくに終わったも同然の話をいつまでも蒸し返され、いい加減うんざりしていた。


「とにかく、謝罪は結構ですわ。それでは、わたくしはこれで……」


「きゃあああっ!」


マリーの悲鳴が庭園中に響き渡った。


瞬く間に周囲の視線が集まる。エレオノーラは足を止め、振り返った。


マリーは両手で顔を覆い、地面に座り込んでいた。まるで何かにひどく驚いたかのように肩を震わせ、その周囲にはティーカップの破片が散らばっている。


「マリー!」


真っ先に駆け寄ってきたのは、王太子シルヴィウスだった。彼はマリーの前に膝をつき、その肩を抱き寄せた。


「大丈夫かい?一体何があったんだ?」


「ご、ごめんなさい。私が悪かったんです……。エレオノーラ様が私のことを嫌っていらっしゃるのは分かっていましたけれど、それでも……」


「はあ?」


エレオノーラは呆れたように眉を吊り上げた。


「ちょっと、今のはどういう意味ですの? わたくしがあなたを嫌っていることと、たった今起きたことに、一体何の関係があるというのです?」


「エリー!」


シルヴィウスはマリーをかばうように前へ出て、エレオノーラを睨みつけた。マリーは彼の服の裾をぎゅっと握りしめ、今にも涙がこぼれそうな顔で彼を見上げていた。


「で、殿下……?今、わたくしに怒鳴られたのですか……?」


普段なら、エレオノーラに対してさえ声を荒らげることなど滅多になかった彼の怒りに満ちた声に、エレオノーラは本気で面食らってしまった。


「殿下、どうやら何か誤解なさっているようですわね。わたくしはただ、この場を立ち去ろうとしていただけです。マリー様には指一本触れておりませんわ」


「だが、マリーが……!」


「エ、エレオノーラ様が、マリー様の謝罪など必要ないとおっしゃったのです!」


傍らで様子を見ていた伯爵令嬢の一人が口を挟んだ。


彼女は確か、少し前まで自分の婚約者がマリーに夢中になっていると、エレオノーラに嘆いていた女性だったはずだ。


「わ、私も見ました!謝ろうと歩み寄ったマリー様を、エレオノーラ様がひどく責め立てていらっしゃいました!」


「そうですわ。マリー様は何度も謝っていらしたのに、それを受け入れようとなさらなかったではありませんか!」


「は、はあ……?!どうしてそういう話になるのですか!」


確かに、その場にいた者たちは一部始終を見ていたはずだった。 それなのに、彼らの口から出てくる証言は、なぜか揃いも揃ってエレオノーラにとって不利なものばかりだった。


「わたくしがいつマリー孃を責め立てたとおっしゃるのです?謝罪は必要ないので、今後気をつけてくださいと申し上げただけですわ。そもそも、謝罪を受け入れるかどうかはわたくしの自由ではありませんこと?まさか、聖女だからという理由だけで、誰もがあなたの謝罪を受け入れなければならないとお考えなのではありませんわよね?」


「エリー!もうやめるんだ!」


「シルヴィウス様、エレオノーラ様……。どうか、私のせいで争わないでください。私が悪いのですから。私がもう少し気をつけていれば……」


「マリー、君は悪くないよ」


シルヴィウスは彼女の手を取った。


その瞬間、エレオノーラははっきりと目にした。


マリーの口元に、ほんのかすかな笑みが浮かんだのを。


涙に濡れた睫毛の下から、彼女はエレオノーラを見つめていた。まるで勝利を確信した者のように。


……なるほど。


エレオノーラはゆっくりと扇を閉じた。


ようやく分かった。


「……分かりましたわ」


「エリー?」


「今日はこれで失礼いたします。殿下も、どうか聖女様を大切になさってくださいませ」


エレオノーラは優雅にスカートの裾を持ち上げた。


「どうか今後は、転ぶ際には周囲に人がいないかどうか、よくお確かめくださいませ。誰かが犯人に仕立て上げられてしまっては困りますもの」


「エリー!」


背後からシルヴィウスの怒鳴り声が聞こえたが、彼女は振り返らなかった。


その日を境に、エレオノーラの状況は急速に悪化していった。


そして気がつけば、聖女への侮辱や嫌がらせに始まり、窃盗、果ては聖女に対する毒殺未遂まで、ありとあらゆる罪を着せられていた。


「ちょっと!最後のものは一体何なのですか?! 毒殺などしておりませんわ!!ほかの罪はともかく、窃盗と毒殺は完全な冤罪ではありませんか!」


次々と罪状を突きつけられ、王宮へ召喚される最中でさえ、エレオノーラは声を張り上げていた。


もともと傲慢で誇り高い性格ゆえ、普段から敵を作りやすく、相手の非を指摘する際にも、わざわざ柔らかな言葉を選ぶような性分ではなかった。


だからといって、身に覚えのない罪まで背負わされる理由にはならない。


しかし、そんなエレオノーラの訴えにもかかわらず、王宮の謁見の間は冷え切った空気に包まれていた。


彼女は拘束されたまま、事実上すでに罪人として扱われていた。


「エレオノーラ・フォン・アルジェント」


国王の声が謁見の間に響き渡る。


「そなたは聖女マリーに幾度となく侮辱を加え、その名誉を傷つけた。さらに、王室所有の宝石を盗み、あまつさえ聖女の飲む茶に毒を混入し、その命を狙った。このすべての罪状について、何か申し開きはあるか?」


