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薔薇と百合  作者: 黒澤 白
薔薇 そうび

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18/18

姫様の御側室

元木さん、宗形家にやってくるの回

「こたびお迎えする御方のことは、姫様の御側室と思え。家のものにはそう云っておけ」

 宗形家の当主、阿門様の祖父である大旦那様は、執事の藤田さんに、そのように仰ったとか。

 阿門様は冴にそんな話をして笑った。

「聡子とあの娘の心中騒ぎを、じっさまは知らない。しかし家で働く人間はみんな知ってるらしい。使用人一同にどう説明すべきか。藤田は頭は悩ませている」

 この時阿門様と冴は、ともに黒い乗馬服を着ていた。

 大正元年頃の女性の乗馬服は、男性の乗馬服にだいぶ近くなってきたが。下半分には違いがある。キュロットをはき、その上に膝下くらいまでのスカートが広がっている。天興元年の女性の乗馬服も同様のものらしく、冴もそんな服を着ていた。

 二人は厩の前で上着を脱いで、馬にブラシをかけていた。

 冴は顔を顰めて云った。

「姫様のご側室など。聞いたことがない言葉です」

 阿門様は愉快そうに云った。

「男を真面目な顔で姫様なんて呼ぶのは、我が一族だけだろう」

 二人の言葉に、私も大きく頷いた。


「聡子とあの娘との心中騒動を知ったら。じっさまはどんな顔をするかな」

「蓮實のおじさまとおばさまにも、おじい様にも。蓮様が悪く思われないでしょうか」

「一族に「玉依姫」をどうこうしようとする奴はいないだろうが。姫があまりに目ざわりだと、「譲位」を迫られる可能性はあるかもしれんな」

「そんな前例がありますの?」

「ああ」

「そんなことになったら、蓮様はどうなりますの?」

「この家からは追い出されるだろうな。まぁ、そうなれば。おかしな役目からは解放されるわけだが」

「蓮様にとっては、そのほうが良いと?」

「自由の身にはしてやりたいが。生きていくには金がいる。今そうなっても、俺にあいつを助ける力がない。そこが問題だ」


「お兄様と蓮様が寝室をともにしていることを、おじい様は良く思っていらっしゃらないみたい」

「俺たちが伴侶というのは形だけのこと。そうでなければならないと。俺と蓮に、よく釘をさす。俺たちの様子を、木村に見張らせてる」

「お二人を見張っているのですか。木村さんが?」

「御命令だからと見張ってはいるが。じっさまが何を気にしているのか。不思議に思っている様子だ。薩摩には衆道に熱いものが多いらしい。あいつも多分、美少年の後輩に熱をあげてた口だな」

「衆道など薄気味が悪い風習だ。おじい様はそう仰いました。欧州や亜米利加《あめりか》では、病気の一種で、異常な行為とされていると伺いました。そうなのですか」

「かつては罪であっても、異常ではなかった。国力は人口に比例する。そんな考えが広まった結果かな」

「子供に恵まれない御夫婦も、珍しくはございませんのに」

「俺と蓮以外の人間がいる場所で、俺との結婚について望むことを口に出すなよ。あの人の耳に入ったら、実家に戻されるかもしれないぞ」


 一緒に馬の世話をしながら語り合う二人は、ずいぶん打ち解けてきたように見えた。

 この屋敷の馬に乗りたい。この家に移り住んだ翌日。冴は蓮様にそう頼んだらしい。

 けれどその場には大旦那様がいて、優しくこう云ったそうだ。

「この宗形家の嫁が。女だてらに馬にまたがるのは感心できんな」

 蓮様は冴に、こっそり云ったらしい。

 そのうちなんとかするから。少しの間我慢しなさい。

 しかしこの日の前日の夕方、冴は公爵をおともに、庭を散歩した。その最中に、厩を発見。厩で馬を見たら、どうしても馬に乗りたくなったようだ。

 厩から洋館に戻ったとき、玄関先で鉢合わせた阿門様に、冴はその気持ちを訴えた。

「お兄様。私、あの綺麗な白馬に乗りたいのです!」

「乗りたきゃ乗れ」

 阿門様はあっさりそう云った。

「おじい様に止められました!」と冴が云えば、こう云った。

「じゃあ。明日俺が付き合ってやる。俺に乗れと云われた。誰かがじっさまに云いつけたら。そう云い訳をしろ」

 冴の阿門様への好意は、この時また高まった。

 そしてこの日阿門様は、男のように馬に跨る乗り方を勧めた。

 大正初期なら、女性の乗馬は普通横乗りだ。天興日本も同様らしいが。阿門様は云った。

「女の横乗りを見るとハラハラする。乗りにくいだろうが」

 冴はおそろおそるまたがってみて、馬を何歩か歩かせ、目をきらきらと輝かせた。

 二人で馬を走らせているうちに、二人のお互いへの親しみが、だいぶ増した。

 冴は阿門様が、日増しに好きになっていくようで、阿門様も冴が、だんだん可愛くなっていくようだ。

 阿門様と冴の気性は、相性が良いように見える。

 私の世界では、結局人並の夫婦になった。良い夫婦であったと聞いたが、まぁそうだろうなと思う。 


 明治終幕の日。私の中にいた人、私の世界の蓮様にから、二人への思いを聞いた。

 二人の入籍後は、二人が真実結ばれ、良き夫婦となることを望んでいた。彼はそう云ったが。こうも云った。

 息の合う二人を眺めると嬉しくなった。だが二人がそうなることを、真実望んでいたかと訊かれると、答えに迷う。

 私の世界の彼は、私の中に入りこみ、阿門と冴を探していたという。二人の霊か、二人の転生した姿を。

 探して、探して、気づいたら、この世界にいたという。

 未練があるから、彼は霊となっても、二人を追うのだと思う。彼の未練とは、さてどんなものなのか。

 この世界の蓮様のなかに入りこみ、彼は何をしようとしているのか。


 天興元年八月十九日の月曜日。午前十時半。

 蓮様と阿門様の部屋で、冴は子猫をじゃらしていた。その傍で阿門様は新聞を読み、蓮様は冴を見て微笑んでいた。

 そんな三人を、藤田氏が呼びに来た。

「元木様がお着きでございます」

 応接室の手前で、藤田さんは蓮様に耳打ちをした。

「元木様は姫様にお仕えするお役目を、ご辞退なさるおつもりかと」

 蓮様が眉を顰め、阿門様が小声で尋ねた。

「どうしてそう思う?」

 藤田さんは何も云わずに、応接室の扉を開けた。

 肘掛椅子から立ち上がって、頭を下げた元木さんに、三人は目を見開いた。

 大正時代。大和なでしこの髪は、みな長く豊である。大正初期から、断髪姿が少しずつ見られるようになってくるが。まだほんの少数。大正時代、断髪の女性は、都会の珍獣だった。三人の反応を見るに、天興の日本も、同様の状況らしい。

 その日、宗形邸にやってきた元木さんは、黒く艶やかな髪を、顎のあたりまで、バッサリと切り落としていた。

本日はここまでにいたしましょう。

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