姫様の御側室
元木さん、宗形家にやってくるの回
「こたびお迎えする御方のことは、姫様の御側室と思え。家のものにはそう云っておけ」
宗形家の当主、阿門様の祖父である大旦那様は、執事の藤田さんに、そのように仰ったとか。
阿門様は冴にそんな話をして笑った。
「聡子とあの娘の心中騒ぎを、じっさまは知らない。しかし家で働く人間はみんな知ってるらしい。使用人一同にどう説明すべきか。藤田は頭は悩ませている」
この時阿門様と冴は、ともに黒い乗馬服を着ていた。
大正元年頃の女性の乗馬服は、男性の乗馬服にだいぶ近くなってきたが。下半分には違いがある。キュロットをはき、その上に膝下くらいまでのスカートが広がっている。天興元年の女性の乗馬服も同様のものらしく、冴もそんな服を着ていた。
二人は厩の前で上着を脱いで、馬にブラシをかけていた。
冴は顔を顰めて云った。
「姫様のご側室など。聞いたことがない言葉です」
阿門様は愉快そうに云った。
「男を真面目な顔で姫様なんて呼ぶのは、我が一族だけだろう」
二人の言葉に、私も大きく頷いた。
「聡子とあの娘との心中騒動を知ったら。じっさまはどんな顔をするかな」
「蓮實のおじさまとおばさまにも、おじい様にも。蓮様が悪く思われないでしょうか」
「一族に「玉依姫」をどうこうしようとする奴はいないだろうが。姫があまりに目ざわりだと、「譲位」を迫られる可能性はあるかもしれんな」
「そんな前例がありますの?」
「ああ」
「そんなことになったら、蓮様はどうなりますの?」
「この家からは追い出されるだろうな。まぁ、そうなれば。おかしな役目からは解放されるわけだが」
「蓮様にとっては、そのほうが良いと?」
「自由の身にはしてやりたいが。生きていくには金がいる。今そうなっても、俺にあいつを助ける力がない。そこが問題だ」
「お兄様と蓮様が寝室をともにしていることを、おじい様は良く思っていらっしゃらないみたい」
「俺たちが伴侶というのは形だけのこと。そうでなければならないと。俺と蓮に、よく釘をさす。俺たちの様子を、木村に見張らせてる」
「お二人を見張っているのですか。木村さんが?」
「御命令だからと見張ってはいるが。じっさまが何を気にしているのか。不思議に思っている様子だ。薩摩には衆道に熱いものが多いらしい。あいつも多分、美少年の後輩に熱をあげてた口だな」
「衆道など薄気味が悪い風習だ。おじい様はそう仰いました。欧州や亜米利加では、病気の一種で、異常な行為とされていると伺いました。そうなのですか」
「かつては罪であっても、異常ではなかった。国力は人口に比例する。そんな考えが広まった結果かな」
「子供に恵まれない御夫婦も、珍しくはございませんのに」
「俺と蓮以外の人間がいる場所で、俺との結婚について望むことを口に出すなよ。あの人の耳に入ったら、実家に戻されるかもしれないぞ」
一緒に馬の世話をしながら語り合う二人は、ずいぶん打ち解けてきたように見えた。
この屋敷の馬に乗りたい。この家に移り住んだ翌日。冴は蓮様にそう頼んだらしい。
けれどその場には大旦那様がいて、優しくこう云ったそうだ。
「この宗形家の嫁が。女だてらに馬にまたがるのは感心できんな」
蓮様は冴に、こっそり云ったらしい。
そのうちなんとかするから。少しの間我慢しなさい。
しかしこの日の前日の夕方、冴は公爵をおともに、庭を散歩した。その最中に、厩を発見。厩で馬を見たら、どうしても馬に乗りたくなったようだ。
厩から洋館に戻ったとき、玄関先で鉢合わせた阿門様に、冴はその気持ちを訴えた。
「お兄様。私、あの綺麗な白馬に乗りたいのです!」
「乗りたきゃ乗れ」
阿門様はあっさりそう云った。
「おじい様に止められました!」と冴が云えば、こう云った。
「じゃあ。明日俺が付き合ってやる。俺に乗れと云われた。誰かがじっさまに云いつけたら。そう云い訳をしろ」
冴の阿門様への好意は、この時また高まった。
そしてこの日阿門様は、男のように馬に跨る乗り方を勧めた。
大正初期なら、女性の乗馬は普通横乗りだ。天興日本も同様らしいが。阿門様は云った。
「女の横乗りを見るとハラハラする。乗りにくいだろうが」
冴はおそろおそるまたがってみて、馬を何歩か歩かせ、目をきらきらと輝かせた。
二人で馬を走らせているうちに、二人のお互いへの親しみが、だいぶ増した。
冴は阿門様が、日増しに好きになっていくようで、阿門様も冴が、だんだん可愛くなっていくようだ。
阿門様と冴の気性は、相性が良いように見える。
私の世界では、結局人並の夫婦になった。良い夫婦であったと聞いたが、まぁそうだろうなと思う。
明治終幕の日。私の中にいた人、私の世界の蓮様にから、二人への思いを聞いた。
二人の入籍後は、二人が真実結ばれ、良き夫婦となることを望んでいた。彼はそう云ったが。こうも云った。
息の合う二人を眺めると嬉しくなった。だが二人がそうなることを、真実望んでいたかと訊かれると、答えに迷う。
私の世界の彼は、私の中に入りこみ、阿門と冴を探していたという。二人の霊か、二人の転生した姿を。
探して、探して、気づいたら、この世界にいたという。
未練があるから、彼は霊となっても、二人を追うのだと思う。彼の未練とは、さてどんなものなのか。
この世界の蓮様のなかに入りこみ、彼は何をしようとしているのか。
天興元年八月十九日の月曜日。午前十時半。
蓮様と阿門様の部屋で、冴は子猫をじゃらしていた。その傍で阿門様は新聞を読み、蓮様は冴を見て微笑んでいた。
そんな三人を、藤田氏が呼びに来た。
「元木様がお着きでございます」
応接室の手前で、藤田さんは蓮様に耳打ちをした。
「元木様は姫様にお仕えするお役目を、ご辞退なさるおつもりかと」
蓮様が眉を顰め、阿門様が小声で尋ねた。
「どうしてそう思う?」
藤田さんは何も云わずに、応接室の扉を開けた。
肘掛椅子から立ち上がって、頭を下げた元木さんに、三人は目を見開いた。
大正時代。大和なでしこの髪は、みな長く豊である。大正初期から、断髪姿が少しずつ見られるようになってくるが。まだほんの少数。大正時代、断髪の女性は、都会の珍獣だった。三人の反応を見るに、天興の日本も、同様の状況らしい。
その日、宗形邸にやってきた元木さんは、黒く艶やかな髪を、顎のあたりまで、バッサリと切り落としていた。
本日はここまでにいたしましょう。