「ですから、やっていないと申し上げているではありませんか!毒殺など企てたこともありませんし、宝石を盗んだとはどういうことですの?!わたくしをこそ泥扱いするなんて!」


「エレオノーラ。王の御前でその無礼な態度は慎め」


「お父様まで!」


エレオノーラは、自分に向かって厳しい言葉を投げかけた父親を見た。


アルジェント公爵は険しい表情で彼女を見下ろしていた。普段なら、娘の味方となって国王に直接抗議してくれるはずの人だった。


その父親でさえ、今は沈黙を守っていた。


「これ以上、聞く価値もない」

国王は疲れたようにこめかみを揉んだ。


「そなたの罪は決して軽くない。特に、聖女に対する毒殺未遂は王国全体の安寧を脅かす大罪である」


「ですから、それはわたくしがしたことではないと申し上げているでしょう!」


「そなたの屋敷から発見された毒薬と、聖女のティーカップから検出された成分が一致したとの報告が上がっている。さらに、そなたに仕えていた侍女たちも、そなたがマリーに危害を加えようとしていたと証言している」


「そんなはずは……!」


「よって、エレオノーラ・フォン・アルジェントに処罰を言い渡す。聖女が爵位の剥奪までは望んでおらぬため、その意向を汲み、そなたの爵位はそのままとする。しかし、もはや王都に留まる資格はない。王室の管轄下にある北部の小領地へ移り住み、そこで生涯をかけて己の罪を悔いるがよい。当然ながら、我が息子シルヴィウスとの婚約も破棄とする」


判決が下された後、エレオノーラは王宮の別邸に監禁された。


正確には、北部の領地へ移送されるまでの間、仮の滞在先として用意された場所だった。外部との接触は禁止され、侍女たちもすべて入れ替えられた。彼女の部屋の前には、二人の騎士が交代で見張りに立っていた。


「こんなの、あまりにもひどい仕打ちではありませんこと?!信じられませんわ!このわたくし、エレオノーラにこんな扱いをするなんて……!どう考えても納得できませんわ。毒殺だなんて!毒殺だなんて?!」


彼女は怒りに任せてクッションを投げつけた。


「そもそも、あの毒薬は一体どこから出てきたのです? わたくしの侍女たちは、何を考えてあんな証言をしたのですか?!お父様はどうして何もおっしゃらなかったのです!」


答えてくれる者は誰もいなかった。


エレオノーラはしばらくの間、怒りに肩を震わせていた。


「……すべて、あの女狐のせいですわ。あの女が仕組んだことに決まっています……!本当に、どいつもこいつも、あんな取るに足らない平民の女にたぶらかされて! あの女がしたことといえば、精霊王に選ばれたことと、男たちを誘惑したことくらいではありませんの……!!」


ふと、エレオノーラは顔を上げた。


「……そうですわ」


マリーがしたことは、別に特別なことではなかった。


ただ精霊王に選ばれ、男たちを誘惑して味方につけ、自分に都合のいいように涙を流して同情を買っただけ。


「ふ、ふふ……ふふふ……!そういうことでしたのね……!」


エレオノーラはゆっくりと立ち上がった。


その口元には、いつの間にか奇妙な笑みが浮かんでいた。つい先ほどまで怒りに歪んでいた顔とは思えないほど穏やかで……いや、むしろ何か悪巧みを思いついたかのような表情だった。


「あの女がしたようにすればいいではありませんか! なんて簡単なことだったのでしょう!」


精霊王に選ばれる。男たちを味方につける。人々の前で涙を流し、同情を誘う。


たったそれだけのことで、一国の貴族社会を揺るがすことができたというのだから、呆れるほかない。


「あの平民の女ごときにできたことが、このわたくしにできないはずがありませんわ!」


自分を迎えに来る馬車が到着するのは、建国記念祭の日。まだ一週間もの時間が残されていた。


なんと、一週間も猶予があるのだ。


「別邸に閉じ込めて見張りまでつけたからといって、わたくしが大人しく追放されるとでもお思いになったのかしら?おほほ!一週間も時間をくださるなんて、油断にもほどがありますわ!建国記念祭の日には、あの偽善者の仮面をすっかり剥がして差し上げます!その場で首を刎ねておかなかったことを、後悔させてやりますわ!」


エレオノーラは、自信に満ちた笑い声を上げた。

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なんかバカ可愛いよエレオノーラ様
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